おぐしの読書覧 2007

 僕のブログは基本的に異論は想定していない。同じような考えの人が集まればよろしいと思いながら書いているからである。この本棚2007も、「おれと同じ本読んでる!(共感☆)」というように、気軽にお友達を増やせれば、何と喜ばしいことであろうか、と思い至り、ここに暴露掲載するのである。もちろん、自分が読んだ本を一望できるという利点も含まれている。よろしくなのだ。
1月(以下、時系列です)
浅羽通明        右翼と左翼☆☆☆☆☆
岩本悠          流学日記☆☆☆☆☆
大石裕          ジャーナリズムとメディア言説☆☆☆
大石裕編         ジャーナリズムと権力☆☆☆☆
シェイクスピア     オセロ☆☆☆
大和田俊之編     ブルースに囚われて~アメリカのルーツ音楽を探る☆☆
柳生望          ロックン・ロール・アメリカン~ポップの社会史☆
宮台真司        終わりなき日常を生きろ☆☆☆☆
シェイクスピア     ロミオとジュリエット☆
シェイクスピア     冬物語☆☆
シェイクスピア     マクベス☆☆☆
岩本悠          こうして僕らはアフガニスタンに学校を作った☆☆☆
宮台・藤原和博    人生の教科書『よのなか』☆☆☆☆
2月
内田樹         子供は判ってくれない(文庫版)☆☆☆☆
宮台真司        制服少女たちの選択(文庫版)☆☆☆☆☆
添谷芳秀        日本のミドルパワー外交☆☆☆
神保哲生        ツバル~地球温暖化に沈む国~☆☆☆☆☆
プラトン         ソクラテスの弁明☆☆☆☆
内田樹         態度が悪くてすいません☆☆☆☆☆
マエキタミヤコ     エコシフト~チャーミングに世界を変える方法~☆☆☆☆
保阪正康        あの戦争は何だったのか☆☆☆☆
細谷雄一        外交による平和~アンソニー・イーデンと20世紀の国際政治~☆☆☆☆☆
内田樹         下流志向~学ばない子供たち・働かない若者たち~☆☆☆☆☆
プラトン         国家(上巻)☆☆☆☆☆
プラトン         国家(下巻)☆☆☆☆☆
3月 
広瀬隆・藤田佑幸   原子力発電で本当に私たちが知りたい120の知識☆☆☆☆☆
宮台・神保       ネット社会の未来像☆☆☆☆☆
ボブ・グリーン     チーズバーガーズ1☆☆☆☆
ジョセフ・ナイ・J    国際紛争☆☆☆☆
西尾漠          なぜ脱原発なのか~放射能のごみから非浪費型社会まで~☆☆☆
見城徹          編集者という病い☆☆☆☆
ノームチョムスキー  メディアコントロール☆☆☆
中村政雄        原子力と報道☆☆☆
中上健次        岬☆☆☆
ミラン・クンデラ     存在の耐えられない軽さ☆☆☆☆☆
清水潔          遺言~桶川ストーカー殺人事件~☆☆☆☆☆
B,アンダーソン     想像の共同体☆☆☆
村上春樹        海辺のカフカ(上)☆☆☆☆
4月
村上春樹        海辺のカフカ(下)☆☆☆☆
細谷雄一        大英帝国の外交官☆☆☆☆
田中明彦        新しい中世☆☆☆☆
大石裕編        ジャーナリズムと権力☆☆☆☆
なだいなだ       民族という名の宗教☆☆☆☆
大平健          やさしさの精神分析☆☆☆
池田潔          自由と規律☆☆☆☆
5月
小川和祐        日本の桜、歴史の桜☆☆☆☆
丸谷才一        笹まくら☆☆☆☆
野坂昭如        受胎旅行☆☆☆☆
丸谷才一        後鳥羽院☆☆☆
入江昭          歴史を学ぶということ☆☆☆
なだいなだ       権威と権力☆☆☆☆
君塚直隆        女王陛下のブルーリボン☆☆
小沢正光        プロフェッショナルアイデア☆☆☆☆
吉村竜児        即興の技術☆☆☆
小林由美        超・格差社会アメリカの真実☆☆☆☆☆
高坂正尭        国際政治~恐怖と希望☆☆☆
藤原帰一        国際政治☆☆☆☆
ロバートケーガン   ネオコンの論理☆
マークレナード     アンチネオコンの論理☆☆☆☆
金子郁容編       コミュニティースクール構想☆☆☆☆
寺脇研          韓国映画ベスト100☆☆☆
苅谷剛彦        教育改革という幻想☆☆☆☆
6月
山崎養世        米中経済同盟を知らない日本人☆☆☆☆☆
宮台真司他       教育「真」論☆☆☆☆
苅谷剛彦        階層化日本と教育危機☆☆☆☆
加藤雅彦        ハプスブルク帝国☆☆☆
バーナードルイス   イスラーム世界の二千年☆☆☆
宮台・神保編      天皇と日本のナショナリズム☆☆☆☆
広田照幸        愛国心の行方―教育基本法改正という問題☆☆☆☆☆
姜 尚中         愛国の作法☆☆☆
香山リカ         私の愛国心☆☆
山内道雄        離島発、生きるための10の戦略☆☆☆☆
小林良彰編       地方自治体をめぐる市民意識の動態☆☆☆
7月
河内孝          新聞社~破綻したビジネスモデル~☆☆☆☆
宮台真司編       こころ「真」論☆☆☆
広田照幸         教育☆☆☆☆☆
田中俊郎編       EU統合の軌跡とベクトル☆☆☆☆
安倍晋三         美しい国へ☆☆
中曽根・西部進     論争・教育☆☆☆
御厨貴          日本の近代3~明治国家の完成☆☆☆☆
バンジャマン       ヨーロッパ統合~歴史的大実験の展望☆☆
内田樹          街場の中国論☆☆☆☆☆
坂野潤治         近代日本政治史☆☆☆
五百旗頭真       戦後日本外交史☆☆☆☆
小林良彰         日本の政治過程☆☆☆
読売新聞社会部    教育再生☆☆☆
学生教育フォーラム  学生による教育再生会議☆☆☆☆
8月
村上春樹        ノルウェーの森(英語版)☆☆☆☆☆
高橋哲哉        教育と国家☆☆
大内裕和        リーディングス・日本の教育と社会④~愛国心と教育~☆☆☆☆
市川昭午        リーディングス・日本の教育と社会③~教育基本法~☆☆☆☆
青木彰          司馬遼太郎と三つの戦争☆☆☆☆
デイビッドフロムキン 平和を破滅させた和平(上)☆☆☆☆☆
9月
広田照幸        日本人のしつけは衰退したか☆☆☆☆☆
鈴木謙介        カーニバル化する社会☆☆☆
夏目漱石        三四郎☆☆☆☆
広田照幸        教育不信と教育依存の時代☆☆☆☆
尾木直樹        教育再生~子供を救うために~☆☆
10月
油布佐和子       転換期の教師☆☆☆☆
福田ますみ       でっちあげ~福岡「殺人教師」事件の真相☆☆☆☆☆★
広田照幸        教育には何ができないのか☆☆☆
高木徹          戦争広告代理店☆☆☆☆☆
田所昌幸編       ロイヤルネイビーとパクスブリタニカ☆☆☆☆
ジェームズショル   第一次世界大戦の起原☆☆☆
市川昭午        臨教審以後の教育改革☆☆☆☆
清水真人        官邸主導☆☆☆☆
小川正人        義務教育改革~その争点と地域・学校の取り組み☆☆☆
苅谷剛彦ほか     欲ばりすぎる日本の教育☆☆☆
藤田英典        義務教育を問い直す☆☆☆☆
11月
内田樹          下流志向☆☆☆☆☆
夏目漱石         こころ☆☆☆☆
夏目漱石         坊っちゃん☆☆☆☆
内田樹          村上春樹にご用心☆☆☆☆
谷口智彦         通貨燃ゆ~円・元・ドル・ユーロの同時代史☆☆☆☆
相沢光悦         ユーロ対ドル☆☆
村田晃嗣         アメリカ外交☆☆☆
12月
吉川元忠         マネー敗戦☆☆☆☆
細谷雄一         外交による平和☆☆☆☆☆
中西輝政         日本核武装の論点☆☆
高坂正尭         現代の国際政治☆☆☆
手嶋龍一         外交敗戦☆☆☆☆☆
村上春樹         神の子たちはみな踊る☆☆☆☆
谷口誠           東アジア共同体☆☆☆
小原雅博          東アジア共同体☆☆☆
伊勢崎賢治        武装解除☆☆☆☆
夏目漱石         草枕☆☆☆

