スウェーデンの紅葉も終わり

 回、この時期のスウェーデンは風邪を引きやすいからお薦めしないと書いたが、実はやっぱりお薦めしたい。というのも、スウェーデンの紅葉のピークがこの10月の中旬から下旬にかけてだからである。雲ひとつない快晴の空の下に、きらめく真っ赤な紅葉。これはやっぱり素敵である。
       
                                       (10月17日)
 こっちの紅葉の期間は日本に比べれば比較的に長い印象を受けたが、ほんとうに葉っぱが真っ赤になるピークのそれは日本と同じく短いようだ。実際、ここ2日のうちに多くの草木は緑色へと変身してしまった。短い短いの秋の終わり。そして長く厳しい冬の到来―。ここらへんの「いとはかなし」の心情は何となく日本人のそれと似ている気がする、なんて思う。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 2件のコメント

スウェーデンで英語を使っていて思ったこと

 のコリドー(学生寮)の住民たちは、ほぼ毎日のようにリビングルームで映画を楽しんでいる。冗談ではない。ほんとにほぼ毎日である。(しかもときどき二本立て)。「こやつら、なんでそんなに暇なんだ?」と思うと同時に、「なんでそんなに映画を持っているんだ?」と不思議に感じたものである。
 そのスウェーデン人に聞いてみると、「PIRATE BAYにアクセスすればいい」といわれた。調べてみると、PIRATE BAYとは、スウェーデン発の世界的に有名な違法ダウンロードサイトのこと。ITリテラシー大国のスウェーデンでは、学生のほとんどがネットを介してコンテンツをゲットしている。
 ちなみに、近年の総選挙では、ネットコンテンツの無料化を掲げる政党が立候補して話題を呼んでいる(比例代表制のスウェーデンでは全体の4%の得票率に達しない政党は議会に認められないので、もちろん、彼らが入ることはないのだが)。
 スウェーデンで生活をしていて改めて痛感したのは、自分のITリテラシーの低さである。海外の学生はITに関する知識が半端なく豊富で、有益にハイテクノロジーを使いこなしている。日本では標準レベルくらいに思っていた自分だが、世界標準からすればまったくのチャチであった。
 映画はネットでダウンロードして見る、ニュースに関してもポッドキャストを利用してMP3プレイヤーで聞く。電話もパソコン同士でスカイプ(ちなみにこれもスウェーデン発のシステム)を利用するから無料。固定電話へ掛けたい場合もパソコンから一分3円で電話できるから、みんな自国へはスカイプで電話する――これは日常風景である。
 また授業のIT活用に関しても、進んでいる。たとえば、ある授業を履修すると、データを一元的に管理しているサーバーからメールが送られてきて、自動的に、その授業専用のサイトに組み込まれる。そこでは、パワーポイントや文献が随時アップされるだけでなく、自分の提出物もそこにアップする、そして参加者全員がシェアーして閲覧できるようになっている。
 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 もう一つ発見したことがある。
 海外のニュースサイトを見るようになり、「ポッドキャスト」なるものを利用するようになったのだが、そのウェブサイトの多くが情報をほぼ無料で惜しげもなく提供しているのである。(ポッドキャストとは、そのサイトに登録しておくと、そのサイトの情報が更新されたときに自分のコンピューターへと自動的に配信されるシステムのことである)
 たとえば、ECOMONISTにしても、CNNにしても、BBCにしても、そのサイトにいきさえすれば、紙面だけでなく、ビデオとオーディオサービスにアクセスすることができる。それだけでなく、多くの学術紙も無料オンラインでゲットすることができるし、カーネギーカンシルCFRといったシンクタンク組織も、非常に高度なコンテンツ(分析)を無償でアップロードしている。
 特に感動したのは、BBCの気前の良さである。とにかくラジオがすごい。いつでもネットを開けば、BBCのラジオがオンラインで聞けるようになっているし、そのコンテンツの量と質もかなりのものである。いわゆる一般的なニュースから、アフリカだけのためのニュース、果てはコメディーまであらゆるジャンルに射程が延びている。ちなみに、僕のお気に入りは、BBCランゲージのなかの「6minutes English」や「Talk about English」、「MY Correspondence」、「Documentary」である。
 残念ながら、日本との落差は大きいといわざるをえない。たとえば、NHKのホームページを開いてみても、オンラインで入手できる映像・ラジオコンテンツはほとんどない。日本人は海外にもたくさんいるのに…。せっかく良い番組を作っているのだから、もっと公開してほしい。特にラジオに関しては二次利用の機会が少ないのだから、コピーライトを気にせずに公開できるのではないか、とも思う。
 日本のメディアは、日本語という最強の障壁に守られているため(英語がわからないため)、海外との競争がない。だからサービスを向上しなくても、やっていける。海外メディアは世界共通言語である英語を使っているために、あらゆるアクターとの競争を強いられる。だから、ライバルに負けないためにオンラインサービスへも出て行かざるを得ない。
 その結果、英語が使える「消費者」は、あらゆる種類の情報サービスを享受することができる、というわけだ。とっても簡単な話であるが、英語の苦手な日本人には残酷無情な話でもある。単に英語ができるというだけで情報の取得に関してかなり幅が広がってしまうのだから。
 ……と、英語バンザイのような話をしてきて恐縮だが、結局のところ、何にアクセスするかは自分の意思次第だということは付言しておかねばならない。たとえ選択肢がたくさんあったとしても、アクセスする意志(「学ぶ意志」と言い換えても良いだろう)がなければ、単なる宝の持ち腐れだからだ。英語云々よりも学ぶ意志に関する問題のほうがもっともっと大事ではないか、と思う。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 8件のコメント

