現実逃避としての純愛

 近はジャーナリズムのゼミの研究を進めている。とにかく本や雑誌、新聞を読み漁っている。あともう一つの国際政治のゼミの課題の本とか本とか本とかを読んでいる。…まあそんなに忙しくはないが、小説を読む時間がまったくないというのがちょっと残念というか、精神的につらいというか。
 やっぱり現実逃避するには、小説を読むか純愛映画を見るに限るのである。小説よりも、時間が掛からない映画は割とコンスタントに見ようと努めている。そして、この前見て感動したのが、「ただ君を愛してる」と「シュガー&スパイス」の二つである。
 前者の宮崎あおいは、素直にかわいい。認める。…で、いつも思うことは、可愛い子にオタク系の役を持っていくのは反則だろうということ。…現実にありえないよって。
 「ただ君を愛してる」の沢尻エリカも一見の価値ありである。このストーリーは、ついに本物の恋をした男の子が現実に敗れていくという酷いものである。結論は単純で、男は優しいだけではダメ、スパイスが必要だ、ということであるが、ぶっちゃけ、金と将来性が大事だって話にも読み替えることができると気づいたとき、この作品は純愛モノとしてはダメだなと思った(もともと純愛モノではないが)。
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 お金とか仕事とか将来性とか出した瞬間、純愛ドラマの魅力がなくなってしまう。なぜか。「君は僕の世界のすべて」「僕=君」という図式に覆われていることが純愛を純愛たらしめているわけだから。純愛の世界における自己実現はただ一つ、相手がそばにいることだけ。お金を稼ぐとか、出世するとか、有名になるとか、そういうものはまったくいらないし、表現されてはいけないのである。
 
 そもそもの話をしよう。映画とか芸術品というのは、基本的に、自分の実存を脅かすもの(世界)であるべきである。いまの自分が「当たり前で普通だ」と思っている価値観・生き方に対して、なんらかの形で風穴を開けること、新しい価値観をぶつけること。それによって、自分の旧来の生き方に変更を迫ることがその役割だろう。
 特に、映画は、『「日常」から「世界」』という言葉で表現されるように、自分の日常の経験・認識内で処理できるような表象ではつまらないし物足りない。見たことも聞いたこともないような、未経験を体験(世界)できるのが映画の役割であり、真骨頂であるのだから。
 だからと言って、映画は、戦争やSFなど非現実的(非日常的)な作品でなければならないというわけではない。小津安二郎のように、日常を徹底的なまでに追求することで、普段過ごしているだけでは気がつかない、日常の素晴らしさを再認識させてくれるような映画は、それはそれで「日常」を壊してくれる「世界」の部類に入る作品であろう。
 その意味で、純愛作品は(モノによっては)実は「世界」の部類に入る作品かもしれないと僕は仮説を立てた。なぜこれほど純愛モノが流行るのだろうか。答えは、純愛モノは実は、ただ癒しを与えるだけではなく、実存を脅かす破壊力があるから、である。
 現実的な観点から言えば、現代人はつねに生活をどうするのか将来をどうするのかと考えざるをえない状況に置かれている。お金や仕事をどうするのかについて日々頭を悩ませなければならない。しかし幸せとはなんぞやと一度考えたときに、それは必ずしもお金ではなく仕事でもない。…溶けるような甘い恋であり、人生に一度きりの真実の愛である。
 誰もが幸せになりたいと思って生きている。しかしそんな究極の愛なんて存在しない。だから誰もがある程度の妥協の下で生きている。でも「純愛モノ」はそんな細々と生きている僕らに対して語りかけてくるのである。「きみはそれで幸せなのか…」と。
 誰もが「純愛モノ」を実際はアリエナイものとして自覚的に消費しているように見えるが、実はそれを見ることによって、自分のこの生き方は正しいのか、幸せなのかと再帰的に問い直しているように思える。もしそうだとすると、「純愛モノ」を見るという行動は、単なる「現実逃避」ではない。それは自分の幸せとは何かを本質的に直視する、「創造的な破壊」を宿した営みなのである。
  