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メディアが無知を振舞うことについて

 ディアの社会的信用の低下について内田先生が苦言を述べている。
 『言い訳が上手くなりました
 
 『あるある』などの事件に対する(特に新聞の)テレビ批判の多くは、『市民を裏切って何と悪いことをしてくれたのだ』『テレビ底なしの不信』という激しい論調であるが、その批判の仕方がすでに『テレビ的なるもの』であるとして、先生は他メディアも批判している。
 今さら「不信」というようなことを言い出すところを見ると、新聞人はそれまでテレビで報道している情報がすべて真正だと信じていたであろうか。まさかね。「この程度のこと」が日常茶飯に行われていたことを同じメディアにいる人間が知らないはずはない。
 しかし、彼らは決まりきった無垢でナイーブな表情の下で、「こんな不正を起こしやがって」という定型にはまった批判しかしない。先生はまずその「ナイーブな振る舞い」「驚いたふり」を止めべきだと言う。
 マスメディアは「驚いたふり」をするのを止めた方がいいと私は思う。その修辞的な「驚いたふり」は、要するに「私はこの不祥事にぜんぜんコミットしていませんからね。だって、何も知らなかったんだから」という言い訳のために戦略的に採用されているのである。だが、メディアの先端にいる人間にとって「こんなことが起きているとは知りませんでした」というのは口にすること自体が恥ずべき言葉ではないのか。けれども「こんなことが起きていることを私は前から知っていました」と言ってしまうと、「じゃあ、どうしてそれを報道しなかったのか」という告発を引き寄せることになってしまう。
 去年、巻き起こった高校の未履修問題で、僕はこれと同じようなことを個人的に感じた。メディアは自らに「未履修があったなんてことは知らなかった」というナイーブな役回りをロールプレイさせることで、学校や文部省に対して「あなたたちは何をやっていたのだ」と批判を痛烈に浴びせることを可能にした。しかし、それは無知を振舞うことで自分たちに降りかかる責任を回避する姿勢でしかない。教育の最前線を追っているプロフェッショナルの人たちがその問題が起こったときに、知らなかったということ自体、あまりに恥ずべき振る舞いであろう。
 これら無知を装えば許されるという状況が社会全体を覆っている。メーカの不祥事や談合についても、その上層部はすべて、「知りませんでした」と言って低頭してあやまる。知らなかったら責任を逃れることができるから、ひたすら無知を装って謝罪する。そしてそれをマスコミはひたすら追求するが、いったんマスコミ自身が事件を起こせば、メディア界全体が「知りませんでした」と言って、こちらもまた他の不祥事の対応と同様に振舞う。
 これは、すべて同じ穴のむじなだ。
 
 せめて監視して追求する側のメディアだけは、その穴から抜け出してほしいと強く思う。
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 もうひとつ、面白い記事を先輩の日記から発見。
『毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題』
 毎日新聞元旦の「2チャン死ね死ね詐欺」の批判特集記事について佐々木さんの疑義申し立て告発。このブログを信じれば、毎日新聞の記者は自分たちの正義を絶対視し、取材対象を悪と規定することで、ネットの匿名性、暴力性を記事に仕立て上げた。これはある意味、悪意に満ちた記事だといえる。もちろん、僕は新聞が独自の思想性を出すことに賛成なので偏向するのは仕方ないと思っているが、取材対象がいる記事で、その人の発言を編集の過程で圧縮・改変させてしまうのは、やりすぎだと思う。
 氏の言うようなネット影響力拡大の意見に全面的に賛成できないが、たしかに、ネットから取材の状況が漏洩してしまうという事態の到来は、記者たちにとってすごく怖いなと思う。ものすごく取材がしづらくなるのだろうなと思う。大変だけど、記者の方々には、がんばってもらいたいと思う。
 おぐし(署名記事)

カテゴリー: つぶやき・殴り書き | 4件のコメント

ジャーナリズムと権力

 年、『安全至上主義とジャーナリズム』というテーマで共同の論文を書いた。その中身は簡単に次のようになる―。1995年(大きくは阪神大震災とオウム事件)を境に、①日本の安全神話が音を出して崩れ始め、人々の体感治安は悪化し不安意識は増大した。その後も立て続けに起こる凶悪犯罪(少年犯罪やテロ)によって不安意識は増大する一方だったが、②国家権力がこのような流れを食い止めようと、個別具体的に法案を作成することで、いわゆる「自由」を制限してでも、安全を確保しようとする動きを強めた。
 このような事実を基にして、我々の論文では次の二点に焦点を当てて新聞分析を試みた。①安全神話が崩れるときに立ち会い、ジャーナリズムはどのようにそれらの象徴的事件を報じてきたか。また、②安全を回復しようとする国家の動きに対して、ジャーナリズムはそれをどう報じてきたか――。
 結果は簡単に次のようなものだった。個別具体的な事件や法案について、新聞各社の論調はそれぞれ異なった。また同一の新聞においても、時を経て環境が変わることによってその事件や法案に対して論調を変えたり翻したりした。社の分類としては、朝日・毎日新聞が「自由」の侵害を危惧し、国家権力の介入に対して慎重な姿勢を見せたが、他方、産経・読売はそれとは逆に、目の前の危険を除去するためには、ある程度の自由が侵害されても仕方がないという立場だった。
 我々の考察としては、『自由』を金科玉条のごとく叫び立てる朝日・毎日の論調を、自由と国家権力の関係をあまりにも古典的に捉えすぎているのではないかと結論付けた。一方、産経・読売の論調を、世論の流れに沿う形で水を得た魚のようになり、国家権力の監視という役割を忘れ、盲目的になっていたのではと考えた。(…ただし、これはあくまで単純化した結論…詳しくは論文をばよろしく)
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 かつては、『国家からの自由』そして『国家権力VSジャーナリズム』という形で、ジャーナリズムは権力に対する対抗軸として考えられていたが、いまでは、『権力の監視』をうたうジャーナリズム自体が『第四の権力』と言われ揶揄されるようになってきた。(浅野健一氏の「犯罪報道の犯罪」などに詳しいが)自らのその強い影響力に無自覚になったジャーナリズムは、過剰な報道や人権侵害などの報道被害の問題を引き起こすようになった。そのため、その巨大化し暴走するジャーナリズムを止めるため、国家権力によって押さえ込む必要性も議論され強まってきている。
 そのように『国家権力によって、ジャーナリズムの“暴力”から個人を守る』というような側面、そしてそれを敷衍すれば、「国家が「利益」を与える存在として理解される側面が増えてきている」と伊藤高志氏 は述べ、それを「国家による自由」の概念から説明している。
 「国家による自由は、国家が市民社会に積極的に介入することによって、社会的弱者が人間的な生活を営めるようにすることを意味するもので、一般に社会権に基づく自由である。国家からの制約がないという『形式的自由』が保障されても、著しい不平等が放っておかれて、いつ蛾死するかどうかもわからない状態では、『形式的自由』は実質意味を持たないだろう。市民社会に国家が積極的に介入することによって『実質的自由』を確保する、これが『国家による自由』である……」「そうした状況においては、ジャーナリズムは伝統的な自由主義的観点から、国家による市民社会への介入を批判するという役割のみに甘んじるわけにはいかない。ジャーナリズムはときには、国家による市民社会への介入を後押しし、その政策を支援する、といったことが求められる時代になっている。」(『ジャーナリズムと権力』共著、世界思想社)
 『国家からの自由』と『国家による自由』の狭間において、ジャーナリズムは分裂せざるをえない。その中にあって、国家に組み込まれながらもそこから離脱していく必要がある。そういう事態にあることを自覚し俯瞰したうえでその時その時の個別具体的な問題に対処しなければならないのだ。
 上記の議論を『自由と安全・安心』の文脈もう少し詳しく見てみよう。今までは『自由』というものが常に国家(地域)という大きな存在によって、ある意味『絶対的に』侵されていた。しかしフランス革命以後、自由や平等といった普遍的な諸概念が生まれるようになると、デュルケムの宿命論的な状況は先進国においてかなり改善されてきた。現在、自由はかなりの程度保障されている。暴力的な革命運動や反政府運動などを共謀しない限り、我々が普通に日常生活を営む上で、露骨に自由を侵すような種類の『国家権力の介入』はほとんど見当たらなくなったと言ってよいだろう。
 さらに重要なのは、その国家権力の種類自体が変わってきたことだ。『権力』と一口に言っても、現在のそれは必ずしも『国家』に一元的に集中しているものではなくなってきている。例えば、地域の『安全見回り隊』がそのひとつだ。市民が自ら自発的に安全・安心を確保しようと運動を起こし始めていて、国家権力の側もそういう市民運動に乗っかる形で渾然一体となってきている。また他方で、科学技術の発達を背景にした、コンピューターによる個人情報の管理、趣味や購買趣向などを収集しデータ化してのマーケティング利用などの情報操作。そのような直接不快感を与えない形で、『不可視の権力』が行使されつつあると考える研究者たちもいる。「何かが奪われている気がするが、奪われている当のものを実際に指し示すことができない」 (『自由を考える』NHKブックス) そういう目に見えないように『自由』が侵されつつあると大澤真幸と東浩樹は述べている。
 もう一度言おう。、『国家による自由』から見られる国家の市民社会へのコミットメントは、必ずしも剥き出しの権力という形態を取らなくなっていて、その介入の仕方は、より複雑化し市民社会の活動と一体化してきている。まさに権力の主体が不明瞭不分明化してきているといえよう。圧力を加えている主体は見えないが、何か圧力が加えられている。そのような『不可視の権力』が知らぬまま行使されているのだ。
 『監視管理』という文脈の中で、ミシェル・フーコーは社会においてどのような権力が作用しているのか細かく文節化し言語化しようと試みたことで知られている。また社会学者の渋谷望 は、フーコーの研究を踏襲する形で、大きな国家『福祉国家』から小さい国家『ネオリベラリズム』への移行を、権力ゲームや消費社会、リスク管理などの用語をもとに分析しながら、『権力のテクノロジーは必ずしも介入をやめたわけではない』と説明している。ネオリベラリズムが要請する自立の論理や自己決定の倫理は以下のようになる。
 「個人は自分の運命に責任をもつ。個人は現在の行動が自己の将来にいかなる影響を与えるのか計算下上で行動をすることが求められる。たしかに、ここでは、個人の運命に対するケインズ主義的な積極的介入は、むしろ「依存」を作り出すものとして忌避される。しかし、介入それ自体はなくなっていないことは、ここにあげた専門家の言説――「リスクを管理せよ」――の増大それ自体がその証左である。むしろ介入のテクノロジーは、その方法を変化されることによって、権力や決定権を個人の側に委譲する一見ポジティブな動きと並行しつつ、現在も生き延び、むしろ増大しているようにさえも見える」(『魂の労働』「青弓社)
渋谷は、例えば、健康管理の領域にそれを見出す。
 「健康管理における自己責任の強調は、従来の<病人/健常者>という二項対立的な役割を『脱構築』し、その境界をきわめて曖昧なものとする。これは病院をベースにした、社会保障的な権利による『治療』による回復という、健康へのアクセスの標準的ルートが狭まると同時に、健康な者も日常的なレベルで定期健診や予防行動―タバコを控え、健康的な生活をおくること―が要請されるからである。ここにおいて専門家は治療というよりも、健康な個人の日常生活をターゲットとし、予防を志向するようになる……」
 つまり、ネオリベラリズムの要請する自己責任論が強化されることによって、医者と患者が『こちら側』に位置に立ち、協力して『あちら側』の敵(病気)と闘うという物語が壊されるのである。病気はいまや、我々の外からやってくるものではなく、我々の内から発生するものだと考えられるようになった。定期的に検診に行く、タバコを控える、健康的な生活を心がける―などの自己の内なる自助努力によって病気は管理可能であるが、それができなければ病気は(内から)発生するというのだ。
 リスクを管理せよ――このような国家権力の介入なき介入が知らず知らずのうちに我々の生活の中に入り込んでいる。ジャーナリズムの役割が「国家からの自由」を守ること、と同時に、時には「国家による自由」を積極的に後押しすることも含まれるになった中で、私が問題にしたいのは、国家の権力自体がその形態を複雑にし、形のないものに変わってきているということだ。いま現在、社会を駆動させているゲームの主体は一体誰なのか。新しい権力ゲームとは何なのか。ここの本質を目を凝らして分析し精査しなければならない。ここを見誤ってしまうと、ジャーナリズムは権力に反対しているかに見えていて、実は権力に取り込まれてしまっているという事態に陥りかねないからだ。

