環境党青年部の年次総会1

 曜日(18日)の夕方から二泊三日でノルショーピン(Nörrköping)という町で、環境党青年部の年次総会(Grön Ungdoms Riksårsmöte)が始まった。年次総会は青年部の活動の中でも最も大きいイベントの一つで、その年の代表(男女で二人)や執行部、そして青年部の方向性や具体的な政策について「民主主義的な討議」を通じて決めることになっている。今年で25周年を迎える青年部の総会には、スウェーデン全土から220人以上の若い環境党員が集まった。

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           会場は、ノルショーピンの市内にある労働者博物。

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 ウプサラ環境党青年部の仲間のレオ。高校一年生ながら、昨年の選挙をきっかけに環境党の青年部に加わった。親しい仲間とはスウェーデン語ではなく英語で話すことを心がけているというだけあって、英語はほとんど問題なく話せる。総会では、ミーティングやディスカッションの内容を必要によって通訳してもらっている。非常に助かる。

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     メインの会場(博物館の6階):ここで予算や細かい政策などのプレ決定を行う。

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 年次総会資料:一つのパンフレットには各々の党員が作成した提案を掲載している。今年は46の提案が掲載されている。これらの提案をさらに良いものにするため、党員たちは朝から晩まで議論する。最終的には党員たちが重要する提案を選び出した上で、5月の環境党全体の総会の場にてそれを改めて提出する。提案の内容は、実際の社会政策に関するものから、環境党青年部の組織改革など意思決定プロセスに関するものもある。

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 全体の総会がないときに、他の党員との意見交換を行う。党員たちが自ら提出した政策提案について説明、他の党員からの意見を聞いてさらに良い提案にするように努めている。

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 白紙の掲示板に提案の内容が書かれている。この提案に対して意見がある人は、紙に書いて張ることもできる。これらがたくさん集まれば、さらに良い提案になるかもしれない。

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         別の場所でも同じように提案書を張り出して議論を行っている。

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         博物館では、回転寿司みたいに展示品が回っている。笑。
 
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          執行部に立候補している党員たちによる自己紹介

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 青年部の代表立候補者らによるプレゼンテーションと、その他の党員からの質問に対する回答。代表選挙は二日目に行われる。男性枠には4人が立候補しているため、競争選挙となる。これについてはまた次に詳しく書く予定。

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 これが寝床。みんなシートと寝袋を持参している。部屋は「たくさん寝たい」「そこそこ寝たい」「ちょっと寝たい」という三つの選択肢から選ぶことができる。僕はせっかくなので「ちょっと寝たい」を選んだ。ほんとにちょっとしか寝ないので困った。寝不足。

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            議論はエンドレスに続く。

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日本の「文化大国」という新しいアイデンティティー

 し前ですが、ウプサラ大学の「フォーリンアフェアーズ(外交問題」という組織の発行している雑誌に記事を投稿しました。題名は「文化大国•日本という新たなアイデンティティーの出現」。何となくの暴論です。こちらから英語で読めます。”Japan’s new identity rise-as a cultural giant“.
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 記事の内容:昨年、日本は世界第二位という地位を中国に奪われた。上の世代にとっては目を背けたくなるような事実かもしれないが、若者に限っていえばさして驚くべきことではない。生まれたときから日本経済の停滞を見続けてきた若者は、そんなことで自尊心を痛めはしない。経済大国という地位など、二束三文の価値しかないだろう。むしろ、我々の自意識がひどく揺さぶられるとすれば、それは「文化大国」という地位が脅かされるときである。
 若者は、経済停滞のニュースが続くなかでも、日本という国への自信を見出している。実際、内閣府の世界青年意識調査(2009年)によると、「自国人であることに誇りを持っている」と答えた若者は81%で、6年前の同調査と比べて9ポイント増えている。また「自国の誇れるもの」についても「歴史や文化遺産」「芸術や文化」が上位にランクインしている。NHKとGallop社の「世界は日本をどう見ている」という国際世論調査でも、「日本は強い経済力を持っている」と答えた人は20%と他国と比べて最低だったが、「日本は伝統や文化が豊か」と答えた人は59%である。
 なぜ文化に対して自意識が高まっているのか? シンプルな回答は、海外で日本のブームが起きており、そのことが日本のメディアやインターネットを通じてよく取り上げられているからであるーー例えば、マンガやアニメに代表されるポップカルチャーは若者に人気があり、Sushi(寿司)を始めとする「日本食」を謳うレストランは増え続けている。また、日本の公共の空間(道や駅)の清潔さや治安の良さ、日本人の礼儀正しく親切なこと、グローバル化の中でも日常生活に伝統的な作法が生きていることなど、ソフト面でも高く評価されている。
 自己のアイデンティティーが常に他者を通じて得られるとすれば、このような「文化大国」という自意識は、外国人(≒西洋人)という他者を通じて高められてきたといってよいだろう。私の知る限り、「文化大国」というアイデンティティーが醸成された最初のきっかけは、2002年にダグラス=マックグレーが「外交(Foreign Policy)」という学術誌に発表した「日本の国民総クール(Japan’s Gross National Cool)」というエッセイである。彼の主なメッセージは、長期に渡る経済の停滞にも関わらず、「日本が経済大国だった1980年代よりも、世界に対する文化的な影響力はより高まっている」というものだった。
 その後、クールジャパンという言葉は、日本人の間でも使われるようになり、それを特集する新聞記事やテレビ番組も増えた。またインターネットの普及によって、あらゆる情報が手に入るようになり、日本のポップカルチャーが浸透することで、世界各地で日本ブームが起こるようになった。今では、フランスのジャパンエキスポのような日本のポップカルチャーのイベントが世界各地で開かれている。そして、「外国人(西洋人)が日本をクールと感じている」という言説が日本へ逆輸入されることで、若者たちは「文化大国」という自画像を認識し、日本という国そのものに対する自信を深めているのである。
 この分析が正しいとすれば、「どうして若者が内向きになっているのか」という謎も解けてくるだろう。つまり、日本の食のバラエティーとクオリティーの高さ、地域ごとの食や名産物の特色、都市部における娯楽の豊富さ、治安の良さなどを考えると、「日本で十分楽しいから海外に行かなくてもいい」と思うことは容易に理解できる。(もちろん、「精神的な要素」だけでなく、むしろ、財政、言語力、そして「一度レールから外れると戻りづらい」社会のルールなどの「構造的な制約」を気にして外に出ないという人はたくさんいるだろう)。
 また、この分析に従えば、今後の日本の社会は「鎖国的な方向」に向かうことが予想される。外国人がクールと感じている「日本の魅力」は、多かれ少なかれ「閉鎖的な島国」という「地理的条件(辺境性)」と深く繋がっている。もしも政府が、日本の国のかたちを損なうような改革を進めるのであれば、若者の文化大国としてのアイデンティティーは脅かされることになり、若者は強い嫌悪感を覚えるだろう。若者たちにとっての「国益」とは、経済的価値というよりも、日本の長い伝統や歴史に裏付けされた「文化的価値」のことを指すからだ。
 しかしながら、問題の焦点となるのは、痛みを伴わない改革を行うことなく、国のかたちを守れるのかという点である。果たして経済成長を目指すことなく、日本の膨れ上がった借金を返すことができるのだろうか。もしも経済成長が必要だとすれば「移民の受け入れ」はいらないのだろうか。経済成長なしに、現在の文化力を維持することが出来るのだろうか?もしも愛国者であろうとすれば、こうした問いは避けては通れないものだ。

