スウェーデンの教育問題の原因④

れまで地方分権化と民営化が教育に与える弊害について書いてきた。主に教育の民営化が引き起こしつつある具体的な事例として「こんなに高校が多くていいの?」という新聞記事(SvD 8月21日)を紹介しよう。(これは日本の増え過ぎた大学にも当てはまる話だ)。

スウェーデンの子供の数は1992年を境に2000年まで減り続けた。その結果、今の中学生〜高校生の人口が極端に少なくなり、今後、高校生の数は2017年までは増える見込みはない。しかしながら、高校生の数が減っているのに、高校の数は増え続けている。過去五年間で、新しい高校は200以上生まれており、そのほとんどが企業(外資や投資会社)によって運営されているフリースクールである(全体のフリースクールの25%が6つの企業によって運営されている)。

Change in the Number of newly born in Sweden

Change in the number of school and children in Sweden

※ 緑の棒グラフが中三の子供の数/赤い丸が高校の数

当たり前だが、子供が減っているのに、高校が増え続ければ、学校間の競争が激化する。高校は生き残るために、あの手この手を使って生徒を確保しようと努力する。本来は、各学校が教育の質の向上に努めることで競争するべきだが、現実はそうではない。教育の質の向上という意味での競争原理は働いていないのだ。

今、スウェーデンで起こっているのは、パソコンの無料支給、海外旅行のアレンジ、おこづかいの支給(←極端な例)などの「アメのばらまき」である。学校は、生徒を「お客様」(あるいは「金づる」)として見るようになり、生徒に必要なものではなく、生徒が欲しいものを与えるようになる。消費文化が教育文化を壊すという典型例である。

また、競争激化のせいで、学校は、PRやマーケティングの予算を増やしている。2011年には、42 million SEK が広告宣伝費に使われた(※インターネットでの広告費、PR会社へのコンサルタント料などは含まれない)。2009年の時点では、広告宣伝費は20 million SEK だったので、2年間で倍増している。実際、90%以上の高校の校長先生は、マーケティングに労力とお金を費やしていると回答、35%の高校は民間企業にマーケティングやコンサルティングの調査のを依頼しているという。ちなみに、2011年にPRに費やした予算で、新しく83人の先生を雇用できたという試算が出ている。

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スウェーデンの教育問題の原因③

 の投稿で、移民の増加で教育が悪化しているという意見は言い過ぎだと書いた。むしろ私は、スウェーデンの教育の失敗の原因は、①地方分権化と②民営化を進め過ぎたことにある、と考えている。ここでは、教育の分権化と民営化の実態、それらが及ぼす影響をまとめてみる。

  ※教育制度の細かい変化については2009年の報告書(英語要約あり)を参照

 ①教育の地方分権化とは、教育の予算、カリキュラムの策定、教員人事の権限を、中央政府からより小さい単位の自治体に委譲する動きである。

 1989年、それまで国が担っていた教員の雇用に関わる権限が自治体に委譲された。また、各学校に専門性のある研究者(lektor)の雇用を義務づけていたが、これも自治体の裁量に委ねられた。1994年から具体的な教育カリキュラムも自治体ごと(学校ごと)に自由にアレンジできるようになった。加えて、1996年には、それまで差がついていなかった教員の給料を、学校責任者(huvudman)が個別に決められるようになった。

 ②1992年から他の先進国に先駆けて、フリースクール(民間/組合学校)と学校選択制を導入。フリースクールは、公的な負担の下、民間によって運営される学校のこと。フリースクールの導入の目的は、生徒や親が学校(市立/私立)を自由に平等に選べるようにすることで、学校ごとに特色を出して競争させ、教育の質を向上させることだった。

 フリースクールの運営主体は、他の福祉分野の運営主体と同様に、利益を上げることが許されている。もしお金儲けができなければ、民間の新規参入が妨げられると考えられたからだ(イギリスではスウェーデンを真似してフリースクールを導入しているが、利益追求に関しては厳しい規制が課されている)。その結果、スウェーデンでは民間企業(企業、外資企業、組合)が学校経営に参入してきた。この20年間で、フリースクールの割合は義務教育で18%、高等教育で50%まで増加。フリースクールに通う生徒の割合もそれぞれ12%、25%に増えている。

            Percentage of independent school

                 ※自治体とフリースクールに通う生徒の割合

 これらの教育制度改革の及ぼしている影響は主に次のとおり。

 (1) 学校間や自治体間での差の拡大

 義務教育では、どの学校でも最低限の質を保証する必要がある。だが、学校間での学力/教育の質の格差が広がり、どの学校に通うかによって生徒の未来が決まってしまう。スウェーデンでは、学校間の平均的な成績の差異(分散値)が2倍に拡大、1998年に9%だったのが、2011年には18%まで増加している。(スウェ語の記事)。

