鳥取県米子駅から二駅ほど行ったところにある『伯耆大山駅』。僕がそこに降り立ったのは1月3日の午後3時10分。今にも雨が降りそうな曇り空の下、地図を片手に決意を新たにした。「鳥取から東京までヒッチハイクで絶対行くぞ―」。まず目指すは、米子インターチェンジ。ここから米子自動車道に乗り込み、しばらく南下して岡山まで行けば、中国自動車道で大阪方面に乗せてくれるだろう。あとは、トラックでも捕まえれば一気に東京。ゴールだ―。
カメラを片手に歩き始めて3分、衝撃的な事実に気がついた。「…車、全然通らねぇ」。信号はたしかに点滅し動いている。だが車が通らない。それどころか人がいない。これは、大丈夫だろうか…。湧き上がる不安を押し殺しながら、さらに歩くこと3分、一台のワゴンが後ろからやってきた。僕は即座に道路の真ん中に立って、左手を伸ばし親指を突き出した。距離がどんどん縮まり、車のスピードが緩くなる。 「これはもしかしたら!」…爽やかな笑顔を作って、良い人っぽさをアピールしてみる。だが、中には夫婦と子供が二人乗っていた。無理だった。
まだ正月の3日目。Uターンラッシュを期待していたが、どうやら子供連れも多いようだ。さすがに子供がいたら乗せてくれない。運転手1人か夫婦2人。ここが狙い目だ。気を取り直して再チャレンジスタートだ。
20台が過ぎ去っただろうか。僕は信号待ちをしている自動車に声を掛け始めた。失礼だと思ったが仕方がない。恥ずかしがっていては始まらない。旅の恥は掻き捨てなのだ。「すいません、ちょっとヒッチハイクをしているものですが……」。だが、その老夫婦は鳥取に帰るので米子道は使わないという。その上で一つアドバイスをもらった。「あっちの中央道に行けばたくさん車があるよ」と。
15分ほど歩き、奥の中央の入り口に来てみる。かなりの数の車が走っていた。三車線の道路、その信号の前に止まっている車たち。左に行けば山陰高速。真っ直ぐいけば米子道の入り口だ。危険だと思ったが、赤信号のときに真ん中の車線に止まっている車の窓を叩いた。「すいません、どこかのサービスエリアまで連れて行ってほしいのですが……」。するとその老夫婦は驚いた顔をしながらも(当たり前か)、「(岡山)津山までで良ければ乗っていけ」と快諾してくれた。
これがヒッチハイク、初成功の瞬間だった。
信号が青になる前に飛び乗って、とりあえずお礼を言った。「こんなやつ、北海道以外では、はじめてみた」と笑われたが、じいちゃんもばあちゃんも見るからに人の良さそうな感じだった。じいちゃんは、昔トラックのドライバーをしていて全国を走っていた。歳は70近くだが、今でも現役でドライブを楽しんでいるという。ばあちゃんはなぜか感心していたようで、僕を褒めちぎっていた。「まあ、学生のうちにしかできませんから」と言い訳をしていたが、どこか嬉しかった。
窓から見える観光名所について話をしたあと、蒜山サービスエリアに入ってコーヒーを奢ってもらった。ばあちゃんの分のコーヒーもいただいた。お腹が一杯になった16時30分、お礼を言って別れた。
(本当にありがとう☆)
駐車場でトラックを探してみたが、どうして一台も見当たらない。食堂の机で、A4サイズの紙にでっかく『大阪』と書いて、それをトイレの前で掲げて立った。事前にネットで調べたところ、トイレが一番効果的で、SAの出口が二番目にベターだと書いてあったのだ。男子トイレ女子トイレの間に立って心優しい人がやってくるのを待った。
…しかし、待てど待てども、声を掛けられる気配がない。誰もが怪訝そうな顔をして去っていく。ときどき「おー頑張ってんな」と肩を叩かれたり、「オレ、信州大でヒッチハイクサークル入ってるんだよね。すっげー乗せてあげたいんだけど……」とエールをもらったりした。だが中々見つからない。また前回のように、直接車にアタックする作戦に出た。「スイマセン、ヒッチハイクしているのですが、大阪方面とか行きませんかね?」
大阪・京都ナンバーを狙いうちにするも、なかなか快諾がでない。そうこうしてるいる間に18時になった。さすがに外の寒い中、一時間近くも立っていると手が凍えてくる。少し休もうかと思ったそのとき、クラクションが鳴った。横を見てみると、黒いワゴンがドアを開いて待っていた―。
「なんで乗せてくれたんですか」 お礼を言い、席に座って聞いた。「トイレの前で立っているのを見てたんだけど、一時間以上経っても、まだ見つかっていなかったから可哀想だなと思ってね」。まだ40歳弱ほどの年齢だろう。おじさんとおばさんは、自分たちはあまり社交的ではないのにねと付け加え、僕を乗せた自分たちを不思議がっていた。
車内は、ミスターチルドレンの音楽が流れている。二人は兵庫に住んでいて、今回はちょうど鳥取に旅行に行っていた。彼らは、「葛西のSAで降ろしてあげるから、それまで寝てていいよ」と言ってくれたが、さすがに寝るわけには行かない。首を上下左右に動かしながら耐えていたが、途中から少し意識が飛びがちになっていった―。そして19時過ぎ、葛西SAに到着。半分寝ていてあまり話をできなかったのだが、二人は、「頑張って次を見つけろよ」と言ってくれた。丁重にお礼を言って別れた。
(ホント感謝多謝☆)
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