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「教育改革」の幻想

 育について文献を漁っていると、興味深い本に出会った。教育学の権威である苅谷剛彦先生の、「教育改革という幻想」という本である。
 教育改革と言うと、「暗記・詰め込み型の教育」から、「個性と創造性を育む教育」へのシフトチェンジというイメージが頭に浮かぶだろう。少なくとも、僕自身もそういう方向で考えていたし、ゆとり教育が出てきた背景にも、「個性」や「創造性」を持った人材育成の必要性があったと思われる。
 しかし、苅谷先生はその教育改革の盲目的な進展に疑問を投げている。その「子ども中心主義教育」の理想や理念は素晴らしいとしても、ではその理想主義的な教育が実際にどれだけ現実とマッチングして効果的に機能するのかは不明瞭である。そして、そもそも、過去の詰め込み型・暗記中心主義の教育がそれほど悪い教育であったのか実証的に証明されていないと。
 今までの教育は劣悪なものである。→ だからこそ、「改革」を断行しなければならない。しかしながら、その「悪い」「ダメだ」とする「現状認識」=「出発点」がそもそも間違っているとすれば、その改革はまったく宙に浮いたものとなってしまうだろう。
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 僕はよく思うのである。
  「詰め込み教育が悪い」「個性豊かな人材育成を!」と唱えている自分は、何だかんだ”詰め込み”教育を受けてきている。だから詰め込み・受験教育をしてこなければ今の自分もなかったのではないかと。さらに、もっと創造性溢れる授業を受けていれば…と過去を振り返り嘆くものの、じゃあ、過去に受けてきた授業はすべて詰め込みでルーティンな授業だったのかと問われれば、必ずしもそうではなかったと思う。
 一人ひとりの先生は自分なりに、生徒の興味・関心を引き出そうと創意工夫をして頑張っていたはずだし、彼ら自身、自分たちの授業を、「詰め込み」とか「個性を伸ばす」というように分けて考えていなかっただろう。基礎を教え込んだ上で、できる子にはさらに応用を、それくらいに考えていたはずだ。
 そもそも「一人ひとりの個性を伸ばす教育」というのは、論理的に考えれば、既に明示されている生徒の興味・関心などを、教師が重点的に伸ばしていく教育のことだ。だが、国語に興味がある生徒が実は、科学に長けていたり、サッカーが上手い子が実は野球選手の才能があったりと、本当にマッチングした教育は、その生徒によって千差万別であるし、その時点ではとても把握できないものである(教育の効果は事後的にしか把握されない!)。
 むしろ、現在の特定の興味・関心を伸ばすのではなく、その興味や関心の領域をできるだけ多く持たせてやることが教育の本義なのではないだろうか。「まったく興味のなかった分野でも、見方を変えればこんなに面白いものだった」という風に新しい視座を提供する、そうした可能性をできるだけ増やしておくことが教師の役目であろう。
 たとえば、ツマラナイ(と思われている)算数の分野をいかに分かりやすく教えるかという、いわゆる「詰め込み」の段階での創意工夫が、子供の興味関心の選択の幅を広げることになるし、結果的に「個性を伸ばす」教育に繋がるともいえるのである。
 いまの教育改革はどのような現実に依拠しているのか。苅谷先生が述べているように、「理想の光に目がくらむ前に、しっかりといまの足元を直視する」必要があるのではないか。
 (というか、苅谷先生が教育再生会議に入っていないことが既に疑問……)。

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男女比の最適比率について

 Hゼミで、ヴァイオリンのリサイタルを聞きに行った@朝日浜離宮ホール。H先生が、「希望者は一緒に行きましょう」と募集していたので、良い機会だと思い、ノリで行ってみたのである。
 で、聞いてみるとこれがまた素晴らしいものだった。文化資本と教養が回復不能なほど欠落している僕は、一体何がどんな風に良かったのかと聞かれたら、えへへと笑って誤魔化すしかないのであるが(実際、先生に聞かれて、絶句した)、まあ、何となく気持ち良い感覚になったことは確かである。 
 あの、まぶたが段々重くなって意識が沈んでいく感じが心地良い……というのは真っ赤な嘘で、ちゃんと寝ないですべて聞き通しましたよ。どの曲がドボルザークでベートーベンなのか全くわからなかったので、これを機に少し勉強していこうかなと思った。目指せ、似非貴族♪。
 で、演奏が終わったあと、みんなでワインでも飲みに行った。
 店までの歩き道、先生と話していて、なぜか「組織内における男女比の最適比率」の話題になった。バランスオブパワーを語らせたら右に出る者がいない(?)先生は、「組織を考えると、男6割と女4割が黄金比率」だと力説していた。
 それはなぜか?。女の子は派閥を作りやすいため、何かを決定するときに面倒になるからだ。逆に、男は基本的にバラバラなので、特に問題は無いと。だからゼミ試験においては、勉強の出来の良い順番に取るのではなく、男女の比率を見ながら、バランス良く取るというのだ。ちなみに今年うちのゼミは、男女比は5・5であるが、これは応募者の男子のレベルが低く女子のレベルが高かったからだとのこと。(うーむ、本当かなー笑)。
 もう一つ先生が言っていたことで面白かったのは、「ミスが出たゼミには行ってはいけない」ということ。本当かどうかは別として、例えばT俊ゼミは去年ミスが出たこともあり、今年は男が殺到した。これはまあ考えてみれば当然のことで、去年可愛いかったのだから今年も可愛いだろうと予想して入ってみると、あらまあ男ばっかりだったという、非常に典型的な残念なケースである、。
 もちろん、今年女の子が少なく男が多いということは、次の年には女の子が多くなる確率が高いということを示している。先生曰く、「だって、女の子が少ないんだから当然、男子に大事にされるでしょ。そして、それを見た可愛い後輩が、いいなと思って次の年入ってくる」と。
 二年生の男子は、例年よりも女子が少ないゼミを志望するといいと思いますよ↑。
 