 フリースクールの制度は「移動の自由」「情報公開(情報の対称性)」などの条件を前提にしているが、すべての人が好きなところに引っ越せるわけではないし、すべての学校の情報を手に入れられるわけではない。教育水準が高くて裕福なスウェーデン人は、スウェーデン人ばかりのいる学校に移動をする。その結果、移民とスウェーデン人の分離化が進んでしまう。

 (2) 資格を持たない先生の増大(特にフリースクール)

 2007年〜2008年の間、自治体の学校における教員資格のない先生の割合は、義務教育の中学校で18%、高校で28%となっている。フリースクールでは、それぞれ36%と49%となっている。フリースクールで教員資格を持たない先生の数が多い背景には様々な制度的な違いがあるが、一番の理由はそっちの方が単にコストが安くなるという事情がある。

 教員資格を持たない先生を増やしたことは、教員資格の持つ「重み」を引き下げ、先生という職業自体の「専門性(プロフェッショナリズム)」や社会的な地位を傷つけることとなった。もちろん、多様な人材を学校に引き入れるという点では良い面もあるが、それを進めすぎると、教員免許の意味がなくなる。スウェーデンでは、昨年から教員免許の取得が義務化されたが、教員の社会的な地位や職業性を回復するためには相当な時間が掛かるだろう。

 (3) 成績のインフレ−ション

 1997年から2007年の間、MVGという最も高い成績を得ている中学三年生の数が28倍に増大(しかも、フリースクールの方がより多くのMVGを与えている)。このように成績がインフレする背景には、自分の生徒に良い成績を与えることで、教員自身や学校の評価を良くしたいという歪んだ動機がある。実際、2011年の数学の全国共通テストの結果と内申点を比較すると、自治体(市立)の学校の高校生の18.5%がより高いスコアを取っているが、フリースクールに通う生徒では22%がより高いスコアとなっている。つまり、フリースクールの方が生徒の成績審査を「大目に見る」という傾向が見られる。

 このまま成績のインフレが進むと、スウェーデンの教育制度を根本から変える可能性がある。スウェーデンでは進学するとき、中学と高校の内申点をベースに選考が行なわれているが、この内申点が生徒の学力を計る指標として信頼性を失うおそれがあるのだ。例えば、一定の内申点を基準に大学(高校)の入学者を選んだはずなのに、入学者の基礎的な学力にバラツキがあれば、大学(高校)は内申点を信頼しなくなるだろう。そういう状況が続くようであれば、各大学(高校)で、独自の入学試験を課すところも増えるかもしれない。もしも入学試験に独自のペーパーテストが導入されれば、若者の浪人生も増えるし、社会人経験者が大学に入学するというルートが狭まり、大学や学部ごとの序列化が進む可能性がある。

 ただし、スウェーデンの人口は比較的に少ないため、必ずしもペーパーテストで学生の実力を計る必要はない。日本の大学受験のようになるわけではないし、学歴社会になるという恐れは少ないだろう。

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スウェーデンの教育問題の原因②

 の投稿で、スウェーデンの学校教育が多くの問題を抱えていると書いた。ただ、問題があることは分かっていても、何が原因でどういう対策をすればいいのかについては意見が分かれている。

 教育の地方分権化が原因だという人もいるし、教育の民営化(営利企業の参入)が失敗だったという人もいる。また、移民が増えたことが問題だという人もいる。もちろん、これらはすべて絡み合っているので、どれか一つが絶対の原因というわけではないし、他にも都市化、消費文化の浸透、携帯やパソコンの普及など様々な要因もあるだろう。

 ただ、あえて上の三つで問題に絞って優先順位をつけるとすれば、私の主観では、①地方分権化に3割 ②民営化に6割 ③移民の増加に1割に分けられると思う。

 まず、③移民の増加に教育の失敗を求める説明があるが、これは(イスラム)移民排斥を掲げるスウェーデン民主党などがよく喧伝している。「フィンランドの教育が成功していてスウェーデンが失敗しているのはフィンランドでは移民が少ないからだ」ともいう。私は、移民の影響自体は否定しないが、それほど大きな要因ではない、と考えている。

 スウェーデンの中学三年生の生徒数は107,177人。そのうち、外国のバックグランドを持つ生徒数をみると、2002年の15522人から2011年の19575人となっており、全体の割合としては14%から18%に増えている。ただし、この外国にバックグランドを持つ生徒のなかの10%弱(10407人)は、スウェーデンで生まれて生活している子供(二世)が占めている。つまり、純粋な移民の割合は8%前後(9044人)であり、その全体に占める割合は2000年の10%よりも少なくなっている。統計資料参照(スウェ語)

 もちろん、移民のバックグランドにも注目する必要がある。1990年代まではヨーロッパ系の移民が多かったが、2000年代にはアフガン人、イラク人、イラン人、クルド人、ソマリア人などの難民が増えている。彼らの中には教育を受けていなかったり、あるいは戦争でトラウマ体験を受けている親や子供も多くいるので、従来のヨーロッパ系の移民より社会に順応するのに時間が掛かる。そういう意味で、学校の教育現場はより大変になっている。

