アリエッティ、ジブリの真骨頂

 りくらしのアリエッティを見てきた。もう素晴らしいの一言に尽きる。小人のアリエッティの目線から広がる世界が、なんと新鮮なことか。空から落ちてくる雨の一粒一粒の大きいこと、ダンゴムシやカマキリのグロテスクなこと、そして何より、人間という存在の恐ろしいことーいつも見慣れているはずの生活世界が、全く違ったものとして浮き上がってくる、人間の目線からは決して辿りつけない世界について、徹底的に想像して再構築する。ジブリの真骨頂が存分に発揮されていた作品だと思う。

 I went to theater to watch the newly released Studio Ghibli’s film, “The Borrower Arrietty”. All I can say about this moive is “Wow, Wonderful”. How vivid and inspiring the scenes seen from Arrietty’s eye–How gigantic one drop of rain can be, how grotesque sow bug and mantis, and how frightening human-being can be. What used to be faimilar daily sights can be seen totally different when you look through the eyes of dwarfish. Reconstructing invisible world through animation is Studio Ghiblis true value.
 特に、音の使い方が印象に残っている。アリエッティが人間の家に入ったとき、あの視界をグラつかせるような重音が四方六方から襲いかかる。アリエッティーはこれまで見たことのない人間の世界を目の前にして恐怖を覚える。そのとき我々はすでにアリエッティの身体と同一化している。いかに人間が恐ろしい存在なのかを五感を通じて思い知らされる。
 What attracted me most is the effective way of using “sound”. When Arrietty entered into a house, a thundering roar confronted her from various angles. She must have been horrified to see human-world for the first time. By identifying ourselves with Arrietty, it is easy to realize how horrified human-being appears to dwarf.
 不満があるとすれば、作品に一貫して流れるペシミズムである。結局、人間と小人の共生は不可能であるという終わり方だった。この作品を見終わってから、何だかモヤモヤして、やりきれない気持ちが残った。これは見る人の捉え方によって全然違うだろうし、むしろ、前向きに感じる人もいたかもしれない。これはファンタジーのなかのリアル感を忠実に描くのか、ファンタジーのファンタジー感を大切にするかという点に関わってくるものだろう。
 Watching this film, a sense of sadness endlessly lingered in my mind. Is this film a bit too pessimistic? Of course, you might argue that human-being and non-human being cannot coexist in harmony and that this cannot be avoided in order to keep up with original story. In this respect, the question lies in how royal film should be to original novel, or how it can depart from the original.
 私の気持ちとしては、もう少し強く分かりやすくハッピー感を出してほしかった。特に、主人公の男の子のしょうは、もう少し強い意志があってほしかった。どうして動物と人間が共に暮らすことができないのだろうか。それは人間のヒューマニティーの力では乗り越えられない壁なのだろうか。人間の意思で乗り越えられると思うことは、そもそも傲慢なのだろうかー。ファンタジーに希望の光を見出すことはを間違っているのだろうか。
 Personally, I wished that the film came to a happy end and that Sho, one of the main character, should have shown a stronger will to keep her at his place. Why can not dwarf and human-being live together in peace? Is there an unsurpassable wall between those two, which cannot be overcome by the power of humanity? Is it arrogant to think that human’s will of power can overcome it? Am I wrong to think that fantasy should provide a grain of hope for our humanity?

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移住許可書を待ち焦がれて

 ウェーデン大使館からの移住許可書の結果を待つ日々が続いた。スウェーデンでは、夏の期間、移住許可書を申請してから結果が出るまでに2ヶ月近くもかかってしまう。僕はすでに16日出発予定のタイ航空のチケットを買ってしまっているので、ここで乗り損ねるわけにはいかない(本当はムーミンのフィンエアーで行きたかったのだが、それを我慢し値段の安いタイ航空にしたのだから)。
 この審査であるが、スウェーデンの移民庁が申請の査定を行うため、東京のスウェーデン大使館は何の働きかけもできない。自ら現地に電話して催促するしかない。毎日のように、定められた1時間(17時〜18時、現地時間で9時〜10時)に電話して催促をしていたのだが、それでもなかなか遅々として進まない。対応は至って親切なのであるが、先週までに終わらすといいながらも、今週になってもまだ出ない。今日中に終わらすといっておきながら、3日経ってもまだ出ない。加えて、現地から許可が出た後、パスポートを大使館に郵送して、証明書を添付してもらわないといけない。その作業にかかる時間も考慮しないといけないから、心配になる。
 と、昨日、現地の移民庁から許可が下りたという連絡がやってきた。ひとまず深呼吸をし、すぐに大使館にパスポートを郵送しに行った。東京の大使館の方は、必ず来週中には自宅に届くようにするといってくれたので、おそらく大丈夫だろう。
 大きな政府、高福祉といっても、サービスの時間や中身をぎりぎりまで削ることで成り立っているのがスウェーデン社会の一面かもしれない。いずれにしても、スウェーデンに移住許可書を出す場合には、なるべく早く、夏の間であれば、3ヶ月前から出すことをお勧めするのである。

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けいおんで、デトックス

 ニメ「けいおん」がホットだ。このアニメを見ることで頭の中から「邪悪なもの」が洗い流されるような感覚を覚える。まさに癒し系、デトックスアニメである。最近、もっともお気に入りのアニメの一つである。
 ”K-ON”, a TV anime series, is very cool. This proves to be one of my favorite animations. By watching this animation, I feel like as if something dirty and evil were washed away from my body. “K-ON” can be one of the most healing-type or detoxicating animations.
 