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ひさびさの先生

 ょんなことからオール徹夜飲みを終えて朝、日曜日。眠い目を擦りながら、そのまま10時から「日本英文学会」の発表@三田を聞きに行った。
 今回は、(特別)講師に内田樹先生がいらっしゃるということで、もうそれはそれはウキウキで聞きに行ったのである。多少眠かったけど、内田先生がしゃべると、不思議と眠気が吹っ飛んだ。相変わらず流暢で、深みがあって、面白すぎる。というか、先生が話しているセッションでは、パネリストがみんな楽しそうに話すんだよな。すごいなぁ。ほんとに楽しそうだなぁ、なんて思って聞いていた。
 アメリカ文学における、「アメリカの原光景」が中心のテーマだったが、必ずしも文学の領域だけの話ではなかった。文学の話は、膨大かつ難解で、なかなか消化しきれなかった。だから文学とは切り離して書くけれど、内田先生が言っていたことで印象的だったのが、「葛藤を持っている人は、知的パフォーマンスが高くなる」ということ(まあいつも言っていることと被るけど)。
 例えば、昭和人と明治人の共通点って何だろうと考えたときに、彼らが生きていたど真ん中で、時代がまるっきり変わってしまったことがあるという。明治では、村や集落から、「日本国」になった。昭和では、もちろん815で戦前と戦後の切り替えを経験した。だから、彼らはいわゆる「以前」と「以後」の二つのアイデンティティーを自分のうちに含まざるをえない。それゆえ、その二つの「断絶」を自分の葛藤のうちに押し込み、それを抱えたまま、あるいは一つに昇華させていく必要があった、と。
 「葛藤」とは、どろどろしてボンヤリして如何とも形容しがたい軋轢である。それを抱えながら衝突させながら、それでも投げ出さないで抱え続けることは、その当人に人間的な成長や深みをもたらす。これは少し考えれば、確かにそうだなと思う。世の中は複雑怪奇であり、物事には良い面があれば悪い面がある。単純な図式に落とし込まないで、そういう複雑性を上手く自分の中で受け入れ消化できる人が、人間関係においても経済活動においても、高いパフォーマンスを示せるのは至極当然のことだろう。
 葛藤のない人ほど、ツマラナイ人間はいない。文学をきちっと読むのは、そういう知的ブレークスルーを経験するためかもしれない。まあ普通に恋愛すればいいじゃんって話しですけど、ね。

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さよなら、ふぉる亭

 「そういえば、あの何とかという、レストラン、潰れちゃったみたいね」
 昨日、母親が何気なく言った一言。その声の響きは、どこか寂しく、どこか虚しかった。一ヶ月前から営業していなかった。まさか、とは思っていたが、実際になくなると、寂しい気持ちになった。
 地元の駅から徒歩2分のところにある、その洋風のレストランは、今も赤い看板を掲げたままだ。看板は、全体の色が禿げ始め、字がボンヤリ霞んでいる。すぐ横の細い階段を上がると、入り口ドアに、「長い間お世話になりました。都合により閉店します」と記された文章。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、「事実」がそのまま記されていただけだった…。
 中学1年生のとき、千葉に引っ越してきた。その千葉での初日、家具やダンボールを整理したあと、家族4人、そのレストランに夕食を食べに行った。店内は薄暗く、もの静かだった。二階の大きな窓から、新しい町の景色を眺めながら、これからやってくる新たな生活のことを考えた。中学校で友達はできるのか、部活は何に入ろうか、勉強は上手くいくのか―そんなふうに期待と不安でいっぱいになっていると、注文のスパゲティー・ハンバーグが出てきた。特製デミグラスソースの掛かったハンバーグは、一口食べたら忘れられない、まさに絶品の味だった(たぶん)。
 店内には、漫画・「はじめの一歩」があった。全巻制覇するため、暇があればレストランに食べに行った。当時は中学生でお金が無かったので頻繁には来れなかった。それでも月に一回は家族で食べに来たし、親がいないときは、貰ったお金で一人で食べに来た。お昼には、喫茶店として利用して夕方まで漫画を読んだり本を読んだりしていた。ほかの常連のお客も、そこそこ入っていた。そんな軽い雰囲気が好きだった。
 