風邪を引いた。

 の10月と11月の時期はスウェーデンでももっとも体調を崩しやすいシーズンだと、薬学部に通うスウェーデン人の友達が言っていたことを思い出したが、これはもう後の祭り。咽喉を痛めて、フラフラしながら、ここ一週間ほど過ごしていた僕である。
 
 スウェーデンでは、いわゆる「医薬品」は「APOTEK」という国営管理のお店でしか買うことができない。残念ながら、マツモトキヨシのような便利な(半)薬局はこっちにはない。わざわざダウンタウンまで行くのは面倒なので、日本から持参してきた「パブロンエース」と「エナジードリンク」と記された(レッドブルにそっくりの)ドリンクを飲んで急場を凌いでいたが、まだ回復には至っていない。なかなかしつこい病原体である。
 10月は季節の移り変わる時期。太陽の光が消えていき、気温が下がり始める。しかも11月は雨が多いという。この時期にスウェーデンに来ることはお薦めしないのである。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 2件のコメント

深呼吸をした土曜日

 日、ひょんな紹介からパトリックというスウェーデン人と知り合いになった。僕と同じイケビーべーゲンという住所に住んでいる、徒歩0分のお隣さんである。パトリックのガールフレンドは日本人で、今月の末にスウェーデンに引っ越してくる予定だという。日本人の友達を探していたというので、ぼくにとっても嬉しい出会いであった。
 今日、その彼が車(HONDA)でシグトゥナというところへ連れていってくれた(僕が今まであったスウェーデン人はみんな親切だが、彼も例に漏れずすごく親切なのである)。
 シグトゥナはウプサラとストックホルムの間に位置する、歴史のある古い町である。ここでの目玉は、ヨーロッパでもっとも小さいといわれる市庁舎、そして今は石と化してしまった古い教会である(追加・13世紀に建てられたらしい)。特に、教会の亡骸はどこか悲しげで、目を引く。小高い丘の上に立っているためか、その悲哀はなおさら余計に感ぜられる。
       
 夜ご飯は、彼と一緒に、ウプサラで一番有名な寿司・「YUKIKOSUSHI」をテイクアウトして食べた。スウェーデンに来て始めての寿司であったが、予想よりもかなり美味しかった。いくら、まぐろ、いか、白身、サーモンなどを含めた9貫で、1500円(90KR)。スウェーデンのなかでは、かなり良心的なほうだと思われるが、いかがだろうか。
       
 そのあとは、パトリックのお薦めの「深呼吸の必要」という日本の映画を見た。
 6人の若者が、サトウキビの収穫期に沖縄の農家にワーキングステイをするお話。見渡す限りに広がるサトウキビが少しずつなっていくさまが、漠然とした不安を振り払うかのように必死にサトウキビを刈っていく若者の姿と絡めて丁寧に描かれていた。現代は働くことの意味を失いつつある。この映画では、若者たちは実際に身体を動かすことでそれを取り戻そうとしている。忙しく生き過ぎている人達に見てほしい作品である。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 2件のコメント