 「けいおんってなんだ?」という方のために簡単に説明すると、TBS系列で火曜日の夜1時30分から放映されている学園アニメで、作品名からわかるように、軽音部に所属する女子高生たちの話である。ただし、特別にこれといったストーリーラインがあるわけではない。武道館でデビューを目的として活動を進めるのでもなく、ライバルたちがぶつかり合うことでドラマが演出されるわけでもない。主に登場人物たちの学校生活、軽音部の活動などの日常について、春、夏、秋、冬と時系列に沿って(ダラダラと)描写していく作品である。元ネタの原作が4コマ漫画であり、全体を貫くようなストーリーラインがないという点では、サザエさんと同じような日常生活系のジャンルといってよいだろう。
 ”K-ON” is usually categorized as “school type anime”. The story is that high school girls form light music band group and spend time chatting and practicing music together. What is special about this animation is that there is no specific story-line. The descriptions mainly focus on their daily lives and not necessarily on music performance. In most times, they have fika(tea) with cakes, chatting together about most trivial matters in their lives.
 さて、けいおんは見ることで心が洗われる、デトックスアニメだと述べた。けいおんの癒しの要素は大きく三つある。まず一つには、上で述べたように、全体を貫くストーリーラインがないがゆえにいわゆる「論理破綻」が無いという点だ。時系列的に淡々と進んでいくが、それぞれ一回完結型のエピソードなので、頭脳を働かせる必要もなくキャッチアップできる。時空を超えることもないし、新しいキャラクターも出てこないので、難しいことや複雑なことは一つもない。視聴者にイライラさせる余地を与えていないのである。
 What makes this anime healing and detoxicating? There can be three factors at work. First, as I mentioned above, the fact that there is no story line means that audiences can watch it without catching up with each episode with full understandings.
 二つ目の要素は、登場人物に「嫌な奴がいない」という点である。言い換えれば、すべてのキャラクターが、生まれたたての赤ちゃんの笑顔のような「完全な純真性」を体現している。まるで、自分のなかに「悪」という概念が存在したことがないため、他人のなかに「悪」があるということが想像も出来ないかのようなキャラである。なかんずく、主人公のゆい、妹のういは、キラキラと輝く天使のような存在にまで「純度」が高められている(シーズン1のクリスマスの回は、まさにそれを象徴している)。
 Second, no single character in this anime is described as evil or bad. In other word, all the characters embody a sense of “perfect innocence”, the kind of impression that you can get from a newly born baby. All these characters seem never to have imagined that there is such a thing as evil person in this world. Yui and Ui, two of the main characters, particularly look like angels type, embodying only the element of an innocence in human-being.
 三つ目の要素は、男性キャラクターが全く出てこないという点である。学園アニメであれば、男女の恋愛話は出てくるのが必然である。そうでなければ逆に違和感を覚えてしまうだろう。でも、ここにはそういう色めいた話の片鱗さえ出てこない(一度だけ勘違いのエピソードがあるけど)。女の子の秘密の花園を覗き見しているような感覚を与えることが大事なのであり、そこにリアルの男が出てきてしまえば、この汚れなき空間のバランスが壊れてしまうだろう。
 Third, no boys and men appear in this animation. There is the premise that “school anime” should include an element of romance between boy and girl as one of the main driving force of its story. This animation, however, completely exclude the presence of boy and men. What is important is to give to audiences the sense that you are peeping into “the girls secret gardens”. This holy, purified world could collapse if boy’s character were to appear in this animation.
 また、けいおんには、「大人的な要素」が強引に排除されている。それぞれの登場人物の家に行っても、父親も母親も出てこない。天真爛漫な「子供たち」だけが住む世界である。「大人」として登場する担任のさわこ先生ですら、アニメの中では「子供」として描かれている。彼女は生徒たちと一緒に、軽音の部室でお菓子とお茶を食べて楽しんでいるのである。
 
 In the similar way, “adult character” never appears in this anime. Indeed, there are no signs of father and mother whenever main characters visit one of friends house. This is a pure world consisting only by pure children. Although Sawako, a teacher in the anime, is an adult character, she should be interpreted as child. All she does in is to eat sweets and chat with children over most trivial matters in music room.
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 彼らはすでに高校生のはずなのに、この世には邪悪な人達が存在しているということに気づいていないし、考えたこともない、そして、今だに赤ちゃんの生まれたままのような純真さを持ち続けている、これはよく考えると、どうなのだろうかと改めて思う。これはただ、大人になりたくないという「現実逃避」の「心理」を利用しているだけとも考えられる。
 このアニメは「現実」という窮屈な檻の中にしがみ付いている「大人」を批判している。本来的に備わっているはずの「優しさ」や「純粋さ」を捨て去ることが大人になるということならば、そんな「大人」にはならなくてもいい。頭が良い人よりも、お金が稼げる人よりも、空気が読める人よりも、ただ純粋で優しい子供の心を持っている人がいい。そういう人間が集まってワイワイしていたら、それだけで楽しい人生を送ることができる−。でも、彼らはいつか大人にならないといけない。お金も稼がないといけない。
 子供の幸福な期間はいつまで続くのだろうか? 