 だが転機は、突然やってきた。BSE問題が原因だった。米国産の牛肉が手に入らず、豚肉を使わざるを得なくなったのだ。豚は臭みがキツイため、ここのソースとは合わない。何度も何度も工夫を講じたが、どうにもならなかった。そして、味が落ちた結果、客が逃げていった。
 何ヵ月かあと、それに追い討ちをかけるかのごとく、レストランの真下に、牛肉チェーンの店舗が入った。早くて手軽。290円で安くて美味い。この黄色い店に、客をほとんど取られてしまったのだ。実際、高校生になってから僕は、その牛丼屋に足しげく通うことになった。
 洋食屋には行かなくなった。喫茶からも足が遠のいた。気がついたときには、もうそのレストランはなくなっていた。この町にやってきたときの思い出の場所が、また一つ消えた。二階の窓から見下ろした町並みは、当時と、さほど変わってはいない。パチンコ屋があり、ミスドがあり、ビデオ屋がある――。変わったのは、僕が大きくなったことと、レストランがなくなったということだけだ。
 
 ふぉる亭よ、さようなら。そして、僕の過去よ、さようなら。

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走れAMAワゴン―ダトコンタ編

(「走れ海士ワゴン―出前授業編」はこちら
         ☆『ダトコンタ』 ~観光パンフ作り~☆
            
 日の出前授業の成功を祝して遅くまで話し込んでいたせいか、みんな心なし身体が重たそうだ。窓から柔らかい光が差し込むポカポカ陽気の下、眠い目を擦りながらその会議は始まった。
 四月から海士町に移住し、現在、町の観光協会に勤めている青山敦士さんは開口一番、「これから観光パンフレット』を作ります」と次の企画について説明してくれた。そのパンフレットの名前は『ダトコンタ』。海士特有の言葉で、『わたしからあなたへ』という意味だそうだ。
 『ダトコンタ』は、いわゆる「観光パンフレット」の類ではない。ただ観光地や有名所を紹介するというより、外から来た人間が、海士でどんな人と出会い、どういうことに参加し、どういうことを感じたのかなど、海士との関わりの中で気がついた、「新しい発見や学び」について紹介するものだ。ダトコンタは、「私からあなたへ」という言葉通り、海士に来てもらいたい人達に手渡しで渡せるように『招待状』として作成される予定で、6月中旬には、海士町長が出席する政府の地域・特別会議の場で、安倍首相にも提出されるとのこと。
 
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 『ダトコンタ』(冊子)のコンテンツ作成を目的として、海士ワゴン・メンバーたちは島中を取材して回ることにした。三つのグループに分かれて、それぞれの取材方法で町ネタ・人ネタを探しに出かける。
筆者のグループは、隠岐神社の神主さん(村尾さん)にお話を伺おうと、キンニャモニャセンター(島の窓口の中心)の電話からアポを取り付けたあと、さっそく自転車で出発した。
          
 
 いつもは車で通るためさほど意識しない道も、ゆっくりペダルを漕ぎながら進むと、新しい発見がある。道の隅に立ち尽くしている銅像を見つけては立ち止まり、山から海を見下ろしては写真を撮る。撮ってはまた一歩ペダルを踏む。ペダルを踏む足どりは重く、踏めば踏むほど顔から汗が吹き出てくる。暑い……。が、立ち漕ぎで山道を登りきったあとの、身体いっぱいに風を受けて坂道を下りていく瞬間が、何とも気持ち良い。久しく忘れていた、自分が自然に浸透していくような感覚に陥るのだ。
 隠岐神社では、神主さんに海士町の森林保全や農業の問題について話を伺った。緑に溢れていると思っていた海士の森だったが、実は、松の木がほとんど絶滅状態に追い込まれていることを知って驚いた。この海士でさえ、自然が脅かされているとしたら、日本の自然・文化はどうなるのか、少し不安になる…。そんな神主さんのお話の途中で、「ちょうど今、コメの苗付け(種付け)の作業をしていて人手が足らない」ということを聞いた。我々メンバーは間髪入れずにお願いして、種・苗付けを手伝うことになった。
           
           
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 宇受賀地区のビニールハウスに着くと、作業をしていた(営農組合の)おじさん達が笑顔で受け入れてくれた。すぐさま上着を脱いで、作業スタート。
     
 仕事はいたって単純で、まずは肥料を含んだ土を長方形のボックスに詰め込む。そして、それを機械のラインに流すと、土の上に「苗の種」が均等に降り落ち、さらにその上にもう一度、土を降りかける。その完成したボックスをビニールシートの端から運んで揃えて水をかける――これが一連の作業である。覚えてしまえばそれほど難しい作業ではないが、しかしこれを三人四人でやるとなると相当に骨の折れる仕事だ。
 
       
                  