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アメリカンルーツミュージックの発掘収集、ロックの誕生

 1920年代から1940年代までのアメリカンルーツミュージックの発掘、収集について
 ルースの起源を辿ると、19世紀半ばの南北戦争が大きな役割を果たしていることがわかる。戦争が終わり、それまでの共同体が崩壊し、黒人が解放されていく中で、孤独に個人の内面を歌う『フィールドハーラー』と呼ばれるスタイルが生まれた。このスタイルが従来の『ワークソング』と相まってブルースが形成されたと言われている。
 このブルースが商業的に確立していくのが1920年代。レコーディング技術の発達とともに、南部へと分け入ってブルースを発掘する人々が出てきたのだ。(たとえば、マミースミスによって)発掘されたブルースが北部の黒人コミュニティーで人気が出ると、レコード会社は、それまで以上に土着の素朴なブルースを取り込むようになった。そうして焦点を『黒人』に合わせてレコーディングすることで、それまで曖昧だったブルースの担い手を黒人に固定化させ、結果として人種による分類化『レースレコード』=『ブルースは黒人音楽』『ヒルビリーは白人音楽』が加速された。
 このようにマーケット論理を基盤にして音楽運動が高まる中、国家の側からも積極的に文化の発掘が奨励されるようになった。というのは、第一次世界大戦後のヨーロッパの荒廃に反して、国際政治の中心に躍り出たアメリカは、他と異なる独自のナショナルアイデンティティーをブルースやカントリーミュージックに求め始めたからだ。ローマックス親子は1930年代、そのような国家からの補助を下に、南部の土着のブルース発掘に向かった。それは他方で左翼的な民衆ロマンチシズムを少なからず宿していたが、大恐慌からニューディール政策への移行、そしてナチズムの台頭が背景にあったため、必ずしも共産主義的=悪とは考えられなかった。こうした国家の介入を経てブルースやカントリー音楽の発掘・アーカイブ化は進んだ。
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   ロックンロールの誕生によって説明できるアメリカ社会の変化について
 アラン・フリードが黒人音楽の印象の強い『R&B』というジャンルから『ロックンロール』を捏造してから数年後、エルビスプレスリーの電撃デビューは、それまでの『レースミュージック』=人種による音楽ジャンルの固定化を脱構築し、白人/黒人の区別のない音楽、ロックを確立させた。
 また、ティーンエイジャー層に圧倒的に受け入れられた彼のロックは『青春(アドレセンス)』という社会的カテゴリーを形成しまとめ上げた。と同時に、この『若者』というカテゴリーが突出し、大人に対するアンチテーゼとして『反抗』という価値観が形成された。
 エルヴィスのロックの人気の秘密の一つには、刺激的な性の表現が組み込まれていたことが挙げられる。ロックの先駆けと言われるビル・ヘイリーは、『アラウンドザロック』などで人気を博したものの、伝統や白人の聴衆を意識してセクシャルな表現は控えた。それと対照的にエルヴィスは禁じられた魅惑的なミュージックを操ることで若者のリーダー的な存在となった。そして、このような過剰な性表現の流布が、元来、厳格なピューリタニズム価値観が支配的だったアメリカ社会の性文化の裾野の拡大に貢献したとも言われる。
 
 (スペシャルサンクス みちこノート、寺脇ノート)

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ある飲み会の詳細レポート

 (ある団体の新年会の記録係だった。せっかくなので暴露掲載。匿名報道主義希望)
 月某日の17時30分、山の手線に揺られ新宿方面に向かっているときだった。車内に聞き覚えのある声が響いた。「おー、小串じゃないか」。えっ、と思って左を向くと、同じ電車の同じ車両の隣にMさんが立っていた。「みんな気合入れて準備しているからな。お前もガツンと行けよ!!」早速ハッパを掛けられた。西口を出て目的地の庄助という飲み屋に歩き始める。意気揚々としているMさんは、この日の午前中も、司会のMAと打ち合わせを交わしていたという。「学びは『真剣に遊ぶ』ことで生まれる」とMさんはよく話すが、『真剣に遊ぶ』とは、このような徹底した準備・用意のことを指すのだろう。
 予約していた部屋は、階段をおりた地下にあった。右手に6人用のテーブルが2つ、左手に20人用の長机が1つ、その間には一人分程のスペースしかない。予想以上に小さかった。到着して数十分後、司会のMAと幹事のAが現れた。Aは、千駄木会館から10キロほどのマイクセットを担いでやって来た。社会人への案内や連絡をすべて取り仕切っている彼の表情は、責任者としての焦りと不安に満ちていた。「上手く行くだろうか…」。考えれば考えるほど湧き上がる恐怖。だが、迫りくる時間の中で迷っている暇はない。席の配置はどうしたらいいか、学生のパフォーマンスはどのタイミングでやるか、シャツの用意は間に合うか――彼は地下と地上を行ったり来たり、ひたすらシミュレーションを続けていた。
 司会のMAは、UEが作った台本をもとに自分用にアレンジして、Mさんのマイクチェックを受けていた。声は届くか、ひと言ひと言の内容は適切だろうか――こちらも準備に余念がない。そうして18時過ぎ、パフォーマンス係の松岡修三ことTOがテニスラケットを片手に会場にやって来た。「思ったよりも小さいなぁ…」。口からふと不安が漏れた。自分の中の会場のイメージと現実が異なっていたのだ。彼もこれからシミュレーションに追われることになった。どこをステージとするか、ラケットを振って危なくないか、パフォーマンスの順番は適切だろうか―、統括のAと掛け合い、内容を決定していく。
 