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古き良き教養文化の終わり

 ンガやアニメなどのポップカルチャーを知っておくべき「教養」と見るか見ないか、これは難しい問い掛けだと思う。私自身、これまで人並み以下しか関わって来なかった分野であり、正直にいえば、あまりよく知らない。ただ、海外でここまでマンガ・アニメが人気になってしまえば、日本人としてそれを知らないというのは恥ずかしくもあり、口惜しい。
 「普通」の若い世代の外国人たちは、日本人ならば知っているはずだという期待値をそれぞれ持っている。村上春樹や大江健三郎くらいは読んでいるはずというのと同様に、アニメやマンガについても期待値を持っている。これは、日本人がイギリス人ならば、シェイクスピアやディッケンズくらいは読んでいるはずだという期待を持っているのと似ている。
 そういう意味で、マンガやアニメはそれなりに消費されるべきである。世界中でこれほど読まれているのだから、好悪に関わらず、どんどん読んでいくべきだと思う。もちろん、消費されて消えていくだけのマンガやアニメを見ても悲しくなるだけだから、ある程度の知識と経験のある人間に聞いて、いわゆる「必読」「必見」といわれるものから当たっていけばよい(発掘の段階から手を入れていくと、それなりの時間を犠牲にしないといけなくなり、現実的ではない)。
 さて、最初の質問に戻ろう。なぜ「教養」が必要なのかといえば、大きく二つの理由がある。一つには、思考の枠組みを作り、視野を広げ、人生を豊かにしてくれるという側面。もう一つには、お互いの会話を円滑に進めてくれる、コミュニケーションのツールという側面。私が、日本のポップカルチャーを「教養」として見ていこうと主張するのは、特に後者の「コミュニケーションのツール」としての役割が、今後さらに重要になってくると見ているからだ。
 もともとコミュニケーション力があるという人は別だが、そうでない人は、海外に出てくると、まず友達を見つけるのに苦労する。アニメやマンガ、音楽などのポップカルチャーに馴染みがあれば、そこから関係を広げていくことができると思うが、どうだろう。
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 去年、スウェーデンにいるときに、マンガやアニメは「新しい教養」として登録するべきだと感じたのだけれど、これを勉強しようとすると、どうして困難にぶつかる。なんといっても、量があまりにも膨大だ。しかも、現在進行形に連載が進んでいるものが多いから、時間の風雪に耐えて残ったものがまだ少な過ぎる。古典的な「教養本」でいえば、ある程度の読まないといけない本のコンセンサスは出来ているから、それを読んでいけばいい。
 しかしながら、マンガやアニメの場合は、量が多すぎるわりに「素人」向けの情報が少ないから、そもそも選ぶに選べない。手当たり次第に当たって「発掘作業」を行ってもいいが、時間やお金など「犠牲」が伴いすぎるために、「普通」の人間には、こういう作業は出来ない。私は、もう少しマスメディアがこういうポップカルチャーの枠を増やしていくべきだと考えているが、まだまだ、扱いが小さい(最近は少しずつ増えてきたかもしれないが、その世界的な存在感の大きさを思えば、あまりにも扱いが小さいと思う)。
 最近で欠かさず見ているのは、NHKの「MAGNET」という番組だ。これは「普通」の人間にとっては日本の「サブカル」の動きを知る上では、これまでには無かった革命的な番組である。独自のアニメキャラクターたちが司会を務め、製作の現場、ファンの現場、アカデミックの現場などをそれぞれに焦点を当てている。何よりも調査が質が高く優れている。
 ただ、残念なことに、「MAGNET」の放映が、日曜日の0時からという最悪な時間で、BS1というマイナーなチャンネル。しかも、NHKオンラインでは配信していないのだ(スウェーデンに行ったら見れないじゃないか!)。こんな素晴らしい番組を、窓際に追いやって、しかも、インターネットで配信しないとは、なんという暴挙、なんという愚鈍さであろうか。この番組に英語の字幕を付ければ、海外のオタクたちから人気が出て、さらにサブカルのマーケットが広がるというのに、ああ、もったいない。

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もう立ち上がれない、日本

 の投稿で紹介した藤岡たかおさんが、参院選と同日に実施された杉並区長選挙に立候補したのだが、残念ながら、票が伸び悩んで負けてしまった。僕もこの一週間は毎日ずっとお手伝いをしていた。日中は、真っ赤なシャツを着て、マニフェストのチラシを配り、たまにマイクを手に取り演説も行った(これが意外に楽しいのだ)。
 夜中は、荻窪駅の北口を拠点に車に泊り込んで陣取り合戦。最後の三日間は藤岡さんも疲れのピークを迎えたが、それでも駅前のチラシ配りと挨拶を朝の6時から始めた。ギンギンに照らす太陽を受けながら、それが延々と夜の0時まで続いた。さすがに、俺も途中でバテてきた。「お金も貰わずに何をしているんだろう」とふと思ったりした。でも、藤岡さんの選挙陣営には、ひたすら率先して働き続ける、献身的な人達がいた。大学生だけではない。社会人のなかにも自身の仕事が終わった後に来て、始発の電車で仕事場に帰っていく人、朝だけは欠かさず来てくれる人、有給休暇を取ってずっと手伝ってくれる人もいた。
