英国の国民投票があと9日に迫ってきた。賛否の動向については前回記事で触れたので(前回記事)、今回は、国民投票をよりよく「楽しむ」ために、EU離脱派の有志が製作した「英国離脱映画(Brexit the Movie )」というプロパガンダ映画を紹介したい。国民投票に合わせてクラウドファンディングで資金調達して作ったものだ。
この映画は「全ての問題の原因はEUにある」ので、「EUを離脱すればより良い未来がやってくる」と説く。その主なメッセージは、①EUは非民主的な機構でありコントロールできない、②規制ばかりを作って自由なビジネスを阻害している、③EUに加盟しないスイスの方が大成功している、④EUを離脱すればアメリカや新興国と自由にFTAを結ぶことができる、⑤EUは極右政党が台頭していて危険だ、というものだ。
この映画は、レポーターが色んな現場をまわって当事者っぽい人から「EUは許せない」という話を聞き出す。次に専門家っぽい人が出てきて補足説明をした上で「だからEUから離脱するのが良い」と繋ぐ構成になっている。これをテンポよく何度も繰り返されると、見ている人は何となく離脱した方がよいという気持ちになってくる。映画の内容は事実誤認やミスリーディングな描写が多いのだが、普通の人はそんなことに気づきやしない。ポピュリズムと戦うことがいかに困難なことかを考えさせられる映画である。
EU機構のことを誰も知らない
レポーターがブリュッセルでEU機構について街頭インタビューして尋ねる。「欧州理事会(European Council)とEU理事会(the Council of European Union)の違いは分かりますか? 欧州委員会(the European Commission)と欧州評議会(the Council of Europe)の違いは分かりますか?」と。もちろん、回答できる人は誰もいない。レポーターは、人々が認識できない政治機構で政治が行われていていいのかと問いかける。
EU首相や大統領を誰も知らない(注1)
国民が代表者を選び、国民が求める政策を代わりに実施してもらうのが(代議制の)民主主義の基本である。では、EUの国の人々、自分たちの代表者の顔と名前を知っているのだろうか? レポーターはブリュッセルの街中で、EU首相のジャン•クロード•ユンカー(元ルクセンブルグ首相)を知っているのかと質問してみると、誰も答えられない。英国であれば、選挙でキャメロン首相を代表として選ぶので、彼のことは誰でも知っている。EUでは、代表者を選べず、コントロールすることができない。レポーターは、そんな状態で民主主義が機能するのかと問いかける。
EU官僚はキャメロン首相よりも高給取り(注2)
EU官僚は高い給与をもらって特権をたくさん持っているイメージがあるが、本当なのか? レポーターが欧州議会に行って調べると、なんと、英国のキャメロン首相よりも高い給与をもらっている官僚の数は1万人、EU官僚の5人に1人の割合で存在するという。EU官僚は、基礎給与に加えて、駐在手当、世帯手当、家族手当、教育手当などが付与され、さらに、EU官僚の特権により減税を受けることができる。また、欧州議会の豪華設備や欧州議員の給与体系を指摘し、その特権性を強調する 。
EUの漁業政策のせいで英国の漁業は壊滅(注3)
レポーターは英国の港町を訪れると、EUによって破滅に追いやられた可哀想な漁業者の声を紹介する。漁業者は「昔はたくさん魚が取れたんだ。それがEUに入ってからドイツの船がやってきて魚を奪っていったんだ」という。また、漁業者は、EUは漁業者に対してお金をばらまき退職を促してると文句を言う。レポーターは、EU加盟後,北海の漁獲量枠の一部を他国に与えざるをえなくなり,英国の漁船の漁獲量が劇的に減少したが、EUを離脱すれば 英国の漁業を取り戻せると主張する 。
日常を取り巻く膨大なEU規制(注4)
専門家っぽい人は、EU規制が健全なビジネスを阻害していると主張する。専門家っぽい人たちは、レポーターと一緒に、日常生活を取り囲むEU関連法令の数を映像でシュールに表現することにした。被規制男は、規制された家を出ると、家に関するEU関連法令の数が表示される。舗装道路の法令数は1467件、自動車は1872件、お皿は99件、ミルクは1万 2000件,スプーンは210件という具合に−。そして、これらの規制は、すべてEU官僚と大企業のために作られていると主張する。
貿易障壁で囲まれているEU(注5)
専門家っぽい人は、EUは自国産業を守るために,他国からの物品に対して①高い関税と②輸入数量制限を課し、③複雑怪奇な規制を設けることによって貿易障壁を築いていると主張する。
その実例として,英国における砂糖の加工工場の社長の声を登場させる。社長は「本来であればEU外からサトウキビを安く輸入できるのに、EUが高い関税を課しているせいで加工の仕事が減ってしまった」という。非効率なEU企業を守ることで、コストが上がり、市民は貧しくなっているという。さらに、勤勉なアジア系の人がせっせと製品を作るのに対して、怠け者の南欧系の人は仕事をせずにEUにロビーイングをして規制を作らせるという場面が流されて,だからEUの経済はダメなんだという主張が展開される。
