ストックホルムを観光

 曜日、寒くなる前にと思い、ストックホルムへ旅立った。ウプサラとストックホルムは電車で40分と近い。だが、平日は1時間に5本くらいある電車も、休日になると2本くらいに減ってしまう。近くて早くて快適だが、電車代が高いのが難点。(往復で2000円以上。しかもストックホルム市内では、地下鉄は初乗りで800円以上する!)
 ストックホルムは、北のベニスともいわれる。湖に囲まれた、美しき水の都である。
              
               
              
 そもそも、なぜストックホルムがスウェーデンの中心地となったのか。その理由は明快だ。ストックホルムがバルト海とメーラン湖のちょうど入り口にあり、交易の要所だったからである。ここを通らなければ、メーラン湖に沿った豊穣な内陸部の町へアクセスができないのだ。
 ストックホルムの町そのものも、枝分かれした島々が密集して出来上がっている。たとえば、スウェーデンの国会はその建物自体がひとつの独立した島の上にできているし、グスタフ16世のいる王宮も島の上にできている。そこへ行くには橋を通っていかなければならないのである。
 観光の名所として有名なのは、その王宮があるガラムスタンという旧市街だ。昔ながらの建物がたくさん残っていて、狭苦しい小道はどこか風情がある。町の真ん中の大広場には、大聖堂とノーベル博物館がある。小奇麗なカフェに囲まれていて、観光客の多くがここで一休みをしている。
             
           
 ここが大広場で、目の前にある建物がノーベル博物館。ノーベル博物館はノーベル賞についての歴史と歴代受賞者に関する小事件などをまとめている。ノーベル賞の受賞を拒否した人が、のちに金銭的に困ってスウェーデンアカデミーに懇願したが、もう後の祭りだったというエピソードなどが見たり聞いたりできる。…まあ、正直な話、そこまで楽しくない。学生料金で1000円かかるし。
 ちなみにこの大広場は、1520年、「ストックホルムの血浴」と呼ばれる大事件があった場所だ。スウェーデンがデンマークを上位とするカルマル連合から独立しようと試みていたが、デンマーク軍の侵攻によりストックホルムを占領される。デンマークのクリスチャン2世は、スウェーデンに寛大な措置を与えるとして、貴族を集めて王宮でパーティーを催したが、突然、王宮の門が閉じられた。そして、その翌日、この広場にて次々と虐殺が行われた。こののち、地方に逃れていたグスタフバーサが、農民とハンザ同盟のリューベックとともにデンマークに反旗を翻すことになる。
                
 通常の観光コースでは、この後、小型フェリーに乗って、ユールゴーデン島に行く。僕はお金がもったいないので歩いて行った。ユールゴーデン島では、大きく二つの目玉がある。スカンセンという、中世のスウェーデンの伝統的な建物を集めて作られた野外博物館。もうひとつが、現存する世界で最大の、そして最古の海賊船が見られるバーサ博物館だ。
 残念ながら時間が足りず、すべて見て回れなかった。ここについてはまた次回訪れたときにでも書きたいと思う。ストックホルムは、歴史的な建造物が多くて見ていて飽きない。水のせせらぎを聞きながら、芝生で寝ころがれる大都市なんて、羨ましい限りである。ただ、同時にどこか殺伐とした印象を受ける。スウェーデン特有の機能的設計がどこか頭をもたげるせいかもしれない。
 また来よう。

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ウプサラ大学のサークル機能

 学に入学してすぐ、大抵の学生が直面する一大事に、サークル選びがあろう。入学式が終わってからの数日間、あの騒がしい新入生取り込み合戦を経ることで、大学に入ったと実感する人も多いかもしれない。サークルが大学の機能にとって良いか悪いかは別として、大学生活に欠かせないものとなっている。
 実は、スウェーデンにも似て非なる組織があるのである。その名をNATIONという。
 秋セメスターが始まるまでのオリエンテーション期間で、最も多く交わされる会話が「どこのNATIONに入るか決めたか?」。だから、NATIONを紹介するブースはいつもフレッシュマンで溢れかえるし、学生新聞もNATION特集を組んでいる。まさかスウェーデンに来てまで再びフレッシュマンの気分を味わえるとは思わなかった。なかなか愉快である。
 NATIONは全部で13つ存在する。もともと地方から来た人たちのための相互扶助の組織として作られたもので、その名前はすべてスウェーデンの地名から取られている。(慶應大学の似た組織でいえば、東北県人会とか九州県人会みたいなものだろうか)。
 UPPSALAの学生は、必ずどこかひとつNATIONに所属しなければならない。学生証も所属のNATIONごとに発行される。それぞれのNATIONはそれぞれ固有の歴史的な建物を持っていて、その中には、図書室や雑談ルームから、BARやPUB、ディスコ施設が整備されている。働いているのも、ほとんどが大学生である。交換留学生の多くもここで働いている。
 NATIONごとにも特色がある。例えば、STOCKHOLM NATIONは、何となく華やかなイメージのとおり、NATIONのなかでも最大のもので、ダンスやクラブ好きな人たちが多く集まる。僕が入ったのは、KARMAR NATIONというところで、規模としては中くらいといった感じ。
                