 他の人はあまりやってくれないけど、誰かがやらないといけないものは世の中にはたくさんあって、実際に誰かがそれをやってくれているからこそ、世の中はうまく動いている。こういう考え方はわりと好きである。彼らを見て、最後まで頑張ろう、と思った。
 もちろん、藤岡さんには個人的にお世話になっていた。志のある真っ直ぐな人間だと知っていた。そして、今回の杉並区長の候補者の中では、彼が最も相応しい人間だと確信していた。各々の政策内容を比較すればすぐに分かることだ。こういう志を持ち、政策に通じた「まともな」人間が政治家にならないとダメだ。もし世の中に対して批評・批判をするのであれば、自分が「行動」として示していかないといけない。だから、出来る限り力になろう思った。
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 この点では、杉並区長選挙に落選してしまったことは、本当に残念だった。今回、藤岡さんは、たくさんの政策のなかで、「区職員の給与の3割削減」に絞って選挙活動を行った。杉並区は、税収が減りつつあり、しかも東京都からの交付金(補助金=隠れ借金)を増やしているにも関わらず、自らの区役所の職員の給与はずっと高い水準で止まりしたままである。
 この高い給与がどれくらいかというと、聞いてびっくり、平均で740万円である。杉並区の税収がずっと落ち込んできたなかで、多くの民間企業がリストラや給与カットを行ってきたなかで、区役所の給与だけがすごく高い水準で維持されている。藤岡さんのマニフェストに記載されている数値を上げると、杉並区の清掃職員(710万円)、学校給食員(644万円)、守衛(796万円)などとなっている。普通の民間の1.5倍から2倍の給与ではないか。
 これから日本全体でも杉並区においても、税収が伸びることは考えにくい。でも、介護や医療、年金、子育て支援などにお金が必要になってくる。杉並区は、借金を積み上げることで、これらの増える社会保障費に対応していくつもり(将来世代にツケを回していくつもり)かもしれないが、本当に今必要とされていることは、寒風に晒されることなく丸々に太った杉並区職員の贅肉にメスを入れていくことだ。実際、杉並の区長、区議会議員や市役所の職員の給与を3割カットすれば、およそ100億円程度の財源を確保することができる。これらの財源を使えば、借金を最小限に抑えつつ、社会保障や保育、教育分野にも当てることができる。そもそも、行政側が改革の姿を見せずして、市民がついていくだろうか?
 こういう当たり前の政策を打ち出していたのは、藤岡さんだけだった。他の候補者のチラシやホームページを見てみても、杉並区役所の給与の削減など触れてもいなし、そもそも現在の区政についての具体的な数値がない。有権者を馬鹿にしたような言葉遊びしか記載されていない(「しなやかで、やさしい区政」(千葉なおこ氏)「杉並の魅力・最大化」(田中良氏)。
 また、今回当選した元都議会議長の田中良氏(民主党推薦)は、毎日新聞の記事のなかで、「具体的な政策については区長になってから検討する」という趣旨の発言をしている。具体的な政策など本当に何もなかったのだ。しかも、自民党の推薦の千葉なおこ氏と田中氏は離婚した元夫婦で、現在は田中氏の不倫に対して、千葉氏が(田中氏と田中氏の愛人を相手に)裁判を起こしている。常識的に考えて、この二人何かおかしい、って思わないのだろうか?
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 まっとうな政策を掲げている人が評価されない―これは、本当に本当に悔しいことだ。こういう現実を実際に体験してしまうと、どうしようもない無力感でいっぱいになる。今回の杉並区長選挙は知名度や様々な面で準備不足は否めなかったが、それでも、選挙ポスターや新聞の選挙公報を見れば、藤岡の政策が明らかに違うことがすぐにわかるはず。人々は公務員の無駄に対して「許せない」と怒るくせに、なぜそれを投票で示さないのだろうか? やはり、人々にとって、選挙なんてどうでもよくて、政策内容なんて見る気もしないのだろう。僕たちは、もう何も変えられない。変えることなんてできやしない。
 7月11日の朝日新聞の朝刊で「日本国民よりも、どうも政治家の方が程度が低いと感じる」という池澤夏樹氏のコメントが紹介されていたが、その診断は甘いと感じざるをえない(それは現実の分析というよりも、そう信じたいという池澤氏の願望の発露なのではないか)。
 それは杉並区長選挙の結果だけではない。今回の参議院の比例選挙の結果も同じことだ。本当にショックを受けたのは、柔道の谷亮子(民主)氏が当選したことだ。いくら民主主義だからといって、こういう適当な選び方はしてはいけない。こうした候補者に対して「おかしい」「それはダメだよ」と言ってあげるのがまともな大人のすることではないのか。谷亮子氏が当選することはないと心の底から信じていたのに、日本国民の良心を信じていたのに、裏切られたような気持ちだ。壊れるところまで壊れないと、もう日本は立ち上がれないかもしれない。