       
 作業をしている藤田さんは「いまは機械のおかげで相当楽になったけど、昔は大変だった」と感慨深く語ってくれた。また、ここで出会った陽気なおじさんの亀原さんは翌日、作業を手伝ったお礼に、「山椒取り」、そして海に連れて行って「アメフラシ取り」を体験させてくれた。僕らが海面をいくら覗き込んでも見つけられないアメフラシを、亀原さんは、すぐに探し当てた。やりで巧みに突っつくと、海面の中に浮かぶブヨブヨした個体を指して、「ほら、これだ」と笑顔で教えてくれた。
  
             
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 海士で出会った人の話はすべて、自分らが長い間生活してきたこの島の海や山、自然と繋がっていた。島の歴史や風土に結びついている、農業や漁業、そして料理。それらを当たり前のように語れる人達の存在は、僕の目に新鮮に映った。ここには確かに日本の文化が生きている、そう確信した。
 また他のメンバーの中には、外からのIターン者へのインタビューを行ったり、CAS(鮮度を保ったまま魚を輸送するシステム)工場の見学をしたり、ヒッチハイクで7台の車にお世話になったという人もいた(何という優しさ、温かさ!)。それぞれがそれぞれのやり方で、海士の住民と出会い、海士を感じて、海士の魅力に触れることができたことだろう。溢れんばかりの充実感と喜び、そしてまた絶対に海士にやって来るという思いを胸に秘めて、僕たちは本土へ帰っていった。 (おぐし)

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走れAMAワゴン―出前授業編

 『若い大学生との交流によって島を盛り立てよう』―そんな思いから生まれた「(隠岐島)海士ワゴン」。東京からバスは12時間、フェリーは三時間の旅路を経て、若さと活気に溢れる大学生(及び社会人)を連れてやってくる。その内容は、離島の海士中学校で「出前授業」を行い、地域の活性化・ブランド化について考え、島に貢献すること。今回の海士ワゴンはGWを利用した、企画第6回目。その様子を「出前授業」と「パンフ作り」の二つに分けて詳しく報告したい。
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   皆さんにはラジオ番組を作ってもらいます
 出前授業の講師である、『コトバノアトリエ』(NPO法人)代表の山本繁さんが、全校集会でそう説明すると、生徒たちから驚きの声が上がった。「ラジオってどうやって作るの?」。そんな好奇心に溢れる表情の海士中学校の生徒たち(1学年が20人強)。そして彼らを囲みながら、期待と不安に胸を膨らませる、僕ら大学生たち(10人ほど)。
 ラジオ番組のテーマは「人間関係」。全国の中学生を仮想リスナーとして、同年代の学生が気になったり悩んだりしそうなことについて話し合う。それをラジオ原稿に落とし込み収録することで、『人間関係』についての理解を深めようという狙いだ。  
 山本さんは、「中学生の頃って、何かあるとすぐ『ムカツク』とか『ウザイ』とか簡単な一言で済ませちゃったりしますよね。でも、じゃあ『何でムカツクのだろう、どうしてウザイのだろう』とか、あともう一歩踏み込んだ深いコミュニケーションができないでいるように思います。今回は少しでもそういう思考を経験してもらえれば…」と、ラジオ作りのコンセプトを語る。
              
 
 際にラジオ作りが始まる。4人ほどのメンバーに分かれ、少人数で、『人間関係について気になっていること』を話し合う。そして、互いに顔を向かい合わせながら、浮かんだアイデアを紙に書き込んでいく。たとえば、「親が進路について口を出してくる」「先輩に敬語を使いたくない」「女子が一緒にトイレに行くことが謎だ」―などなど、突っ込めば突っ込むほど出てくる愚痴や疑問のオンパレード。僕らメンバーたちはそれについて深く掘り下げようと次のように問いかける。
 じゃあ、なんで先輩に敬語を使いたくないのかな?(生徒)「う-ん何か嫌なの」。何かってなによ?(生徒)「何かって、何かだよ」。何か関係が硬くなるとか、ギコチナイとかそういうこと?「…そういうこと、かも。とにかく何か嫌なの」。…生徒たちに「なぜ」を考えてもらおうと試みるが、正面から直球で尋ねても、やはりなかなか難しい。質問の仕方を工夫し、生徒との距離を縮めながら、徐々にコミュニケーションを深めていくのである。
               
 中盤に入り、視聴者からの相談ハガキの作成を始める。質問の内容を決めて、ハガキに対する回答を考える。このようにラジオ内容を作っていく。(ハガキ――『こんにちは、僕はいま、彼女ができなくて困っています。どうすればいいでしょうか。教えてください』という相談内容を決定してから、その恋愛についての悩みや解決策をみんなに考えてもらうのである)。
 