スウェーデンのホッケー

 プサラに来たばかりの頃のことだ。何かしら運動したいと思って、スポーツサークルを探しているとき、スウェーデン人の友人に「一緒にバンディーやらないか」と誘われた。バンディ?それはどのようなスポーツかと尋ねると、英語では「フロアーボール」だという。僕がまだ要領を得ない顔をしていると、彼は手を左右に振り回しながら、ホッケー、ホッケー、という。
 そう、バンディーとは、体育館で行うホッケーのことである。アイスホッケーの「アイス」がないバージョンと考えてもらえれば、わかりやすい。北欧諸国において最も人気のスポーツの一つで、よくテレビでも放送している。多くのスウェーデン人も小さい頃からスティックを持って遊んでいるらしい。
      
             
 やってみると、かなり単純なスポーツだ。つばの先が微妙に右に曲がっているスティックを両手で持ち、小さいプラスティックボールを上手に運びながら、相手のゴールに叩き込めばよいのだ。アイスホッケーのような重厚な装備も必要ない。小さいゴールとスティックとボールと人間がいればできる。もちろん、かなりの運動量は必要とされるが。
     ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 バンディーはバンディーで面白いのであるが、それよりも、僕にとって興味深かったのは、このバンディーが21時から始まることだった。このことを最初聞いたとき、「ほんとに!それ遅くないすか?」と、つい日本語で言ってしまいそうになるくらい、ちょっとなにそれ、という遅い時間帯である。
 だが、それはウプサラ大学では全くもって普通のことである。
 先日、参加したサッカークラブも、22時から23時までだった。また、夏の間(ほぼ白夜)であれば、恒例の24時キックオフというサッカーイベントがFLOGSTAという最大の学生寮のそばで開かれる。日本では味わえない、学生町ならではの光景といえようか。
 ただ、少し残念なのは、このスポーツ活動は他の人との交流を深めるにはあまり役に立たないということだ。というのも、このバンディーが終わったあと、これに参加した人たちは、スウェーデン人を中心にして、そそくさと足早に体育館を後にする。彼らにとっては「バンディーをする」ということがこのコミュニティーの目的(テーマ)だから、その用が済んだらさっさと帰ってしまうのである。
 このような振る舞いは日本人には少し奇異に見える。日本では、何かしらの運動のあとには、「それじゃあ、ちょっと一杯行きますか」的な雰囲気になるのが普通だろう。ジムで運動して、それが終わったらすぐ帰るというようなビジネスライクな感覚は、たしかに少し冷たく見えるかもしれない。
 だけど、これはコミュニティーの在り方が違うから仕方ない。
 むしろ、僕にとってはこっちのクラブ活動のほうが肌に合っているといえる。こっちのクラブ活動は、NATIONという自分の所属している団体ごとに開かれているのであるが、もし希望すれば所属していない他の団体のスポーツ活動へも参加することができる。だから、僕の参加しているバンディーも毎週のようにメンバーが入れ替わる。誰でも(大学生以外でも社会人でも)いつでも参加できるのだ。
 これが日本の場合であれば、サークルの同質的かつ排他的性格と戦わなければならない。たとえば、3年生になってからテニスをしたいと思っても、テニスサークルに「今からテニスをしたいので入っていいですか」とは言いにくいし、「新聞の記事を書きたいので今から塾新入っていいですか」とは言えない。「お前、いまさら入るのかよ、空気よめよ」という無言の圧力が彼には降りかかることになる。
 悲しいことである。
 このような事情は、丸山真男が日本社会を「タコツボ型社会」と形容したころから変わっていないと思う。それぞれの組織が開かれた共通のドアを持つことなく排他的に閉じていて、派閥化しやすい。「タコツボ型」とは、なんとも本質を突いた表現を使ったものだ。
 いくらスウェーデンのコミュニティーが自我を包み込むような、包容性を持たない冷たいものであったとしても、逆の意味での風通しの良さ(オープンネス)を思えば、冷たいとは感じない。むしろ、なんと合理的なのかと感心してしまう。日本の皆さんがどう思うかはわからないが、これは半分くらいは本当のお話である、と思う。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | コメントを残す