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続-児童ポルノに関するテレビの報道番組

 ウェーデンの公共放送で、シーモンさんのエロマンガの所持の有罪判決に関する報道番組を流していた。毎週日曜日のAgendaというニュース番組のなかの、レポート&ディベートの10分程の枠。「色々な意味」で面白かったので紹介する。ここから視聴もできる。

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 アジェンダーいつも冷静沈着なニュースキャスター。

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 〜レポートの導入コメント〜
 「ショックを受けました。マンガの表現を巡って、モラルパニックが起こるなんて」。

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 ウプサラの警察署。シーモンさんのコンピューターから押収されたマンガの画像は、警察署の一室に厳重(!)に保管されている。ここでレポーターは警察官と会合する。

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 ナレーター「ここには児童ポルノ法に抵触するマンガの絵が保管されています。マンガの絵は機密文書扱いとされており、閲覧するには特別な許可が必要となります。児童ポルノとされたマンガを見ることは犯罪となるため、テレビに映すことはできません」

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 レポーター「 私の目の前には問題のマンガの絵があります。こどもが、、、様々な体位で、セックスをしています。その中には年上に見える人もいます。。。でも、これは単なるマンガの絵ですよね?違法なんですか?」

 ウプサラ警察署のセシリアさん「法律の前例に従えば、マンガの絵であろうと、コンピューターの中にあるアニメーションであろうと、すべての描写が適用の範囲になります」

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 ナレーター「マンガ絵は、日本のコミック文化の一つです。最も知られているは、若者を描いたマンガですが、他にも、エロ要素を含んだものもあります」

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 マンガ書店員のスタファンさん「(ニュースを聞いて)恐ろしくなりました。実際に児童ポルノと指定されたマンガの絵は公開されていないわけですから、どういうマンガが法律に違反するのかわかりませんでした。マンガを燃やせということかと思いました」

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 ナレーター「有罪判決を受けた被告は、著名なマンガ翻訳者の一人で、違法とされたものは、様々なマンガの描写の寄せ集めでした」

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 マンガ図書館の司書のクリスティーナさん「今回の判決は、文学作品のなかに児童ポルノの描写があると主張するのと同じくらいおかしなものです。単なる絵ですよ。誰が何をしたっていうんですか。マンガの描写を読んだだけで、人は犯罪を犯すわけではありません」

 再び、警察官のセシリアさん「このマンガ絵は、児童ポルノに当たると思います。彼ら(マンガのキャラクター)は思春期の発達過程を完全に超えていません」

 レポーターー「でも、それでも、単なる絵ですよね?」

 セシリアさん「生身の人間が曝されているかどうかは問題ではありません。これは、子供という存在に対する侵害に当たります」

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                     〜ディベート開始〜

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 海賊党の(新)党首のアンナさん「今回の有罪判決は現行の法律に従ったものといえます。しかしながら、問題なのは、その法律が間違っていることです。単なる描写であり、現実に子供が被害に会っているわけではありません。行き過ぎです。おかしいです。

 海賊党「警察はこんなことにお金と時間を費やすくらいならば、現実に被害に合っている子供を救うために働くべきではないでしょうか」

 司会者「(隣を向いて)どう考えていますか?」

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 子どもを救う会のオーロフさん「このような性的な犯罪が許されるわけにはいきません。明らかに許容レベルを超えています。例外を作ってはいけません。これは複雑な問題ですが、子供には身の安全と保護が必要です。今回のマンガ絵は重大な虐待に当たります」

  海賊党「子供を虐待したり、まして(子供の裸を)写真に残すなんてことはあってはいけません。でも、ポルノ法は現実の子供を守るためのものです。マンガは関係ありません」

 子供を救う会「その通りです。マンガの中の子供は、現実の子供とは違います。でも、重大な問題を示しています。性的虐待には解決策はありません。明らかなことは、これに対してOKといえないことです。子供はあらゆる方法で保護されるべきです」

 海賊党「犯罪に合ったことのある子供にとっては辛い問題なこと(?)は確かです。でも、他のおぞましい写真と比べて見てください。新聞には死体や怪我をした人の写真が載っています。それらをみれば人は困惑するでしょう。私も、あなたも、そういうものに日々触れているのです。いくつかの写真は不快に感じるかもしれません。でも、どう思うかは人の主観です。児童ポルノ法はたしかに曖昧ですが、明らかな境界線は存在します。それは、現実の子供が被害に会っているかどうか、現実に写真に撮られているか配布されているかという点です」。

 司会者「性的虐待について文章で表現することは禁止されていませんよね?」

 子供を救う会「それは良い質問ですが、私は良い答えを持っていません。この件を通じて考えていきたいと思います。私はビデオに撮られたを子供に会ったことがありますし、子供が虐待されている写真について考えてきました」

 海賊党「現実にはグレーゾーンがあります。私は、芸術と文学を専攻していました。私が研究をしていたときは、芸術関連の本のなかには、多くの表現や作品が掲載されていましたが、そのほとんどが現在では違法に当たります。(??)。。つまり、私が言いたいことは、境界線は、現実の子供が被害を受けているかどうかということです」

 司会者「(隣を向いて)境界線はどうやって引きますか?」

 子供を救う会「境界線があることは良いことだと思います。法律による線引きは、表現の自由を侵害するかもしれませんが、でも、ほんの少しです。法律が出来てから、何か状況が悪くなったりしましたか? 大半のスウェーデン人は、このような絵をおぞましく感じています。私は芸術の専門家ではありません。子供の虐待は改善されるべきです」
 
