「ラトビア」行きの豪華客船

 後4時、僕たちはストックホルム駅から暗闇のなかを歩き続けていた。
 都会のネオンはもうはるか後方へと消えている。40分ほど歩いただろうか、林を抜けて工業地帯に入ったところ、ようやく港らしい風景が見えてきた。何となく波風が強くなるのを感じる。だが不思議と塩の匂いは弱い。寂れた工場外の町の香りが、海の塩水と混ざり合い、行き場をなくして漂っているようだ。
 突然、「あれだ!」と指をさして叫ぶ。空中にぼんやりと見えるのは、けばけばしい黄色と白色のネオン。大きなスタジアムの光か何かと思ったが、それはこれから乗り込む大型客船の光だった。近づいてみると、豪華客船が2体、たて二列に並んでいた。全長は200メートル、横幅は30メートルほどあろうか。とにかく大きい。ほとんど見分けは付かないが、それぞれの白い船体には「タリーン」、「リガ」と大きな文字が描かれている。
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 僕たちが乗り込んだ船は、リガ行き。リガはバルト三国の一つで、ラトビアの首都。タリーンはエストニアの首都だ。(ちなみにもう一つのバルト三国はリトアニア)。
 ストックホルムからは毎日午後17時から、バルト三国やフィンランドへのフェリーが出ている。スウェーデン人は船の中では”タックスフリー”でお酒が安く手に入るということで、そのためだけに船に乗り込む。週末の金曜日の夜に出発して、翌朝の午前中に到着。そして適当に時間をつぶしたのちに、夜の便に乗って翌朝に帰ってくるというのが、お金のない、お酒好きのスタンダードのようだ。
 豪華客船の中は、8階建てのマルチコンプレックス施設そのものだった。
 煌びやかなレストランから、ダンスフロア、映画館、カラオケ(パブリック)、プール、サウナに至るまで何でもござれ。僕の部屋は、一番安い四人部屋。ドアを開けると、狭い空間に二つの小さいベッドがある。あれ、と思ってみてみると、小さいベッドの上に折りたたみ式のベッドが仕込まれていた。17時に乗り込んだあとは、お店が開くまでの20時まではとりあえず昼寝タイム。そしてその後、フェリーの長く険しい旅が始まるのである。
       

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留学して一番良かったと思うこと

 「学して一番良かったと思うことは何ですか?」
 来年日本に帰ったとき、僕はここでの生活をどのように総括するだろうか―数え切れないほどの新鮮な発見や驚き、成長があることはたしかだろうが、そこから一つを選べだなんて、なんとも途方も無い作業のように思える。ただ、シンプルに考えてみると、留学していなければ目も向けもせず、その素晴らしさに気が付かなかっただろうことが、ひとつだけある。
 ずばり、料理をするようになった、ということだ。
 これまでの人生を振り返ってみると、料理という料理をした経験がほとんどなかった。僕が作れたもののなかで「料理」というジャンルにカテゴライズできるものといえば、おそらくチャーハンくらいではないだろうか(…しょうゆかけて味塩コショウをかけるだけだけど)。
 そもそも、自分という人間はほとんど食事に価値を置いて来なかった。食事に費やす時間はできるだけ削ろうと努力さえしていた。当時(三ヶ月前だけど)の僕の食事に対する哲学は、「私は食べるために生きているのではない。生きるために食べるのだ(@ソクラテス)」というものだった。実際、日吉キャンパス時代に一人暮らしをしていたときには、「料理は作らない」と決心して部屋のガス代さえ払わなかったほどだ(当時はほとんど毎日、マクドナルドか松屋の牛丼を食べていた。今思うとぞっとする)。
 なんと愚かなことをしたものか、と思う。
 スウェーデンでの生活を始めてから、ほとんど毎日料理をしている。よく作るものとしては、パスタ、カレー、オムレツ、肉じゃが(卵を加えて半卵焼き)。特にパスタは安いこともあり、二日に一回は必ず作っている、と思う。
 一番のお気に入りは「ザ・和風パスタ」である――パスタを茹でている間に、たまねぎをみじん切りにし、半分のじゃがいもを八分の一の大きさに切り、ガーリックに切り込みを入れて、オイルをしいたフライパンで熱する。途中で「ほんだし」と「桜えび」を加えながら、こんがりした色になるまで待つ。そして、6分ほど茹でたパスタを微妙に水を含ませた状態のままフライパンに移して、永谷園の「お吸い物」をパッパと掛ける。そして、20秒ほど強火で水を飛ばして出来上がりである。
 ちょっとした些事加減で大きく味が変わってしまう、そんな料理の醍醐味も学んでいる。最悪だったのは、グラタンのホワイトソース。牛乳を入れるのが少しだけ早かったせいで全然固まってくれなかった。友達から「気をつけろ」と言われいただが、まさかそんなちょっとしたことでダマになるとは思わなかった。プランニングをして、それを一寸の狂いもなく実行する”わざ”が必要とされる。慣れるまでは特に。
 さらに、一週間に1回のペースで「クッキー」を作るようになってしまった。スウェーデンはご承知のとおり、冬は3時くらいに暗くなり、しかも寒いので家の外へ足が向かない。何もすることがないので、じゃあスイーツでも作っちゃおうか、みたいなノリになる。実際にスウェーデン人はみんなケーキを作るのがうまい(男もみんな上手い)。
 僕のお気に入りの一つはフランス人の女の子から教えてもらった簡単チョコケーキだ。チョコ、バター、砂糖をそれぞれ130gずつ、卵を三つ、そして小麦粉を60gをミックスして電子レンジの最大出力で10分チンするだけ。20分もあればすぐにできる。日曜日の午後14時、太陽がわずかに残っている時間帯に、この出来立てのチョコケーキを短編小説を読みながら食べることは至福のひとときだ。
      