名前を書いてはいけません

 「こに書いてあるあなたの名前を消してください。」。
 スウェーデン・ポリティックスのテストの解答を終えて、試験官に答案用紙を提出しにいったときのことだ。よく状況がつかめず目を丸くしてポカンとしていると、彼女はイラついたように、ボールペンで僕の名前をグリグリと上から消し始めた。
 「だから解答用紙にはあなたの名前を書いてはいけないのです。こうやってしっかり消してください、あなたの先生が採点をするときに誰が解答したのかわからないように」。顔を上げながら、にらめつけるように彼女は投げかける。
 ここに来てようやく合点がいった。
 配布された解答用紙には、つい無意識のうちに自分の名前と学籍番号を書いてしまった。だが、ここウプサラ大学(の政治行政学の試験)では、答案用紙には自分の名前は記載してはいけない。それはなぜか――先生が学生の名前を見て採点を変えないようにである。
 これはなかなかびっくりの徹底ぶりである。
 「出席番号と名前が書いてあるかちゃんと確認してください」といって試験を終わらせるのが、日本における試験の日常風景だった。名前を書き忘れたら0点だと脅されて育ってきた自分にとって、この名前を書いてはいけないテストは革命的な出来事であった。
     ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 でも、少し考えてみると、これは当たり前のことではないか、とも思う。
 いくら先生といっても、ただの人である。いつも一番前で熱心に参加している学生の名前を見たら、良い点数を与えたくなるのは人情というものだろう。そういう恣意性をどれだけ排して平等なジャッジができるか――匿名でテストの採点をするというその徹底ぶりは、スウェーデンが大学の学問というものをどれだけ大切にしているかを象徴していといえる。
 スウェーデンでは、大学を卒業したらそれはある種の能力(資格)が備わっていることを示す。法学部を出れば弁護士に、医学部を出れば医者に、教育学部を出れば教師に、ジャーナリズムスクールを出ればジャーナリストに――というように、大学で学位を取得すればある一定の能力が身についているとみなされる。だからこそ、大学はそこで学んだ者がそれだけの能力があると証明できるよう、常にその質を担保していないといけないのである。
 このような実学思想(機能主義・資格主義)は、日本の大学にはない。たとえば、日本における学位はほとんど何の意味ももたないことを考えればよい。
 政治学科を出たからといって政治関連の職にすぐに就けるわけではない。法律学科を出たからといって弁護士になれるわけではない。経済学部を出たから経済のプロなわけでもない。それを学んだからといって、で、何なの? というのが日本の大学のほんとのところである(だから、「何」を学んだかではなく、「どこ(大学名)」で学んだかが未だに大事にされてしまう)。
 スウェーデンの大学では、どの先生が授業を受け持ったとしても同じ内容でなければならない、ということが前提とされている。学ぶべき最低ラインは教授による話し合いによって決められる。日本では、教授が自分の専門分野にひきつけて授業を展開することがほとんどである。だから、たとえば同じ「政治学基礎Ⅱ」の授業を受けたとしても、先生によって読むべき本も学ぶ内容も全く異なってしまう。政治学の学位を持っているといっても、その内実は人によって千差万別なのである。
 大学が現実社会とリンクして動きすぎることは悲しいことであるが、日本の大学がこれまであまりにも社会と乖離しすぎたことは事実だろう。スウェーデンの大学を見ていると、日本のそれがギルド的に閉ざされていて、学生を「教育する」という役割を果たしきれていないように見える。良い意味での実学思想をもう少し注入しないといけないな、と感じる今日この頃である。

カテゴリー: スウェーデン, スウェーデン(政治・社会) | 15件のコメント

スウェーデンで走ることについて僕の語ること

 、寮の友達とジョギングをはじめて1週間が経ちました。毎日だいたい6キロくらい走っています。スピードはゆっくりなのでスタミナが切れることはありませんが、最初のころは足が重く上がらなくて苦労しました。でも、ようやく慣れてきたようです。
 高校生のころは少林寺拳法の道場に通っていましたし、週に三回ほどある体育の時間には走る機械も多くありましたが、大学に入ってからはほとんど運動という運動をしなくなりました。運動は時間のムダ、とまではいかなくても、別になくてもよいもの、くらいに考えていたのかもしれません。ここで走りはじめた理由を思い浮かべると、やはり自然の素晴らしさかな、という気がします。
      