 そして、最後の山場は収録の作業だった。マイクを片手に緊張する生徒、何度も原稿を確認する女子。逆に、ここぞとばかりにはしゃぐ男子――そんな慌しい状況の下、すべてのグループが作品を完成させた。グループの中にはBGMの音楽を効果的に使ったり、原稿にはないアドリブの台詞を取り入れたりしていたところもあった。それまで意識していなかった才能を開花した生徒もいて、びっくりした。
        
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 出前授業が終わったあと、生徒が書いてくれた感想を読むと――「最高に楽しかった」「今までやったことのない経験ができて楽しかった」など、ほとんどの生徒が満足してくれていたようだった。その中で、「次は、自分たちでラジオ番組を作ってみたい」という感想を読んだときは、本当に嬉しかった。
 この出前授業・ラジオ作りを契機として、「何かを作り上げることって楽しい」「もっと面白い作品を作りたい」という思いが、生徒から出てきてくれたら何よりも嬉しい。本当に大きい収穫だと思う。短い関わり合いのなか、少しでも刺激なるものを与えられたならば、それにまさる喜びはない。あとは、彼らの中で芽生えた自発性を、中学校や地域の人達に継続的に育んでいって欲しいと強く思う。そして、次の海士(そして日本)を背負って立つ、骨太な人材が出てくることを願ってやまない。

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さくら

 段を登り、神社の境内から空を見上げると、青々とした空の中を白い雲がゆっくりと流れている。目を遠くへ向けると、日本海の荒波が、空高く隆起した岩々にぶつかっている。寄せては返して、また弾ける。どこまでも流れる雲と、果てしなく波打つ海…。ぼくは、永遠に溶け込むように、自分が自然の中に浸み込んでいくような、不思議な感覚に襲われた。
 まさに、悠久の地とはこの島のことをいうのだろう。島根県本土からフェリーで三時間。周りを海に囲まれた隠岐島・海士町。その島の真ん中にドスンと居を構える隠岐神社は、この春も、ソメイヨシノの桜で溢れていた。風の音や鳥の囀りが聞こえてくる、ゆったりとした時間の中、桜の花びらが一枚一枚、少しずつ散っていく。その様子をボンヤリ眺めていると、この地で19年間ものあいだ、無為のうちに過ごして消えていった、1人の人物に思いを馳せずにはいられなかった。 
  
 かつて鎌倉時代。和歌の名手として知られ、宮中文化の中心にいた後鳥羽上皇は、承久の乱に敗れたのち、この隠岐島に配流された。京都での華やかな生活が一変、文明から隔絶された、離島の生活へと転落した……。
 彼の詠う桜の和歌を読むと、虚しく散りゆく上皇の姿がどうしても頭に浮かぶが、桜は当時、必ずしも「散り行く」、死のはかなさを象徴していたわけではなかった。神社の神主さん曰く、「桜は元来、女性の生命の輝きや女性の美しさへの賛美」として捉えられていて、「死の思想とは無縁」のものだったという。           
 「はかなく」死にゆくこと対する美徳が生まれたのは、徴兵制が敷かれたあと、国のために死ぬことが国是となってからだった。実際、隠岐神社の桜・ソメイヨシノは1900年代に、軍国の花の象徴として次々と全国へ植えられた。そして何十万人もの命が、その思想に従い、無残に散っていった…。
 戦後、桜は軍国の悪夢として憎悪され、伐採されていった。運よく残った隠岐神社の桜は、後鳥羽上皇の名前とともに、現在、絶好の観光スポットの1つとなっている。とはいえ、島全体は相変わらずもの静かで、自然と文化に溢れている。島民の人の、「移り行く季節感や空気を肌で感じることができる」という感覚は、上皇がいた頃から変わらないのかもしれない。何もないからこそ何かを感じ取り、そこに「もののあはれ」を見出そうとする。その意味で、上皇はこの島に来て幸せだったのではないか。
 本当に思いを馳せなければならないのは、無残にも散って行かざるを得なかった人達である。粉雪が降り積もるように、地面に散り行く白い桜の花びらを眺めながら、強くそう思う。
        

