原発「東京都民投票」のススメ

 発に関して、「東京都民投票」を実施しようという動きがある。原発の未来を国民の直接投票で決めようという運動の地域版である。東京都は、東京電力の株を所有する株主だから、都民は株主ということである。株主が会社に対して声を上げようという試みである。この署名は渋谷のハチ公前など都内の至る所で署名が出来る。2月9日までに30万の署名を集める計画。
       
 私は、都民投票(そして国民投票)に賛成である。大きく二つの理由がある。
 ひとつは、国民の政治参加の必要性である。官僚をコントロールするのが政治家だとすれば、政治家をコントロールするのは国民である。しかし、国民は政治をきちんと監視してこなかった。エネルギー政策は、これまで日本の総選挙の争点になることなく、原子力発電だけが盲目的に進められてきた。国民が政策決定のプロセスから排除され、政治家/官僚/電力会社/学者/メディアが閉じられた空間のなかで決めてきたのである。
 スウェーデンの政治を見てきたものとして、このことはひどくショックだった。コントラストが大きかったからだ。スウェーデンは1980年に国民投票(参考)で、原発をどうするのかという難しい問題に向き合い、原発を減らしていく決定を下していた(今、スウェーデンでは脱原発はややトーンダウンしているが)。政治的に高度な問題だからこそ、お上に任せるのではなく、 国民が判断を下さないといけない。国民投票は、国民の政治参加を促す良いきっかけになるはずだ。
 二つ目の理由は、原発の問題は国論を二分する、政治的に高度な問題である。それゆえ、総選挙で判断を仰げば、政党政治自体が機能不全になる可能性がある(もう既に機能不全であるが)。総選挙では、原発だけでなく、外交、TPPや財政•社会保障などの他の問題に関しても投票するので、国民の民意がどこにあるのか分かりにくい。原発だけが争点化されれば、他の問題がおろそかになるし、逆に、増税や外交が焦点になれば、原発への関心がかすんでしまう。
 
 つまり、国民投票(今回は都民投票)を上手く組み込んでいくことは、国民の政治参加を促すだけでなく、政党政治を円滑に行うために不可欠な作業である。国民投票に委ねると、「大本営発表」に負けてしまうという懸念が聞かれるが、そのプロセスを通じて学んでいくことが大事である。3,11の震災の後、国民は政府やメディアをより批判的に見るようになったと思う。国民投票になれば、メディアはバランスの取れた報道を行なわざるをえないし、国民も情報収集をし考えるようになるだろう。そうやって民主主義は強くなるのである。
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 先日、「東京都民投票」を実施するべく奔走している大学生の「どっきょ」という若者と会った。スウェーデン人のレーナさんから紹介してもらった。1月9日に吉祥寺で都民投票の運動を盛り上げるためのイベントを一緒にやるという。制服向上委員会というグループも参加して、「ダッダッダッ脱原発」の歌を歌うらしい。笑。
 どっきょはこれまで原発についてあまり考えたこともなかったが、3,11とフクシマですべてが変わったという。反原発の運動で、政治の意思決定に影響を与えられないかと考えていたときに、都民投票(国民投票)に出会った。彼は言う。「何かしたいという若者は多いけど、問題が大き過ぎて何も変わらないと思っている。でも、都民投票は、22万人の署名を集めれば実現できる。これは何かを具体的に変えられる大きなチャンス」。
 
                都民投票の事務所
 
 左でもなく右でもない、そういう古くさいカテゴリーから遠いところにいた、普通の若者たちが動いている。日本も変わり始めているのかもしれない、と感じる。また、嬉しさと同時に申し訳なさと、残念な気持ちもある。日本社会が変わる潮目に、日本にいないことに。むしろ、新しい政治の季節のまっただ中にいる、今の日本の学生達が羨ましく思う。
 今回の都民投票の運動では、街頭の署名を集める人達の数が不足している。PR活動も足りていない。まだまだマンパワーが必要だ。もし都内で時間を作れる人がいたらぜひ手伝ってください。また、署名をしていない人はぜひ署名をしましょう。

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2011年と2012年

 12月下旬から日本に一時帰国していた。お正月は日本でゆっくり過ごそうと思っていたが、日本に来てみると、できるだけ充実して過ごさないといけないという強迫観念に駆られ、バタバタと過ごすことになった。まるで短い滞在期間にすべてを満喫しようとする観光客のようである。やれやれだ。
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 2011年を振り返る。なんといっても、3.11の震災の年だった。それ以外の記憶がぶっ飛んでいる。震災が起こったときはスウェーデンにいて、呆然自失としていた。自分の家が燃えているのを、なす術なく眺めている感じだった。もちろん、直接被害に遭った人々とは比べられないが、ショックを受けたし、スウェーデンにいることに後ろめたさを感じた。
 最初の二ヶ月くらいは、無為に日々が過ぎていった。やるべきことはたくさんあるのに、手がつかないことが多かった。まあ、これは出来なかったことの言い訳かもしれない。でも、そこで立ち止まったからこそ、自分がこれからどうするべきか、どう生きるべきかを考えさせられた。そのおかげか、自分がやるべきことも見えてきたと思う。
 中長期的には日本に戻り、日本の政治や民主主義の仕組みを良くするために貢献したい。ただ、当面は海外に身を置いて勉学したいと思う。もう少し知的なトレーニングが必要だ。もともとの地頭や知的な瞬発力というのは鍛えるのは難しいが、知的体力は鍛えれば鍛えるだけ増えるし、物事の見方や視野は努力によって広がる。
 とにかく目の前の目標としては、①修士論文の作成、②英語とスウェーデン語の能力の鍛錬、そして③日本の社会を良くするための出来るだけの貢献と協力を進める。2012年も、楽しくエキサイティングな年になりますように!