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お魚についてのシンポジウム

 週の7月3日(土)に、慶應大学の三田キャンパスで、スウェーデン人の欧州議会議員のイサベラ・ロヴィーンさんを招いて「お魚」に関するシンポジウムを行います(去年の「沈黙の海」の日本語訳の出版記念イベントの第二弾です!)
 イザベラ・ロヴィーンさんはジャーナリストとして、水産資源の乱獲が放置されている状況に危機感を覚え、スウェーデンやEUの抱える漁業政策の問題について取り上げました。そして2007年に1冊の本「沈黙の海 ― 最後の食用魚を求めて」として出版することで、スウェーデンで大きな話題を呼びました。彼女はスウェーデン国内におけるジャーナリスト大賞や環境ジャーナリスト賞をはじめとする各種の賞を受賞したのち、自らが指摘した水産行政の改革に関わりたいと考え、2009年6月に行われたEUの欧州議会選挙にスウェーデン環境党から立候補し当選を果たしました。現在は欧州議会の漁業委員会にて漁業政策に関わっています。
 当日のシンポジウムでは、EUや日本の水産資源の管理の現状についてお互いの経験や知見を共有し、今後も持続的に魚を食べ続けるために政治や行政、そして市民の一人ひとりが何をすることができるかについて議論したいと考えています。水産資源の枯渇に関心を持っている方、スウェーデンやEUの政治力学に興味のある方などなど、ぜひご参加いただければと思います。(当日は私も受け付けをしています)。
∴∴∴転送歓迎∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴∴
COP10 100日前緊急イベント 海の生物多様性を考える
スウェーデン環境党・欧州議会議員/『沈黙の海』著者
イサベラ・ロヴィーンさん来日シンポジウム
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■日時:2010年7月3日(土) 13:00~17:30
■会場:慶應義塾大学 三田キャンパス 南館地下4階ディスタンスラーニングルーム
http://www.keio.ac.jp/ja/access/mita.html
■参加費:無料
■先着200名
■お申込み方法
6 月30日までに①お名前②ご所属③ご連絡先(メールアドレスあるいは電話番
号)を明記の上お申し込みください:sakana0703@gmail.com
■共催:EU Studies Institute in Tokyo (EUSI)、持続可能なスウェーデン協会、
グリーンピース・ジャパン、アジア太平洋資料センター(PARC)、
■協賛:パタゴニア日本支社
■プログラム(予定)
12:30 開場
13:00 あいさつ 田中俊郎氏(慶應義塾大学教員/EUSI所長)
13:05 イサベラ・ロヴィーン氏講演(逐次通訳)
「水産資源は急速に枯渇している~EUの事例から」
14:05 勝川俊雄氏(三重大学)講演
「日本の漁業管理の現状と課題」
14:20 アジア太平洋資料センター制作DVD上映
「食べるためのマグロ、売るためのマグロ」
14:55 花岡和佳男氏(グリーンピース・ジャパン)講演
「水産物流通の現状と問題点」
15:25 アジア太平洋資料センター制作DVD上映
「食卓と海 水産資源を活かし、守る」
16:00 大野一敏氏(船橋市漁業協同組合)講演
「漁業から見る海洋環境保全の必要性」
16:15 パネルディスカッション
「いかに管理し、いかに食べるか」 モデレーター:井田徹治氏(共同通信社)
「いかに管理し」では、EU、日本、国際的な水産資源管理の現状と課題、海洋環境保全の必要性、海洋保護区などについて、「いかに食べるか」では、消費者に対してどう魚を食べるのかということ(日本の水産物輸入によってどんな影響が起きているのか、翻って地場の漁業者が獲った魚の市場が奪われてしまっているのではないかなど)を議論します。
17:15 あいさつ
17:20 終了予定
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魚や貝、海藻など、海からもたらされる恵みは、古くから私たちの食卓を支えてきました。しかし、こうした水産資源が枯渇しつつあることが世界中で懸念されています。本来、これらの資源は自然の営みの中で子孫を残し、再生産し続けます。しかし、その力を超えるほどの量が獲られ続けてきました。同様に魚や貝が生育できる環境も失われています。
国連食糧農業機関は、世界の水産資源の4分の3が限界まで獲られてしまっていると警告、2015年に不足する魚介類の量は世界でおよそ1,100万トンと予想しています。これは、日本で1年間に消費する魚介類とほぼ同量です。実際にこれだけの魚介類が不足すれば、価格の高騰は避けられません。タンパク質を魚介類に依存する世界の貧困層への影響は深刻ですし、日本の食卓にとっても人ごとではありません。
2010年10月、名古屋でCOP10(生物多様性条約第10回締約国会議)が開催されます。私たちの暮らしを支える豊かな生態系を保全し、将来にわたって利用し続けていくために、締結国が話し合います。その100日前にあたる7月3日(土)に、スウェーデンから、ヨーロッパの資源枯渇を告発したジャーナリストであり、現在は欧州議会議員として水産行政の改革に関わっているイサベラ・ロヴィーンさんをお迎えし、「魚を食べ続けていくために」という視点から海の生物多様性を考えるシンポジウムを企画しました。
クロマグロの禁輸が話題になり、水産資源の枯渇が懸念されていることは身近な話題になりつつあります。しかし、どのような生産・流通・消費構造の中でそうした状況が起こっているのかということはあまり知られていません。
本シンポジウムでは、この点にもスポットをあて、私たちの画一的な消費のあり方自体が、乱獲や環境に負荷をかけるような養殖に結びついていることを明らかにしていきます。また、持続可能な漁業を行なう事例も紹介しながら、そうした漁業を支える「持続可能な水産物消費」についても考えます。
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■スピーカー、モデレーター紹介
Isabella Lovin (イサベラ・ロヴィーン)
スウェーデン環境党・欧州議会議員
1963年生まれ、ストックホルム在住。消費者・食・環境の問題を専門に扱うジャーナリストとして活躍。2007年夏にスウェーデンにて出版した『沈黙の海 - 最後の食用魚を追い求めて』では、乱獲によってスウェーデン近海やヨーロッパ・世界における水産資源が枯渇に瀕していることに警鐘をならし、人々の関心を大きく高めることとなった。2007年ジャーナリスト大賞、2007年環境ジャーナリスト賞を受賞。2009年6月の欧州議会選挙に環境党から立候補し当選。
勝川俊雄 (かつかわ・としお)
三重大学生物資源学部准教授
1972年、東京生まれ。東京大学農学生命科学研究科にて博士号取得した後、東京大学海洋研究所助教を経て、現職。研究テーマは、水産資源を持続的に利用するための資源管理戦略の研究、希少生物保全のための持続性の評価など多岐にわたる。現在は、ノルウェー、ニュージーランド、オーストラリア、米国などの漁業の現場を周り、世界各国の資源管理制度の比較研究に力を入れている。業界紙、ブログなど様々なメディアで、日本の漁業改革の議論をリードしてきた。日本水産学会論文賞、日本水産学会奨励賞を受賞。
花岡和佳男(はなおか・わかお)
国際環境NGO グリーンピース・ジャパン 海洋生態系問題担当
2000年から2002年までアメリカ・フロリダでマナティーやウミガメの保護活動に参加し、その後マレーシアにてマングローブを伐採しないエビの養殖施設の立ち上げに貢献。2007年よりグリーンピース・ジャパンに所属し、沖縄ジュゴン、違法漁業、捕鯨、過剰漁業といった海の生物多様性を守るキャンペーンを展開している。2008年の国際捕鯨委員会(IWC)では、約30年ぶりに会場内でのNGOに発言権が与えられ、30を超えるNGOの代表としてスピーチを行い、各国政府に実質商業捕鯨の中止を訴えた。国内では現在、太平洋クロマグロの過剰漁業を問題視し、漁港や市場などを巡り調査を行ったり、過剰漁業や漁業管理についてのシンポジウムを開催するなどして、海洋保護区の設立に向けた活動に注力している。
大野一敏(おおの・かずとし)
船橋市漁業協同組合代表理事組合長
江戸時代から続く網元の家に生まれ、60年にわたり東京湾で漁業を営む。経済成長の中で海の環境が変化することに危機感を覚え、サンフランシスコ湾保全運動などを研究。湾はかけがえのない天然資源であるという信念のもと、埋め立て反対運動などを通し、東京湾最奧に残された干潟、三番瀬の保全に関わる。著書に『東京湾で魚を追う』。
井田徹治(いだ・てつじ)
共同通信科学部編集委員
1959年12月東京生まれ。1983年、東京大学文学部卒、共同通信社に入社。1991年、本社科学部記者。2001年から2004年まで、ワシントン支局特派員(科学担当)。現在、同社編集委員。環境と開発の問題を長く取材、気候変動に関する政府間パネル総会、気候変動枠組み条約締約国会議、ワシントン条約締約国会議、環境・開発サミット(ヨハネスブルグ)、国際捕鯨委員会総会など多くの国際会議も取材している。著書に「サバがトロより高くなる日 危機に立つ世界の漁業資源」(講談社現代新書)、「ウナギ 地球環境を語る魚」(岩波新書)、「生物多様性とは何か」(岩波新書)など。
■上映作品紹介
「食べるためのマグロ、売るためのマグロ」2008年 31分
http://parc-jp.org/video/sakuhin/maguro.html
マグロを切り口に、グローバルなフードビジネスが私たちの食卓や環境に与えている影響を探り、「マグロが食べられなくなる」ような状況が生み出された背景に迫る。
「食卓と海 水産資源を活かし、守る」2009年 34分
http://parc-jp.org/video/sakuhin/sakana.html
マグロだけでなく水産資源全体の枯渇が世界的に懸念される中、資源を利用しながら保全するコミュニティの実践を追う。「持続可能」な漁業のあり方を考えると同時に、海の恵みを長く楽しむための「食べ方」を考える。
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カテゴリー: スウェーデン, スウェーデン(政治・社会), EU, 自分事, 告知 | 3件のコメント