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 司会者「時間になりました。お二人とも忙しいところ来てくれてありがとう。ちなみに、後ろのマンガ絵は、児童ポルノ法には違反していませんので、ご安心を!それでは、さよなら」

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エロマンガ(?)の所持で有罪判決2ー瑞国

 のブログでも書いたが、去年の7月、スウェーデンで著名なマンガ翻訳家のシーモン=ルンドストルム氏(37歳)が、子どものセックスシーンを含む漫画の絵(51枚)をパソコンに所持していたとして、ウプサラ地方裁判所から罰金刑の有罪判決を受けた。昔の記事「スウェーデン、児童ポルノの漫画規制
 シーモン氏は「実在の子供が被害に会っているわけではない」として、高等裁判所に告訴していた。そして1月28日に出された判決は、変わらず、有罪だった。ただし、罰金の額は前回の25000クローナ(日本円で約30万円)から5600クローナに減額された。その理由は、児童ポルノ法に抵触する絵の数が。51枚から39枚に修正されたから。プレスリリースによれば、「4枚の絵に関して『子ども』と認定すること、また8枚の絵について『子ども』と認めるものの児童ポルノ法に違反していると判断するのが難しかった」としている。
 追加:地方裁判所で違法とされ、高等裁判所で合法とされた児童ポルノの絵が見れます
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 今回の判決を聞いたとき、残念というより、バカバカしさと怒りが混ざりあったような感覚を覚えた。前回の有罪判決でメディアも大きく取り上げて「批判的に」報道してきたので、この高等裁判所では、無罪の判決が出るに違いないと思っていた。でも、判決は変わらなかった。前回も書いたように、マンガの表現は創造の産物であり、そこに子供の性的な描写を含んでいたとしても、実際には誰も被害者はいない。子供たちは「非実在少年少女」に過ぎない(ちなみに今回シーモン氏が所有していたマンガには、厳密には「子供」は出てこない。こちらのブログ(英語)によれば、ウサギの耳や猫のシッポを持つ「生物態」だそうだ)。
 もちろん、同人誌の類を生理的に受け付けない、という意見は理解できる。同人誌の中には人間の心の暗部をそのまま具現化したような作品もたくさん存在する。たとえば、本屋であれば年齢ごとに区画を明確にする、インターネット上でも、「入り口」を決めて見たい人だけが見れるようにするなど、必要な措置は取ればよい。私もできれば見たくないし、シーモンさんも特別に好んで見ていたわけではない(マンガ翻訳家としての仕事の一環でもある)。
 今回の件では、いきなり、シーモンさんの家に警察官がやって来て、コンピューターを押収していった。別に他人へ配布していたわけではない。自分の仕事のために所持していただけなのに、それら押収された画像を証拠に有罪判決を受けた。これはどう考えても行き過ぎではないだろうか。もしもこれが日本だったら、100万人以上が犯罪者になってしまう。コミックマーケットにいる人達は一斉検挙されてしまうだろう。
 結局、このような判決が出てくる背景にあるのは、イメージ。ーつまり、同人誌の類を読む人達は、性犯罪を犯すという全く科学的でない思い込みである。エロマンガを読むことと性犯罪を犯すことには全く相関関係がない。もしも相関関係があるならば、日本という国は性犯罪者で溢れているはずだ。しかし、実際にそのようなことはない。むしろ、スウェーデンのほうが性犯罪は多い(ただしスウェーデンの統計の取り方は特異である)。
 前にも書いたように、シーモンさんとは二年前(交換留学)からの友人だ。それだけに一層無念である。シーモンさんほど日本のアニメやマンガに精通した人はスウェーデンにはいない。ストックホルム大学の日本語学科の一期生であり、1990年代には自ら「マンガ会」という組織を立ち上げた。数々のイベントの開催やアニメ•マンガの翻訳に貢献してきた。
 マンガの翻訳作業では、細かい台詞や背景にも気を配ることで定評を持つ。例えば、人気マンガの「ワンピース」には、「おにぎり(鬼切り)」など外国語に翻訳しにくい日本語が頻繁に出てくる。読者からは「日本語のままでいい」という要望が来るが、シーモンさんは決して妥協をしない。人気少女マンガのフルーツバスケットでは、「丁寧語」がキャラクターの関係性を表現する上で重要な役割を果たしている。普通の翻訳家ならば適当にごまかすところを、それぞれの文脈に合うように、スウェーデン語で表現しようと努めてきた。
 スウェーデンの新聞(SVD「希望は最高裁へ」)でも紹介されているが、スウェーデンの大手の漫画出版社のボリネー=カールセンがシーモンさんとの契約を打ち切ったことにより、マンガ翻訳の仕事を完全に失った。出版社は当初、シーモンさんと一緒に裁判を戦っていたが、途中で「試合放棄」した。今回の裁判は、スウェーデンにおけるマンガ表現の可能性を根本から否定するものだ。積極的に守り育てるべき役割を負っている漫画の出版社が何もせずに背を向けてしまうとは、ひどい話である。
 シーモンさんは「スウェーデンは中世の時代に戻ってしまった」と話していた。今回の高等裁判所の有罪判決に従えば、マンガを読むという行為自体が犯罪に当たりかねない。15歳(訂正18歳)以下の女の子の裸の描写を含むという点では、少年ジャンプですら「禁書」に当たるかもしれないし、講談社のホームページにアクセスすることも、犯罪行為になる可能性がある。シーモンさんは「日本に『亡命』しようかな」と冗談混じりにいう。
 現在、最高裁判所への上告を考えている。上告の可否に関する審査は二週間ほどかかるという。もしも日本のメディア関係者で取材したいという方がいらっしゃれば、ぜひ連絡ください。シーモンさんは大歓迎だと思います。日本からモラルサポート(!)を送りましょう。

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新聞のなかのスウェーデン言説

 とつ前の投稿のスウェーデンパラドックスという本に関する追記です。 
 私の副専攻だったメディア•ジャーナリズム研究の論文(2009年)のタイトルは、「新聞の中のスウェーデン言説」というもので、朝日新聞を事例にして、1945年からスウェーデンがどのように取り上げられ描かれてきたかを分析した。現代的な文脈での問題意識は、スウェーデンに関する記事には、スウェーデンの「強い経済•競争社会」という視点が抜け落ちている、という点だった。今回のスウェーデンパラドックスという本は、このようにバランスを欠いてきたスウェーデン言説を埋めるものとして最適の一冊といえるだろう。
 ちなみに新聞分析(特集記事)のまとめの文は以下のとおり。
 「1960年代までの戦後の時期は、スウェーデンの全体像を浮き上がらせるような丸々一ページを使った特集が多かった。そこでは「武装中立」や「国連軍」についての言及、そして経済状況、社会保障・福祉制度などを総合的に紹介している。端的にいえば、福祉国家のモデルとしてのお手本のようなイメージが築き上げられている。また、60年代はそれとともに映画をはじめとした文化面についても取り上げられている。とくにフリーセックス(神話)については、それを取材する記者自身が好奇心と驚きを持って伝えている」。
 