 次いでラガーマンTAと20キロの瓦を携えた空手家・財務省のOYが到着。準備も完成に近づき、会場の温度は一気に上昇してきた。あとは今回のメインイベントである『名刺シャツ』の到着を待つだけだ。名刺シャツとは、真っ白なTシャツにその人の名前や情報を書き込んだシャツのことである。このシャツの効果には、名前が明示されていることで声を掛けやすく名前を失念せずに話に没頭できるだけでなく、『同じもの(服)を共有』しているという感覚を喚起して話が弾むというものがある。Mゼミ生は、事前にもらった社会人のアンケートをもとにして、午前中から、彼らのTシャツひとつひとつに情報(名前や所属)を書き込んでいた。そして19時過ぎ、千駄木会館で作業をしていたメンバーたちがシャツや道具を背負って到着。まだ自分のシャツを完成させていない学生は、シャツを手に取りそれぞれの個性を表現していく。会場には並行して社会人の方が少しずつ集まり始めていた。去年のMゼミ生たちもやってきた。幹事のAや空手家・会計のOYが次から次へと応対に回る。「急げ、急げ、急げ――」慌しく声が飛び交う午後19時35分、司会のMAの掛け声で、ついにMゼミの新年会がスタートした。
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 集まった人数は総勢37名、そのうち社会人の数は24名だった。この新年会の目的は、学生が社会人との交流を通じて何かしらの学びを得ること、また社会人の方をMゼミに繋げ、通常のゼミに参加していただくことであった。新年会の途中のプログラムには、ゼミ生によるパフォーマンスが用意されていて、その各々の個性を生かしたPRは、自分を知ってもらうと同時に、新年会全体を大いに盛り上げた。
 元アナウンサー志望・佐藤の勢い溢れるMCに背中を押されるように、トップバッターTYは、尺八を吹いた。「ブオォォォン」会話が途絶え静まりかえった雰囲気の中、重厚なサウンドが響きわたる。音を出すだけでも大変だと聞く尺八。TYは出だしに苦戦しつつも、最後は会場の歓喜を一身に受けて吹き終えた。二番目のAは、「自分はあくまで幹事として頑張りたい」と抱負を述べたうえで、「自分のパフォーマンスを下げることで他のゼミ生の印象を上げることができれば嬉しい」と、幹事としての責務と他者を思いやる優しい心を喧伝した。その後も次々と若さに満ちたパフォーマンスは続く。
 キックボクシング東日本チャンピオン・Sの強烈な左キックが披露されたかと思うと、UEの「人間力に溢れる教授を目指す」宣言、そして帰宅部・MNの『帰宅部のすすめ』。MNはダサいジャージを身を纏ってかく語る。「帰宅とは、プロセスであり一つの哲学なのだ…」。さらに後半には、話題の亀田興起(S)がMC佐藤と会場の空気を一変させたり、少林寺拳法が炸裂したり、松岡修三(TO)が世界と戦うためにはリラックスが必要だと叫び続けたり、ラガーマンTAがジャグリングを始めたり、司会のMAとNAが大塚愛の『さくらんぼ』を手話で歌い出だしたり――、会場は混沌と卑猥さを飲み込むカオスな空間と化してしまった。
 「訳がわからない。何なんだここは…」みんなが異変に気づき始めたそのとき、最後のパフォーマンスが始まった。裏から出てきた男は、白い胴着に黒の帯を巻いている。一つ8百円、光沢のある、いかにも硬そうな黒い瓦を4つ重ねる。上にタオルを被せ、左の掌を瓦の表面に擦りつける。注がれる視線、静まり返る会場――。「いぃやぁー!!」。打ち下ろされた左手は地面まで貫通し、四つの瓦を見事、真っ二つに割っていた。「おおぉぉ!!」歓声が上がった。今日一番の注目を浴びるOY、彼はその割れた瓦を見つめていた。……四千円が消えた。だが、そんなものは大した問題ではなかった。この盛り上がりを演出したこと、そのことは決してお金では買えないものだった。彼の割り終わったあとの表情は、何かをやり遂げたあとの感慨に満ちていた。プライスレス。

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シェイクスピア評論 ~イアーゴーと嫉妬とオセロー~

 「級の探偵小説における殺人事件の裏には、必ず深く憎悪に満ちた動機が隠されている」と言われる。事件が起こり、奇怪な形で次々と人間が殺される中、それを読み進める読者が犯人に期待することは、その殺人に釣り合い、見合うだけの動機の存在である。地球よりも重い生命を奪う『殺人行為』の背後には、必ずそれ相応の怨念や恨みがあって然るべきだと考えられているからだ。

 昨今、犯罪の凶悪化が叫ばれる背景には、まさにこの『動機の不在』が挙げられる。特に少年犯罪における残虐な行為の動機は、「何となくむかついた」「カッとした」「悪口を言われた」というワンフレーズな物言いに集約され単純化されている。その裏にあるべきだった大きな物語としての動機が紡ぎ出されることはなくなり、また紡ぎ出されたとしても、我々には到底共感できるものではない陳腐なストーリーとなってしまった。我々をもっとも恐れ慄かせるものは、このような『動機(物語)なき悪意』であろう。何かのために悪事を働くのではなく、悪意のために悪事を働くというような『観念の悪』としての存在こそ、もっとも理解できない、忌み嫌われ排除されるべきキャラクターだからだ。

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 『オセロ』という作品も、実はそのように動機なき悪意に満ちた、『悪意のために悪事を働く』人物、イアーゴーによって駆動されている物語である。主人公のオセロは、側近で旗手のイアーゴーの奸計により、自分の愛する妻デズデモーナが副官のキャシオと姦通していると知らされる。「そんな馬鹿なことが」と思いつつも、オセロはイアーゴーの巧みな話術と策略に嵌められ、最後には怒りに任せて妻の首を絞めて殺してしまう……。

 オセロは、イアーゴーの操り人形よろしく、彼を全く疑うことなく彼の筋書き通りに動いた。イアーゴーの妻であり、デズデモーナの側近であるエミリアが彼女の身の潔白を訴えるも虚しく、オセロはイアーゴーの思い通りに突き進んでしまった。なぜこのような事態になってしまったのか。まずイアーゴーがなぜそこまで執拗にオセロを貶めようと思ったのかについて、彼の動機を巡る問題を絡めつつ述べたい。その後、なぜオセロはかくも簡単に騙され、貶められたのかについて考えたい。

 イアーゴーがまさしく『観念の悪』としての存在だったとしても、テキストの中では数箇所にわたり、彼のオセロに対する悪事の動機が指し示されている。例えばP9、物語の出だしの、ロダリーゴーとの会話の中でのオセロに対する恨み。

 イアーゴー 「この町のお歴々が三人、親しく奴(オセロ)に会って、このおれを副官にと頭を下げて頼んでいる…。しかし(オセロは)せっかくの口添えもにべなく一蹴、『既に副官は任命済みのことなれば』。……おお、憎まずにいられるか」

 あるいはP57、ロダリーゴーとの会話におけるオセロに対する怒りの発露。

 イアーゴー 「ともかく自分の恨みがはらしたいからだ…。どうやらあの色好みのムーア(オセロ)め、おれ様の鞍にまんまと納まりこんだことがあるらしい…。女房の借りは女房で返してやるだけの話さ」
 
 上記の二つ引用(副官の恨みと女房の恨み)は、すべてロダリーゴーとの会話において発せられたものであることから、必ずしもイアーゴーの本心を吐露したものと判断できない。なぜならロダリーゴーを説得し、自分の都合の良いように操るための方便として、語ったものと考えることができるからだ。「こういう理由でオセロが憎い。だから手伝え」と。

 だがしかし、注目すべきは、一箇所、イアーゴーが誰との会話の中ではなく、自分の独白として観客に語りかけるシーンがあることだ。P41、ロダリーゴーが舞台から退場したあと、彼は次のように語る。

 イアーゴー 「おれはムーアが憎い。世間の噂では、奴はおれの寝床にはいずり込み、おれの変わりを勤めやがったという。本当かどうか、おれには分からない。だが、おれという男は、そうと聞いたら、ただの疑いだけでも、あたかも確証あるもののごとくやってのけねば気がすまないのだ。奴はおれを信じている。それだけおれの目的には好都合というものさ。キャシオは男振りがいいと、待てよ。あいつの地位を奪って、おれの悪だくみに一石二鳥の仕上げをすると…。」

 独白とは、話している本人と観客にしか分からない(舞台上の他の役者には聞こえていない)心の言葉であり、基本的に自分自身の本音の吐露を意味するものだ。そうだとすれば、イアーゴーは、「女房の恨み」と「副官の恨み」を晴らすという目的・動機の下に、オセロを貶めようと本心を漏らしたとも考えることができる。

 ただ、独白から推察される動機は、物語の進行に伴ってやがて言及されなくなり、イアーゴーは「人を貶めること」それ自体を楽しむ存在として描かれるようになる。それはつまり、イアーゴーという存在を、ストーリーを駆動させ、前に突き進ませる「道具」の役割として位置付けられている、ということである。「道具」なのだから、動機や目的はそもそも明確に示される必要がないので「女房の恨み」と「副官の恨み」などは、あくまで取って付けたような、後付の動機に過ぎないと私は結論付ける(あとで少し留意をつけるが)。