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ゴールデンウィークを、ブッ飛ばせ

 みなさん、久しぶりです。
 突然ですが、明日から10日間、島根県の海士町へと行ってきます。
 もし連絡が取れなかったりしたらゴメンなさい(携帯は使えるので大丈夫だと思いますが)。
 以前にも書いたことがありますが、AMAワゴンという、あいのりのごとく、大学生20人ほどをバスに乗っけて、島へ行こうというハチャメチャな企画のゴールデンウィークバージョンです。といっても、別に僕らは恋愛をしに行くわけではありませんよもちろん笑。「島(町)興し」が1番の目的でありまして、今回は特に、地方地域の独自の文化に合わせた教育モデルを作ることを兼ねています。
 といっても、僕はまったくのドタ参加で、ほんとにどうなるのか全くわかりません笑。
 ただこの運営をやっている友達や海士の人たちのハートの熱さは、見ているだけでこっちも燃え滾るほどなので、毎日が知的好奇心が溢れ、創造的な刺激を腹いっぱい受けることは請け合いであります。前に行ったときも、お腹いっぱい満腹でしたが、今回はさらにバージョンアップしちゃいます。
 「都会の学生は、郷土の文化に触れて刺激を受けて、その土地の人は都会の若い人たちからアイディアをもらい刺激を受ける。こうして両者に化学反応が起こる」――このように自分が、相手が、旅を通じて目に見えて変わっていくというのが、最高に気持ち良いし楽しいと友人は言っていましたが、まさにその通りだろうと思います。 
 このバスはおそらく、他のどんなセミナーよりも人を「人間的」にさせるし、「社会に対するリテラシーも向上」させると思っています。その地域の人と触れ合い自然を身体で感じるという営みは、感受性を鋭敏に研ぎ澄まし、既存の価値観を揺さぶる破壊力を持っていると信じています。というより今回は、自分を破壊しにいくくらいの覚悟で僕も行きますし。たぶん他の人もそういう気持ちだろうと思います。
 実際、時間は限りなく有限であり、今やるべきことはもう溢れるばかりに無数にあるのです。その無限の中から何をするのかはもうこれは自分の選択次第であります。例えば、僕だってゼミ×2もあるし留学の勉強(全くしてない笑)もあるし。でもやっぱり自分はいつ死ぬかわからないわけで、もうそうだとしたら毎日毎日をいつ死んでもいいように生きるしかないわけでして。そうしたら今ある最高の営みに僕は精一杯の力を注ぎ込みたいと思うのはまったく当然の帰結だと思います。ね、そうだよね。
 つーことで、死ぬ気ではしゃいできます。 では、また。さよなら。
 
 

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ブラッドダイヤモンド

 映画を見た。予想をはるかに上回る出来だったのでここに簡単に記す。
                       
 ブラッドダイヤモンドとは、字面の通り、血塗られたダイヤのことだ。紛争地域において、バイヤーはダイヤと引き換えに、反体制に武器を与える。そしてダイヤのために殺戮は継続され、紛争は長引く。
 
 この状況を映像で見た人々は「かわいそう」と嘆き悲しむであろう。だが、バイやーのディカプリオ君は仏頂面を鼻にかけて、「なぜバイヤーがいるのかと言えば、それは需要があるからだ。裕福な人たちが、こぞって買い占め、普通の人が三ヶ月分の給料をはたいてまで買おうとするからだ」と返す。
 こんなディカプリオ君が、ある女性人権派ジャーナリストや息子を反政府軍に奪われたアフリカ人の男性と出会うことで、少しずつ考え方に変化が生じる。
 初めは、超弩級のダイヤを隠し持っている男性からダイヤを奪おうと企んでいたディカプリオ君であるが、彼らと関わっていくうちに、「なぜ自分はダイヤなどちっぽけなものを命を賭してまで得なければならないのか」という根本的な疑問が自分の頭の中に生まれ、それを上手く整理・消化できなくなる。
 人間がゴミのように死んでいくのが日常の風景となっているアフリカ。人間を動物へと変えてしまう極限状態の中で、必然的に生み出された一人の男の苦悩と、事態を変えられない無力に対するジャーナリストの嘆き。子供兵に殺されていく、大人たちの悲哀。
 ストーリーが三人を交差しながら、困難な問題をありありと描写することに成功している。血塗られたダイヤの問題は特に目あたらしくもない。しかしそれを物語の感動に引き付けて上手く描けたというのは、やはり意義が大きいと思われる。
 もっと多くの人に見てもらい、考えてもらいたい。

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自宅に戻りました

 今日は、お引越しでした。
 一年弱お世話になった、日吉のオンボロで埃臭いアパートから、千葉の自宅に戻りました。三年生は、キャンパスが三田になるので自宅からの方が早いんです。自宅には、テレビもネットもあるし、食事もあります。だからお金には困らない生活するには便利だけど、一人暮らしはそれはそれで楽しかった、一人だからこそ考えられる時間があって有益だったと思います。
 