 ウプサラは小さい町です。センターから少し離れると森が広がっています。日本で「森」というと、「山」のようなイメージを浮かべるかもしれませんが、こっちでは少し異なります。平地が広がっていて高い山は見当たらないからです。むしろ、日本語の感覚からいえば、「森」ではなく、「林」として思い浮かべた方が正確だと思います。国土に占める森林面積が70%弱という点からみると、日本とスウェーデンは自然に囲まれている国といえますが、「林」という形で自分たちの生活圏の隣に自然が存在するという点では、日本よりもスウェーデンのほうが自然は身近なものなといえるでしょう。
 その風景からは、まわりに高い建物や山がないため、空がどこまでも広がっていくような印象を受けます。
 村上春樹が、「走ることについて語るときに僕の語ること」というエッセイのなかで、走ることの理由について「空白を獲得するために走っている」ということを書き綴っていました。彼の言うとおり、このウプサラの平原を走ることは「空白」になることです。自然と一緒に、自分もその一部になって走る感覚は、ただ単に気持ちが良いものです。「生産性」、「効率性」、「意味」、「無駄」とか、そういう近代の合理的な枠組みをぶち壊すくらいに、その魅力は強烈です。
          ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 
      
 先日、寮の友人とキノコを取りに森に行きました。いまの秋の時期はキノコ取りのシーズンのピークです。森のなかに入ると、袋を持って彷徨っている多くの家族連れの姿が目につきました。僕の目にはどれが食べられるキノコなのかさっぱり判別不能でしたが、彼らは独自の嗅覚で素早くキノコを見つけ、取っていきました。スウェーデン人に聞くと、キノコ取りは毎年のユージュアルなイベントだそうです。「なんでスウェーデンでは自然がこんなに身近なの?」とたずねると、困ったような顔で、「カール・フォン・リンネがいたからじゃないか」と返されました。
 ぼくの大好きだったアニメ・「ドラえもん」の世界では、「じゃあ、学校の裏山で集合しよう!」という会話が日常的に交わされていました。日本の都会でも森に入ることは珍しいことではなかったように思います。ときどき裏山が開発によって取り壊されそうになるエピソードが出てきますが、新しくなった「ドラえもん」でも、あの裏山はまだ残っているのでしょうか。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 2件のコメント

留学して一ヶ月経ったけれど。

 ウェーデンに留学してから早くも一ヶ月が経過しました。まだ何にも学んでいないのに、というのが正直なところです。生活を始めたばかりのころは、慣れるまでには時間が掛かるからと思って自分に甘くなっていたかもしれませんが、もう一ヶ月が過ぎました。もう自分に言い訳はできません。
 なにがって。もちろん、語学です。
 日本人留学生の一番の悩みといえば、英語が上手くしゃべれない、聞き取れない、書けないことでしょう。僕はその典型的な留学生のひとりです。こっちでの生活が一ヶ月経過して感じ始めたのは、おれの英語力、ぜんぜん伸びていないじゃん、ということです。自分の実感として、リスニング力が上がったとはとても思えませんし、スピーキングに関しては単なる単語の羅列に留まっています。悲しかったのは、reallyという言葉を何度言っても通じなかったときです。
 スウェーデンは日本人の留学生にとっても優しい国です。スウェーデン人は日本人にとって非常に聞き取りやすいクリアーな英語を話します。授業での先生の言葉はほとんど全部聞き取ることができます。むしろ、僕の先生は遅すぎるくらいです。だから、多くの英語圏の留学生が抱える授業の内容がまったくわからない、というようなトラブルはほとんどありません。
 だからこそ、ぬるま湯的な環境ともいえます。自分の英語力が低くても十分に生きていけるというこの環境が安らかな温もりを与えているとすれば、それは多いに警戒すべきことでしょう。危機感がないということがもっとも危機的な状況である、と誰かが言っていました。この一ヶ月は帰国のことなどまったく考えずに楽しくすごし過ぎました。これからは常に帰るときの自分を思い描きながら、生活していきたいと思います。
 さて、ここにゴールを再び明確化しておきます。帰国までに達成しておくべきマストです。
 ①ネイティブの早い英語を聞いても90%は理解できるようになる。
 ②英語をある程度不自由なく話せるようになる。ただ、日本語ですら怪しいので期待はしていない。
 ③スウェーデン語の読み書きがしっかりできるようになる。特に簡単な新聞を読めるようになる。
 やるべきことリストと理想的な一日の設定。
 ①朝の6時から一時間はCNNかBBCを集中して視聴する。
 ②朝の7時から30分で朝ご飯を食べる。
 ③7時半からは一時間はスウェーデン語を集中して勉強する。
 ④8時半から30分寝る。 
 ⑤9時から寮のみんなとランニングをする。
 ⑥10時に帰ってシャワーを浴びる。お昼のお弁当を作る。
 ⑦11時に家を出て学校の図書館に行く。とにかく文献を読み漁る。
 ⑧13時図書館でヘラルドトリビューンを読む。
 ⑨17時帰宅。メールの確認をしながら、CNNのポッドキャストを流して聞く。
 ⑩18時、ご飯を作る。寮のみんなと雑談しながら食べる。
 ⑪19時、文献を読む。
 ⑫10時、ノルウェーの森のスウェーデン語版を辞書を引きながら読む(一日1ページ)。
 ⑬11時、就寝。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 11件のコメント