      

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オーロラに誘われて

 たちがアビスコに到着したとき、気温はマイナス10度だった。目の前の視界はほぼ真っ白。パウダー状の細かい雪が顔に突き刺さる。太陽の姿は、空一面に広がる分厚い雲に覆われて見えない。わずかばかりの隙間を縫って、わずかばかりの光が漏れてくる。とにかく寒い。

 ウプサラ市から夜行電車でゆっくり北上すること、16時間。スウェーデンの北国、ラップランドの北の果てにアビスコは位置している。人口800人の小さい町。夏は陽の沈まない楽園として、冬は暗闇に包まれる極寒の地として、人々をひきつける―。周りを見渡すと、大きくうねりを上げて隆起した山の連なりがどこまでも続く。大自然によって生かされている町というと、どこかしっくり来る。

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 ある夜、寮のみんなとオーロラを見に外へ出かけた。

 どうして冬のラップランドに足を踏み入れるのか。その理由といえば、オーロラしかないだろう。僕たち9人は、漆黒の闇のなかで空を見上げて、オーロラが現れるのを待った。青と緑の混ざったような色を探して、ひたすら空に目を凝らしてみた。遠くに光が見えると、誰かが叫ぶ。星の光が無数に群れ落ちてくる。ときおり、車の光がどこからともなく反射してやってくる。

 それでも、オーロラは現れない。

 結論からいうと、オーロラは見ることができなかった。一ヶ月のうちに5日見ることができればラッキーというものだから、そんな簡単に見れないことは最初からわかっていた。それでも、僕たちはそこに居続けた。そうすることがここではもっとも自然のような気がしたから。

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          (僕らの宿舎。フランス人・マリオンの写真から拝借)
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 翌日、いわゆる「ドッグスキー」に挑戦してみた。

 小柄で目のくりくりした白熊の子供のような犬と、白黒の毛むくじゃらの犬を二頭ずつ、ソリの前にくくりつける。僕はソリの後ろに立って、左右に体重を掛けたり、ブレーキを踏んだりしてコントロールする。犬たちは、小柄なのにものすごい勢いで走りだす。僕の犬たちはパワフルで、坂道でも止まることなく突き進む。ブレーキを踏んでとめるのが大変なくらいに…。

 一時間半かけて、山頂へと駆け上った。

 山のギザギザしたうねりに、薄い赤色の光が差し込んでいた。日の出なのか日の入りなのか、もはや区別は付かない。犬が一匹、その山へ向かって吠えほじめる。すると、他の犬も一緒になって吠え始める。「ワンワン」という低い声ではない、もっと甲高くうなるような感じの声。「ファウーン」という声はなだれを打って大きくなり、もう誰も止めることはできない。彼らはただただ、走りたいのだ。

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 夜の17時にアビスコ駅を出た電車は、翌朝の10時半にウプサラ駅へと着いた。どこか「夢」の国から、現実の世界に戻ってきた感じ。不思議だ。日本から来たばかりのころは、ウプサラが夢の世界だったのに。もしここが「現実」の世界だとしたら、日本での生活はいったいなんなのだろうか。「現実」とはいったいなんのことなのだろうか。

