8月6日、ヘルシンキから電車で二時間ほど西へ行きました。目的地はフィンランドの古都、トルク。約700年間、スウェーデンの支配下に置かれていたフィンランドの中心地だったところです。1809年にロシアがフィンランドの宗主国になったとき、スウェーデンの影響力を嫌い、フィンランドの首都を東のヘルシンキに移したのです。人口は17万人でフィンランドの第四の都市です。
この日は朝からトルク市のガイドの下、町を案内してもらいました。バルト海の水が町を二つに分断するように作られました。橋によって大きく二つの地域に分かれており、下の島が産業地、そして上の島がいわゆる中心地です。トルクはエストニアのタリンとともに2011年のEUの文化町として指定されているのでその取り組みについても紹介してもらいました。
その後はトルク大学、そして現地の地方紙と地方テレビを訪問しました。トルク大学は1640年にスウェーデン支配の下で設立され、スウェーデン語での教育を行ってきました。1827年のトルクの大火のときに町が焼け果ててしまったため、大学はヘルシンキに移されることとなりました。これが今のヘルシンキ大学です。このときに貴重な文化品がヘルシンキに持って行かれてしまいました(トルクの人いわく「ヘルシンキに盗まれた」)。トルク大学が再び作られたのは1922年のこと。
トルク大学のメインの庭です。
トルク大学でのお菓子タイム。ムーミンドリンク。
そして、トルク地方紙。ここの発行部数は11万ほどで、社員数は140名弱。フィンランドで第二の新聞です。紙面を見てみると、驚いたことに、表紙の一面が広告で埋め尽くされています。新聞不況はどこも変わらないようです。また、フィンランドは全国紙が一つしかありません。かつてはトルク地方紙が全国紙になるべく取り組んだそうですが、上手くいかなかったそうです。言論の多様性を考えれば一つの新聞というのはやはり不均衡な気がします。マーケットが小さいという理由はあるとはいえ、なぜこうなったのかについてフィンランドの歴史と照らして調べてみるのも面白いかもしれません。
夕食はVIPのみが使用するという海岸沿いの別荘でご馳走を頂きました。ようやくこのプログラムのメンバーの名前と顔が一致するようになり、ある程度打ち解けて会話ができるようになりました(といっても英語での砕けた会話は難しいですが)。夕食後はみんなとサウナをしてバルト海で泳いで遊びました。なんとも夢のような世界。このような貴重な機会を得られたことに感謝です。