 (カルマルとは、14世紀から15世紀に生まれた、デンマークのマルグレーテ女王を君主としたスウェーデン・ノルウェーとの三国連合体のことをいう。僕は、ここの名前の持つ歴史が好きだったのでここに決めたのである。ちなみに、のちにグスタフ・ヴァーサの登場により、スウェーデンは独立を回復し、カルマル連合は消滅する。)
 来週はKARMAR NATIONの新入生歓迎会がある。そこでNATIONのなかの様々なアクティビティーが紹介される。写真クラブやカルチャークラブ、勉強サークル、スポーツクラブ、音楽クラブ、合唱クラブ。もちろん入らなくてもいい。もし他のNATIONのアクティビティーが魅力的だとおもったならば、そちらに入ってもいい。とりあえず、カルチャークラブくらいに入っておこうかなと考えている。
 NATIONの良いところは、留学生にも優しいところだ。スウェーデンのフレッシュマンも留学生にも、平等に開かれている(というか組み込まれる)。交流が促進されるように上手く仕組まれている。NATIONにとりあえず所属し、興味あるイベントやパーティーには参加し、あとは学問に打ち込む。大学のシステムとして理想的だと僕には思われるが、どうだろうか。

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ウプサラでの生活②

 ウェーデンといって真っ先に思い浮かべるものの一つが、IKEAではないか。日本にもいくつか進出している家具コンプレックスである。ここスウェーデンでは、「IKEAに行こう(ギャグ?)」はもはや日常語と化している(らしい)。僕の通うウプサラ大学のINTERNATIONALOFFICEでも、IKEAツアーがオリエンテーションイベントの一貫として組まれている。ニューカマーの留学生たちも、ここで様々な日用品をそろえるのである。
 バスを丸々貸し切って、シティーから少し郊外へ向かうと、巨大モールがいくつも立ち並んでいる。スウェーデンの国旗にもなっている青色に黄色の文字、IKEAと書かれた横長の建物が見えてくる。
           
 日本にあるIKEAに行ったことのある人はわかると思うが、とにかく広い。びっくりする。「このIKEAはスウェーデンではまだ小さいほうよ」と聞いて、さらにびっくりする。
 興味深いのが、写真にあるように、建物が一階しかなく横に長く伸びていることだ。お客さんは一方通行のようにして、机やイス類⇒パソコン周辺類⇒キッチン類⇒ベッド類⇒布団類⇒、そして、日用雑貨というように、その都度歩きながら必要なものをゲットしていかないといけない。「また戻るのはめんどくさいからとりあえず入れておこう」という感じで、どんどんカゴが膨らんでいくシステムである。
 こういうとどこか利益重視に聞こえるが、大きい荷物をカーで押しながら上に上がることなく進めるので、その意味で、機能的かつ合理的なシステムである。
 全部で、300Kr=6000円ほど買った。布団やブランケット、タオル、そしてコップが主だ。僕の寮には既に、フォークやナイフ、コーヒーメーカー、お皿、フライパン、そして寿司ローラーまで備わっていたので、それほど買うものはなかった。人によっては2万円くらい出して全部そろえる人もいる。
          
 IKEAの建物の真ん中には、IKEAレストランがある。かなり安く、いわゆるスウェーデンフードを食べることができる。写真の真ん中にあるのが、伝統的なスウェーデン料理、ポテトとミートボールwithラズベリージャムだ。食事はマズイと思っていたが、普通に美味しい。これが大体1000円。
 その帰りに町で、プリペイド携帯電話を買った。我らが北欧の一角・フィンランドが生んだNOKIAである。NOKIAがやはり強い。あとは韓国のサムソンもよく見かける。日本の携帯は、ソニーエリクソンが少し置いてあるくらいだ。残念ながら。
 値段は400Kr=8000円。この携帯の本体に、大学からもらったプリペイドカードを差し込んで、4000円くらいをチャージして入れてもらうと、普通に使えば30日使えるという。Eメールはないが、いわゆるショートメールなら問題なく使える。電話とショートメール。シンプルだが、これで十分だとも思う。
 こういう小さい町で生活していると、シンプルな人間になっていく気がして気持ちが良いのである。