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日常へ溶け込む雪、凍りつく鍵穴

 日の朝、ウプサラはいつものように白い雪で埋め尽くされていた。もう声に出して驚くこともないだろう。気温は朝も夜もずっとマイナス。消え去ることのない真っ白な雪は、少しずつ確実に日常の風景に溶け込み始めている。拡散する太陽の光によって、目の前の風景が淡い黄色に染まる。

 7時10分、寮を出て自転車のロックを解除しようとしたときのこと。

 いつものように鍵を入れても硬く硬直して動かない。力を込めてみても、やっぱり回らない。不思議に思って見てみると、鍵の差込口が凍っているではないか。息を吹きかけて凍りを溶かすこと3分、ようやく開いた。日本では自転車の鍵が凍ったことなんてなかったのに…。マイナス二度でこんな感じだと、この先が思いやられる。やれやれである。

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          西の彼方へ沈み行く太陽@13時40分。
 

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スウェーデンも7ヶ月の命

 日でスウェーデンに来てからちょうど90日目となった。早くも3ヶ月が経過。余命はあと7ヶ月。考えれば考えるほど寂しくなる。この10ヶ月は、ぼくの人生でもっとも「自由に溢れた日々」として、後年暖かく記憶されることだろう。
 こっちでの生活はほんとうに「まったり」している。スケジュール帳が「ガラガラ」といえばわかりやすいだろうか。いわゆる「しなければならない」ことがあまりにも少ない。課題はもちろんやらないといけないけど、内容が面白すぎて「しなければならない」という感触がほとんどない。もし「つまらない」と感じれば、最終手段として「ぶっちする」こともできる。(実際にメディアポリシーのコースの最終課題は、あまり得るものがないと思い、ぶっちしてしまった)。なんたる自由の濫用だろうか。
 こっちでの「まったり」した大学生活を基準点にして比較してみると、日本での生活がいかに「ギシギシ」「ガシガシ」「アクセク」したものだったのかが霧が晴れるようにくっきりと見えてくる。
 ・「この日空けておいてね」なんてスケジューリングをする必要もない。
 ・もし手持ち無沙汰な時間があれば友達に電話して5分で会うことができる。
 ・飲み会で3000円も払わなくていい(だって、宅飲だから)。
 ・アルバイトをする必要もない(日本でもあんまりしていないけど)。
 ・満員電車で一時間も通うこともない。
 ・終電を気にすることもない(自転車か徒歩)。
 ・食べたいときに食べたいものを自分で作ることができる。
 ・なぜか、毎日快眠が取れる。
 ・就職活動がどうのこうの考えずに学問に打ち込める。
 あらゆる重荷という重荷が外れたみたいに、身体が軽く感じる。どっちが良いとか悪いかとかの問題ではない。ただ単に「軽く感じる」のである。
 もちろん、この生活は二度とやってこない特別なものだ。こんな生活はありえない。そのことは一応自覚しているつもりだ。こんな日々が続いくわけがない。続いていいわけがない。終わりはやがてやってくる。あと7ヶ月もすれば、上から巨大な重みが降ってくるだろう。「軽やかさ」を奪いに。
 僕の感覚としては、「余命7ヶ月」だ。
 「あなたの余命はあと7ヶ月です」
 そう宣告された患者が、終わりの見えた人生を「全力で生きる」。そんなドラマがよくあるが、それと同じようなものだ。終わりが見えてしまったのならば、そのなかで悔いのないよう全力で楽しむしかない。スウェーデンに戻ってくることは考えていない。そんなことはあとで考えればいい。とりあえず、今は前だけを見て走ることあるのみだ。