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欧州緑の会青年部2ードイツの脱原発の例ー

 回のエネルギーワークショップで、私は二つのグループに所属していた。一つは、原子力発電グループ、もう一つは声明文の作成グループ。原発グループでは、私がモデレーターとして、「脱原発は可能か」について検討した。
 まず、原発の良い点と悪い点について議論を行なったあと、具体的にどのように脱原発を進めるのか、そのためにはどういう課題があるのか、ドイツの事例などを元に話し合った。
 原発の良い点と悪い点について、次のような意見が出た。
 良い点:
 
 1、温室効果ガスをあまり排出しない、
 2、大規模で安定的に電気を供給できる、
 3、比較的に安い(疑問)
 悪い点:
 
 1、ウランが枯渇する
 2、廃棄物処理の問題
 3、中央集約型のエネルギーシステムなので少数の企業による市場の寡占を招く
 4、核拡散に繋がる可能性がある 
 5、事故は起こりうる 
 6、一度事故が起これば、損害は計り知れない(フクシマ)
 もちろん、大多数の参加者は、プラス面よりもマイナス面の方が圧倒的に大きいとして脱原発の立場だ。だが、どのようにして脱原発を達成するかは微妙に意見が分かれた。
 まず、脱原発を行なうためには、次のトレードオフの関係を考慮する必要がある。1脱原発 ⇄ 経済成長、 2脱原発 ⇄ CO2排出。つまり、1、脱原発を進めれば、安定的なエネルギー供給が難しくなるので、経済/生産活動にマイナス影響が出る可能性がある。2、脱原発を進めれば、化石燃料やガスの使用が増え、C02排出が増加する可能性がある。
 
 ドイツの事例をもとに考えてみる。現在のドイツの電力供給は、2010年と2020年(目標)では、次の通りで、2020年までに温室効果ガスの40%削減という目標を掲げている。
  
 これらの数値から分かるのは、上記の2「脱原発とCO2削減の両立」に関しては解決できそうだが、1「脱原発と経済成長の両立」については、クエスチョンマークが残りそうということ。ドイツは、原発のかわりに、天然ガスと再生可能エネルギーで賄う計画である。
 2については、化石燃料を減らしつつ、天然ガスを増やすことで、CO2排出を増やさずに脱原発が可能である。だが、1については、近隣国からの電力輸入による電力価格の上昇、将来的な天然ガスの価格の上昇、また、再生可能エネルギー(自然エネルギー)グリッドシステムの普及の不透明性などから、色々な難しさが考えられる。
 特に、原発に代わるエネルギーを賄おうとすれば、再生可能エネルギー(太陽光/風力/地熱)があるだけでは不十分で、それを安定的に供給するための、地域内/地域間をつなぐ送電(グリッド)システムの構築が不可欠となる。しかし、これには大規模な投資はもちろんのこと、環境アセスメント、住民の説得/理解が必要になる。誰でも自分の家の裏庭に、送電線など建ててほしくない(「Not in my backyard」)。
 緑の党の党員のなかでも、再生可能エネルギーを早く増やすために国を横断する大規模のスーパーグリッドを構築するべき(で、そのために送電線を国営化するべき)という人もいれば、スーパーグリッドは大規模化/中央集権化に繋がるから嫌だという人もいる。
 急進派は、経済成長を維持しようという目標が間違っていると批判し、人間の生活様式や経済システムを変革し、エネルギー需要を減らすことを最優先に考える(車に乗らない/飛行機に乗らない/肉を食べない)。エネルギーシステムの大規模化/中央集権化にも反対する。
 穏健派は、経済成長への影響に考慮しながら、部分的な改革を進めようとする(エコカーに乗り換える/肉をなるべく食べない/省エネを進める)。もちろん、多くの人達は、その両方を同時にやればといいと思っているし、私も真ん中にしか答えはないという立場だ。つまり、①省エネ/節エネを通じて、エネルギー需要を減らしながら、②再生可能エネルギーとグリッドの構築を進める。結局はこれらをバランス良く進めていくしかないだろう。
 (ちなみに日本は、欧州みたいに国外から電力の輸入ができないから、ドイツを脱原発のモデルにするべきではない人がいうが、それをいうなら、日本は世界で屈指の災害大国なのだから、そもそも原発を作るべきではないといいたい。フクシマの事故をみれば、日本にとって原発が最もリスキーな選択だったことが分かる。ドイツの例でも分かるように、脱原発を達成するためには短期的なコストは掛かるが、長期的にはペイするはずである。日本にはまだ省エネの余地も再生可能エネルギーの技術のポテンシャルもある。少なくとも、2020年までにドイツよりも先に脱原発するべきである)