 面白いことに、そのアパートには知り合いがいました。去年、タイに旅行に行ったときに、お金が無くなってしまい、仕方なく、仲良くなったドミトリーの人にお金を借りたんです。そして日本に帰ってきてから飲みに行ったら、その人が日吉に住んでいると言うので、どこに住んでいるんですかと聞いてみたら、「~~荘」と答えるのでビックリしました。だってそこは僕と同じアパートだったんですから。ホント人生って不思議で溢れています。帰りは、彼と一緒にアパートへ帰りました。
 彼はフリーターで、安アパートばかりを回りながら生活していると言っていました。家なんて所詮寝られればどこでもいい。家にお金を掛けるのは勿体無い。そこで節約したお金を他のことに使いたい。そう言っていましたが、彼女を作るには良い環境ではないみたいです。僕は社会人になったらもう少し快適な家に住みたいと思っています。彼女ができないのは、さすがに嫌ですからね。
 あと一回、ベッドを廃品回収に出すため、アパートに行かなければならないので、そのときにでも彼に挨拶したいと思います。出会ったのも、何かの縁。別れるのもまた次の縁の始まり。自宅に帰ったら、心機一転、気合を入れて頑張ろう。そんなことを思う今日この頃でした。日記。
 

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毛主席を愛でる北京旅行1

 メディアコム・大石ゼミの党員諸君と毛主席を愛でるために、北京に旅行に行った
 
 一日目
 北京空港を出ると、少し砂っぽかった。空気は乾いている感じ。気温は、日本とほとんど変わらない。出迎えの案内人で、チャンチィーというあだ名(勝手につけた)の中国人の女性は、「昨日は、20度を越えました。でも朝と夜は5度くらいになることがあります」と、丁寧な日本語で話してくれた。
 ホテルは東交民港飯店というところだった。天安門広場から徒歩10分弱と近いが、大通りとは少し離れた閑静なロケーションに位置する。調子の悪い回転扉を通って、フロントで部屋の鍵をもらい、チャンチィーと18時から中国雑技を見に行く約束をして、五階の部屋に向かった。
 
 カード式の鍵で部屋を開けると、左に洗面所、奥にはベッドが二つとテレビがある。テレビを回すとCNCニュースがやっている。ベッドはかなり硬めで、長く座っていると、少し疲れそうな感じだった。冷蔵庫から大きい水を取り出して、一杯飲んでひと息ついてみる。隣に座っている相棒のスーツケースを覗いてみると、本が5冊も入っている。「なにこれ??」と確認するように聞くと、中上健次の「枯木灘」とモーム短編集と、社会学の新書の類だと、彼は答える。
 …なるほど、世界は平和だと思った。そして僕はこういう人間が好きなのである。
 30分後、7人で天安門広場に向かった。細い道を歩いていて女の子が言う。「中国って、別に寒くないのに、どこか寒々しいよね」と。周りにある木々はすべて枯れていて、葉っぱが付いていない。見るからに寂しそうな、孤立に耐えている木々があるだけだ。まるで日本のシャッター街のようだ。
 でも天安門広場に出るとやっぱり圧巻。でかくて広くて。そして周りに高いビルが一つもないから悠然とした感じが滲みでている。上手く言葉に出来ないけど、ここで缶蹴りとか追いかけっことかして遊んだら絶対に楽しいだろうなと思った。(あ、でも軍隊の監視員が常に駐在しているから怒られるな)
 その後、すぐに雑技を見に行った。劇場は既に一杯だった。チャンチィーが予約してくれていたので、すぐに入ることができた。値段は3000円弱。明かりが落ちて暗くなり、劇が始まった。
 男の演技と女の演技の二つのパフォーマンスが交互に入れ替わり立ち替わりで行われる。雑技としては、女性の方が妖艶で激しくて面白かったと思う(そもそも雑技をどうやって評価するのか僕は知らないけれど)。例えば、逸らせた自分の両足を、自分の頭の後ろに持っていきながら、お皿くらいの台に顔と顎だけを乗っけて体全体を支えるパフォーマンスは、見ているこっちが痛くなったくらいだ。
 
 他方、男の子の技が決まったときに見せる、小学生の学芸会のようなポーズは、何とも可愛い。彼らの演出は、オールドファッションでダサいなと冷ややかな目で見ながら、でも彼らは彼らなりにそれを真剣に演じているのだろうなと思うと、やっぱり「可愛い」という感情に落ち着くしかないのである。
 その後、中国の銀座と呼ばれる「王将井」に出かけて、中華料理を食べまくった。青島(チンタオ)ビールは激しく美味。軽くて薄くて飲みやすい。カンボジアで飲んだアンコールビールに似ている。ガブガブ飲めて、少し酔っ払った。きしめんのようなヌードルを食べて、ブタを食べて、豆腐を食べて……。
 そして、我々の旅行における汎用的な行動原理は、ここで確立した。
 「まぁ、もう誰にも一生、会わないんだから」
 「一期一会」を改変したと言い張る、某T居君によって生み出されたこの統一理論は、良くも悪くも、この後の旅行に大きな影響を与えることになった。「一期一会」でもう会わないのだから、だからこそ、いまこの瞬間に出会った人の人生にできるだけ関わっていかなければならないという美しいテーゼ。
 この原則は次のように我々(男だけ)を促した。「可愛いウェートレスを見たら、話しかけろ!」
 

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