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ロビーイングはもはや汚い言葉ではない

 ラルドトリビューンの記事を読んでいたら、バラク・オバマがホワイトハウスへのロビー活動を制限しようと戦っていると書いてあった。ホワイトハウスを対象にしているロビー団体は登録が必須となり、過去12ヶ月の間にロビー活動をしたものには政治的地位を与えることを禁止するらしい。――このロビー活動の制限がどこまで成功するかはオバマの「変革」の程度を測る上でも分かりやすい試金石といえるかもしれないと思う。
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 「ロビー活動」という言葉で思い出したが、一ヶ月くらい前、Comparative European Politicsという授業のなかで、ストックホルムにあるWESTANDERというPRコンサルタント会社を訪問したことがあった。PR会社といっても、単なる広告会社ではない。その仕事は「政治に対するロビー活動」そのもので、社員の多くが元官僚とかジャーナリスト、そして博士号を持った人間だという。
 ロビー活動はそれ自体は悪いものではない。あらゆるアクターが政治へのアクセスをめぐって競争(ロビーイング)し合うことで、政策決定者はより多様な選択肢の中からより良い決定を行うことができるとポジティブに考えられているからだ。民主主義システムのなかでも、このような政治と社会のあり方は、現在の政治学の理論では、「多元社会論」と呼ばれている。
 もちろん、その健全性はロビー活動がどれほど開放性があり透明性が確保されているかにもよるだおる。バラク・オバマがホワイトハウスにおけるロビー活動を制限しようとしているのは、ロビー活動が歯止めの利かないくらい行き過ぎたものになり、民主政治という本来の姿を歪めてしまっているからだろう。ロビーイングの前提は、誰でもが政治にアクセスできるしアクセスするべきというものである。多くの政策が、お金の多寡によって決定されるとすれば、たしかに健全とはいえまい。理想的なロビー活動は断じてそのようなものではない。
 さて、話を戻そう。
 このWESTTANDERというPR会社のコンセプトは「開かれたロビーイング」だという。クライアントの取引会社の名前はすべてWEBで公表しており、どこの誰とどんな仕事をしているのかについても聞かれればすぐに答える。この情報開示によって、たとえば、敵対しているクライアントの案件を扱うこともないという(PR会社によってはライバル同士のクライアントの案件を扱ったりする)。
 彼らが対象とするクライアントは、政策決定に与したいと考えるすべての団体・組織で、労働組合やNGOだけでなく、民間の営利組織も扱っている。その仕事といえば、彼らの言葉を使うと、クライアントに対して政治へのアクセスが上手く進むようにお手伝いをすること(make client’s job easier)。
 
 たとえば、環境団体の案件であれば、ただ単に緑の党の議員を紹介するだけでなく、現在の政局において力を発揮できそうで、かつその政策について妥協できそうな政党のメンバーを取り込む。そして、それと並行しながら、マスメディアに対しても積極的にプレスリリースを打つなどして、世間の注目を集めるように仕込みを入れていく――。
 なるほど、話を聞いていて面白いと思ったのは、このPR会社の社員は、クライアントの案件が気に入らなければその仕事をしなくてもよいという点だ。たとえば原子力政策については社員の中にも賛成や反対が分かれて対立がよく起こるという。でも、そのことは仕事の支障にはならない。「僕はこれからの時代は原子力政策は欠かせないと考えているので、この環境団体の「反原子力政策」の案件は扱うことができません」といえばよいからだ。むしろ、このように多様な人間を有している方が政治を専門とするPRコンサルタントには有利なのだろう。
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 「スウェーデンにおけるロビー活動のPR会社」と聞いたときはかなり興味を引かれた。というのも、スウェーデンは、これまで「コーポラティズム(協調主義)」の代表的な国として認識されていたからだ。コーポラティズムとは、あらゆるアクターが政治へのアクセスをめぐって競争し合う「多元主義」とは対照的なモデルのこと、すなわち、少ないアクター(たとえば、労働組合、政策決定者、経営者団体)が、組み込まれた制度のもとで協調しながら物事を決定していくというモデルのことである。
 
 もちろん、コーポラティストモデルは90年代の間にかなり変わりつつあった。
 グローバル化の進展に伴い、ボルボなどの大企業は中央交渉の場(協調的な労使交渉)をいち早く抜け出し、自分たちの利益の増大を目指して「ロビー活動」を開始するようになる。メディアや独自のチャンネルを使ったほうが自分たちの意志を伝えやすく政策として具現化しやすいと考えてのことだ。
 また、変わったのは利益団体だけではない。従来のように政策決定にかけることの出来る時間が少なくなり、政治家や官僚たちはますます忙しくなった。このような状況のなかで、「市民アクター」たちがより良い「解決策を提示」してくれるのならば、彼らにとっても悪い取引きではない、というわけだ。
 
 「ロビーイングはもはや汚い言葉ではない(Lobbying is no longer a dirty word)」。「ロビーイングはロビーイングでも、これからは「開かれたロビーイング」が必要になる」とPR社員は言うが、これは程度の差はあれど、日本でも同じことであろう。これまでのように単に政治家に公共事業とか補助金などを「お願い」しに行くという意味でのロビーだけではなく、市民社会の側から「これが良い」と解決策を提案していくことが必要とされているからだ。