私の知り合いが参議院選挙出ます

 知らせです。私の知り合いで長い間お世話になっていた方が、参議院選挙に出馬します。日本創新党の藤岡たかお氏です。33歳、それまで勤めていた金融庁の課長補佐という職を辞して政治に「命」を掛けます。選挙区は東京ブロックです。こちらがオフィシャルウェブサイト
 ちょうど3年くらい前、先輩に誘われた勉強会(日本の現在と未来を考えるような勉強会)で、藤岡さんに出会いました。もともと藤岡さんがアジア通貨危機のときに日本の未来に憂いを感じて始めたのですが、今でも学生が主体となって勉強会は続いています。いつも低姿勢の藤岡さんですが、口を開けば、日本を創り上げてきた先人たちへの思いと、それがゆえに今の日本を憂う気持ちがマグマのように噴出してきます。彼の話すことの99パーセントが「国」のことです。こんなに国のことしか考えていない人間は人生で初めて見たと思いました。まさに「志」を原動力に生きているような人です。
 藤岡さんは10年以上、来るべき機会を伺っていたのでしょうが、まさかこんなに早く金融庁の職を辞して「フルタイムの革命家」になるとは予想外でした。先日二人で話をしたときに言っていました。ようやく軌道に乗り始めていた郵政民営化が実質的に国有化へ戻されるなど、日本の競争力を削ぎ落としていく政策を自分の手で進めるのは悔しく耐えられなかったと。
 ちなみに藤岡さんは金融庁を9年間勤めました。あと1年間待てば年金なども多くもらえたのに、それを投げ捨ててでも、自分の志のために政治に命を掛ける決断をしました。こうやって自分の身銭を切り、自分の身を投げ出せる大人が目の前にいるというのは、本当に嬉しいことです。
 それと対照的に、いまの日本の大人たちを見ていると本当に悲しくなります。自分の生活水準を下げたくないからと若い人たちを労働市場から締め出して、給料のカットには反対する(特に労働組合と一帯になって改革を進められない民主党)。今の日本の借金の状況、年齢別の資産分布の状況(上の世代にお金が偏在している状況)を見れば、上の世代の医療費負担を増やして、年金や給与を減らしていく、そこで切りつめたお金を下の世代に回す、人生前半の社会保障や成長分野に再投資していく。あるいは応分の消費税を上げていく―そんなことは普通に考えれば当然のことなのに、当然のことに手が付けられず、借金ばかりが膨らんでいき、未来の子供たちの未来は暗くなるばかりです。
 やはり一番の原因は政治家たちでしょう。と、そう言い切りたいところですが、根本の原因は、その政治家たちを選んでいる我々国民にあるというべきでしょう(と同時に、その国民に情報を供給しているマスコミです)。各政党がタレントのような政治も経済もまるで分かっていない素人を候補者に選ぶのは、国民がバカにされているからです。ここまでバカにされてそれでも既存の政党に投票するとすればそれこそバカですね。誰が投票してやるもんですか。
 藤岡さんには大きな組織的なサポートはありません。彼を支持して応援しているのは、勉強会を通じて知り合った学生や若い社会人たちです。彼は言います。組織や団体に縛られた政治では何も変わらない。たとえ、当選の確率がどれだけ低くとも、今日本が本当に必要なことを世の中に訴えたい。
東京に在住の方々にお願いです。藤岡たかお氏を投票の選択肢に入れてください。自分の目で日本の置かれている状況を俯瞰して、政策を吟味して、そして投票に行ってください。
 PS. もしも創新党の政治に興味ある、あるいは選挙の現場を生で見てみたいという方がいらっしゃいましたら、一緒に選挙活動やりませんか? 自分も平日は働いているので基本は土日の空いている時にお手伝いをしています。僕の友達のドイツ人も時たま参加したりしています(創新党は外国人の参政権付与に反対なのに、外国人が応援しにきています。笑)。朝からポスター張りとかけっこう楽しいですよ。ちなみに、もしも今週の日曜日(5月30日)のお昼から、六本木ヒルズのアリーナで、日本創新党の党決起集会があります。お時間の空いている方がいらっしゃいましたらぜひぜひ一緒に行きましょう。ご連絡くださいませ。

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スウェーデンの大学院に戻ります

 お久しぶりです。気がついたら、もう二ヶ月くらいブログを更新していませんでした。そもそもスウェーデン留学日記って書いているけど、もう日本に帰国しているし、そんなに書きたいこともないし、まあいいかと思って自然とフェードアウトしてしまっていました。
 お知らせです。二週間くらい前にスウェーデンのウプサラ大学から大学院の合格通知が来ました。ネットでの発表でしかも書類が不備で補欠になっていて何それと思ったのですが、確認したら問題ないとの事。去年の年末に書類を出してからもう5ヶ月も経ちました。スウェーデンの選考期間、長過ぎる。この長い間に色々なことがありまして自分の考えも変わりつつあったのですが、結局、当初の計画の通り、スウェーデンの大学院に進学することになりました。
 まあ、自分の人生ですから悔いのないように生きるしかないですね。いつ自分が死ぬかわからないし、今の日本の状況を見ていると、いつどんな会社が潰れるかわからない。そもそも、日本という国が借金にまみれて潰れてしまいそうじゃない。もう何でもありの世の中になってきたみたいな感じじゃない。だってここ10年でここまで世の中が変わったんだから、あと10年もしたら国も会社も人もまたガラリと変わっているはずじゃない。
 だったら、もっと外に出て行って自分の考えるとおりに好きなことしていた方がいいなぁーなんて考えることが多いのですが、これは自分の行動が間違っていないと思い込みたいだけかもしれませんね。あとはこれが間違いだったといわれないように、あっちで死ぬ気で頑張るのみです。(「ほら、だから新卒で就職しておけば良かったのに」みたいな。笑。)
 大学院の授業が始まるのは9月からですが、今年はスウェーデンの4年に一度の総選挙が9月に行われます。せっかくなので早めに行ってその様子を見て来たいと思っています。たぶん8月中旬には出発します。もしお暇があればぜひスウェーデンに立ち寄ってくださいまし。