 問題はむしろ、イアーゴーにかくも簡単に操られてしまったオセロの描き方である。果たして、このような悲劇的な結末は『必然』として描かれたのだろうか。それとも、オセロの単純で無垢な浅はかさという『人為的な欠陥』が招いた結末として描きたかったのだろうか。私自身は、オセロの人為的な欠陥の中には、不可逆的で、抗せられない『普遍的な何か』が潜んでいたのではないかと考えている。

 それはすなわち、『嫉妬』である。たしかにイアーゴーに騙され、疑心暗鬼となったオセロであるが、それはむしろ、イアーゴーの操作によってというよりは、自ら進んでその嫉妬という悪魔に乗っかっていったという印象がある。例えば、この作品の中にも嫉妬の記述が多く見られる。

 P99「邪推には、もともと毒が潜んでいる。そいつが始めは嫌な味がしない。しかし、ちょっとでも血の中に浸み込むと、たちまち硫黄の山のごとくに燃え上がるのだ」(イアーゴー)。嫉妬という、思い込んだら如何ともしがたい情念が、この物語の大きな肝であるる。ただ一方、この『嫉妬』が物語に果たす役割について、福田恒存はそれほど大きいものではないと解説に述べている。

 福田恒存 「嫉妬という情念には、確かに私たち近代人の市民感情に訴える一般性がある。が、これほど受動的で非生産的な情念はない。それだけでは劇の主題として弱い。それに、ブラッドレーの言っているとおり、オセロの性格は本来嫉妬とは無縁である。彼は疑い深くはない。オセロは妻に嫉妬したのではない。事実を誤ったのである…。」

 続けて福田は、『オセロ』を『嫉妬の悲劇』というよりは、『愛の悲劇』と結論付けている。しかしながら、福田の議論を、『嫉妬』か『愛』かではなく、『愛』ゆえの『嫉妬』として捉えれば、やはり嫉妬としての悲劇という側面も依然として大きいといわざるをえない。なぜなら、そもそも嫉妬とは、必ずしも事実に基づいた感情ではないからだ。P116でエミリアは、デズデモーナに次のように語る。

 エミリア 「…何かあるから妬くのではない。妬かずにいられないから妬くだけのこと。嫉妬というものはみずから孕んで、みずから生れ落ちる化物なのでございますもの。」

 人間が激しい恋に落ちるときは、相手を愛しているというよりは、自分が主観的に想像した相手の理想像や幻想を愛しているといったほうが正確だといういう。言い換えれば、『私が愛しているあなたは、あなたではなく、私の中のイメージとしてのあなた』である。このことを指して小菅隼人は「恋愛には、『見かけの相互性』という側面がある」と言った。この『見かけの相互性』は、もちろん、相手の実像を下に作られるイメージ像であるため、全くの独りよがりな妄想像ではない。しかし、愛するという行為には、『かくあるべき』という自分のバイアスを通して相手と接するために、その側面は少なからずあるだろう。

 その点を勘案してオセロの嫉妬を見てみるならば、事実として妻のデズデモーナがキャシオと姦通していなくとも、彼が主観的に『そうしている』と思い込んでしまえば、それは彼にとっての真実だったと考えるべきだろう。その意味で、オセロを単純で騙されやすい滑稽なキャラクターとして捉えるのは、いささか早計過ぎる。彼は、イアーゴーの奸計によって完全に騙されたというより、愛ゆえの嫉妬という超自然に操られ、運命に従うままにデズデモーナを殺してしまったのだから……。

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 最初この『オセロ』作品を知ったのは、授業中にDVDで見た、舞台のオセロであった。蜷川幸雄の脚本で、オセロ役に松本幸四郎、デズデモーナに黒木瞳の劇だった。

 恥ずかしながら原作を読んだことがなかった私は、これを見て、「なんだ、このオセロという馬鹿は」とイライラしながら文句をごちた。なぜそんなに簡単に騙されるのかと不思議で仕方がなかったのだ。しかし原作を読んでみると、なるほど少し合点が行った。やはりイアーゴーの言葉使いが抜群に巧妙だった。彼は決して自分からは口を開かない。オセロが問いかけ引き出す形で、彼は口を開く。また、自分は邪推深い男なので信用しないほうがよいと公言したあとで、オセロに言わされる形で「デズデモーナは通じている」と語る…。もちろん、嫉妬の本質がオセロの暴走に作用したことは上に書いたとおりだが、このようなイアーゴーの言葉の巧みさが、いかにも現実にありそうなリアリティーを持っていたことは見落とせない。

 また、イアーゴーがそのような邪悪性を働かせたのは、自身が独白しているように「女房の恨み」つまり『嫉妬』という悪魔に取り付かれていたからではないだろうか。オセロが事実性のない言葉に駆動されたように、イアーゴーも誰かに吹き込まれた言葉を信じ、暴走してしまったとは考えすぎだろうか。いずれにしても、言葉とは言霊であり、それ自体に神秘的な超自然の力を持っているものだと思った。

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「私の心は私しか知ることができない」という考えは正しいか?

 るエッセイの中で養老孟司が「最近の人は自我が肥大化しているから墓を作らなくなった」と書いていた―。人々は、自分の死後、自分がいなくなった世界においても折に触れ、イメージとしての自己が他者の中で生き続けて欲しいと願い、墓を作った。そこでの自我観とはまさしく『他者から見た自我』であった。しかし時代が流れ人々は変わった。墓は必ずしも必要なくなった。自我は無限に拡大し、自分が他者によって勝手に恣意的にイメージされることに我慢が行かなくなった、あるいは、自分が死んだなら『自己』も死に絶えるため、墓など作る必要性を感じなくなったというのだ。
 「自己とはまさしく自分のことで、自己のイメージは他者からの眼差しではなく、自分によって規定されるものだ」という考えが支配的になったことは社会のあらゆる面から見て取れる。例えば、オタクがその一つの現象だろう。オタクという存在は、自分という存在を他者によって査定され、選別を受け、決め付けられることを嫌うために、他人と積極的に交わらず、文字通り『宅』に篭っているといわれている。彼らがそういう行動をするのは、「私の心は私にしか知ることができない」、つまり、「誰も本当の私は理解できないし、理解されたくない」と思っているからではないではだろうか。また、もし仮に、彼らが他者に自分の心を理解してほしいと思っていたとしても、その試みは必ずしも成功するとは限らない。むしろ、「他者の理解」は、不可能だと言ったほうがいいかもしれない…。
 例えば、文学的な観点から考えてみよう。人間が激しい恋に落ちるときは、相手そのものを愛しているというよりも、自分が主観的に想像した相手の理想像や幻想を愛しているという。言い換えれば、わたしが愛しているあなたは、実体としてのあなたではなく、私のなかのイメージとしてのあなたである。その意味で、相手を理解するという時の相手とは、相手の実体というより、自分の頭の中で作られたイメージとしての相手という側面がある。つまり、「他者(あなた)の心は私には知ることができない」と結論付けることができるのだ。しかしながら、他者が理解できないからという理由で、上記のオタクなどが、「私の心を知ることができるのは私だけ」だと内面化してしまうというのは、少し短絡にすぎるかもしれない。そこにはひとつ重要な点が抜け落ちているからだ。それは何か―。
 そもそも『私の心は私にも完全に知ることはできない』のである。もちろん、自分がいま何を考えているのかは分かる。だがそれを明確に文節化して言語化しようとすれば、例えば自分の欲求を巡る思考はすぐに雲散霧消してしまう。大澤真幸は、自分がいま何を一番食べたいのか分からない心象を「ファミレス的不安」と呼んだ。ファミリーレストランのメニューの中には、洋食、中華、和食といったように日本・世界の料理がほとんど揃っているにも関わらず、あるいはそれゆえに、本当に自分がいま何を食べたいと思っているのかわからなくなる―。
 そのような心象があることは漠然と理解できるだろう。私が思うに、仲間内の誰かが注文をしたのを見て確認することによって、自分も何を注文したいのかが明確になることがあるということだ。「君がそれを頼むなら、じゃあ僕はあれにしよう」という形で、他者が先立って現前することによってはじめて、自分の欲求が理解できると私は考えている。当たり前だが、他者との比較によって自己の立ち居地を俯瞰し確認できる。自分ではない他者から見たほうが、実は自分のことがよく分かるという場合も多いにありうるだろう。
 そういう意味で、「私の心は私にしか知ることができない」わけではないし、また、その必要性もないだろう。逆もまた然り。「あなたの心は私には知ることができな」くとも、問題はないのだ。そもそも「本当の私」という実体など存在しないのだから。本当の私も、本当のあなたも実は、わたしの中の幻想であり、あなたの中の幻想に過ぎないのだから。
 