スウェーデンと日本の政治比較の手法について

 回も書いたように、9月は「スウェーデンポリティクス」という授業を取っている。明日がその最後のセミナーで、先週はずっとそのためのレポート課題を書いていた。レポートの課題は、ずばり、「この授業で扱ったさまざまな政治システムの中からあなたが興味のあるものを選びとり、あなたの国のそれとスウェーデンのそれと比較して、スウェーデンの特徴を浮き立たせるように論じなさい」というものだった。
 この課題には、あなたは自国の政治についてはすべて知っているはず、ということが前提とされている。たとえば、スウェーデンの野党の役割と日本の野党の役割について比較して論じようとすれば、日本の政治構造やシステムについての基本的な知識が必要である。自民党55年体制のなかの社会党の役割とか、大選挙区や小選挙区、比例代表制の意味などを把握していないと論じられない。
 これはちょっと難しい。手に余るものがある。
 スウェーデンと比較するにも、何が似ていて何が似ていないのか、さっぱり分からない。特に、日本の場合、各種政策がどのように決定されていて、野党はそれにどのように関わっているのか、残念ながらよく分かっていないのである。
 この比較政治の分野では、似ているものの中で異なるものを見つけ出してその背景を探る、というのが一般的なアプローチの仕方としてある。だが、調べれば調べるほど、スウェーデンと日本と似ているところなんてあるのだろうかと思ってしまう。
 スウェーデンでは、政治学と一口にいっても、行政学的な要素をより重視しているように思える(学科の名前も政治「行政」学!)。あらゆるアクター―政党(与党、野党)、政府、官僚、法、憲法、センターバンク、―の役割を確認しながら、ある一定のモデル(たとえば、コンセンサスモデルVSマジョリタリアンモデル)のもとで、スウェーデンのそれがどのようなものとして位置づけられるのか、理論化しようとする。
 たぶん、日本においてその統治構造がいまだに謎めいたものとして国民に理解されていないのは、日本の政治状態が特異過ぎて、比較できるものがなかったからではないかとも思う。結局、他との比較を通じてしか自分の特徴を掴めないのと同じように。…なんて言い訳めいたことをつらつら書いても、レポートの出来の悪さは変わらないのだけど。