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ウプサラの生活

 事、ウプサラに着いた。今日で5日目に突入。インターネットがすぐに使えなかったこと、公衆電話なぜか使えないこと、自転車がなかなか手に入らないこと以外は、特に問題なく進んでいるようだ。色々と書きたいことはあるが、まずは僕の住んでいる寮とその環境についてまとめておこう。
 ストックホルムから北上すること電車で40分。人口18万の大学都市・ウプサラがある。大学都市とであるとともに、ストックホルムへ通勤する人のベッドタウンでもある。こじんまりとした小さい街。
 そして、ウプサラのメインシティーから歩いて20分。僕の住んでいるekebyvagen(イケビーベーゲン)という寮がある。02年に建てられただけに比較的新しい、ヨーロッパ特有の赤茶色の綺麗な建物である。イケビーは4階建てで、1フロアに12部屋ある。1階と2階がスウェーデン人用で、3階4階が留学生用だ。僕たちのフロアはいつもパーティー状態で騒がしいが、スウェーデン人のフロアはいつも閑散としている。留学生と絡むことも少ないという。日本人と似ていて内向的らしい。
        
        
 
        
           
 部屋の中はかなり広くて8畳くらいある。部屋には、陽の当たる大きな窓、テレビ、ベッド、机とイス、本棚、鏡(前にいた人が置いていってくれた!)。しかもこことは別にバスルーム、専用のクロージングルームもある。シャワーは一瞬で熱湯が出てくるという優れもの。
        
 フロアの真ん中には、共有のキッチンとリビングルームがある。二つのキッチンは繋がっていて、六人で一つのキッチンを使っている。大きさは十分である。僕の3階に住む留学生は、ドイツ人が二人、フランス人が二人、オーストリア人が一人、ベネズエラ人が一人、アメリカ人が二人、リトアニア人が一人、ニュージーランド人が一人、韓国人が一人となっている。(70%が女の子)。
 何よりも素晴らしいのは、みんなフレンドリーで、しかも料理が上手なことだ。夕食はその場にいる人と一緒に作って一緒に食べることが多い。意外と料理には苦労しない気がする。ただ、つねに「ジャパニーズフードを作れ」と急かされているので、困る。自国の料理をいかに魅力的に披露できるかどうかでその人間の評価が決まることがあるとすれば、もう少し日本食を勉強してくればよかったと今更ながら、後悔している。数日過ごして分かったが、食は最強のコミュニケーションツールである。
 
 少し残念なのが、英語の新聞があまり手に入らないのと、値段が高すぎることだ。ヘラルドトリビューンが450円。とても毎日買うことができない。他の留学生は「インターネットで見ればいい」というが、新聞好きの自分としては割り切れないところだ。それにテレビも、ケーブルテレビのくせにCNNやBBCが入らなくて困る。10チャンネルくらいあるうちの半分くらいが英語で、スウェーデン語のサブタイトルが付いているが、ニュース番組があまりやっていない気がする。
 
 オリエンや準備で忙しい、というわけではないが、まったく勉強という勉強をしていない。9月1日から授業開始なので、これから大学の様子や授業の中身を紹介していければと思う。

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さよならだけが人生か

 さよならだけが 人生ならば  また来る春は何だろう
 はるかなはるかな地の果てに   咲いてる野の百合 何だろう

 さよならといえば、いつも寺山のこの詩の一節を思い出す。この詩は、井伏鱒二が和訳した「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」という(漢)詩に対する、寺山のアンチテーゼだといわれる。人生はさよならばかりだが、さよならしたって人間は必ずどこかでつながっているんだ、と。
 明日から、ついにスウェーデンに出発する。
 寺山のこの斬りつけるような別れの詩を、自分のスウェーデン行きと引き合わせるのは少し気が引ける。たった一年の留学で、行き先は地上の楽園。戦場に連れて行かれるわけでなく、死別でもなく、今生の別れでもない。さよならはさよならでも、帰るべき場所があって、帰ってくることがわかっているようなさよならは、さよならなんかじゃないからだ。
 だから、まったくもって悲しくない。驚くほど。不安もない。あるのは期待と好奇心のみ。
 だって、帰ってきたら、またいつでも会えるのだから。しかも、インターネットのメール、ブログ、SNSがあるから、いつでもどこでも繋がっているのである。いつでもチャットやIP電話だってできるし、どうしてさようならの悲しみが生まれるのであろうか。むしろ、いろんな話が聞けて楽しいじゃないか。
 さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません
 二度と会うことのない不可逆のさようなら、大いなるものに引き裂かれる不条理のさようなら――それこそが本物のさようならだとしたら、この時代に残されている本物のさようならは、「死」のみということにならないか。どこにいても時間差なく、リアルタイムでつながることができるこの現代に、「死別」以外の「さよなら」は、どれほどの重みを持っているのだろうか。