 「1970年代に入ると、社会民主党の政権交代に象徴されるように「福祉国家の後退」が紙面でも大きく伝えられ、福祉国家に対する批判的な分析も含めて、社会保障・福祉の分野についての記事数が増加する。加えて1980年代に入ると、それまでのスウェーデンに対する関心が、環境、原発、行政、メディア(匿名報道)など多様な分野へと拡散していく」。
 「そして1990年代後半からは福祉国家に対する批判的な言説が消えてゆき、福祉の分野でも、介護、年金、少子化、子育てなどのように個別具体的な政策に焦点を当てた特集が多く組まれるようになる。スウェーデンの「福祉国家のモデル」というイメージは、21世紀に入っても継続している。だが、記事の焦点が個別具体的になればなるほど、スウェーデンモデルを底支えする「経済成長」や「国際競争力」という視点からの指摘が少なくなり、「手厚い福祉」という自分たちのフレームに沿う点だけを抜き取って報道している。つまり、スウェーデンの「つまみ食い」(土居丈朗)という現象が起きている、といえる」。

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スウェーデン•パラドックス

 存知の方もいるかと思うが、ヨーテボリ大学の博士課程で研究をしている佐藤吉宗さんが「スウェーデンパラドックス」という本を共著という形で出版された。スウェーデンの社会経済の全体像がこの一冊でわかるし、個別の税制や雇用政策(解雇規制など)のルールについても詳しい。おすすめの本です。

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 本書は、スウェーデンにおいて、福祉と経済がどのように両立しているのかについて解き明かす。一般的には、福祉を手厚くすると、人々は働く意欲を損ない、競争力が落ち、経済が弱くなると考えられているが、スウェーデンは、手厚い福祉と強い経済を上手く両立させており、成功モデルとして世界中から注目されてきた。日本ではあまり知られていない仕組み、それを支える行動原理を紹介しながら、なぜ飛ぶはずのないものが飛んでいるのか−スウェーデンパラドックスーについて解説している。

 本書の読みどころは、大きく分けて三つあると考える。

 一つは、スウェーデンの「厳しい競争社会」という点である。スウェーデンという国は、福祉が手厚くて生活に心配がないという安心の国というイメージを思い浮かべるかもしれない。しかし、本書が強く主張するには、スウェーデンは、生産性の低い産業や企業は淘汰され、競争力の強いものが生き残るという弱肉強食の側面を持っている。時代の流れに沿って必要とされるサービスは変わっていくため、人々も必要とされるスキルを常に更新していかなければならない。ゆえに産業や企業間の転職は当たり前のことで、労働組合の組織率が高いにもかかわらず、解雇に関する規制も日本で考えられているより厳格ではなく、必要に応じて柔軟に解釈されている。本書では、2008年秋の世界不況に見舞われた後、苦境に陥ったサーブやボルボをスウェーデン政府が救済しなかったことを例に挙げている。

 二つ目は、さまざまな社会保障制度が、「労働インセンティブを最大限に高める」ように設計されている点である。たとえば、スウェーデンの労働コストは欧米諸国よりも低く、日本と同程度だという。その秘密は、たしかに企業の社会保険料負担は31%と高いものの、法人税は26%と低く、その他の福利厚生費や扶助手当などはほとんど掛からず、国が大きな役割を負っていることにある。また、本書の中で何度も強調されているように、スウェーデンでは働くことが大前提で、「働かざるもの食うべからず」という精神が貫かれている。たとえば、育児休業手当、疾病手当、失業手当などの社会サービスは所得レベルに比例して支給されている。つまり、働いていなければ、最低限のレベルの給付しか受けられないため、「就労してより多くの所得を得ようとするインセンティブが働く仕組みになっている」。

 三つ目の特徴は、すべての章を通じて、日本との対比を徹底的に意識している点である。最後には、日本への提言という章を設けており、「第三の道」を掲げる民主党の政策について、イギリスの労働党とは似て非なるものと批判を加える。「郵政民営化の国有化路線」「日本航空の救済」などについては、「スウェーデンの経済や産業政策における小さい政府を見習うべき」と手厳しい。一方、目玉政策であった「子ども手当」についても、方向性こそ間違っていないが、日本の現状を見比べた上で、「子ども手当」よりも保育所の充実こそ重要な課題ではないかという。その他、日本の政治のあり方についてもいくつか提言をしている。

 スウェーデンの様々な社会政策のモデルをそのまま日本が輸入できるわけでもないし、盲目的に真似するべきではない。しかし、このようにスウェーデンの取り組みの成果と過程を追うことで、日本が自ら問題と向き合い、解決していくためのヒントになることは確かだろう。著者の二人は、日本とスウェーデンの経済の専門家だけあって、両国の対比が上手くまとまっている。日本への提言書として、スウェーデンの社会システムの解説書として、色んな読み方ができる。スウェーデンに関心のある人もそうでない人にもぜひ読んで欲しい一冊である。