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クロマグロ禁輸の否決について

 西洋・地中海のクロマグロの国際取引を禁止する提案が否決された。今回ばかりは日本が追い詰められると予想していたが、途上国の賛成で否決してしまった。これには少し驚いた。
 日本政府は「ワシントン締結国条約会議(CITES, Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora)」による「取引禁止」ではなく、マグロ国際保存国際委員会(ICCAT, International COnservation of Atlantic Tunas)による「漁獲量規制」で対処するべきだという態度を取っていた。ちなみに日本の新聞メディア(朝日、読売、毎日)も同様に、ワシントン条約は極端に過ぎる、「漁獲量規制」を強化するべきとの立場を取っていた。
 一方、欧米の主要メディアの多くは「取引禁止」の論調であった(Finantial Times, NewYork Times, The Economist)。イギリスの週刊誌のエコノミストは18日の記事のなかでICCATによる規制はこれまで悉く失敗してきてきたと指摘。ICCATについて「すべてのマグロを取り尽くす国際的な陰謀(the International Conspiracy to Catch All Tunas)」だという皮肉まで紹介していた。
 気になるのは、否決という結果に対する日本と海外の新聞の次のような論調の違いである。日本の新聞は「EUの誤算、途上国の反発」「先進国と途上国のパワーバランスの変化」(朝日)という見出しで、全面取引の禁止はEUに対して有利になり、途上国に対して不利になるとの否決の要因を詳しく伝えている。全体的には今回の否決を好意的に受け入れており、業管理による規制の強化で対応するべきだという論調である。漁業管理が失敗してきたことにはあまり触れられていない。
 これに対してエコノミスト誌は、「日本人は明るく笑顔だが、マグロの将来は暗い」(Eaten Away, 18th)という結果を痛むような記事を載せている。ニューヨークタイムズも同様に落胆の記事を掲載している(UN.Rejects Export ban…18th)。ただし、日本の新聞のように「モナコやEUの禁輸案では自国消費分は対象外で、単一市場のEU内では取引できる。マグロ漁をやめてもEUの漁師は補償金がもらえる。一方、EU域外の漁業国にとって禁輸は死活問題になりかねない」(日経)という懸念を書いている新聞ははまるでなかった。途上国に対する視線の欠如と言ってよいだろう。
 個人的には取引の禁止を支持するが、途上国のことを考えるとたしかに考慮しないといけないと思う。特にアフリカの国にはEUの船が多く入り込んで乱獲をしてきた経緯もある。「沈黙の海」(新評論)によれば、EUはアフリカ諸国と漁業協定を結んできた。これまで25の国々と漁業協定があり、そのうちの16が途上国だった。そしてその協定の内容があまりにもEUに有利であった。たとえば、「2006年、アフリカのカーヴォルデという国と4600万円を支払うことで、5000トンのマグロを獲ることを決めた。しかしながら、マグロの商業的な価値は平均14万円、あまりにもEUに有利な取引であった」。
 EUの国々は、自分たちの漁業管理がザラ過ぎたために漁業管理の強化に訴えてもまた同じように失敗すると思っているのかもしれない。たぶんそれは正しい認識だろう。ただそうやって乱獲をしてマグロを減らしてきたのが先進国であり、その先進国がこのように取引禁止を途上国に押し付けるのだから、彼らが怒るのも理解できる。これからは途上国が採決の場で強い発言力を持つようになり、温暖化同様に規制をするのはさらに困難になるかもしれない。
 ただクロマグロに関していえば、日本が全体の消費量の80%を占めているのだから、日本が取引きをやめれば、それだけで供給量も減ることになる。つまり、日本が需要を減らせば意外と単純に解決してしまう問題なのである。もし日本人が魚を食べ続けたければ自粛をするべきだ。

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孤立する日本

 日、久々に大学の学食に行った。メニューを見ていたら、びっくりした。「クジラカツ」というメニューがあったのだ。「たんぱく質が豊富、低カロリーでヘルシー、健康食材と食文化にこだわった鯨肉を召し上がれ」とのおススメまで…。聞いたところによると、3月から新しく始まったという。日本という国はつくづく考えさせる国である。ここまで国際世論が「クジラを食うな」と怒り心頭していているなかで空気を読まずに超然としている。和を大切にしてすぐに自粛をしてしまう国民のはずなのに、なぜか外からの視線を気にしない。
  