 ただ、それを考慮しても、移民が全体の成績を押し下げていることにはならない。この10年間で数学のテストの結果を見れば、規定の点数に達しない割合が9%から19%に増加している。このことから、移民だけでなく、生徒全体の成績が下がっていると考えるのが妥当だろう。

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スウェーデンの教育問題の原因①

 ウェーデンの若い世代の学力低下が長年に渡って問題視されており、大手メディアでも毎日のように取り上げられている。次の総選挙では、経済(雇用)と並んで教育問題が焦点になるとも言われている。まず、スウェーデンの(義務と高等)教育の実情について統計資料を集めてまとめてみた。

 まずは中学生。2011年度の中学三年生の全国共通テスト(数学)の結果によると、全体の19.3%の生徒が国の定める最低限のレベルに達していない(2003年時点ではその割合は9.2%だった)。ただ、全国共通テストは直接的には生徒の内申点に反映されない。数学の内申点(学内成績)を見てみると、定められた基準に達していない生徒の割合は2002年で93%で、2011年は91.4%に下がっている。高校進学の資格を持つ生徒の割合は、2002年で89.5%だったのが、2011年には87%となっている。やや下がり気味の傾向にあるといえる。

 また、日本でも言及されることの多いPISA(国際学力調査)。PISAは2000年から3年ごとに実施されており、そのスコアの変遷を追うことができる。これによると、スウェーデンの読解、数学、科学リテラシーのすべての分野において順位が下がっている。前回のPISAの結果は2010年に発表されたが、そのときは大手新聞やテレビが危機感を持って報じていた。

 ※ただし、補足をすると、成績上位の割合にはあまり変化はなくて、成績下位の層が増えている。つまり、日本と同様に、上と下の二極化が進んでいる、ということ)。

             PISA score of Sweden
 
 次は、高校生。2010年〜2011年の年に、高校の最終成績を取得している生徒の数は99,000人。そのうち、大学や高等専門学校への進学資格を有する高校生の割合は87%だった。進学資格を持つ人の割合は年によって多少前後しているが、あまり大きな変化は見られない。

 ただし、スウェーデンには高校の最終成績をもらえない生徒(中退者)がいる。英語の記事。3年間で卒業できない生徒の割合は31%、4年間で卒業できない割合は約24%、最終的に、高校中退の割合は22,7%になる。もちろん、高校を中退したとしても、成人学校(Komvux)などで再教育の機会が与えられているので、高卒資格取得者の割合は24歳までに90%に回復する。

 とはいっても、特に高校の職業系のコースにおける中退率は高止まりをしており、失業率を高める要因として問題視されている。ブルーカラーの工場系の需要がなくなっているので、高卒資格をもっていない若者は仕事を見つけられない。あとで成人学校でやり直しが効くといっても、高校の段階で基礎的な知識やスキルを身につけておくに越したことはない。

 また、スウェーデンの中学や高校では、秩序や規律が欠如しているとして学級崩壊(?)が長年問題視されている。PISAの調査(2009)では、教室の秩序に関する国際比較(先生が授業をすぐに進められるかを生徒に尋ねたもの)をしている。これによれば、スウェーデンはOECD諸国の平均値よりも低いスコア(71%)を示している(これでも2000年のスコアが56%だから、一応、15%も上昇!)。ちなみに日本は、共産党支配の中国(上海)を抑えての堂々の一位(93%)になっている。笑。

             Calm in classroom

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ウプサラ環境党との会合、第二弾

 年の二月に続き、エコツーリズムのリボーンさん(ガイドは壱岐さんではなくて松本さん)の環境ツアーで、日本人のグル−プ(15人)がウプサラにやってきた。前と同じようにレーナさんが通訳、今回はウメオのバルブロさんがプログラムのコーディネーターとして参加した。私もウプサラだけ合流。

 前回のツアーでは、ウプサラの隣のコミューンのオストハンマー市にある核廃棄物の最終処分場を見に行き、管理会社に話を聞いた。今回は最終処分場の訪問はなくて、ウプサラにあるOpalenという保育(幼稚)園を見学した。その後で前回と同じくウプサラのバイオガス施設を見に行ったそうだ。前の記事。私は残念ながら参加できなかったが、参加者の皆さんは、汚泥のような有機ゴミが屠殺場から運ばれてきて機械に流し込まれるという瞬間に立ち会ったようだ!