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キュートなカフェでハードボイルドな本を読みたい

 いに冬がやってきました。
 10月31日、ここウプサラで初雪が降りました。薄くて細かい、小麦粉のようなパウダー状の雪です。湿気も少ないせいか、雪にまったく重みがありません。すでに朝と夜の気温はマイナスに達し、地面にはパウダー上の雪がツルツルとした氷の表面を作り、突き刺すような冷気が容赦なく肌に降りかかります。手袋なしではちょっと外に出るのを躊躇してしまうほど。そして、明かりはというと、8時半にようやく昇り始めたと思った太陽は、3時半にはすでに西の彼方へと消えかかっています。
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 朝の10時に大学の図書館に篭り、17時にキュートなカッフェでハードボイルドな小説を読み、19時に寮に帰宅する――これが僕のこれまでのルーティンスケジュールだったのですが、日の沈むのが早くなるにつれて、キュートなカッフェでハードボイルドな小説を読むことが難しくなり始めました。
 というのも、こっちのレストランやカフェの店内は驚くべきほどに暗いのです。
 大抵のカフェには天井に薄暗い黄色い光、そしてテーブルの真ん中にろうそくがあるだけ。「雰囲気の良いカフェでおしゃべりを楽しみたい」という人間にとっては確かに良いかもしれませんが、「カフェ読書」が毛穴の隅々にまで浸透している人間にとっては、薄細い黄色い光などあって無いようなもので、読書に集中できるわけもありません。この厳しい冬を乗り越えるのに必要なものは輝かんばかりの白光なのに、どこを探してもそのようなカフェは見当たりません。(ちなみに、スウェーデンの国旗を見てもわかるように、ここでは太陽の色は「赤色」ではなく「黄色」で表象されるみたいです。)
 しかも、これもまたこっちに来て驚いたことですが、スウェーデンでは、カッフェで本を読むことはあまり日常的なことではないのです。
 小奇麗な北欧カッフェで、カフェラテとシナモンロールを食べながら、クールに読書に耽っている人間はたいていの場合、僕一人だけです。ふと周りを見渡してみると、みな友達やグループで楽しそうにおしゃべりをしています。つまり、こじゃれたカフェで一人で読書に耽るというクールな振る舞いは、どうやらスウェーデン人の辞書には登録されていないようなのです。
 「カフェで読書」という行為を生活の一部として生きてきた人にとっては、スウェーデンは少し冷たい国かもしれません。「カフェで読書に耽る」ということがクールな振る舞いとして社会的合意に至っていないため、店内で一人たたずんでいると、他のお客さんの目と店員の目が気になり、何となく肩身の狭い思いをします。そして、何より、カフェ読書の文化がないため、冬の真っ暗な季節になっても、室内を明るくしようという気概を持ったカフェが見当たりません。
 厳しい冬を乗り切るためにも、光り輝く良いカフェを見つけたいところです。

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ベルリンのとある広場③

 ルリンの空は晴れ渡っていた。高いビルが立ち並んでいるポツダム広場。地図を片手に、立ち止まりながら、その通りを歩いていた。外にはみ出したレストランのテラスでは、ビジネスマンや観光客が昼食をとって寛いでいる。

 ポツダム広場の一角には、ソニーセンターというビルの集合体が顔を覗かせる。富士山をモチーフにして作られたという建物は、ガラス窓が重なり合うようにして空へと伸び上がっている。「富士山」の頂上には、いくばくかの白いデコレーションが「雪」として誂えられている。
 
 華やかなビジネス街の通りを3分くらい真っ直ぐ歩いていくと、右手にある巨大な広場にぶつかる。何台もの観光バスが広場に面して駐車している。バスから降りた観光客たちは、その目の前のものを眺めて、躊躇し、立ち尽くす。彼らの視線の先にあるのは、溢れんばかりに敷き詰められた長方形の箱の物体。数え切れないほどのグレーの色の箱が、1m間隔で広場の隅々にまで立てられている。

 そばにあるBOXへと近づき、触れてみる。コンクリートの表面はさらさらしている。特別に何の説明もない。連なる箱を通り抜けながら、広場の真ん中へと向かう。中心に行けば行くほど地面がうねりを上げて隆起する。それに合わせて、箱は縦長へと伸びていく。

 小さな子供たちは箱を背にして、鬼ごっこやかくれんぼをしている。その隣の男はある箱の上に上ろうと手を伸ばしている。一つ一つは同じようなグレーの箱。だがよく見ると、横に長いもの、縦に伸びているもの、少し曲がった形をしているもの――どこかそれぞれ異なっている。広場の真ん中に到達したとき、僕はすでに巨大なポールに囲まれていた。太陽の光はもはや届かない。気味の悪さを感じつつも、新しい実験的なアートか何かと思い、その場をあとにした。