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アメトークの自転車芸人

 先日、久々に自転車に乗った。中学生の頃の移動手段はほとんど自転車だった。歯医者の帰り道、いつもは通らない道をまわって帰った。中学生以来6年ぶりに通る道は、昔とは違っている。畑がなくなり、アパートが新しくできていた。そういえば、自宅と駅の道しか歩かなくなっていたな。
 自転車に乗ろうと思ったのは、アメトークを見たからだとおもう。
 アメトークは、木曜日にテレビ朝日系でやっているバラエティー番組。毎週、ある決まったテーマについて一家言を持つ芸人が集まる。そして、各々の芸人がいかにそのテーマを愛し、いかに独自のこだわりを持っているかをプレゼンし合うのである。
 先週のテーマは、「自転車芸人」。自分の自転車がどのメーカーのもので、どのような特質を持っているか、いかに自転車(バイク)が彼らの生活で重要な役割を占めているか、満面で意気揚々と語り、そして二言目には、「お前も早くバイクに乗れ」と厚かましくもお薦めするのである。
 この厚かましさが何とも言えず好きである。毎回、見ていて微笑ましく感じる。
 「これは自分にとってこんなにかけがえのないものだ」。彼らは、自分たちの価値観を前面に出してわれわれ押し付けてくる。相手への気遣い無しにやってしまうと、単にウザイだけだが、これを論理的ながら熱っぽく語るところがまたよろしい。問題は、価値観の提示の仕方なのである。
 
 「マニアック」な集団の内輪的な雰囲気を、プロの巧みなお笑いの話術と、司会の雨上がり決死隊が絶妙なツッコミをすることで、「外」の素人とを上手く架橋していく。その微妙なさじ加減がなんとも絶妙ではないか。無理をしているお笑いは見ていて居たたまれないが、なんたって、やっている本人が誰よりも楽しそうなのだ。そりゃ、こっちもやってみたくなる。
 たくさん自転車に乗れると思うと、スウェーデンがまた楽しみだ。

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電子レンジでパスタ

 学の準備で大変でしょ、とよく聞かれるが、実際、そんな大変ではないのである。書類を書き、大使館へ行き、ビザを取り、寮の情報をもらい…これらも一瞬で終わっちゃったから特段やることはない。荷物を航空便で送ることくらいで、あとはやっぱり勉強の準備だろうか。
 寮の部屋は予想に反して新築で綺麗で、なんとシャワーとトイレがついている。ケーブルテレビもネット回線もある。なんという贅沢だ、と驚いていたら、家賃がかなり高いことが判明。寮といっても、普通のホテルで、ウプサラ大学が運営しているのである。
 家賃は一ヶ月で6万5千円くらい。食費は3万くらい掛かるし、もろもろの諸経費(テキスト代、クラブ活動、飲み会)を合わせると、一ヶ月で13万くらいかかりそうだ。ということは10ヶ月で130万である。うむ。これに旅行代を入れると、200万くらい行きそうだ。ありえん。
 必然的に、節約の対象は食へ向いてしまう。
 スウェーデンの学食は一食1000円以上するらしい。だから、みんなお昼のお弁当を作って持っていく。パスタを弁当箱に詰めるらしい。なかなかエレガントである。で、昨日、下北沢のヴィレッジバンガードを歩き回っていると、面白いものを発見した。電子レンジでパスタができる魔法のプラスティック箱。ふむふむ。さっそく800円で購入。麺を入れて水を入れてレンジでチンすると、麺がアルデンテ状態になっているらしい。スウェーデンで活躍しそうな気がする。