 その夜は、私がコーディネートという形で、ウプサラ環境党との会合を行なった。前回と同様、原発事故後の日本の状況についてプレゼンを行い、参加者(福島出身)の方にもお話をしてもらった。ウプサラの環境党からは3人が参加してくれた。本当はもっとたくさんの人が来るはずだったのに、あとから聞いたら、同じ日の同じ時間に各党の青年部同士でディベートがあったという。せっかくの機会だったのに、と残念でならない。

          Environemental Party

 環境党の側からは、エネルギー政策と原発の最終処分場の話。スウェーデンは最終処分場の現実的な運用に関して最も調査が進んでいると言われている。だが、スウェーデンでも、科学的な安全性よりも住民の賛成という視点から候補地を選んできたという背景がある。核のゴミを長期に渡ってどれだけ安全に管理できるのかは分からないから、処分場の誘致に対しては批判的にならざるをえない。でも、環境党としては、核のゴミを生み出してしまった以上、自分たちで処分する義務があるので、処分場の調査を進めていかざるをえない、という。

 我々が倫理的に取っていくべき道は、最終処分場を科学的な知見に基づいて探しながらも、核のゴミを増やさないようにできるだけ早く原発を止めていくこと、そのためには省エネの促進や再生可能エネルギーの普及に取り組んでいくことである。最終処分場および中間施設は、日本でも見つけていかないといけない。参加者の皆さんにも有益な会合になったのではと思う(ウプサラの町を案内する時間がなくて残念だったが)。

 ※ストックホルム大学に留学中のたっぺい君と黒岩君がわざわざ来てくれた。また、たっぺい君が環境党の話を細かくメモしてくれた。こちらのブログです。

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スウェーデンのテレビ、国営放送へ?

 ウェーデンの公共放送(SVT)や公共ラジオ(Sveriges Radio)は、日本のNHKと同じく受信料方式で成り立っている。受信料契約を結んで月額(か年額)を支払う仕組みである。

 近いうちに「国営放送」(税金方式)へと変わるかもしれない、というラジオのニュースを聞いた。これによれば、今年の秋の国会で「公共放送の税方式負担」の提案が検討されているという。パソコンや携帯、インターネットを通じて公共放送のサービスを利用するスウェーデン人が増えているなかで、今後、受信料契約だけで支えられなくなる、というのがその理由である。

 税方式による具体的な中身はまだはっきりしないが、日本でいうところの「特別会計(目的税)」を採用するようだ。政治的な圧力を回避するための仕組みである。ただ、公共放送は、今の受信料方式よりも「報道•編集」の自立性が失われる、として懸念を表明している。

 私は、スウェーデンの公共放送を税方式で支えることにわりと好意的だ。今後、インターネットを利用したテレビ番組の視聴が増えていくことは避けられない。インターネットで公共放送の番組も無料で見られるため受信料を払うメリットがない。このままでは利用者負担の方針が成り立たないことは明らかである(NHKのように「無理矢理」払わせれば別だろうが)。
 
 税方式が嫌だからといって、英国のBBCのように商業放送への道に進むと、報道の質の低下は免れない。企業広告や番組の課金制を導入すれば、結局、民間の商業テレビから民業圧迫として非難を受ける。「もし公共放送が商業化するのであれば補助をなくし、商業放送同士の公平な競争を促すべきだ」という声が出てくるだろう。

 結局、この問題は、国営放送にしたときの国家の圧力と、商業放送にしたときの商業化の圧力、どっちのほうが怖いかという問いに行き着く。SVTのニュースのコメント欄の反応を見て見ると、ほとんどの人が国営放送化に反対しているようだ。たとえば、「強制的に税金で払わせるなんてありえない」「社会民主党色の放送局に税金なんて払いたくない」「今でもお腹いっぱいのプロパガンダがさらに増える」「民営化して競争原理を入れろ!」など。

 スウェーデンの公共放送のサービス自体はそれなりに人々に支持されているはずだが、「国営放送化」についてはさすがに眉を潜める人もいるようだ。私は上であげたように、スウェーデンでは、商業化の圧力の方が(ジャーナリズムにとって)危険と考えている。

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欧州議会でインターンします

 然、幸運の女神が舞い降りてきた。少し前の投稿で、欧州議会のインターンの選考結果を待っていると書いたが、ついに昨日、欧州議会の部署から正式なインターン採用の連絡が来たのだ。

 自分のやってきたことが認められたようで素直に嬉しい。これまで欧州議会のインターンに二回応募して二回とも落とされていた。他にも色んなところに応募をしていたが全部ダメだった。今回、ようやく三度目の念願が結実した。もちろん、インターン採用は単なるワンステップ。重要なのは、そこで何を学んで次にどう繋げていくかで、これからが本番である。

 インターン期間は10月1日から2月28日までの五ヶ月。給料(主に生活費)は支給されるが、住居は自分で探さないといけない。この時期には多くのインターンが部屋を探しているので見つけるのは難しい。まずは知人やカウチサーフィングを通じて探すしかない。夏休みモードからスイッチを切り替え、ブリュッセルに向けて準備を進めよう。