 ここが、ユダヤ人虐殺のメモリアル広場だと知ったのはすぐ後のことだった。コンクリートの箱は、ユダヤ人に捧げられた記念碑でもあった。「あれが追悼を表す記念碑なのか」。ザクセンハウセン強制収容所を尋ねたあと、その違和感はさらに強くなった。

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 ザクセンハウセンは、ベルリンの中心地から電車で一時間ほどいった郊外の町だ。ここは第二次世界大戦の進展とともに、膨れ上がる強制収容者を処理するために追加的に作られた強制収容所がある。住宅街の目と鼻の先に、ひっそりと地平の果てまで見える、人気のない、静かな空間が広がっている。

 正直にいうと、ここの収容所は退屈に過ぎた。雨に降られながら、広大な敷地を歩き疲れ、冗長で詳しすぎるオーディオの説明にうんざりした。「興味深い」ことなんて、何一つも無かった。そこにあるのは、ただ空白と静けさだけだった。

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 翌日、再び、ユダヤ人のメモリアル広場を訪ねた。

 繁華街のちょうど真ん中、相変わらずの観光バスに観光客で溢れていた。2711本のコンクリートブロックはそこに輝いていた。それはユダヤ人の棺であり、ユダヤ人そのものだ。見る角度や場所で、この棺のブロックの印象はガラリと変わる。なんと躍動感溢れた広場なのだろうか。

 皮肉だったのは、この通りの名前が、「ハンナ・アーレント通り」だったこと。

 彼女の本の代表作である「イェルサレムのアイヒマン」。ユダヤ人の「最終解決」を迅速に行った責任者であるアイヒマンは、どこにでもいる凡庸な人間だった。ナチスの法の下に忠実に従い、より多くのユダヤ人を抹殺した。自分が悪いことをしたとはつゆも思っていない。ただできるだけ「生産的に」その仕事を全うしようとしただけだったのだ。

 ハンナ・アーレントは、このあまりの「悪の陳腐さ」に驚いた。

 そして、アイヒマンに纏わる、つまらない、うんざりする冗長な事実を300ページに渡ってまとめた。調べば調べるほど、つまらない、何のドラマもない人間だった。そこにあるのは、ただの「凡庸な悪」だった。