 ここで幻想と言っているのは、この生きている世界、地球、宇宙がすべてイメージでできていると述べたいからではない。だからこの世はロールプレイングゲームだと言いたいわけではない。この幻想論は、実存のまったき放棄につながるのではなく、将来に向かう実存の果てしない希望を意味しているといいたいのだ。
 本当のあなたを明確に理解してしまえば、もうその人を理解する必要性はなくなる。本当の自分を理解してしまえば、自分を探す必要はなくなる。わからないからこそ知りたいと思う。人間は実体がなく、幻想のように移ろい流れ行く存在だ。墓を作るのも、いつどのように自分が後世の人々に思われ、認識されるのかわかったものではないからだろう。わたしは、わたしが死んでこの世から消え去ったとしても、人々のイメージの中に浮遊し生き残る。わたしとは、わたしにも如何ともしがたい、イメージなのだ。

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公立校の逆襲―杉並区和田中学校レポート②

 杉並区和田中学校レポート①はこちら
 原校長が、元リクルートのフェローとして、当時小さかったリクルートを大企業にまで牽引した一人というのは有名な話だ。四年前、民間から初めて中学校の校長に就任した彼は、物事の選択基準を『子供たちのためになるかどうか』として厳格に定め、あらゆる改革を素早い意思決定の下で行ってきた。彼は、毎日新聞のインタビューに対して、「これから10年、私は『戦争』だと言っている。全国の中学校1万校のうち、10年間で計3000人、学校外から校長を連れてこないと(教育改革は)無理だと思う」(1月5日)と答えているが、やはり今後、思慮があってリーダーシップの溢れる校長を民間から登用することは、不可欠だろう。
 『よのなか科』の授業が終わった11時20分から、サポーターや見学者(校長は参加者と呼ぶ)を交えて、今回のレビューや今後の展望を話し合った。参加者の中には、鹿児島の奄美大島、秋田、四国の香川と日本全国からこの授業のために来た教員の人もいて、僕は、彼らの意思と思いに驚くとともにいたく感心した。「すげーじゃん!!」 何か温かい希望も沸いてきた。
 しかし現実は現実で直視しなければならない。藤原校長は、「小学生の時点ですでに未履修問題が進んでいることがハッキリしました」と問題を指摘する。高校における未履修ではなく小学生の段階での未履修が拡大していて、それは特に算数の分野において顕著だ。実際に、卒業前の小学6年生を対象にした試験では、130人のうちの30~40人の生徒が分数の計算を白紙で提出してきた。それは、小学校で履修しておくべき分数の分野をまったく学ばずに、中学生に上がってきたことを意味する。つまり、彼らは未履修だったのだ。藤原校長は、「ゆとり教育が問題だと指摘されていますが、現実はもっと深刻です。小学校では、指導要領が三割削減されたゆとり内容ですら、履修できていないのですから」と呆れたように漏らす。
 そういう状況に対応するために、和田中学校では、土曜日の午前中を利用して寺子屋を開いている。ドテラと呼ばれているこの活動は、生徒の自由参加であるが、300人の生徒のうち100人ほどが通っている。これが面白いのは、彼らの指導に当たるのが、地域の住民のサポーターや教員を目指す大学生や社会人がボランティアである点だ。金のために塾や家庭教師をしている大学生よりも、ハートがあり気合が入っている彼らの指導のほうが有益でためになることは言うまでもないだろう。また今年からは、このような土曜寺子屋を入学前の小学6年生にも門戸を広げ始めた。先の分数の未履修問題の対策のほかに、ここに子供の親を招いて子供と一緒に勉強できるようにしている。これによって親も自分が意外と勉強できないことを自覚すると同時に、子供の勉学に対する意識も高まる。さらに、この場を介して親同士が連帯することによって地域の共同体性も高まるというわけである。
 『公立校の逆襲』は、これから始まる。いや始めなければならない。

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こんな中学入りたかったなぁ―杉並区和田中学校レポート①

 「うーん、ホームレスって臭くて、汚くて、働く気のない人たちでしょ。そういう人たちはどこかの森の奥に行って寝てればいいじゃない」
 ームレスのイメージについて問われた生徒の一人が無邪気にそう返答した。ちょっと思慮のある大人なら「それは違うよ」と言葉を挟んだかもしれない。でもここではそんな無粋な真似は誰もしない。「へぇー、どうしてそう思うのかな?」教室一杯に広がる10組のグループ机にはそれぞれ、中学生4、5人を囲み込むようにして座る大人の姿があった。「えー、だって俺、むかし何もしてないのに睨まれたことあるし…」大人たちはニヤリとしながら続ける。「なるほど、でもホームレスの中には、自分から働きたいと思っても、年齢や怪我とか、何か問題があって、仕方がなしになっちゃった人もいるんじゃないかな。そういう人についてはどう思うー?」「うー、うーん…」頷きながら下を向いて考え込む生徒。周りを見回してみると、各班とも議論がヒートアップしてきたようだ。生徒の顔つきが変わっていくのが見て取れる。「さあ、みなさん、想像力を働かしてください」。教室に藤原校長の力の入った声が響いた。「なぜ、ホームレスはホームレスになったのでしょうか。 だらしがないからでしょうか。努力していないからでしょうか。それとも他に訳があるのでしょうか。頭をフル回転させて考えてください」
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 1月17日の午前9時20分、東高円寺駅を出て住宅街の奥深くへと分け入ること10分、筆者はついにスーパー公立中学校『杉並区立・和田中学校』に辿りついた。懐かしさを感じさせる下駄箱の前には、来客者用の記帳と名札が置いてある。右隣の職員室前には、多くの報道関係者や教育関係者らしき人たちがすでにスタンバイしていた。名簿を見ながら自分の名前を書いていると、次の瞬間、見知った名前が飛び込んできた。……宮台…真司……首都大東京。…ミヤダイ、あの宮台真司か!!と思って顔を上げると、その宮台氏が奥さんと、赤ん坊を抱きかかえて目の前にいた。「やべー、実物初めて見た!」ミーハー的な興奮が湧き上がる。いつもビデオニュース見てますよ、本読んでいますよと声を掛けようか迷ったが、空気を読んで冷静に押し留めた。そういえば、宮台氏と藤原校長は、「人生の教科書『よのなかのルール』」を共著で書いていて、その本を基盤として出来上がった授業がよのなか科だったと聞いた。『よのなか科』とは、社会の構造や問題を見て聞いて議論することを通じて、正解のない問題に対しても筋道を立てて自分の意見を持つことのできる、考える力を備えた人間を作ろうという骨太な授業のことだ。
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 今回の『よのなか科』のテーマは上述したように、「ホームレス問題」。藤原校長は、ホームレスのイメージについてさまざま子供たちに考えさせたあと、実際に今、新宿でホームレスをしているという高橋さんと、ホームレスの支援活動をしている津田さんを教室に招いた。生徒たちは一斉、「おい、ほんとうに本物が来るってよ」と驚きを隠せない。藤原校長は、「社会のゴミといわれるホームレスが新宿のゴミを綺麗にしている例もあります」と紹介。拍手の中、まず入ってきたのは、支援団体の津田さん。彼は新宿の中央公園のホームレスをもう六年にわたって支援し続けている(今は休止)。その主な活動には、連帯のないホームレスを組織し、宿の街の周りをゴミ拾いして回り、そのクリーン運動に参加した人達には、朝の炊き出しを提供するというものだ。
 そもそも、津田氏は、新宿ではなく、世界を又に掛ける炊き出し支援家だった。欧米からアジア、あらゆる地で炊き出しを支援、そんな彼が最後にたどり着いたのは、94年の内戦後のルワンダだった。そこでの状況は本当に悲惨だっただろう。人口600万人のうちの100万人が殺され、200万人が避難民として国を捨てて逃げ出したのだから。だが、津田氏はそんな状況だからこそ行かなければと思った。
 
 そうして支援活動を続けているある日、ルワンダの人たちにビデオカメラを向けていると、「おい、俺らを撮ってばかりいないで、日本の映像を見せてくれよ」と頼まれた。彼は、特に意図しないで新宿駅の周辺を撮ってきたが、その何気ないひとコマにダンボールにうずくまっている老人の姿が映った。その映像を見た、ルワンダ人は、「なんだあれは」と驚いて彼に問いただした。そしてそれが誰からも助けられないホームレスだと知ったとき、彼らは激しく怒り彼を罵ったという。「なぜ通行人は、彼を助けないのだ。日本人は、老人を助ける優しさがないのか」と。アフリカには何よりも年寄りを大事にする文化があり、それが当然のことであり当たり前なのだ。津田さんは彼らに「お前は、ルワンダにいる場合ではない。早く日本に帰れ」と言われた。こうして彼は、まずは、日本のホームレスを支援することを決めたのだ―。
       
          
              (支援団体の津田さんとホームレスの高橋さん)
          