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ジャーナリズムの本当の敵とは②

 の投稿で、ニック•デイビスの本から、英国のジャーナリズムは真実を報道できなくなっている、ということをまとめた。彼は、ジャーナリズムの最も大きな敵は、「国家による統制」でもなく、「広告主の圧力」でもなく、「オーナーの要求」でもなく、「商業化の圧力」にあると説いている。そして、ジャーナリズムの危機は今後も加速度的に悪化していく。インターネットが市場を奪うからだ。

 しかし、そもそも、これまでの「プロフェッショナル」のジャーナリストが社会に必要な情報を独占的に提供するというモデルは古いのではないか? 大手新聞メディアが市場から撤退したとしても、ソーシャルメディアが新しいジャーナリズムのモデルを作り出すのではないか? 新しいテクノロジーを駆使すれば必要な情報を素早く正確に伝えるモデルを作れるのではないか?

 ニック•デイビスは、こういう希望的なシナリオを「あり得ない」と一蹴する。

 インターネット、とりわけソーシャルメディアの出現によって人々の一次情報に対する「意見のやり取り」は増えたが、そもそも、そうした意見が参照する一次情報の成否を確認する(ファクトチェックをする)人間の数は減少している。国政でも地方自治体でも細部まで確認し報道する人がいなくなると、官庁や企業に都合の良い「PR広報」ばかりが氾濫することになる。現に多くの国々(特にアメリカ!)でそういうことが起こりつつある。

 つまり、ソーシャルメディアは補完的な役割を果たすが、大手メディア(主に新聞)を代替するまでにはいかない、という。プロフェッショナルのジャーナリストがそれなりに「フィルター」をかけて「真実」を報道する。それに、ソーシャルメディアが「解説」「批判」「修正」を加えることで、健全な言論空間が生まれる。ソーシャルメディアだけで、必要な情報を提供することはできない、という意見である。
 
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 大手メディアに生き残る道はあるのか? 現在、大きく二つのモデルが考えられる。

 一つは、アメリカで生まれつつある「寄付金(非営利)」によって支えられるジャーナリズム。例えば、Pro-Publikaなどがフロントランナーのモデルとして知られている。2007年にスタートしたときは、全体収入のほとんどを特定の資産家(Sandlers)に頼っていたが、2011年には、他からの寄付金が半分の収入を占めるまでになった(2011年は全体収入1000万ドル)。編集部には40人を超えるジャーナリストが働いているという。こうした寄付モデルには他にも、Democracy NowというオルタナティブTVなどが存在する。これもPro-Publikaと同じように、主に資産家や市民の寄付金によって支えられている。

 もう一つは、ジャーナリズムの活動への公共的な支援。一番分かりやすいのは、BBCやNHKなどの公共放送である。これなら、スポンサーや広告主を気にすることなく「有益な」報道活動を維持できる。ただ、アメリカでは商業メディアの影響力が強いため、公共放送の役割が限りなく小さくなっている。イギリスでも「受信料で成り立っている公共放送が民間のメディアの成長を阻害している」としてBBCがどんどん縮小されている。

ジャーナリズムを公共的に支えるという意味では、スウェーデンの事例は大いに参考になる。同国の公共放送であるSVT、また公共ラジオのSverigesRadioは、お互いに独立して運営をしているため、お互いの監視ができるようになっている。また、ここで流されるニュースは「(原則的に)無料で」他の放送局や報道機関に提供されている。また、オンラインでほぼすべて無料で見れる。(追記:2012年時点では、同国政府は、公共放送を財政的な基盤を確保するために国営化をするとの方針を打ち出している)

 また、新聞社に対して「補助金(Presstöd)」が出ている(他の欧州のいくつかの国にも同様の仕組みがある)。たくさんの新聞があることは多様な言論を維持する上で必要不可欠との考えのもと、例えば、左派系の新聞とバランスを取るために、保守系の大手新聞のSvDには毎年6億円近くの補助金が入っている。また、新聞に対する消費税の軽減税率も存在する。スウェーデンでは、書籍や新聞の消費税は6%まで引き下げられている。

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 さて、同じく衰退が進む日本の大手メディアをどうすればいいのか?

 これまで述べてきた論理からすれば、公共放送のNHKは維持、新聞は保護(軽減税率&各補助金)するべきという結論になる。だが、言うまでもなく、税金の投入は国民の信頼があってこそ成り立つものだ。スウェーデンで公共放送が維持され、SvDに補助金を入れても良いというのは国民がジャーナリストの仕事にある程度の信頼を持っているからだろう(もちろんスウェーデンでも受信料や新聞補助金に反対する人はそれなりにいるが)。

政府が消費税を上げるときを考えるとよい。消費税を上げる場合、それが有益に使われるという信頼感がなければ、当然、国民から反対が出てくる。新聞(及びテレビ)がきちんと報道しないという不信感がある中では、軽減税率に対する賛成は得られにくいだろう。もし日本の新聞社が補助金が欲しいというのであれば、新聞の構造改革が不可欠だ。政局中心の報道や無駄な選挙速報、他社との(早いか遅いかの)特ダネ競争を改める、そして(高齢世代の)さらなる給与カットと(無駄にお金の掛かる)労働環境の改善に取り組む必要があるだろう。