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エコ•ベジタリアンのススメ

 「うして人はベジタリアンになるのだろう?」日本にいるときは不思議に思っていた。不思議に思いながらも、この「なぜ」を深く掘り下げることはなかった。日本の日常生活で、ベジタリアンに出会うことはほとんどなかったし、例外的に出会う人達といえば大抵が外国人だった。ベジタリアンと聞いても、「外国人だから」という理由で納得するだけで、それ以上のことについて聞くこともしなかった。私にとって、ベジタリアンは、異なる趣味を持つ、異なる世界の人間たちだったのだ。
 Why do some people choose to become “vegetarian”? I used to wonder the reasons when I was in Japan. At the same time, I never dared to delve into the reasons further. After all, most of vegetarian people I met in Japan was foreigners. It made sense to me that they chose to become vegetarian because they were foreigners. For me, vegetarian was a mysterious, inconceivable concept.
 そんな私も、去年の10月から、お肉をなるべく控えるようになった。つまり、セミ•ベジタリアンになったのだ。約三ヶ月が経過したが、特に困ったこともない。これからも自分のペースで続けていこうと思っている。なぜ私がセミベジタリアンになったのかーここに至る経緯と理路について、主に二つの理由を上げて説明しよう。
 My perspective of the world has changed,if not completely, since last October: I became semi-vegetarian. Three months have passed and I seem to feel natural to live without eating meat. Of course I eat meat sometimes when my friends offer these at dinner, though.
 But why vegetarian? Two reasons can be provided below.
 一つ目は、環境配慮の理由からである。 
 First, it is due to the consideration for the environmental protection.
 ベジタリアンになる理由として大きく分けて次の4つが挙げられる。1、宗教、2、動物愛護、3、健康、4、環境への配慮。中東諸国では、1の宗教的な理由から、ヨーロッパにおいては、2の動物愛護の観点から、ベジタリアンになる人が多いとされる。ただし、最近では、ヨーロッパにおいて、4の環境配慮を理由としてベジタリアンになる人が増えている。私がセミ(エコ)•ベジタリアンになろうと思ったのも、この環境配慮からである。
 As far as I understand, there are roughly four reasons for choosing vegetarian: 1, Religion, 2, Animal Right. 3. Health, 4, The concern from the effect of meat consumption on the environment. The religion and animal right can be major factors. However, the forth choice, consideration for the environment, also plays an more important role in determining vegetarian.
 2000年代後半には、畜産の製造過程で排出される温室効果ガスに関するレポートが次々に出てきている。ウィキペディアの英語版には、「エコ•ベジタリアニズム」という項目があり、肉の消費を控えることが持続可能な発展に繋がることを説明している。
 In the late 2000s, the increasing number of reports came out, pointing out that meat industries has been contributing to the global warming. There is a category in Wikipedia called “environmental-vegitarianism” and it explains how the process of meat production can cause problems.
 これによれば、畜産は、森林破壊、空気や水の汚染、土壌の劣化、そして気候変動を引き起こすとされる。1キロの牛肉を生み出すのに10キロ以上、豚肉でも6キロ以上の穀物が必要になるが、それをそのまま食糧に回すことができれば、遥かに効率的にタンパク質を取ることができる(もちろん動物性と植物性タンパク質では質が少し異なるが)。
 According to it, “the livestock industry is one of the largest contributors to environmental degradation worldwide, and modern practices of raising animals for food contributes on a “massive scale” to deforestation,[2] air and water pollution, land degradation, loss of topsoil, climate change,[3] the overuse of resources including oil and water, and loss of biodiversity”.
 たとえば、2006年の世界食糧機関は、畜産業の及ぼす温室効果ガス全体の排出割合は18%に上るとしている。また、2009年、世界銀行の科学者の調査では上記のFAOの数値を「甘い」とし、実際の排出に寄与する割合は51%にまで上ると主張している。
 For example, “FAO reported in 2006 that meat industry contributes 18% of all emissions of greenhouse gases. This figure was revised in 2009 by two World Bank scientists and estimated at 51% minimum”.
 これから新興国の人々が経済成長を背景に「爆食」を始めると、気候変動が促進されるだけでなく、穀物の輸入にかかる値段が上がり、日本の食糧安全保障にも影響を与えることになるだろう。これらの問題の解決に寄与するためには、現時点では、消費者ができるだけ肉を控えること以外にはない。本当に効果を出すためには、税金を加えるなどの措置を取るしかないが、公平な税の掛け方などの技術的な問題もあり、現実的には難しいだろう。
 In the near future, it is predicted that the climate change is accelerated and that food security will be seriously threatened when massive number of people in emerging countries start to eat more and more meat. Currently, there is no other measure than to appeal to customer’s morality for avoiding meat and decreasing demands. Unfortunately, this can make little impact. A certain forceful regulation, like tax imposition, is required to make an effective outcome, but it is not easy to figure out how to structure tax-system and gain public support.
 スウェーデンの環境党は、肉の消費を抑えることを推奨しているが、税金を加えるなどの政策についてはマニフェストに記していない。肉好きから毛嫌いされるからだ。代わりに、環境党の青年部では活発に反対キャンペーンを行なっている。ウプサラの環境党青年部の二人(高校生)が、ある新聞のウェブページに「肉は週に二日だけースウェーデンのレストランにベーガン料理のみを提供する日を法律として定めよう」という意見書を出した。主張の是非は別に、彼らの行動力にはいつも感心させられる。
 The Swedish environmental party encourages people to eat less meat. However, the party has not advocated to introduce a forceful regulation. This hesitation is understandable: the party cannot not take a strong stance and give an impression of “extremist or radical”.
One of my friends in Uppsala Green Youth wrote an article:”Skip meat two days a week (Skippa kött två dagar i veckan)”. I am sometimes impressed by these young people’s initiative to take a bold action.
 ちなみに、スウェーデンのベジタリアンの数に関するデータは2001年のものしかない。それによると、0.5%がベジタリアンで、3.5%がセミ•ベジタリアンだという。ただ、これは私の印象よりも低い。現在、スウェーデンの若い世代(高校生)の環境問題に対する関心が高くなっていることを考えると、セミ•ベジタリアンであれば10%近くになるのではないか。
 The number of vegetarian in Sweden is 0.5 percent and semi-vegetarian 3.5 percent, according to the data available in 2001. However, this number seems not to reflect the reality now in 2011. Given the growing concern among young people for the environment, the number of semi-vegetarian could be amounting to around 10 percent in Sweden.
 二つ目の理由は、エコ•ベジタリアンという概念自体を広げることである。エコ•ベジタリアンというアイデンティティーに身を包むことで、その他の環境問題にも、あるいはその他の公共問題にも関心を持ちやすくなる。つまり、肉の消費を抑えるというだけの目標を超え、その他の環境や公共問題に目を向け、解決のためにできることを考えるようになる(こういう小さいことをきっかけにエネルギー政策、外交の問題などにも目がいくかもしれない)。
 Second, my reason for choosing semi-vegetarian is not necessarily to stick to the vegetarian practice, but to spread the idea of “environmental vegetarian”. With its identity of environmental vegetarian”, people naturally turn their eye on other environmental issues because their preference of action is always determined by their identities. In effect, the concept of vegetarian is a mean to accomplish for a larger goal: to spread the idea of “environmental vegetarian” and “environmental identity” in the long run.
 私は、「肉を絶対に食べない」というベジタリアンでなく、「肉の消費をなるべく抑える」というセミ•ベジタリアンで十分だと考えている。なぜなら、肉の消費をどれだけ抑えられるかよりも、アイデア自体の拡散が大事だと考えるからだ。そもそも、ベジタリアンの存在が身近でなくて理解がない日本では、ベジタリアンというと、少し極端な人というニュアンスを与えてしまい、引かれてしまう。これは政治的な効果という観点からみると、もったいない。セミ•ベジタリアンという現実主義的な手段を取れば、このようなロスを避けることができる。
 I personally believe that the semi-vegetarian is better than pure-vegitarian because the former can be easily shared among people. Particularly in Japan, in which vegetarian is considered an ideally extreme person, it is strategically better to choose to be semi-vegetarian in order to spread the identity.
 日本は、環境大国としての高いポテンシャルを持っている。一つは、経済成長をあきらめはじめている点、もう一つは、伝統的にセミ•ベジタリアンだったという歴史がある。
 It is my conviction is that Japan has the potential of becoming an “environmental giant”, a country which can take initiative to appeal to the world the necessity of protecting the environment. One reason is that Japan seems to be the first major country which might give up pursuing of economic growth. Another reason is that Japan had the long history of vegetarianism that comes from Buddism and Shinto tradition.
 1、しつこく言われているように、日本の経済は20年間成長しておらず、若者は消費文化から撤退を始めている。バブルの頃をすごい時代もあったんだなと、妬みを覚えながらも、「過剰労働」や「過剰消費」に明け暮れることは「クールではない」と思うようになっている。それが「草食系」と呼ばれる現象によく現れている。スローフードやアンチグローバリゼーション運動を先導してきたヨーロッパの国々でも見られないような規模の、若者のアイデンティティーの変化が日本では起こっている。それが政治運動に繋がっていないだけだ。
 First, as many have pointed out repeatedly, Japan has not seen any economic growth for about 20 years. As a consequence, young people seem to turn their backs to what is called “consuming culture”, and begin to think that “working hard” and committing themselves in “over-consumption” is not cool anymore. This drastic change of mentality can be found in the buzz word “Soushoku-kei”, herbivorous-type”. On the one hand, this scale of change is yet seen even in European countries, which took the initiative to direct anti-globalization and slow food movement. On the other hand, what is distinctive about Japanese non-consumer trend is that the change of mentality is not related to political ideology or activity.
 