 最近の漁業を巡る問題―クジラ、クロマグロ、イルカ―を見ていると、日本人は、「温度差」があることは何となくわかっているが、実際に「温度差」を体感できていないような気がする。先日アカデミー賞のドキュメンタリー部門を獲得した「ザ・コーブ」は、話で聞いた限りでは、たしかに腹立たしい作品である。でも、上映禁止までいってしまうはどうだろうか。そんなところを自粛するよ、といいたい。むしろ、我彼の間にある「温度差」を少しでも体感するためにも上映するべきではないか。さもないと相手が何を求めているのかもわからない。批判をしようにもできない。どんどん孤立していくだけである。
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 漁業の問題は突き詰めれば、魚の頭数である。どれだけ減っていてどれだけ採ることができるのか―これに尽きる。もちろん難しいのは、科学的な合意が得られない点である。そういう「科学的な真実」が分からない状況のなかで、日本だけが「データがない」「科学的な調査が必要」と主張して捕鯨を進めるのはやはり非合理に見えてしまう。しかも、「調査捕鯨」を目的としたクジラが国内の市場に出回ってしまうのだから、外国の方々が「なぜ」「どうして」と思うのは理解できる。クジラを商業的に売るのであれば「商業捕鯨」にしろというのは言い分としてあるだろう。
 また、クロマグロの報道を見ていて違和感を覚える。というのも、その報道の多くが日本政府、水産庁の見解をただ垂れ流したものだからだ。「食の文化を守るために頑張ります」。こういう発言を聞くと、何となく我々が不当にいじめられていて、これに対して断固戦わなくてはいけないような気持ちにさせられるが、「魚が食べられなくても仕方ない」と思っている人もたくさんいるはずだ。
 特に、これらの報道からは次の二つのことが見えてこない。一つは「彼ら」がどうしてあれほど猛烈に規制をかけようとしているのかという視点、つまり、クロマグロの数が激減しているから規制しなければならないという当たり前の意見である。二つには、これまでEUをはじめとする規制賛成派がどのように漁業の問題に取り組んできたのかという大枠の視点である。
 前の投降でも何回か紹介したが、スウェーデンのジャーナリストが書いた「沈黙の海」という本がある。去年の12月、ヨーテボリ大学の佐藤吉宗さんが日本語訳を出版したもので、スウェーデンやEUがいかに漁業政策を野放しにしてきたか、それによって多くの魚が危機に瀕していることを明らかにしている。これを読むと、EUがアフリカ諸国からも漁業権を買い漁り、近代的な巨大な船で魚を根こそぎ奪っていること、ヨーロッパやアフリカで大型の魚だけでなく小さな魚まで激減している状況がわかる。それと同時に、さらに厳しい規制を入れるべきこと見えていくる。ちなみに、イザベラさんは2009年、環境党から欧州議会選挙に出馬して政治家に選ばれた。加えて、「The end of the line」という魚の枯渇を描いたドキュメンタリーがヨーロッパでは話題となり、漁業の問題に熱い視線が注がれている。現在、ヨーロッパの世論は、EUの漁業政策を変えようと動いているのである。
 今や、国際的な潮流が大きく変わりつつあるとすれば、この変化を理解しないといけない。最悪なのは、変化を感じ取れないことである。第一次世界大戦後を思い起こせばよい。1920年代は平和主義の時代となった。世界は、それまでの「植民地主義」から「国際協調」へと舵を変えた。でも、日本はその流れを感じ取れなかった。むしろ、世界の潮流が変わっているなかで、韓国や中国への支配を強化して植民地主義を突き進めていった(もちろん、既に植民地を持っている国々が門戸を閉め始めたこと、アメリカの移民排斥運動や海軍軍縮条約で日本が過剰に貶められたことは事実だろうが)。
 アメリカのようにパワーのない国は、世界の動きに合わせて変化する必要がある。アメリカのようにパワーがあれば何をしても免ぜられる。京都議定書から抜けようと、イラクに侵攻しようと国がつぶれることはない。でも、日本のような弱小国ではそうはいかない。残念だが、これが国際政治の常識であり、直視しなければならない事実である。
 かつて国際連盟を脱退して孤立主義の道を歩んで最後には国が潰れた。漁業の問題によって日本が一気に潰れることはないが、何となく1930年代のときの孤立主義に突き進んでいく予兆を感じる。現在、我々がするべきことは、国際政治がどこに向かっているかを把握して、そのなかで上手く立ち回ることだ。その意味で、日本は、日本国民はもっともっと外に目を向ける必要がある。こういうときこそ、空気を読む力を最大限に使っていこうじゃないか、と思う。

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ジャーナリストの方々へ

 々の投降です。フィンランド大使館から嬉しいお知らせをもらいましたのでここでもお伝えしたいと思います。去年、僕が参加させてもらったフィランド外務省が毎年8月に開催している「外国特派員プログラム」。去年に引き続き、日本がプログラム参加国の一つに選ばれました。
 これまでも何度か書いてきたことですが、フィンランドという国について知ることができる、フィンランドの要人たちと会談できる、そして世界19カ国のジャーナリストたちと友達になれる―。まさに良いこと尽くめのプログラム。他国の参加者たちも言っていたことですが、「ライフチェンジング」な経験を与えてくれるプログラムです。
 主な条件は、20歳~25歳で、一定レベルの英語が使えること。そして現在ジャーナリストとして働いている、または大学でジャーナリズムを専攻していて、将来ジャーナリストを目指している大学生です。詳細はこちらのフィンランド外務省のページに書いてあります。締め切りは3月31日までです。

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スウェーデン・ブックセミナーの映像

 1月にスウェーデン大使館で行ったブックセミナーの映像が見れるようになりました。とくに魚の資源問題について興味のある方には面白いと思うのでお勧めです。YOSHIさんのプレゼンを見てくださいまし。こちらから。(ちなみに自分の覇気の無さには恥ずかしい限りですが、まあ仕方ない。どうぞご笑覧ください。笑)
 もうひとつ、北欧、魚の関連というと、先日、フィンランドのメーリングリストからこのようなイベントのお知らせが送られてきました。「バルト海、アクションサミット」。そうなんです。バルト海はいまや世界で最も汚染が進行している海の一つらしいのです。フィンランドでホームステイしたところのお父さんいわく「一世代前までは水が透き通って見えていたのが、いつの間にか濁ってきた」とのこと。ロシアやバルト三国から出てくる農業や工場で使われた廃水が汚染の大きな原因だといわれています。解決するためには、ルールを決めて規制をかけるしかないでしょうが、国境をまたがっていますから、これも簡単にはいかないでしょう。
 ちなみに、今年は「生物多様性条約第十回締結国会議(COP10)」が名古屋で開催されます。環境関連のイベントも多く催されるみたいで、ちょうどいい機会なので、水産資源とか生物の多様性についても勉強しようと思っております。とくに海外にいると「クジラ」についてよく聞かれるのですが、いかんせんよくわからない。それについても調べてみようと思います。ちゃお。

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