              (ルール主義と共生主義について語る宮台氏)
 中学生にとっては今まで聞いたこともない、そして考えたこともない世界の話に違いない。それでも彼らの脳みそは容量を超えて開かれ、さらなる細胞分裂を起こして増殖していることだろう。彼らの表情を見ればわかる。「こんな人たちがいたんだ」と好奇心に満ち溢れている顔を―。そして、盛大な拍手の中、ついに現役ホームレスの高橋さんが教室に登場した。生徒たちを前に恥ずかしそうに現れた高橋さんは、藤原校長の巧みな話術に引きずられるようにポツリポツリと言葉を紡ぎだしていく。マグロ漁船に乗り込んでいた元猟師。結婚をしていたが40代のときに事情によって転落。そこから始まるホームレス生活…。そして最近の、食べ物の確保の困難、法律の厳格化、東京オリンピックに伴う排除の高まりなどを指摘した。(……省略)。そうして終盤、彼は、中学生を前にして話をすることに感極まってしまい、涙を流してしまった。
 『汚い、くさい、だめ人間』というイメージが支配的だっただろうホームレスが、目の前で話しをして、泣いている―。このことの意味は内容云々ではなく、果てしなく大きいだろう。高橋さんが退場したあと、藤原校長が最後にまとめた。「今回、彼らに教室に来てもらったのは、ホームレスというのを総称として理解して欲しくなかったからです。ホームレスだからこういうイメージというパターン認識に陥って欲しくありません。彼らはホームレスではなく、固有名であり一人の人格なんです。一人の高橋さんであり、一人の津田さんであり、一人の佐藤さんなんです。それを是非、覚えておいてください」。
②へ続く(ちなみに次のよのなか科は1月31日だそうです)。

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ヒッチハイク―鳥取から東京へ②

 (ヒッチハイク①はこちら
 くなってきたため、とりあえず腹ごしらえにカレーを食らう。A4の紙に大きく『東京』という文字を書く。さっきと同様、トイレでこの紙を掲げ、心優しい人が来るのを待つ。…だが全く誰も見向きもしない。作戦第二弾として、SAの出口に待ち構えて『待ち人』を待つ。すると早速、安達ナンバーを発見!!。だが、チャンスと思って近づいた瞬間、ものすごいエンジン音を鳴らし、走り出してしまった。他には、湘南ナンバーで若い男二人組を見つけた。覗いてみると、ボンネットを開けて、何か調整をしているようだ。「すいません、東京方面に行きますよね?」 話しかけた。 すると長髪の男性は、「いや、僕たちそういうのいいです。結構です」と、にべも無かった。…ボクは何かの勧誘ではないとですよ。
 こうして一時間ほどが経過した。
 失敗した一因は、おそらく兵庫から東京まで距離がありすぎること。ドライバーもさすがに遠すぎると敬遠し、避けてしまうのだろう。ここからは一転、名古屋当たりに狙いを絞って車を探した。すると一台の軽バンがちょうど僕の前を通過した。ナンバーは『長野』、しかも運転手は一人。「これはイケる!」。 車をこっそり追いかけて、運転手が出てきたところに「すいませんが…」と声を掛けると、これがビンゴ!! 「おお、いいよ、京都くらいまで連れて行ってあげるよ」と快くOKをもらった。
 この時、ちょうど8時過ぎだった。
 彼は長野県在住で、土建関係の仕事に携わっているあっちゃん。スキンヘッドにニットの帽子。一見すると怖いけど、笑顔が素敵な30歳(たぶん)。ちょうど元旦から四国を車で回っていて、今日、広島から戻ってきたところだという。「いや~原爆は怖ぇーよ。アレはダメだ。平和は絶対に保たないと」。あっちゃんは、平和記念館や原爆ドームのインパクトを語ったり、瀬戸大橋の偉大さについて話したりと、実は、かなり真面目な人のようだと分かってきた。
 適当に音楽の話とかしていて1時間ほど経った頃だろうか、彼が突然、語りかけるようにしゃべり始めた。「いや~、音楽やりながらマリファナをやるのが一番気持ちが良いのよ」。…えっ、今なんて言った?「カンジャがないとダメだよ。やっぱりさ、仕事にしても常に同じことをやっていたら感性が鈍くなるわけ。そんなときに一服やると、新しい気持ちでまた頑張ろうと思えるのよ」
 彼に言わせれば、昔の日本では大麻は合法で、むしろ文化の一つだった。しかしGHQが占領後、大麻から取れる『油』が日本のパワー(?)となるのは、アメリカにとって不都合になるため、それを禁止したのだと。彼の力説の是非はわからないが、たとえば、大麻はそれほど有害ではないし、中毒性もないことは話に聞くところだ。彼は続けて語る。「カンジャの中でも、オランダ製はやはり上質で美味しい。オレも長野では、仲間と一緒に大麻を栽培しているんだけど、それは北海道のだからいたって普通の味。でも、コウモリの糞を入れると、いい味になるんだこれが…」。
 吸っている友達は周りにも少しいるが、さすがにここまで心酔している人は見たことがない。かなり面白い人に出会ってしまったようだ。先の広島では、車の中で酒を飲んで薬を吸って寝ていたというくらい危ない面もあるが、彼の素晴らしいところは、覚せい剤だけは絶対にやってはいけないと熱弁する点だ。吸引ならば、基本的に自分の意識は保っているし、効き目も3時間から6時間しか続かない。だが注射は三日ぐらい効力が続くため、中毒性が高く危ないというのだ。
 途中、草津サービスエリアでお土産を買ったりしてまた出発。このとき22時半。京都のSAのどこかで寝ようと思っていたあっちゃんだが、「いや、とっちゃん(筆者)のために、名古屋あたりまで行ってやるよ」と優しい。やはりヒッチハイクは、乗せてくれる人が皆親切で温かい。彼はお気に入りの音楽(ガン・フロンティアとサンタナ)を流しながら、リズムに乗って走った。0時に養老パーキングで休憩し、次の守山パーキングに着いたのは1時過ぎだった。実は、この前の小牧JCTで彼は長野方面に行かねばならなかったが、真っ直ぐ来てしまったのだ。ここでお別れだった。お礼を言って別れるときに、彼は好きなバンド、ガン・フロンティアのMDをくれた。本当に素敵な兄ちゃんだった。
    
       (養老SAにて)                   (あっちゃん、ありがとう)
 守山パーキングエリアは規模が小さい。次の車が見つかるか不安だったが、なんと開始五分、『習志野』ナンバーの運転手がOKを出してくれた。兵庫に帰郷していて、今から浦安に帰るところだという。「やった!!」 これで一気に千葉まで帰ることができる。午前1時。僕は自宅までの特急便をついに手にしたのだ。
 車の中には、スノーボートやスキーが転がっていた。聞いてみると、かなりのアウトドア派ということだった。一人用のテントを積み込み、リュックを背負ってバイクで日本を回ったらしい。特に旅人が多い北海道では、行きずりの人と一緒に夕飯を作り、酒を飲むのが最高に楽しいという。今度は、タイをバイクで回るのが目標。
 途中、4回ほどサービスエリアに寄って休憩。5時くらいから意識が空ろになってきた。なんとか寝ないように顔をつねったり、手を捻じ曲げたりしてその場を凌ぐ。途切れ途切れの記憶の中、見慣れた地名が見えてくる。『小田原』『厚木』『横浜青葉』…そして『用賀』。東名高速道路を下りて、首都高に入ったようだ。そこからはあっという間。気がつけば、目の前に浦安駅があった。ゴールだった―。
 「やっと着いた。ご苦労さん」 お世話になった運転手からなぜか言葉を掛けられた。荷物を持って車を下りると、彼と両手を合わせて握手をした。「本当にありがとうございました。助かりました…」。
               
                 (北海道で、また会いましょう!!)
× × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × × ×
 僕は、文字通り『フリーライダー』=『ただ乗り』だった。普通一万円以上はかかるところを、全くの無一文で通過することができた。だが、人の負担の上に乗っかり、自分だけ美味しい目を見たのだから、おそらく良いことではない。むしろ忌み嫌われて然るべき行為かもしれない。ただ、傲慢を分かって言わせてもらえば、車に一人ならば、彼は運転する限り寝ることはできない。だから、フリーライダーが運転手の良き話し相手(気晴らし、眠気覚まし)となれば、その存在意義というのは、十分にありうるのだろう(逆に話を聞かず、自分の話に終始するならば、邪魔な存在以外の何者でもない)。全く知らない二人が車という閉ざされた空間で話をすること。しかもタクシーのように金銭的な儀礼的な関係ではなく、あくまで自発的な関係として、この『フリーライドという行為』は両者にとって意義があるのではないかと思う(もちろん危険もあるだろうが)。
 車に乗せてくれた津山のじいちゃん、ばあちゃん、兵庫の夫婦二人、長野のあっちゃん、そして浦安の兄ちゃん。僕は彼らにお礼はすれども、それ以上のことはしていない。でも彼らは別に気にしていないだろう。「金がないから仕方がない」と。学生の特権だと思っているからだ。
 でも大人になったら公然とはできない。大人とは基本的にペイして還元していく側だからだ。それは様々な場面においてそうだし、このフリーライダーにしてもそうだ。だから僕が運転する側になったら、ヒッチハイクを乗せてあげよう。それが上の彼らへの、一番の感謝の表現だと思うからだ。ありがとう。