 民主主義が健全に機能するためには、(健全な)新聞社と公共放送は不可欠な存在である。日本の新聞や公共放送が十分に機能していないとしても、その代わりを果たせるメディアが存在しない以上は、当面はこれらを維持する他はない。公共的な役割を持っている以上、市場のニーズに答えられないから退場させればいいというわけではない。報道の質が悪くても、ないよりはあった方がましだ、というのが私の「暫定的な」結論である。

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ジャーナリズムの本当の敵とは①

 本のジャーナリズムは欧米を見習えという人がいるが、欧米のメディアの衰退は日本よりも急速に進みつつある。ガーディアンの名物記者であるニック•デイビスは「Flat Earth News」(2008)という本のなかで、ジャーナリズムは「真実」を伝えず、誤報を垂れ流す、腐敗した(corrupt)産業になりつつあると言い放っている。

               Flat%20Earth%20News

 ニックは、英新聞のニュース•オブ•ザ•ワールドが私立探偵を雇い、日常的に電話盗聴を行なっていたことを暴き、難攻不落のルパード•マードックの「メディア帝国」にメスを入れた。だが、マードックのようなオーナーの影響力(プロパガンダ)にばかり注目すると、木を見て森が見えなくなるともいう。ジャーナリズムが真実を伝えられなくなっている背景には、利益主義が横たわっている。ジャーナリズムの直面している最も大きな敵は、「国家」でも「広告主」でも「社主」でもなくて、「商業主義の圧力(Commercialization)」である。

 彼はカーディフ大学のメディア研究者とともに、英高級紙に対象を絞って調査を行なった。ランダムに週を選び、新聞の「すべて」の国内向けニュース記事を分析した。その結果、こうした記事も主な情報源は、APやロイターなどの通信社、そしてPR会社だと判明した。

 ー全体の60%は、情報源が明確に通信社やPR会社のもの。
 ー全体の20%は、通信社やPR会社の情報を元に、他のソースを加えているもの。
 ー全体の8%は、情報源がどこから来ているのか判断がつかないもの。
 ー全体の12%は、きちんと裏付けできていると確認できるもの。

 つまり、全体の12%も記事しか記者自身での裏付けがなかった。研究者は次のようにまとめている。「これらの結果が示すことは、新聞社がニュースソースに関して裏付けや事実確認を行なうことは例外的といえる」

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 商業主義的圧力の下、ジャーナリストの数は減少しているのに、やるべき仕事の量は増えている。新聞紙のための記事作成だけでなく、インターネットにも速報を出さないといけない。ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアにも記事を出していかないといけない。当然、多くのジャーナリストは情報の裏付けに割く時間はないし、現地に行く時間もない。

 以下、大手メディアの衰退の歴史を本の中から抜き出す。

 ー1992年の時点では、200社以上の企業が地方紙を抱えていたが、2005年までには、全体の地方紙の74%がたった10社だけで保有されるに至っている p65
 ー1986年から10年間で、407の地方紙は姿を消した。これは全体の1687紙の24%に上る。また、1986年から2000年までに8000人いた記者の半数以上が仕事を失っている p65
 ーBBCは、1994年の時点で、過去8年間で8000人以上の記者が解雇された。1997年から五年の間に25%の人員が減らされ、2005年3月にはニュース局の12%、ファクト&ラーニング局の21%の削減が進められている。2007年10月には、さらに500人をニュース局から、ファクト&ラーニング局から600人を解雇すると発表している p67
 ー1980年代からジャーナリズム「産業」の衰退が始まると同時に、PR会社の隆盛が始まる。多くのジャーナリストは「報道機関」から「PR会社」へと橋を渡った。2005年の時点で、イギリスのジャーナリスト(45000人)よりもPRを生業とする人(47800人)の方が多くなった p85
 ー英保守党が最初にPR会社を起用したのは1978年。1983年の総選挙では(英)二大政党はともに10,5 million(£)を使っているが、1997年には54.3 million(£)に増えている p85
 ーまた、多くのメディアが情報源とする通信社も人員削減を進めている。2002年、ロイターは編集局の人員を3000人削減。2004年には「Fast Forward Plan」としてさらに2000人の削減を発表。ロイターの記者は一人で一日当たり5つの記事を書書かなければならない p102
 ーロイターの編集者はこう説明している。「通信社の使命は、誰が何を言ったかについての正確な記述を提供すること(また、それに反対する人の記述を正確に提供すること)である。それらのうち、どちらが「真実」に近いかについて選ぶことは我々の仕事ではない p 102
 
 ちなみに「Democracy Now」で「電話盗聴事件とマードック帝国の今後」について特集されており、Nick Daviesも出演。画面の下に行けば、英語スクリプトでも読めるようになっている。