 2、日本は国際比較で見た場合には、肉の消費量は大きくない。2005年の統計局のデータでは、一年で一人当たりが食べる肉の量は、日本(47キロ)、アメリカ(127キロ)、中国(57キロ)、イギリス(86キロ)、スウェーデン(78キロ)であるー。日本人は、肉をあまり食べいない代わりに、魚や大豆を摂取している。外国人の中では、伝統的なベジタリアンの食文化に憧れて日本にやってくる人も多い。特にアメリカでは、何を食べているかでその人の教育水準が分かるといわれる。日本食を好んで食べる人たちの多くが、知的エリートだ。
 Second, from the international comparison, Japanese do not consume as many meat as foreigners. According to a data in 2005 from statistic office, the number of meat consumption per person per year is as followed: Japanese (47kg), American (127kg), Chinese (57kg) , British (86kg), Swedish (78kg). Japanese is famous or notorious for consuming a lot of fish and soy beans besides meat. Actually, quite a few foreign people are attracted by traditional custom of vegetarians and healthy food.
 しかしながら、このことを意識している日本人は多くない。むしろ、かつての自分がそうだったように非常に少ない。ベジタリアンの概念もおぼつかないし、日本でベジタリアンの料理のお店を見つけることは難しい。最近は増えてきたとはいえ、まだまだ少ない。
 Unfortunately, few Japanese people are aware of this fact. The idea of vegetarian is not so spread among people that it is not that easy to find vegetarian restaurant.
 日本が「環境大国」として存在感を発揮するためには、もっともっと多くのレストランで、ベジタリアンの料理を提供する、消費者もそういう需要を生み出すように後押ししていくべきである。大切なことは、一部の金持ちの戯れとしてのロハスとかエコではなく、普通の人達が当たり前のこととして実践していくことだ。それぞれの自治体やコミュニティーで取り組んでもよいだろう。(ベジタリアンタウンが出来れば、外国観光客も呼べそうな気がする)
 日本には条件は揃っている。草食系という特性も、実際はお肉を食べないわけではないのだが、名前が指し示す通り、ベジタリアンのアイデンティティーと親和性を持つ。また、一番大きな資産は、日本のベジタリアンの食文化である。これらの歴史的な文脈とモダン的な発想を組み合わせれば、世界に羽ばたける素晴らしいベジタリアン料理が発信できるだろう。あとは市民たちがどれだけアイディアを広めていくかどうかだ(政治家がメディアイベントを使うこともアイディアの拡散には不可欠なのだが、そういう人はまだ日本にはいない)。

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2010年を振り返って

 年もいつの間にか終わりに近づきつつあるようだ。ウプサラのファッションストリートが見える小さな部屋のなかで、テレビも見ることなく、一人で孤独に過ごしている。もはやクリスマスだろうが年末だろうが、特にこれといった感慨もない。一本締めの無いまま解散してしまった飲み会みたいな感じだろうか。二年前の交換留学のときも同じようなことを感じていたようだ。その時の日記。やはり年末を過ごすならば日本がよろしい。
 The year of 2010 is coming to an end in some hours. For the christmas vacation I did spend almost alone in my room reading books and watching films. With this total solitude, I feel no sense of attachment to the Christmas or the New Year Day. It seems that I have felt the same thing when I had to experience late december here two years ago as an exchange student. I wish that I could be in Japan in the year-end and new-year holidays.
 さて、2010年を振り返ってみる。2009年が刺激に溢れて劇的に揺れ動くときだったとすれば、今年はまさに充電の年といったところだろうか。冬から春にかけては進むべき方向があまり定まっていなかった。スウェーデンとフィンランドの大学院を選考に出しながら、日本の大学院の選考にも出そうかと考えたり、3月には就職活動のようなことをしつつ失敗したり。4月からは2ヶ月強とインターンシップをしながら、ふらふらしていた。
 Now I am gonna reflect this year 2010. If 2009 was described as a dramatically bibrant and stimulating one, the year 2010 might be remembered as one for charging battery. Over the winter and spring, I was still unfocused of what I should do. While applying for graduate school in Sweden and Finland, I was wandering around whether to apply for Japanese graduation school. I also did a few job-hunting, which resulted in failure. From April I started to work at a company as an internship for two months.
 それが、5月にウプサラ大学院の入学が決まり、ようやく足腰がかたまった。具体的な道は示されたわけではないが、少なくとも向かうべき方向性は定まった。
 In the middle of May, it was announced that I was allowed to enter the Uppsala University in master programme. I was glad that at least there was a way I could strive on.
 8月から始まったスウェーデンの新生活も充実していた。スウェーデンの選挙戦に実際に参加することで、日本との違いをこれでもかというほど痛感させられた。また、大学院の授業も思ったよりも質が高かった。ステファノ教授は、頭の回転が信じられないほど早く、何が言いたいのかわからない学生の質問に対しても、その意を素早く汲み取り、的確に言い換えて答えることができる。天才肌でありながら、学生にも親身にコミュニケーションを取ってくれる人間的にも尊敬できる素晴らしい先生だった。ステファノ教授の授業とセミナーを通じて、志を同じくするクラスメイトにも恵まれた。これは幸運だった。
 思えば、今年は、日本のことなんてまるで知らないスウェーデン人たちとも友人になることが出来た。これは交換留学のときとは異なる発展である。二年前は、日本に興味のあるスウェーデン人(つまり親日家のスウェーデン人)とばかり接していた。別にそれが悪いというわけではないが、スウェーデンコミュニティーの中に飛び出すことをせずに、いわゆる日本コミュ二ティーという狭い枠の中に閉じこもっていたことも事実といえば事実だ。
 特に、環境党のユースの活動では、大学生ばかりか、高校生、そして中学生とも知り合うことができた。こういう年齢による壁のない自由な関係性は素晴らしいと改めて思う。せっかく長期間スウェーデンに住んでいるのであるから、こういう日本枠の外での関係性こそ、今後も追求し築いていくべきだと思う。来年は、スウェーデン語力を日常会話ができるまで鍛えることで、さらに多くのスウェーデンコミュニティーに入り込んでいきたいと思う。
 みなさん、良い年末を!
 