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ヒッチハイク―鳥取から東京へ①

 取県米子駅から二駅ほど行ったところにある『伯耆大山駅』。僕がそこに降り立ったのは1月3日の午後3時10分。今にも雨が降りそうな曇り空の下、地図を片手に決意を新たにした。「鳥取から東京までヒッチハイクで絶対行くぞ―」。まず目指すは、米子インターチェンジ。ここから米子自動車道に乗り込み、しばらく南下して岡山まで行けば、中国自動車道で大阪方面に乗せてくれるだろう。あとは、トラックでも捕まえれば一気に東京。ゴールだ―。
 カメラを片手に歩き始めて3分、衝撃的な事実に気がついた。「…車、全然通らねぇ」。信号はたしかに点滅し動いている。だが車が通らない。それどころか人がいない。これは、大丈夫だろうか…。湧き上がる不安を押し殺しながら、さらに歩くこと3分、一台のワゴンが後ろからやってきた。僕は即座に道路の真ん中に立って、左手を伸ばし親指を突き出した。距離がどんどん縮まり、車のスピードが緩くなる。 「これはもしかしたら!」…爽やかな笑顔を作って、良い人っぽさをアピールしてみる。だが、中には夫婦と子供が二人乗っていた。無理だった。
    
 まだ正月の3日目。Uターンラッシュを期待していたが、どうやら子供連れも多いようだ。さすがに子供がいたら乗せてくれない。運転手1人か夫婦2人。ここが狙い目だ。気を取り直して再チャレンジスタートだ。
 20台が過ぎ去っただろうか。僕は信号待ちをしている自動車に声を掛け始めた。失礼だと思ったが仕方がない。恥ずかしがっていては始まらない。旅の恥は掻き捨てなのだ。「すいません、ちょっとヒッチハイクをしているものですが……」。だが、その老夫婦は鳥取に帰るので米子道は使わないという。その上で一つアドバイスをもらった。「あっちの中央道に行けばたくさん車があるよ」と。
 15分ほど歩き、奥の中央の入り口に来てみる。かなりの数の車が走っていた。三車線の道路、その信号の前に止まっている車たち。左に行けば山陰高速。真っ直ぐいけば米子道の入り口だ。危険だと思ったが、赤信号のときに真ん中の車線に止まっている車の窓を叩いた。「すいません、どこかのサービスエリアまで連れて行ってほしいのですが……」。するとその老夫婦は驚いた顔をしながらも(当たり前か)、「(岡山)津山までで良ければ乗っていけ」と快諾してくれた。
 これがヒッチハイク、初成功の瞬間だった。
 信号が青になる前に飛び乗って、とりあえずお礼を言った。「こんなやつ、北海道以外では、はじめてみた」と笑われたが、じいちゃんもばあちゃんも見るからに人の良さそうな感じだった。じいちゃんは、昔トラックのドライバーをしていて全国を走っていた。歳は70近くだが、今でも現役でドライブを楽しんでいるという。ばあちゃんはなぜか感心していたようで、僕を褒めちぎっていた。「まあ、学生のうちにしかできませんから」と言い訳をしていたが、どこか嬉しかった。                
 窓から見える観光名所について話をしたあと、蒜山サービスエリアに入ってコーヒーを奢ってもらった。ばあちゃんの分のコーヒーもいただいた。お腹が一杯になった16時30分、お礼を言って別れた。
                   
                         (本当にありがとう☆)
 駐車場でトラックを探してみたが、どうして一台も見当たらない。食堂の机で、A4サイズの紙にでっかく『大阪』と書いて、それをトイレの前で掲げて立った。事前にネットで調べたところ、トイレが一番効果的で、SAの出口が二番目にベターだと書いてあったのだ。男子トイレ女子トイレの間に立って心優しい人がやってくるのを待った。
 …しかし、待てど待てども、声を掛けられる気配がない。誰もが怪訝そうな顔をして去っていく。ときどき「おー頑張ってんな」と肩を叩かれたり、「オレ、信州大でヒッチハイクサークル入ってるんだよね。すっげー乗せてあげたいんだけど……」とエールをもらったりした。だが中々見つからない。また前回のように、直接車にアタックする作戦に出た。「スイマセン、ヒッチハイクしているのですが、大阪方面とか行きませんかね?」
 大阪・京都ナンバーを狙いうちにするも、なかなか快諾がでない。そうこうしてるいる間に18時になった。さすがに外の寒い中、一時間近くも立っていると手が凍えてくる。少し休もうかと思ったそのとき、クラクションが鳴った。横を見てみると、黒いワゴンがドアを開いて待っていた―。
 「なんで乗せてくれたんですか」 お礼を言い、席に座って聞いた。「トイレの前で立っているのを見てたんだけど、一時間以上経っても、まだ見つかっていなかったから可哀想だなと思ってね」。まだ40歳弱ほどの年齢だろう。おじさんとおばさんは、自分たちはあまり社交的ではないのにねと付け加え、僕を乗せた自分たちを不思議がっていた。
 車内は、ミスターチルドレンの音楽が流れている。二人は兵庫に住んでいて、今回はちょうど鳥取に旅行に行っていた。彼らは、「葛西のSAで降ろしてあげるから、それまで寝てていいよ」と言ってくれたが、さすがに寝るわけには行かない。首を上下左右に動かしながら耐えていたが、途中から少し意識が飛びがちになっていった―。そして19時過ぎ、葛西SAに到着。半分寝ていてあまり話をできなかったのだが、二人は、「頑張って次を見つけろよ」と言ってくれた。丁重にお礼を言って別れた。
                 
                          (ホント感謝多謝☆)    
 

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海士町レポート②

 この海士では、本当に面白い人達と出会い、たくさんのことを学んだ。
 まず役場の人達と住民の人には、勉強させてもらった。役場と言っても、全く堅苦しいイメージではなく、皆フランクで親切。そして、誰もが何かしら語るものを持っている。地元に愛着・誇りを持って、外の人に語れる人達で溢れていた。(それを見て、我が身を反省してしまったくらいだ…)。
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 特にここ数年、役場の教育委員会は、『人間力推進プロジェクト』というものを立ち上げ、子供たちが、地元の『海士町』についての歴史を知り、外の人に語れることを目標に動いてきた。委員会の次長は海士の教育理念、目指す人間像について次のように語った。
 「学力はもちろん最低限必要だけれど、自分の生まれた地域の風土や歴史を知ることはもっと大事だろう。詰め込みや受験対策などは、反復の量によって比例し高まる。我々は、自分たちで自分たちの町について考え、『町をどうしようか』と議論し動けるような、根本の力を醸成していきたいと思っている」。
 昨今、地方分権が叫ばれているが、それは教育の分野でも同じだ。教育基本法の改正に伴い、大きい単位から小さい単位へ、文科省が一元的に教育内容を規定し、県教委が人事権を握っているという状況から、市がより自由に授業を組めるという権限委譲の動きが高まっている。この動きを島の人はどう見ているのか。
 「例えば、ゆとり教育について言えば、学習内容が削減され週休五日が導入されてからのほうが、学校としてはゆとり教育をする時間が無くなった。昔は絶対的な授業数が多かったため、ある程度自分たちの裁量の中で、地元の行事を入れたり、社会学習をしたり、講師を呼んだりできたが、今は絶対数自体が少なくなった。だから最低の授業数を確保するので精一杯でゆとり自体がなくなった」。
 『ゆとり教育』『考える力の醸成』など、それらの理念自体は間違ってはいないが、それを上から一元的に規定され、押し付けられると弊害が出てくる。より小さい単位での自由裁量が必要だ。そう述べた上で彼は、島の特殊性を考慮に入れてほしいと留保をつける。
 
 「教員の人事権をより小さい単位まで降ろして市町村でカバーしろとなったときに、果たして教員が確保できるのかという問題がある。東京や大きい都市ならばそういうことは無いだろうが、、田舎や島のような不便な場所に、教員が来たいと思うだろうか。交通の便や娯楽が少ない。もし確保すうrにしても、やはり何かしら給与などを優遇したりする必要があるかもしれない。そこはやはり個々の事例に基づいて慎重に決めていかなければならない」。
 こういう教育の最前線を見てみると、今が過渡期だと心から思う。ここで地域が各々自分たちの子供をどういう風に育てればいいのか真剣に考えて議論しなければならない。今だに学力偏重で学歴主義みたいな動きがあり、しかも格差社会の文脈でさらに流れが加速しているが、だが今考えるべきは、学力云々ではない。学力などそんなものは、最低限の問題であり、大事なのはどういう子供に育てるかどうかだ。たとえば東京でも杉並区の和田中などは、校長自らが裁量と責任を持って独自の教育を打ち出している。よのなか科。全国の地域学校も、自分たちで走り出すときが来ている―。
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                     釣りました。嘘です。議長さんからもらいました。       蕎麦を打ちました。太いです。
     
 みんなで2006年を振り返りました。自分の去年の宝物、成果を言い合ってお互いに共有。そして、改善点を元に、今年にいかに繋げるかを考えました。この正月は本当に有意義だったなぁと思います。海士町、最高☆ また行くぜぇー!!!

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