性善説と性悪説

 国で車で轢かれ放置された2歳の女児のニュース映像を見た。倒れている女児を通り過ぎていく通行人たちは気にかけようとも躊躇する気配も見せていない。いつもと同じ風景が続いているかのように歩き去っていく。人間がどこまで堕ちることができるのか、ある意味、地獄を見たような気持ちになった。
 これを見て思い出したのは深代淳郎さんの「忍びざるの心」という天声人語の文章(1973年10月19日)である。
 「性善説」を唱えた中国の孟子の言葉を次のように引いている。「孟子は、性善説を説くのに、人にはみな、人に忍びざるの心ありしといった。他人の不幸や苦痛を見すごしにできない本性が、だれにもあるということだ。そのことをこんな風に証明する。『赤ん坊が井戸に落ちようとしたら、だれでもかけ寄ってだき抱えるだろう』『それは人にほめられたいためではなく、本能的な行為なのだ。この心のない人は、人間ではない』」。
 その上で、深代さんは二つの水死(!)に触れる。ひとつは、川で遊んでいた小学一年生が深みにハマり、それを助けようとした子供たちが川に入っていき、次々と溺れ、結局、助けようとした二人が死んだというもの。もう一つは、皇居のお堀にとび込んだ十三歳の少女の話。「おぼれていくのを、十数人のヤジ馬が見ていたという。通りかかった警官が『だれか一一O番してくれ」といったが、動こうとする人はいなかった」という。
 「十数人の見物人に「人に忍ぜひざるの心がなかった、とは思いたくない。それでは孟子さまのいう通り、人でなしだ」と、深代さんは悲しみと怒りを表現している。
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 性善説を批判したのは、荀子である。そのかわりに、彼は、「性悪説」を説いた。人間は悪(悪魔)でもあり得るし善(天使)でもありうる。それは後天的な努力によって決まるものだと。私は、日本社会は性善説が土台にあると信じる人達によって成り立っていると思うし、それは一人ひとりの絶え間ない努力によって生み出されているものだと思う。これからもそういう日本社会であり続けてほしいし、中国もそういう社会になってほしいと思う。

ぐし について

スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務後(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事。2014年11月から慶應大学のEUSI研究員。千葉市まちづくり未来研究員(自転車政策)。NPO Rights副代表理事として若者政策(主に若者参画)の提言や分析を行う。連絡先:gushiken17@hotmail.com
カテゴリー: つぶやき・殴り書き パーマリンク

性善説と性悪説 への2件のフィードバック

  1. kiro より:

    これ、実はしばらく前にこっちの国では おばあさんが交通事故に合う→その人を病院まで連れていく(もちろん車なんて証拠も何もない)→おばあさん「この人のせいで怪我をしました、医療費の請求はこの人に」 となって裁判になったんだけど。結局連れていった人が負けて。  そのけが人の怪我を治すところまでやる気が無いなら手を出さない。という風習が生まれたらしい。 それにこのケースは普遍的ではなく 現に、怪我した人がどんな人か次第では救急車が呼ばれる事は別に不自然ではない。 怪我をした人が医療費の支払い能力があるか無いかで判断している。また実際救急車が来ても、まず始めに聞く事は怪我の事では無く、支払い能力の可否だとか。 福祉を置き去りにして成長を優先する国の背景。

  2. おぐし より:

    Kiro
    福祉とか環境を無視して経済成長を追いかけるとか、そういうマクロの次元の話じゃないよこれは。いくら訴えられる可能性があったからといって、子供が倒れているのを平然と無視するなんて、人間のやることじゃないよ。中国のコミュニティーには相互補助の精神すらなくなったのかね。寂しい。

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