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ウプサラ、広島原爆の日

 年8月6日は広島の日である。この日、ウプサラでも、原爆の悲劇を二度と起こさないという思いを込めて灯籠流しを行なう。ウプサラ大学は平和紛争学で有名で、平和活動を行なっているNGOやNPOなどの市民団体も数多く存在する。灯籠流しは、1983年から始まってから29年も続いているという。
 
 夜20時半。この日はあいにくの土砂降りだったが、多くの人達が駆けつけた。ウプサラ市議会の文化委員会の議長をしている自由党の議員が挨拶したあと、川岸に「Hiroshimadag」と書かれたプレートを寄贈した。そのあと幾つかの団体の代表が言葉を述べ、灯籠流しへ。
 
              寄贈されたプレート
 
             折り紙で作った箱とろうそく
 
 
                 灯籠流し

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ストックホルムプライド Stockholm Pride

 トックホルムの中央駅を降りて歩いていると、黒い革の短パンに、上半身裸の二人組のカップルを見つけた。男と女ではない。男のカップルである。この日ストックホルムでは、ゲイでも、レズでも、バイセクシャルでも、トランスジェンダーでも、ストレートでも関係ない、誰もが一人の人間として愛を叫ぶことのできる、北欧最大のプライド•パレードが開催された。
 
              Stockholmpride 2
 
 プライド•フェスティバルは、同性愛者などの権利を訴えるイベントで、世界中で行なわれている。ストックホルム•プライドというイベントはスカンジナビアでは最大級のもので、7月30日から8月4日までストックホルムで開催された。
 最大の目玉は、なんといっても、最終日のパレード。総勢で4万人が参加、50万人がそれを見るために集まったと言われている。参加団体はそれぞれの旗をはためかして、車やバスでグループをリードする。グループの人達は列に沿ってダンスしながら進んでいく。私は環境党のグループのパレードに参加した。参加者は総勢でおそらく40人くらいだったろうか。党首のグスタフ•フリードリンやウプサラの国会議員のヘレナ、青年部の党首の二人もいた。

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 パレードは、王立図書館のある公園を13時半にスタートし、セルゲイ広場を通り、王立公園の大通りを抜けてガムラスタン、そしてスルッセンを通り、ソーデルマルムの西へと向かった。この日は快晴で、太陽がカンカン照り、しかも町中が人の波で、熱気に溢れている。環境党のグループでは、電気自動車(!)のリードの下で、音楽の曲ごとに振り付けを変えて踊った。普段は冷静で落ち着いているヘレナが切れの良い踊りをしていて、ウケた。結局、目的地の公園についたのは出発してから三時間くらい経ってからだった。

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            パレードでは、声援を受けてテンションが上がる!

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            これだけ見ると、単なる仮装ダンスパーティーw 

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 スウェーデンは早くから同性愛者の権利を認めてきた。同性愛者の権利は、1990年代に「パートナー」という形で法的に認められ、2009年には他の男女と同じように「結婚」も出来るようになった。ただ、社会的な抑圧、スティグマはスウェーデンでも強く存在する。スウェーデンのLGBT(レズ、ゲイ、バイ、トランス)の人達の半数は自殺を考えたことがあり、実際に21%が自殺未遂をしているという。これは制度だけを変えれば改善される問題ではない。社会の制度とともに社会的な規範が変わっていかないとスティグマは減らない。

 さて、現在、スウェーデンでは、性転換に必要な条件を変更するかどうかが議論されている。現行のスウェーデンの法律では、性転換をする場合、1)婚姻なし、2)18歳以下、3)生殖機能の除去、4)スウェーデン市民という条件がある(ちなみに日本の場合、1) 20歳以下、2) 婚姻なし、3) 子供なし、4)生殖機能の除去などがある。子供なしは日本だけの条件!)。

 このなかで、1)婚姻関係にないこと、2)生殖機能の除去という条件が問題になっている。婚姻関係にないという条件があると、結婚している人が性転換を望む場合に離婚しないといけなくなる。また、生殖機能の除去も基本的人権に反していると批判されている。(スウェーデン社会庁(スウェーデン語)欧州委員会(英語)

 この去勢条項は長年議論されてきた。ほとんどの政党は去勢条項を無くすことで同意しているが、ただ、右派政権内のキリスト教民主党だけがこれに反対してきた。ただ、最近、キリスト教民主党も(表向きは)意見を変えたようで、法律の修正は時間の問題だ(今年の二月に大手新聞に「去勢条項はなくすべき」と党首が投稿)。来年の夏には実際にこの条件が変更されると見られている。

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「動物を食べるということ」

 ョナサン•サフラン•フォーエ(Jonathan Safran Foer)の「動物を食べるということ(Eating Animal)」という本を読んだ。2009年に出版された本で、著者はユダヤ系の米国人作家。動物を殺して食べることの背景に潜む問題について分析している。米国の畜産業に関する最新の動向と綿密な取材に基づいており、「統計本」としても有益な本といえよう。

 彼はこの本を書き進める過程で「ベジタリアン」になることを決めたが、なぜなのだろうか?