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アイデンティティーとしてスウェーデン

 っとスウェーデンのことしか考えていないので、人に会うと必ずスウェーデン留学の話をしている。いまや僕の口から出るのは90%くらいがスウェーデン留学の話題である。アイデンティティーの90%がスウェーデンというわけだ。毎日僕と会っている人はそろそろうんざりしてきたころかもしれない。
 これがアメリカやイギリスとかだったら、それほどでもなかったのだろうと思う。日本人にとって馴染みの少ないスウェーデンだからこそ、その未知の良さを語ることで、「そんな素晴らしい国に行く自分には先見性がある」ということを間接的にアピールしているのかもしれない。
 「スウェーデンを良く語ることは、自分の存在の大きさをアピールすることである」。
 これはやはりどこかで自覚しておかねばならないと思う。スウェーデンが素晴らしい=自分の存在が素晴らしいという認識を無意識に採用することで、スウェーデンでの学びにどこかでバイアスがかかり、あらゆる事象について良い面を抜き出して処理してしまう可能性がある。
 もちろん、注意はするつもりである。
 でも、注意するといっても、スウェーデンを良く語ることは自分のアイデンティティーに関わる問題である。自分をより素敵に見せたくない人がいないように、これから自分が1年間住むことになるスウェーデンをエレガントに描かない人はいない。良く描くなというのが無理な要求であろう。スウェーデンが今後、国際社会におけるプレゼンスを向上させ、世界における影響力を持つことになれば(ならないと思うけど)、当の自分が今後の(国際)社会で影響力を持つ可能性が高くなるからである。
 つまり、何が言いたいかというと、僕のブログにおけるスウェーデンは、みんな幸せに暮らしていて、自然に囲まれ、デザインが斬新で、森羅万象が素晴らしく、誰もが必ず訪れたくなるように描かれる可能性が高い、ということである。だから、僕のお話は話半分に聞いてくださいね、ということである。
 (このように書いておいて、真っ暗になる11月くらいには、やっぱり日本の方が良い国だ、スウェーデンはダメだ、と自分の部屋にひきこもりながら罵詈雑言を書き散らしている気がしないでもないのが怖いのだけど…果たしてどうなることやら)

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スウェーデンでのリサーチクエスチョン

 ウェーデンへの出発は8月20日。あと一ヶ月と少しに迫ってきた。そろそろ気合を入れて準備に掛からないといけないと思い、ブログデザインと題名をスウェーデンを意識して変更した。 一年という短期間の交換留学では、あっちで「何をやるか」よりもあっちに「行くこと」が大事だとよくいわれる。でもやっぱり明確にやるべきことを決めておいた方が効率的かつ充実に過ごせることは間違いないだろう。というわけで、スウェーデンでの「リサーチクエスチョン(仮)」を立ててみたのである。
 〇 スウェーデンの持続可能な福祉社会への取り組みを政治学的に眺める
 個別のテーマについては以下で述べるが、基本的にはやはり大きな枠組みのなかで、歴史的な流れをなかで次の二つのことを考えてみたいと思う。①福祉資本主義とは何か、②スウェーデンは質の高い民主主義なのか。もしそうだとしたらそれはどのような条件の下で可能となるのか。
 