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ドイツのメディア②

 回も書いたように、ウプサラ大学の「MEDIA POLICY AND REGULATION」という授業の一環として、ベルリンのスタディーツアーに行ってきた。ヨーロッパでは、教授同士の交換留学も盛んなこともあり、こうしたスタディーツアーがよく行われるのだという。
 僕らが訪れたのは、ドイツの通信社DPA、ベルリンの公共放送、そしてベルリンの高級紙だ。
 「通信社」といえば、AP、ロイター、フランスのAFP通信が有名どころとして挙げられるが、ドイツのDPAは、その四番手に位置している。ドイツ国内だけでなく、世界中の新聞社やテレビに情報を配信している。
 その仕事内容は、日本の通信社のそれと変わらないみたいだ。一次情報をできるだけ早くゲットして、それを契約している企業や組織に配信する――。ただ、日本と異なる点を挙げるとすれば、通信社の役割が比較的に大きい点だろう。連邦国家として分権化の進んだドイツは、ナショナルな新聞紙のリーチはそれほど広くない。むしろ、新聞社は、その地域や地方ごとの出来事を大きく扱う傾向にあるため、ナショナルレベルでの情報収集は通信社に拠ることになる。
 この違いは、日本にいる人には少しわかりにくいことかもしれない。日本では、新聞社(ナショナル紙)のリーチの範囲が広いため、新聞社と通信社が競合し合い、その見分けがつかないような感じになっている。だが、その原理を考えれば、通信社はリーチを広く持って「速報」を扱い、新聞社はより深く多面的な「分析」を加える――そもそもの性質として、このような区分が挙げられるはずである。
 もちろん、この「速報」と「分析」という区分は理念的なものでしかないし、実際の報道の現場ではそんなものは誰も考えていないだろう――が、ドイツの記者の話を聞いていると、なんとなくその住み分けに対する意識というか姿勢は伝わってくるものがある。
 たとえば、ドイツのDER TAGES SPIEGEL紙には、いわゆる「社員」であるライター(エディター)は140人程度しかない。あとは1000人ほどのフリーランスの契約社員がいるだけだ。だから、新聞社の記者はコンスタントな一次情報を得るよりも――それは通信社に任せれば良い――深く切り込んだ調査記事を書く。そうやって出来の良い記事を書いた人間だけが、社員として雇われていく。
 ちなみに、一文字あたりの値段が1.5ユーロ。紙面の一ページ全部を書いてようやく1000ユーロ。コンスタントに書ければ良い値段だが、相当の実力がないと食っていけない。「他と異なる質の高い情報」を提供するという意味では、なるほど、合理的なシステムだと思うが、記者の身になって考えると、なんともシビアな世界ではないか。
 この人たちはあんまり寝ていないのだろうな、と思っていたら、聞いてびっくり仰天。
 DPAの通信社のエディターは、「平日は18時には帰る。土日はお休み」だという。しかも1年間で休みが1ヶ月あると自慢げだ。これがどこまでユニバーサルなものかはよくわからないが、どうやら日本の労働環境よりもフィジカルに楽そうなのはたしかだ。さすがはヨーロッパというべきか―。
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 といっても、ドイツの新聞社の懐事情は日本と同様に良くなさそうだ。
 (逆に、通信社はどこも磐石なようだが)。
 ベルリンのクオリティーペーパーといえども、購読者数は10万人程度。若者たち(僕ら)は新聞をますます読まなくなっている。我々を何とか繋ぎとめるため、一ヶ月の購読料を10ユーロで提供しながら、映画の券を二枚プレゼントしているそうだ。(映画券は一枚5ユーロなので購読料はほとんど無料ということ! 彼いわく「without gift it is impossible to sell paper」だそうで)。
 ちなみに公共放送の苦境はドイツのそれも変わらない。
 NHKの受信料不払いについては「不祥事」の件も含めて少し事情が異なることを考慮しても、どこの国でも受信料を払わない人で溢れている。ドイツでも多くの人は「テレビなんて見ねーよ」とか「テレビは見ても公共放送なんて見てねーよ」といって、払わないそうだ。
 ドイツでもスウェーデンでも、係りの人が部屋のドアを叩いて、地道に回収しているという。もちろん、「うちにはテレビはないです」といえば、彼らは中まで入ってチェックすることができないから、諦めるしかない。「公共放送はどこへ行く」は日本だけではない、世界共通の問題なのである。
      
          
  ベルリン地区の人気ニュース番組@19時半。ゲストを呼んで対談のようにして進めるらしい。
    ドイツのクローズアップ現代みたいなもの。視聴率は17%くらいだというから、すごい。

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ドイツでは静かな革命が起こっていた①

 イツ・ベルリンからスウェーデンのウプサラに無事に戻りました。月曜日の夜に到着して、土曜日の朝の便で帰ってきました。合計で五日間の(短い)滞在。短いながらもいろいろと見て回りましたが、ベルリンの印象は、一言でいえば、活力に溢れるパワフルな町といったところでしょうか。
 いわんや、ドイツの中心であるベルリン。
 そこを目指してやってくるのは、ドイツ人だけではありません。美味しいドイツビールを飲んでクラブでドンチャン騒ぎをたくらむヨーロッパ人、芸術やアートに触れんとするエキセントリックな若者、ベルリンの生々しい歴史の傷跡を一目見わんとする観光客、そして、いまや移民の多数を占めるトルコ人と溢れるばかりのケバブ料理の看板、看板、看板――これが本当に美味しい。
 とにかく、ベルリンは町全体に勢いが感じられます。
 ドイツの物価が比較的に安いこと、交通の利便性が良いことが背景にあるかもしれません。25ユーロ(3000円)で7日間、都市近郊の地下鉄からバスまですべて使い放題。一回電車に乗るだけで700円取られるストックホルムとはまったく対照的です。羽が生えたように足どりも軽くなり、なんとなく「旅をしているのだ」という感覚にさせてくれます。ヤンチャな友達は「パリよりもドイツへ行け」といいますが、その気持ちはなんとなく分かります。
 宿泊していたのは、フリードリヒ・ストリートにあるフリードリヒオペラハウスのすぐ近くの「ザ・ハートオブ・ゴールデンホステル」というところ。部屋は4人部屋のドミトリーで22ユーロ。学生相場としては少し高めですが、西へも東へも動きが取りやすい良い場所に位置していることを考えれば、許容範囲内といえるでしょう。ブランデンブルク門にも、ポツダム広場にも歩いていけます。
 さて、僕が見たのは、主に次のとおりです。(次に簡単にコメントを入れたいと思います)。
 ① 授業の一環として、ドイツの通信社(DPA)のフィールドワーク、ドイツの公共放送のベルリン局の見学、そしてベルリンに本部を置くクオリティーペーパーの視察。
 ② ザクセン・ハウセンの強制収容所
 ③ ホロコースト記念碑とメモリアル博物館
 ④ ベルリンの壁、チャーリーチェックポイント博物館
 ⑤ ヴィルヘルム一世のサンスーシー宮殿