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 彼が一貫して批判的な目を向けているのは、米国(及び世界各国)で広がる工場式畜産場(factory-farm)である。米国における畜産のほとんどが工場方式によって賄われているー例えば、鶏肉は99.9%、豚肉は95%、牛肉(cattle)は78%に上るー。工場式畜産は、昔の家族農業と対局を示す概念であり、家畜を「ベルトコンベアーの部品」と同じように扱い、狭い空間に押し込め、最小のコストで「商品」を作り上げるプロセスのことである。

 例えば、ブロイラーは、A4の紙の上に1羽のペースで狭い空間に押し込まれ、丸々1週間の間、エサを食べ続けさせられる。その結果、たったの約40日で大人のサイズに成長する。その後、屠殺場へと運ばれる4分の3の鶏は、自らの身体(脂肪)の成長に骨の発達が追いつかず、歩くこともできない。このような様子はYoutubeにもたくさんアップされている。例えば「Meet your meat」(誇張あり?)

 また、米国では、ブロイラーの多くがE. Coliという大腸菌に感染していること、他にも70%から90%が病原菌を持っていることが紹介されている。また、毎年2400万種類におよぶ抗生物質が家畜に投与されており、そのうち1350万種類はEU内で使用が禁止されているものだという(P140)。

 さらに深刻な問題は、工場畜産の及ぼす環境への悪影響である。

 家畜から出てくる大量の糞尿が最悪の汚染源である。一般的な家畜工場から放出される糞尿は、鶏で660万パウンド、豚で720万パウンド、牛で3億4400万パウンド。米国の畜産工場から吐き出される糞尿の総量は、世界の総人口から排出される量の130倍にもおよぶと推計されている。きちんと処理されない糞尿の山は、地域の土壌、川や湖、海の環境を破壊しているが、こうした費用はすべて外部化され、次世代のツケにされている。

 本書は、米国の連邦レベルでこれを取り締まる規制が存在しない上、大企業が政府に対してロビーイングで働きかけることで、そうした規制を作らせないようにしていると指摘している。米国の最も大きな養豚企業の一つであるスミスフィールド(Smith Field)は、1997年に7000を超える河川において深刻な汚染を引き起こしているとして訴訟を起こされ、敗訴が確定した。だが、賠償金は1260万(約11億円)ドルで、2001年に同社のCEOが受け取った株式配当と同じ額だった(P179)。

 また、こうした畜産業から排出される温室効果ガスの量は、自動車や飛行機の運輸部門を上回っているが、米国は気候変動の京都議定書の枠組みから既に撤退している。つまり、米国の巨大な畜産企業は、こうした環境破壊のコストを払うことなしに、むしろそれを外部化することによって利益を最大化させているのである。

 筆者のジョナサンは、問題の解決策として、動物の福祉に配慮しつつ、かつ環境負荷の少ない小規模の畜産方式に希望を見出そうとする。本書で紹介されているPaul Willisという養豚農家と、Bill Nimanという牛の畜産農家は、そうした数少ない希望の光である。だが、皮肉にも、彼が取材を終えて本を執筆する間に、Bill Nimanは社長の座から追い出されてしまった。このままでは利益が上げられないと懸念した他の役員たちが、彼をクビにしたのである。米国の小規模畜産農家は、(環境負荷を外部化した)自由競争という厳しい現実の前に、次々となくなりつつある。

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 日本の農業の生産性は低く、価格が高いといわれる。たしかに日本の農業政策は農協保護を始めとして様々な問題があり、改善するべき点もたくさんある。だが、米国のように市場原理に委ねれば良いという問題でもない。米国の農業が国際競争力を持っている背景には、多大な補助金をつぎ込むとともに、環境コストを外部化している事情もある。日本はまだ米国ほど大企業による支配が進んでいるわけではないし、動物の福祉や環境に配慮した管理体制を取っているところは多い。

 小中規模の畜産農家を育てて消費者が(値段は高くても)買い支える仕組みを構築することが理想的だろう。価格や味だけでなく、安全、動物の福祉、環境保護を大事にする農業を実践すれば、そのことが「付加価値」になりうる。また、ドイツのように畜産農家が糞尿をバイオエネルギーに変え、エネルギー自給を増やし、コスト削減を計る取り組みも広がっている。

 日本でも上記のような「農業の環境的な価値」が当たり前のものになれば、そうした基準を満たしていない生産物は競争力を失うだろう。日本が目指すべきは効率一辺倒ではない、安全や環境、エネルギーなどを含めた一次産業の統合である。そのためには生産者だけでなく、小売り業者が一体となって仕組みを作っていくように協力する必要がある。

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