FTAで後塵を拝すEU
専門家っぽい人によれば、保護主義的なEUは自由貿易協定( FTA)を結ぼうとしないという。FTAを結んでいる国のGDPの総和をみると,スイス、シンガポール、韓国、チリなどと比べてEUは遅れているのだから、EUを離脱して個別のFTAを結ぶのが良いのだと繋げる。
EU加盟国ではないのに繁栄するスイス
レポーターは、スイスを訪れる。スイスは、ノバルティス、ネスレ、ロッシュ、ロレックス,オメガ,UBS,クレディットスイスなどの世界的企業が集まり、一人当たり輸出額は英国の5倍,一人当たりGDPは英国の2倍,失業率は低く,給与は高い,そして、多くのFTAを結んでおり、ビジネスを阻害する規制が少ない。ここでレポーターは,「スイスは英国より多少優れているどころではない。ファンタスティックに優れているのだ」と褒めちぎった上,どうしてスイスはこんなに優れているのかと問う。
ここでスイス人の専門家っぽい人が登場し、スイスの成功の秘訣は「EUに加盟していないところにある」と説明する。EUは非民主主義的でトップダウンであるのに対して,スイスは超民主主義国であってボトムアップの国だ。5万人の署名を集めれば国民投票を行うことができ,国民が政治家や官僚をコントロールすることができる。だから、英国もEUから離脱するのが良いとアピールする。
EUにおけるポピュリズムと極右極左の台頭
2008年の経済危機後、EU諸国は失業率が高止まりし、極右政党が台頭している。フランスでは、マリーヌルペン率いるナショナルフロントが欧州議会選挙で第1党となった。他の国でもテロや暴動の脅威にさらされ、EUはより危険な場所になっている。また、EUによる非民主的に決定を押し付けることで、極右勢力を生み出すことに加担している。こんなEUからは離脱した方が良いと主張する。
注釈
(注1)EUにおいては,国民が自国の選挙で選んだ加盟国の代表者らがEU首相(欧州委員長)やEU大統領を任命している。また,欧州議会選挙を通じて首相候補の政党を選べる仕組みを取っている。欧州議会はEU首相を罷免する権利を持っており,実際に1999年に不信任決議をしたことがある。加盟国は日常的にEU行政機関を監視しており、EUの行政機関がブレーキのない機関車という主張は間違いである。 参考記事。
(注2)キャメロン首相の給与は手取りで約900万ポンド(額面で140万ポンド)であり、国際的にも民間水準でもその地位の割には決して高くない。また,EU官僚が高給取りだというが、有能な人材を集めるためには民間エリートに準じた給与体系を用意することは不可欠である。どこの国でも官僚批判はウケがいいが、官僚の給与を引き下げれば引き下げるほど有為な人材の流出が加速することになる。なお2014年~2020年にはEU官僚の給与は減額されることとなっている。参考記事。
(注3)EUの共通漁業政策により許容漁獲枠が高く設定され,資源の枯渇を招いたことは事実だが,その制度上の問題点は2013年の改革案で軌道修正されている。参考記事。また、EUから離脱すれば英国のEEZから他漁船を追い出せると思っているかもしれないが,タラやサバなどの回遊魚については広域での共同管理が必要になるので,周辺国と漁獲枠を調整することに変わりはない。ノルウェーやアイスランドがEUと漁獲枠を調整しているのと同じことである。むしろ、サバ戦争のようにノルウェーやアイスランドと対立する可能性がある。その際にEUは強い影響力を行使できるが、英国単独であれば何もできなくなる恐れがある。参考記事。
(注4)EU関連法令の数の根拠が不明であり、その数が多いのか少ないのかも判断できない。規制はが少ないのが良いというが、それでは安全基準や環境基準に関する規制なども必要ないのだろうか? 個別具体的にこの規制は問題だというのであれば有益だが、規制が多くて問題というのはただの印象論や愚痴に過ぎない。なお,EUは2年前から,規制の簡素化と単一市場のサービス分野(特にデジタル分野)の統合深化に向けた取り組みを急ピッチで推進している。これは英国の強い要望で行われているものである。英国に有利な形でサービス分野の市場統合への取り組みが進んでいるにも関わらず,そこから離脱しようとするのは合理的な判断とは言えない。
(注5)EUはWTOに加盟後、関税も輸入ルールも規制も一定程度撤廃している。世界的に見て貿易障壁が多いとは必ずしも言えない。もちろん、センシティブな分野については関税や非関税障壁を残しているところもあるが、それはどこの国も似たようなものである。また、FTAの数が少ないという批判があるが、EUはこれまで WTOの貿易枠組みの進展に注力していたため、FTAの交渉は抑制していた。世界全体で自由貿易の枠組みを構築する方が良いと考えていたからだ。また、経済規模が大きい国の方が利害調整が難しくなるので、交渉期間が長くなることは致し方ない面がある。