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消費文化へのささやかな反抗

 リスマスが今年もやってくる。スウェーデンでは、クリスマスは家族で一緒に過ごすことになっており、一年のなかでも最も大きなイベントの一つである。家族のメンバーに対するプレゼント交換では、一人一人にプレゼントを用意することが多い。クリスマス商戦も激しくなり、普段は閑散としているショッピングストリートも多くの人々で溢れかえるようになる。ちなみに、スウェーデン人の2010年のクリスマスプレゼントにかける金額の平均は、2700クローナ(約3万2千円)だという。

 Tomorrow is the Christmas Day. In Sweden, the Christmas is one of the most important day where they most likely spend time with family members. For the party, they give presents for each of family members. Naturally, massive numbers of people rush to shopping street around this time. This year, it was announced that the average person spend about 2700 Kr for presents.

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 さて、環境党の青年部のメンバーの企画で、クリスマスプレゼントに伴う「過剰消費」に対して異を表明するデモンストレーションを行うことになった。彼らの言わんとすることはシンプルで、過剰な消費活動は環境に負荷が掛かるため、必要性に欠けた消費行動は出来る限り抑えよう、あるいは、最低限フェアトレードや環境負荷の少ない商品を選ぶように心がけるべきだ、というもの。

 Before the Christmas season, the young organization of the environmental party in Uppsala decided to arrange the demonstration against “overcomsumption”, arguing that overcomsumption is causing environmental problems, and therefore that people should try to buy fair trade products and those which are environmentally friendly .

 また、彼らの主張の根底には、盲目的な消費は必ずしも幸福に結びつかない、という問題意識もある。デモの際に配布するチラシには次のような文言が並んでいる。「We want to build a society where people put priority on free time, family, friend and hobbies than on more and more work and reckless growth」ーこういうことから、12月上旬、ウプサラ郊外のグレンビーショッピングモールに15人から20人ほど環境党の若者たちが集まった。

 In addition, they share the underlying reasoning that a reckless consumption never leads to happiness. On pumphets was written the phrase “We want to build a society where people put priority on free time, family, friend and hobbies than on more and more work and reckless growth”. With this purpose in mind, about fifteen to twenty young people gathered at Granby Shopping Mall outside Uppsala in the early December.

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 デモの内容は、メンバーたちが一列に並んで空っぽのショッピングカートを引きながら、自分たちの主張を記したチラシを配るというものだ。斬新である。メンバーは多くが高校生か大学生で、その中には、わざわざ2時間の電車を乗り継いでやってきた強者もいる。

 Members formed a straight line with his or her own shopping cart, which is empty inside. While walking around in line, we distributed flyers to customers as they walk around. Customers curiously stared at us as if to see strage things. This was totally new and interesting. Most of the members are either high school or university students, one of whom actually traveled all the way to Uppsala by more than two hour trains.

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            グレンビーショッピングモールのメインの入り口。

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 メンバーたちはそれぞれショッピングカートや自分の背中にスローガンを書いた紙を張っている。この写真の文言は、「少ない買い物でより多く過ごそう」というもの。他にも、「Jul är Kärlek, inte köpping(クリスマスのテーマは愛で、買い物のためではない)」。

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           ショッピングモールの空間に妙な違和感が。。。周りの人達は苦笑い
 
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 なかなか楽しいデモであった。デモの内容(過剰な消費活動への反対!)に関しては色々と意見があるだろうけど、そのデモの見せ方、パフォーマンスという点でユニークな試みであったと思う。ただ単にチラシを配るだけでは、あまり能がない。ちょっとした工夫をするだけで、デモという堅くるしい政治的な行為が、ある種の遊びにも変わり、それに参加する側の人間も、それを見る側の人間にも「ワクワク感」を与える。スウェーデンの政党の青年部では、こういう「ワクワク感」をどのように創造するかに労力を注いでいる。素敵な文化である。

 It was indeed a charming demonstration. Some Japanese people might dislike it because it can encourage non-consumer culture, which is a threat to Japanese economic recovery. But I believe that the performance and the way they presented was very unique and impressive. Just a small tip can transform a boring political campaign into a game where demonstrators as well as audiences can get a feeling of excitement and enjoyment. I am very much impressed by these young peoples effort in creating a sense of eye-popper in their demonstrations. It’s a good culture!