 ①については福祉国家論の大家であるエスピンアンデルセンの理論を参照しながら、社会保障とは何か、なぜ国家が保障しないといけないのか、などの根本的な理解から深めてきたい。②については国民の政治に対する「信頼観」と「参加感」というものを、特に地方分権という視点から見ていく。
 たぶん、最初の三か月は全く英語がしゃべれないから死ぬほどもがき苦しむだろう。勝負はそのあとである。リスニングさえある程度できるようになれば相槌を打ちながら質問を打つことができる。だから徹底的にフィールドワーク、取材、インタビューに出ることが可能になろう。専門家はもちろん、市井の人に話を聞く。新聞社に行く。夜、公園で寝る(強制収容されるらしい笑)。スウェーデン在住の日本人にインタビューする。友人の家に入り込む。スウェーデンのグローバルカンパニーの人に話を聞く。
 〇 社会保障について ―年金、医療(介護)、子育て、教育―
 ☆ 年金制度
 スウェーデンの年金制度は順調に行っているらしい。最低ミニマム分を「税方式」で保障し、それ以上は所得比例という形で賄うスウェーデン方式。日本の年金制度もスウェーデン方式を参考に改定されつつあるが、スウェーデン方式を移植するときに果たして日本の現状にマッチングするのか。日本の現状にどう合っていてどこが齟齬をきたすのか。そもそも高負担を許容できる土台は何なのか(現在スウェーデンでは自由主義派が与党であり、高福祉に対して逆風が吹いている)。単なる制度論だけではないその土台の文化や慣習(英語ではlegacyと表現する)をしっかり観察したい。
 ☆ 介護と(障害者支援)
 家族による介護から「社会」による介護へ―。日本の介護保険制度もスウェーデンモデルをもとして作られた。スウェーデンの介護制度がどのように運営されているのか。どこが上手く行っていてどこに課題があるのか。ここらへんはスウェーデン以前に日本での制度自体がよくわかっていないのでもう少し調べる必要があるだろう。たぶん、介護ヘルパーの人が地元でいかにフレキシブルに働けるのかという「地方分権」的な視点から、協同組合やNPOなどを参照しながら、見ていくのが良いと思う。
 ☆ 子育て
 子育てについては国からの手当て(公的負担)はもちろんのこと、女性の社会参加がどれほどのものであり、男性の育児参加がどれほどなのか、というところを調べたい。(たぶん後者の方をいかに改善するかが今後の大きな問題なんだろうと感じる)。スウェーデンでは公的機関では男女は同等のポストを与えられているが、民間ではそれほど進んでいないと聞くからだ。スウェーデンのなかでも特にグローバルカンパニーに焦点を当てて、男女の雇用環境を眺めてみると面白い気がする。
 ☆ 教育
 上とやや被るが、人生前半の社会保障の中核である教育。教育では「手当て(公的負担)」の問題や授業内容ももちろん見てみたいが、特に①教育の地方分権度と、②大学の役割について興味がある。特に後者の大学については日本とはかなり異なるであろう。留学に行かれた方はご存知かもしれないが、あっちの大学生の多くは社会人だという(半分くらい)。
 それはなぜかというと大学が「生涯教育」(専門的技能や能力)の場として位置づけられているからである。一度社会に出ても、やる気があればいつでも学び直すことができる。これこそ競争原理の公平性を担保するプラットフォームではないか。もしこれがスムーズに機能しているとしたら本当に素晴らしい。日本の大学生は残念ながら多くなり過ぎたかもしれない。どうせ遊ぶために大学に来るんだったら、高校卒業段階で働いてもらうべきだ。その中でまだ学びたいという人がいるのであれば、そういう学びの環境を提供できる仕組みを作ればいい。その点、高校の「職能化(専門学校化)」も本気で考える必要があろう。具体的には、6、3、3制をどのように改変できるのか色々と検討してみたい。
 〇 環境について
 ☆ 炭素税
 スウェーデンは90年代から炭素税を導入している環境先進国である。日本でも環境税の導入が検討されているが、それをどのように組み込んでいくかが議論の焦点となっている。スウェーデンの場合は、電力会社のCO2排出に炭素税をかけているが、その税が企業の競争力を落とさないように川下(家庭)の段階で価格転嫁ができるような仕組みをとっているらしい。あるいは炭素税を入れる代わりに既存の雇用保険などの負担を下げることで「税収中立(エコロジカル税制改革)」をとったりしている。(たぶん、もっとも大きな問題は電力会社のような独占的企業ではない鉄鋼や科学メーカーがどれほど価格転嫁が可能なのか―価格転嫁すると他の企業に負けてしまう―という点であろう)
原子力発電所
 スウェーデンは80年代に国民投票により、それ以上原子力発電所を作らないことを決めた。つまり、時点で存在している発電所が止まれば2010年に原発はなくなるのである。ただ資源高騰や地球温暖化の問題で、今また原子力発電所必要性の議論が活発化している。ちょうどいいタイミングなので温暖化の国別目標の問題と絡めながら注視していきたいところだ。
 ☆ 農業とコミュニティー
 スウェーデンと日本の共通点はなんといっても、国土に占める森林割合が高い(6~7割)ということだ。でも日本は世界有数の森林国なのに林業が盛んではない。なぜか。ここらへんはあまり調べていないので推測だが、やはり、国の補助金政策などに戦略性がないのではないか。特に、林業に焦点を当てながら、スウェーデンの政策を見て行きたい。
 〇 スウェーデンのメディア・ジャーナリズム
 スウェーデンは「プレスの自由」や「情報公開」でも評価が高い。中でも有名なのは、犯罪報道における「匿名報道」だろう。スウェーデンでは、原則として、犯罪を犯した人を実名で公開することはしない。犯罪は「刑法」によって裁かれるべきであり、マスメディアによる「社会的制裁」をしてはならないからだ。でも、日本では「実名報道」が原則とされている。なぜなら匿名報道では警察や当局による隠ぺいが生じやすく、権力の監視ができないからだというのが主な理由である。スウェーデンでははたして匿名報道はどのように機能して、どのように一般市民に受け入れられているのだろうか。
 〇 スウェーデンの外交政策―特に紛争地域における平和構築―
 スウェーデンは歴史的には「中立」政策を維持してきた。それが変わったのは第二次大戦後、国連という枠組みができてからである。特に、スウェーデンの英雄、ダグ・ハマーショルドが第二代国連事務総長に就任し、スエズ危機をきっかけに国連緊急軍という今のPKOの基礎となるものを作ったのちは、スウェーデンも中立政策を変容させながら、国際社会に積極的にコミットするようになった。
 スウェーデンがどのように中立から多国間協調に変わっていったのかを、ハマーショルドという人物に焦点を当てつつ、彼の世界への影響というよりも、スウェーデンに対して与えた影響という点に重きを置きながら見ていく。最終的には現代の紛争にどのようにコミットしていくのかについて考えたい。