カテゴリー: スウェーデン, スウェーデン(政治・社会) | コメントを残す

スウェーデンの大学・授業

 SWEDISH POLITICSの最初のレクチャーで、カリナ・グンナソン先生は次のように言い放った。
 「スウェーデンでは、個々人での勉強が基本となっています。ここでのレクチャーはあくまで補助的なものなので、特に必要性を感じない人は来なくてもけっこうです!」
 おお、これぞ、スウェーデンモデル。 
 自立した個人を前提にシステムが構築されているといわれるスウェーデン。この個人主義は、大学の授業でも変わらないようだ。授業数自体は少ないが、それぞれの授業までに読まないといけないリーディングマテリアルは多く、学生は忙しそうに勉学に励んでいるように思える。
          ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 スウェーデンの単位システムは、他の欧米と比べても特異といえる。いろいろなパターンがあるが、もっとも一般的なのが、一ヶ月に一つの科目を集中的に履修することだろう。
 たとえば、僕のオータムセメスター(9月~12月)の4ヶ月間の履修はというと、9月) Sweden Politics 10月) Media Policy and Regulation 11月) Comparative Welfare State 12月)Comparative Welfare State Essay となっている。(ただし、コースによっては、二ヶ月連続や三ヶ月連続のものも取ることが可能である)
 さらに、9月のSWEDISH POLITICSの授業数を見てみると、レクチャーが6回に、セミナーが2回しかない。日本の学生からすれば、なんと少ないことか、と思うことだろう。ただ、少ないといっても、リーディングマテリアルが大量に課されているため、遊んでばかりはいられないというわけだ。
 僕が新鮮に感じたのは、一番最初のレクチャーの時点で、月末の試験内容だけでなく、セミナーでのディスカッションの争点(クエスチョン)が示されることだ。たとえば、一回目のセミナーでは、あらかじめ与えられた次の質問に対する回答を作成しておかないといけない。
 ① Sweden is frequently considered to be a consensual democracy. Both Arter and Hadenius (partly) challenge this view. Are they talking about the same thing? What factors in Swedish politics could be considered consensual?
 ③ Minority cabinets have been extremely common in Swedish politics. Read Aylott & Bolin and relevant parts of Arter and Hadenius and discuss: Why is this, and should we expect majority cabinets to become more likely in the future?
 ⑤ Two of the distinctive features of Swedish politics are, an extensive universal welfare state, and corporatism (“Institutionalised participation of organised interests in formation and implementation of public policy”). Both these are sometimes said to be in decline. To what ex¬tent would you, after reading Svensson & Öberg, Lind¬bom and Blomqvist, agree with this? And why?
 これらの質問からわかるように、スウェーデンの大学で重視されているのは、ある一つのイシューに対して、あらゆる角度から、できるだけ多元的にアプローチして検討する姿勢であろう。
 日本の大学でのセミナー(ゼミ)というと、次のようなイメージを思い浮かべる。ある一つの課題本が与えられ、メンバーがそれぞれ読み込んできたのち、さあ、ディスカッションしよう、というものだ。「この本のこの部分には賛成する、その点については反対だ」、という具合に。ただ、このゼミ形式の問題は、一つの文献しか読んでいないため、賛成・反対にしても、どうしても個人の感情論に傾きやすいということだ。
 それとは対象的に、スウェーデンでは、あらかじめ何十もの文献や論文を(たとえ流し読みだったとしても)読ませたのち、自分がどのアプローチを取るのかを検討させたうえで、ディスカッションを行う。だから、議論を行うときには必然的にエビデンスべースのものになる。「君はそのように主張するが、たとえば、彼の論文ではこのように書いてあるが」というように。
           
          ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 授業が始まって早くも二週間。スウェーデンの合理的で機能的な大学システムに多大な愛着を覚えると同時に、日本の大学システムはこれで大丈夫なのか、と少し心配になる。もちろん、日本に留学していたスウェーデン人に聞けば、「日本人の勤勉さにはびっくりする」といわれるから、おそらく、隣の芝は青く見えているだけなのだろう…と思うようにしている。
  (もしウプサラ大学に興味があれば、こちらの英語コース・シラバスを参考にするとよいだろう)

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 11件のコメント

スウェーデンにおける「日本ブーム」

 プサラ大学に到着して数日したころ、インターナショナルオフィスからメールが転送されてきた。ウプサラに住んでいるイギリス人からだった。「これから日本語を勉強しようと思っています。僕がスウェーデン語や英語を教えます。もし良かったら、お互いに勉強しませんか」。
 