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ヨーロッパへ行こう

 日の10月27日から11月1日まで、ドイツ・ベルリンへスタディーツアーに行く。10月に履修していた「MEDIA POLICY AND REGULATION」という授業のカリキュラムの一環である。
 クオリティーペーパーのDer Tagesspiegel(新聞)、Deutshe Presseagenture(通信社)、そして、Rundfunk Berlin-Brandenbrug(テレビ局)などを訪問してのレクチャーとセミナーがあるらしい。もちろん、その合間にはベルリン観光ツアーも含まれている。「スウェーデンにいるのに、どうしてドイツにフィールドワーク?」という疑問はさておき、なかなか面白そうで、期待大である。
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 それにしても、ヨーロッパ(EU)は本当に狭くなったのだな、と実感する。
 とにかく、人(学生)の交流が凄まじい。
 これはヨーロッパに来ないと味わえないものだろう。毎週のように、寮の友達がヨーロッパの国々に出かけて行くし、寮に住んでいるヨーロッパ(EU圏)の友達の友人が次々と訪れる。ドイツ人の女の子の彼氏なんか、もう二回もこっちに遊びに来ている。「じゃあ、ちょっとスウェーデンまで」みたいな感覚が、ここヨーロッパ(EU)ではもう当たり前になっているのである。
 なんといっても、旅費が安い。
 こっちの学生の多くが使っている、ヨーロッパの格安航空会社の一つ「RYANAIR」。
 その渡航時期にもよるが、一ヶ月以上前に予約を済ませれば、スウェーデンとドイツ間であれば、だいたい5000円(高くて1万円)ほどで往復できる。僕の場合は遅い時期に予約してしまったものの、それでもスウェーデン・ベルリン間は往復で、1万3千円しかかからない。
 もしこれがEU市民の場合であれば、余分なTAXなどが掛からないため、さらに安くなる。僕の友達のスウェーデン人は再来週にパリに旅行に行くらしいが、100KR程度(1500円)しか掛からないのだという。(採算取れているのが不思議)。むしろ、ウプサラからストックホルムの空港(スカフスタ)までの料金が片道2000円(たぶん)くらいなので、そっちのほうが高いくらいだ。
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 ちなみにEU圏内には、鉄道乗り放題の「ユーロパス」というものがあるそうだ。5万円くらいで、一ヶ月乗り放題。夜の深夜便を乗り継げば、宿を予約する必要もなくエコノミカル。ヨーロッパ旅行を考えている学生にはなんとも優しいシステムではないか。

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ショートフィルムフェスティバル@ウプサラ

 週、ウプサラでは「ウプサラ・国際ショートフィルムフェスティバル」というイベントが開かれていた。あらゆるジャンルのショートフィルムを集めて、ウプサラにある4つの映画館を貸し切って行う毎年の恒例行事である。1982年に始まって以来ずっと続いている、町の大きなイベントのひとつだ。
 僕が見たのは、「レゴ(LEGO)」を使ったミニチュアフィルム。
 人間から建物、風景まで、あらゆるものがレゴの世界。のっぺらな顔をしたレゴ人形が規則的に手と足を動かす。ロボット的な外見とは対照的に、交わされる会話はいたって人間そのもの。なんだか不釣合いなようで、意外と合致しているから不思議だ。
 ストーリーも、会社員の一日から、アルキメデスの法則、ヘイスティングスの戦い、宇宙人の侵略の話までさまざま。「そこまでレゴで表現しなくても…」というフィルムもいくつかあったが、それでも10分のショートフィルムだからこそ笑ってやり過ごせる。
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 「一日が25時間だったら、あなたはその一時間を何に使いますか?」
 「谷川俊太郎の30の質問」という本のなかにこんな質問があったのを思い出した。というのも、昨日はスウェーデンのサマータイムの終わり。夜の12時になったら時計の針を一時間戻す。その空白の1時間を何に使うのか――それはもうお酒しかない。
 ということで、みんなでワイワイとお酒を飲みまくるというわけだ。

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