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早起きは三文の得なり

 型人間になるためには如何すべきか――それは簡単で、映画をレンタルしちゃえば良いのである。
 お金を払って借りた映画は必ず鑑賞されねばならない。未見のまま返却してしまえば自らの金銭的放漫及び計画性欠如を眼前に露呈することとなる。これ多大なる苦痛なり。よって、かくなる自己の良心の痛みを逆なる推進力として、朝は可及的速やかに起床されるべきなのである。
 それら詳細なる理路は次のものとなろう。
 夜中に映画を見始めると就寝の時刻が遅くなる、必然の理として、翌朝の目覚めの時刻も遅くなる。これはウェイストオブタイムと言わざるを得ない。時間を有効に使うためには、夜は遅くとも0時にはベッドに入る。そして朝はその日に返却しなければならない映画(しかも英語字幕で英語の勉強も両立できるもの)を見るために5時に起きましょう、と。
 5時に起きることで、さらなる余禄として次の生活リズムが期待できる。7時半に家を出てミスタードーナツで読書をしつつ9時半に電車に乗って(座席に座って40分間寝る)大学へ向かう。そして11時、メディア(図書館)の5階のよく陽が当たる図書館情報室という空間でひとり読書に耽る――。早起きは三文の得、朝を制する者は一日を制するのである。
 さて、このレンタル映画的ウェイクアップの眼目は、1日に1作品を借りて、翌朝に「当日返却」されることである。「当日返却」とはその日に借りたレンタル品を、当日と称してその翌日の朝10時までに返せば良いという、誠に消費者至上主義的な制度のことである。
 ここで注意されるべきは、「一週間5本セット(で格安)」という狡猾かつ老練なバーゲンを利用してはならぬということである。お得セットで一週間の猶予を設けてしまうと、「明日二つ見ればいいや」というような、自らに言い訳を作ることに躍起になってしまうからだ。それは、このレンタル映画的ウェイクアップの根幹目的である「早起き」を骨抜きにしてしまう。
 あくまで、その日の夜に「当日返却」で借りた作品を、翌朝5時から見ることが肝要なのである。

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「若者のすべて」と「ラストフレンズ」

 キーノヴィスコンティーの『若者のすべて』(原題ロッコとその兄弟)を見た。
 成功を夢見てイタリアの南部から都会のミラノに出てきた家族6人(母と息子5人)。兄シモーネは、お金を稼ぐためにボクシングを始める。弟のロッコ(アラン・ドロン)は服飾の仕事に付き、4男のチッコは学校で勉学に励む。毎日は順風満帆に、ゆっくりだが確実に前へと進んでいた。
 そんな平穏を破滅へと導くことになったのは、ある女(ナディア)の出現だった。
 ナディアに熱を上げるボクサーのシモーネは、練習をサボり、デートに明け暮れ、有り金をすべてを彼女につぎ込むようになる。その後、奔放な性格の彼女が彼の前から消えてしまうと、シモーネはボクサーとして落ちぶれる。その数年後、弟のロッコが彼女と再会し、今度は二人が恋に落ちてしまう。そして仲の良かった兄弟の間に、少しずつ亀裂が広がっていく。
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 この映画を見て思い出したのは、フランシス・コッポラの代表作『ゴッドファーザー』である。
 ゴッドファーザーは、イタリア(シチリア)のマフィアの話であるが、その壮大な物語のテーマは「いかに家族を描くか」―家族の一人ひとりの特徴をどのように浮かび上がらせ、その個性がどのように衝突し合い、どのように家族が変容していくか―であった。
 南欧とアジアというのは、世界的にも家族主義が強い地域として知られる。例えば、公的な社会保障制度が出来るのに時間がかかったのは、「カトリシズム」と「儒教」という違いはあるにしろ、ともに個人主義よりも家族主義の思想が強かったためである。
 ただ、家族主義と一口でいっても、日本映画とイタリア映画では質的な違いがある。
 イタリア映画では家族内の対立や齟齬に迫力がある。単なる「親」と「子」の垂直的な関係でのぶつかり合うというよりも、「兄弟」における横の関係をすべてひっくるめてぶつかり合う。日本の家父長的な「父」と「子」の対立だとすると、イタリアの映画では家族対立の幅が広い。ヴィスコンティーのこの映画は「兄弟間」の対立を上手く描き出している。
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 こういう昔の映画を見ていると、「いまの日本でこのような家族を描くことは難しい」と感じる。それは別に我々の感性のレベルが低下したからではなくて、ただ単に「家族そのものが無くなった」からである。時代が流れ、家族の形が変わり、家族が消え去った。
 そういう「家族無き時代」を象徴するものとして、フジテレビのラストフレンズがあったように感じる。
 ラストフレンズでは、ドラマの登場人物が皆、トラウマを抱えており、そのトラウマのほとんどが「家族の失敗」から生じたものとして描かれている(ルカ以外)。このドラマは、冷淡なほど「家族」に価値を示さない。それどころか、「家族」=「悪」が前提とされている。ドラマの舞台が「シェアハウス」なのは、そのことを象徴している。登場人物の「トラウマ」は「家族」ではなく、「友達なるもの」で修復される必要があったのだ。
 最終回で、妊娠状態のみちるを見捨てて男と引っ越していく母親。その母親の代わりに銚子にまでみちるを助けにくる友人タケルとルカ。そのときタケル君はこう言う。
 「みちるはどこかで幸せに暮らしているかもしれない。でも、もしかしたら泣いて助けを待っているかもしれない。どっちかわからないけど、とりあえず探しに行こう」。
 ラストフレンズでは、ある意味でリアリズムが貫かれていたと感じる。
 もう昔のように「家族の復権」を叫んでも意味がない。時代は流れ、昔には戻れない。だったら、現在ある資源のなかで最後の砦となれるものは何か――それは「節度のあるお節介な友人(ラストフレンズ)」だ。おそらく、原作者には無意識のうちにそのような思いがあったのではあるまいか。
 「節度のあるお節介な友人」とは形容矛盾だが、実際に、タケルとルカはそんな存在であった。
 長い時間をシェアーハウスで過ごしてきた友人であっても、言えないことはある。だからそこには深く立ち入らない。それでも、友人が彼らの前から姿を消そうとすると、彼らはお節介とは分かりつつも「強制介入」を試みる。現在の「家族無き時代」には、友人による「節度あるお節介」が必要なのかもしれない。