 政治行政学科の建物の前で待っていると、、50歳くらいのおじさんがやってきた。髪は細くひとつに束ねられている。さわやかとは一味違う、颯爽としたイメージを与える。
 名前はロッド。イギリスで生まれ育ったのち、スウェーデンにやってきた。スウェーデンには35年住んでいて、フリーのエディターをしている。主な仕事は、スウェーデン語を英語に翻訳すること。いくらスウェーデン人が英語が上手いとはいえ、それをきちんとした論文の形にするには教養あるネイティブの助けが必要となる。彼は、ウプサラ大学の研究者ともよく一緒に仕事をしているという。
 驚いたことに、彼は、「スウェーデンヒストリー」という本の英訳をしている。スウェーデンの一般書店に行けば、必ず目に付く有名な通史の本である。ほかにも、ダグ・ハマーショルドに関する報告書なども英訳している。「ハマーショルドに関連する研究をしウプサラに来た」と僕がいうと、彼に関する本を2冊持ってきてプレゼンとしてくれた。
 ロッドは現在、ストックホルム大学の日本語コースに週二回のペースで通っている。先週から通い始めたばかりで、ひらがなとカタカナと格闘している。最初の授業では、「はらい」や「止め」などを理解するために、習字筆を使って練習するらしい。ロッドは「カタカナの『ツ』と『シ』の見分けがつかないから困る」と笑って話す。
 僕は、ここスウェーデンでは日本語はあまり人気がないのだろうと思っていた。なぜなら、ウプサラ大学には日本語コースがないからだ。だが、そうではない、とロッドは言う。ウプサラ大学とストックホルム大学は提携しているので、どちらかにしかコースを置けないだけで、「いまスウェーデンは空前の日本ブームなんだよ」と、訝かる僕を諭すかのように力説するのである。
 日本ブームは二年前くらいから来ているらしい。それまでストックホルム大学では、日本語はマイナーコースの一つに過ぎず、1クラス(20~30人)を開講できるかできないかだった。それが今や160人を超える受講者が殺到している。…ロシア語の受講者は20人もいないというのに!!
 ―なぜいまスウェーデンで日本ブームなのか。
 「もちろん、日本のポップカルチャーだろう」、とロッドはいう。
 幼少期に日本の漫画やアニメを見て育った世代が、いま大量に生産されている。特にここ何年かでの大きな変化は、男性層だけでなく、女性の間での関心も飛躍的に高まっているという点だ。ちなみに、日本語スクールの学生の大半が18歳~19歳の若者らしい。
 ちなみに、意外が意外、JPOPも人気らしい。
 去年の4月(?)の「外交フォーラム」では、日本のテゴマスというジャニーズ・デュオユニットがスウェーデンで大人気だということを伝えていた。NEWSの手越祐也と増田貴久によるユニットは、2006年スウェーデンに進出し、その収録曲「ミソスープ(!)」がランキングチャートの上位に食い込んだ。これをきっかけに各メディアも、日本ブーム現象について多く取り上げるようになったという。
 ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
 ウプサラに来てから、スウェーデン人から国際センター経由でもらったメールは全部で3通。一人がロッドで、二人は日本に留学していたスウェーデン人――ユリアとダニエル。ウプサラという日本人が少ない環境だからか、昨今の日本ブームの後押しからなのか。いずれにしても、日本人に会いたいといってくれるのは、自分としては嬉しい限りである。
 スウェーデン語はスウェーデンしか使えないから、不自由だ。たしかにこう思っていたふしも無きにしもあらずだが、今後さらに日本に興味を持つスウェーデン人が増えてくると思うと、スウェーデン語を学ぶ意欲もわくというものだ。上記のロッドとは週に1回、お互いの勉強会を開催すると約束した。
 これから頑張って勉強したいと思う。

カテゴリー: スウェーデン(その他) | 4件のコメント

スウェーデンのリサイクルマシーン

    
 このマシーン、何だかわかりますかね? 
 そうです、リサイクルマシーンです。スウェーデンでは、使い終わったペットボトルやアルミ缶をCOOPなどのスーパーに備え付けてあるこのマシーンに詰め込むと、お金が返ってくるというリサイクルシステムを採用しています。
    
 ペットボトルやアルミ缶には、バーコードとともに1krなどの記載があります。そのバーコードをマシンの読み取り面にかざすようにして入れると、機械が自動的に判別してペットボトルを吸収するようになっています。
 返金される値段はペットボトルの大きさによって異なり、たとえば、ペットボトルの500mmは0.5kr。アルミ缶の500mmは1kr。ペットボトルの1.5ℓなら2krです。大雑把に言って、1krは20円くらいなので、1.5ℓのペットボトルをリサイクルすると、40円が返ってくるというわけです。
 リサイクルするとお金が返ってくるなんて素晴らしい、と思ったら、すでに購入段階で余分に払わされている、ということらしいです。つまり、リサイクルしないと損をしてしまう仕組みです。同じ寮のドイツ人に「こういうマシーンはドイツにもあるの?」と尋ねたところ、当たり前のように「ある」と言われました。ヨーロッパでは日常的に環境への配慮が進められているようです。
 もちろん、リサイクルすることが本当にエコフレンドリーに寄与しているかはわかりません。が、こういうある意味で「強制的なシステム」を導入できていることがすごいなと思います。高い市民意識と協調型政治の成せる技ですかね。
 日本では見たことがない仕組みだったので、なかなか新鮮でした。

カテゴリー: スウェーデン, スウェーデン(政治・社会) | 4件のコメント