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ミンク農場をぶち壊せ(笑)

 ウェーデンの総選挙が終わったあとに、正式にスウェーデンの環境党の党員になった。選挙中は穏健党(保守党)と環境党に出入りをしていたのだが、さすがに選挙が終わってから両方に顔を出していたら気まずいし、何となく申し訳ない。穏健党の経済政策は評価できる点が多いと思っているが、ユニーク性と未来を切り開くパワーという観点から、環境党の方がセクシーであるとの結論に至った。

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 二週間前、環境党の青年部のメンバーたちと、スウェーデン中部のイエーレブロに二時間電車を乗り継いで行った。ミンク農場に対する抗議デモに参加するためである。イエーレブロの駅を下りると、すでに20人以上が集まっていた。そのほとんどが高校生や大学生だ。さらに車で30分ほど移動、何にもない野原にやってきた。この先にミンク農場があるらしい。

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 ミンクはイタチ科の小動物で、その毛皮は高く取引されている。スウェーデンでは、農場の管理環境が劣悪だとして問題になっていた。動物保護団体の主張によれば、動物福祉保護法には、不必要な苦痛から保護されなければならないと定められているにも関わらず、30cmー90cmという狭いかごの中に押し込められており、多くのミンクは、精神的なストレスを受けた末、無惨に死んでいる。動物保護活動家たちは、毛皮農場を閉鎖するように抗議している。そうした「動物たちの不必要な犠牲」(リンクの文章)の上でビジネスをしている毛皮産業にも圧力をかけている。そして、消費者に対しても動物製の毛皮を買わないように呼びかけている。

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           「〜(地名)ミンク農場を閉鎖せよ」というスローガン

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                  「私たちのミンクを離せ!」

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 我々は、マイナス15度の寒さのなかで、ミンクの住む農場に向かって「閉鎖せよ」と叫んでいた。ミンク農場にはおそらく誰もいないにもかかわらず、だ。その後、20mほど離れた一戸建ての家の前に移動した。ミンク農場のオーナーの家である。さすがに少し焦った。これでは、市民への呼びかけのデモというよりも、オーナーを対象にした単なる嫌がらせ、個人攻撃ではないか。私の倫理観に照らしてもあまりセクシーとは言えない。環境党のメンバーたちも、やや困惑の様子だった。環境党は、非合法かつ非倫理的な手段での抗議活動は認めていないのである。

 そのうち、左党のメンバーの一人が農場のオーナーの家の庭先に入っていった。ドアの前で待っていると、突然、農場のオーナーらしき人が家から出てきた。すると、彼に飛びかかり、顔をブン殴った。オーナーは今年で65歳の定年を迎える。メンバーは、オーナーの定年(退職)を祝して、プレゼントを渡そうとしたらしい。オーナーにとっては、笑えないブラックジョークだった。デモを横で見ていた警察官が仲裁に入り、二人は連れて行かれてしまった。

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方法論を学ぶ

 っかりご無沙汰しています。ウプサラでは外に5分いるだけで凍え死にそうなくらい寒い日が続いていますが、元気でやっています。ここ最近は、夜の22時に寝て、朝の6時に起きることを心がけています。ブログの更新が減ったのは、夜にコンピューターを使わないようにしているからです。寝る直前にインターネットを見たり、ブログを書いたりすると、よく寝られなくなるからです。といっても、長年慣れ親しんだ生活スタイルを変えることはそれはそれで難しいです。
 It’s been a while since I wrote last time. I have been doing fine here. although it got very cold to the extent that I will be frozen outside for five minutes. For a while I’ve made a rule that I go to bed at 10pm and wake up at 6am for one month. One of the reasons why I did not write as many writings as before is that I tried not to use my computer at night. For, using computer and particularly writing blog could make it difficult for me to sleep afterward. However, it is not that easy to change accustomed habits.
 11月と12月は、大学院では「方法論」(Methodology)という授業を取っています。これは政治学、開発学、平和•紛争学の専攻のすべての学生が同時に履修をする必修科目です。量的分析と質的分析の二つに分かれており、現在は量的分析だけを学んでいます。特に、政治学における統計の読み方と使い方について、簡単な数式を交えながら、学んでいます。
 For the last two months, I have taken a course about methodology. This is the mandatory course for all political science students, including development studie, peace and conflict. The course is divided into two parts: Quantitive and qualitative part. For the first one month, we learn about quantitive analysis, particularly how to interpret and use statistic with some formula for political science researches.
 すでに学部で習得した学生にとっては丸々二ヶ月を方法論に費やすのは時間の無駄に感じるかもしれませんが、政治学における具体的な研究事例をもとに授業を進めていくので、今後の研究を行う上でそれなりに応用ができそうです。特に、独立変数と従属変数(何をもって何を説明するのか)の概念の重要性については強調し過ぎることはないでしょう。
 For some students who have already learned at bachelor, it might be boring to spend the whole two months for methodology. But the course is fruitful for me because through the lectures and classes I could learn the concrete examples of how to use these statistics skills, which might help me to develop my own researches in the future. Also, I came to home the importance of the concepts of independent and dependent variables. These concepts should be always emphasized.
 日本の大学の政治学科では、統計学は選択科目で(私は履修しなかったけど)、しかも統計学の専門の先生が授業を行うこともあり、自分の専攻の科目にどのように生かせるのかが具体的に学びづらいという欠点があるかもしれません。その点、ウプサラ大学では統計の授業を受け持つのは、政治学の教授です。政治学の研究分野に沿った統計の方法論を学べるだけでなく、量的分析と質的分析をどのように使い分けるのかについても詳しく学べます。あまり新しい知識や見方を学んでいませんが、それなりに有意義な授業だと思います。
 At my university in Japan, statistics course was selective not mandatory. In addition, the teacher in statistic course is usually not specializing in political science. Thus, the problem is that it could make it hard for students to better understand how those statistics methods can be used for their own studies. In contrast, at Uppsala University, it is a professor who teaches the method course. Political science students can not only learn the methodology which is suited for researches in this field, but also understand how to apply different methods, quantitive and qualitative analysis, to different phenomena. I find this course quite satisfactory, even though it is not the most exciting thing to study.
 来週の木曜日にテストがあり、それが終われば質的分析に入ります。そして、12月17日からは冬休みに入ります。
 Winter vacation is just ahead!!

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ウプサラで初雪!

 近、すごく寒いと感じていたら、なんと昨日、ウプサラで初雪が降りました。スウェーデン人もびっくりの10月中旬の初雪です。外の温度計もマイナス2度になっていました。紅葉のピークも終わってしまい、いつの間にやら秋から冬になってしまったようです。
 二年前に来たときはこんなに寒くなかった気がするのに、と不思議に思い、自分の過去のブログを見てみたところ、紅葉がピークのときの写真(10月17日付)を発見しました。さらに昔の恥ずかしい記事を追っていくと、初雪は10月31日に降ったという記述が!。
 すごい。二年前と比べると、季節の移り変わるスピードが二週間以上も早いではないですか。去年のスウェーデン(ヨーロッパ)は歴史的な大寒波に見舞われたそうですが、今年はさらに寒くなりそうな予感がします。スウェーデンに来られる方はお気をつけください!!

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