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いまこそ教育支援を

 ょっと真面目に、「教育振興基本計画」について述べたい。
 政府の財源に関わるニュースでは、どうしても「資源高騰」「物価高」「食糧危機」、「社会保障(高齢者医療)」や「アフリカODA(政府開発援助)」、そして最近では「地球温暖化対策」のネタに傾きがちで、「教育費の問題」について報道してくれるテレビニュースはほとんど見ない。(ただ新聞では、長いスパンで地道にこの話題を取り上げていると思う。今日の朝日の社説にも載っていた)。
 さて、日本は先進国に比べてODPにおける教育費の公的負担割合が低い。先進諸国並みの5%に上げるべきである(現在は3.5%ほど)。正規の先生が少ない。総務をやる人がいない。この部分をもう少し財源として手厚く支援していくのである。
 そもそも、教育基本法が改正されたのは、必ずしも「愛国心」の項目を明記したかったからではない。教育基本法のなかに「教育振興基本計画」という項目を第17条に規定して、それによって教育財源確保を計るためだった。しかし、いざ教育振興基本計画を作ってみたところ、結局、財務省の反対で、国家レベルとしては教育財源の出動は行えないというのだ。
 もちろん、先進国レベルまで公的予算を増やせといっても、そこには国ごとに文化や慣習などの違いがある。2000年まで日本は40人学級(40人に先生一人)を基調として行ってきた。他の先進国との比較では、日本は先生一人当たりの生徒数が多かったというデメリットはあったが、一方で、授業研究や教材研究に当てる余裕は多かったというメリットも指摘されている。
 今の現場は、上からの報告書などの雑務が増えて授業や教材研究の時間が割けない。教員の数を増やさずに教員一人に対する生徒の数を多くしている(少人数教育などのきめ細かい指導の導入)ため、教員の負担が増えている。教員の資源が変わらないにも関わらず、もっときめ細かい授業をしろというのは単なる精神論であり、そもそも無理な要求ではないか。(ところで、安西塾長も文科省の審議会で、特に高等教育の文脈を含めながら「基本計画に増大を明記せよ」と訴えていた)
 
 自分としては、教員の数を増やすことが何よりも先決だと思うが、もしも「ダメ教師を増やしたところで効果はない。一度増やすと簡単に解雇できないから無理だ」というならば、文科省ももっと違うやり方で、戦略的に支援策を練っていくべきだろう。例えば、教育支援を行っているNPOや社会起業家して補助として財源を出動させ連携して学校に関わってもらう、とか。
 後期高齢者医療はたしかに大事だが、そもそも支える若者がいなければ成り立たない。アフリカ支援を拡充することは必要だが、平和ボケして何も考えない若者が増えたときに日本もその重さに耐えかねて沈没してしまう。持続的に生き残るためにはやはり知的水準を世界標準よりも高く維持する必要がある。いま真に求められているのは「人生前半における社会保障」(広井良典)であろう。

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