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欧州緑の会青年部

 週の金曜日から5日間、欧州青年緑の会のワークショップに参加した。気候変動とエネルギーを焦点に、NGOのエキスパート、欧州議員のゲストレクチャー、各参加者のプレゼン、デモの企画など行なった。

 EUの加盟国だけでなく、トルコやグルジア、セルビアなどからも参加者がいた。おそらく全部で40人くらい。同じホステルには、NGOの「フレンド•オブ•アース」の青年部のメンバーが滞在していた。合流すると、合計で80人程になった。朝から晩まで最新の情報や知見を共有し、みんなで率直に議論/提案を行なった。夜は、それぞれに割り当てられた委員会のテーマに関して議論を行い、レポートを書いたり、意見文を作成した。こういう国を超えた若者同士の交流ができるのは本当に面白い。たくさんの刺激をもらった。

 以下、友達からもらった写真。
 
         Stop%20climate%20change%20play%20your%20part%28small%29
 
               気候変動のロゴ
         
          Icebreaking%20%28small%29
           
             ホステルのホールで歓談

          European%20Young%20Green%20Hall%28small%29 

                ワークショップ

          Federatoin%20European%20Green%20Youth%28small%29

                 集合写真
     
           Climate%20justice%28small%29

          12月3日の気候変動の解決を求めるデモ

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                エコバス

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                 地球
          
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ブリュッセル3

週は多くの時間を欧州議会で過ごしていた。私の修士論文のテーマが「欧州議会における政党政治と議員の行動原理」で、共通漁業政策をケーススタディーとして扱う予定なので、その下準備のための調査を兼ねていたのである。

スウェーデン環境党の欧州議員、イサベラ=ロヴィーンさんを通じて、漁業委員会やセミナーを傍聴、他の欧州議員や政策アドバイザー、NGOで働くエキスパートなどを紹介してもらった。EUの政策決定の研究を行なう場合、一定の期間ブリュッセルにいないとダメだと痛感した。インタビューができないし、データも手に入らない。EUの機関でインターン先を見つけて滞在するのが一番理想的ではあるが、これも中々難しい。これから選択肢を詰めて実行するしかない。やることがたくさんあって大変だ。

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EUの漁業政策は相変わらず失敗で悪循環が続いている。今、共通漁業政策の改革の中身が議論されているが、現行案では根本的な問題の解決にならない。乱獲をすれば、魚の数が少なくなる。魚の数が少なくなれば、漁業者の取り分は少なくなる。それでも取ろうとすれば、小さな魚から根こそぎ取ることになり、次の年にはさらに取り分が少なくなる…。まさに悪循環だ。

欧州緑の党の立場は、1年〜3年くらいの期間での完全漁業禁止である。こうした措置を取ることで、数年後に魚の数が回復するだけでなく。魚のサイズも大きくなるので、漁業者が利益として受け取る分も大きくなる。逆に毎年20%の漁獲削減を実施すると、魚の数は少しずつ回復するが、ペースが遅い。早く完全禁止をした方が、結果的にはより早く、漁業者の利益が増える。でも、漁船を休ませることは漁業者にとって耐えられないから、大きな反対が起こる。休業保障などでなどの措置を入れるしかないのだが、問題は理性ではなく感情だから受け入れられない。

また、来週、ストラスブルグの欧州議会で、EUとモロッコの漁業協定の更新に関する投票が行なわれる。EUの船がアフリカの海で漁業する権利を与えるのかどうか(特にモロッコには西サハラというモロッコが実行支配する紛争地帯がある)が問われている。

どの政党がどう投票するのか興味深いケースである。例えば、欧州保守党グループは、モロッコとの漁業協定の更新に賛成の方針であるが、スウェーデンなどの北欧を中心とする欧州議員の多くは、これに反対している。先日の漁業委員会の投票では、更新に賛成する人が多数派だったが、ストラスブルグの総会では、結果がひっくり返る可能性がある。楽しみである。

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ブリュッセル2

 リュッセルは、モザイクのような町だ。中心街では、迷路のような道に出店やショップ、レストランがひしめきあっている。教会の古めかしい建物を背景に、デコレーションされた小綺麗な出店のマーケットが広がる。町の東側に出ると、近代的なオフィスビルとEUの建物が立ち並んでいる。
 
 残念なことに、持参したカメラで写真を4枚取ったところ、バッテリーが無くなってしまった。しかも、充電器を持ってくるのを忘れてしまい、充電もできない。何とも無念だ。これは、数少ない貴重な写真ーブリュッセル中央駅の近くの広場にある銅像(王様?)。
  
 
 一方、さらに周辺に行くと、全く異なる風景に出会う。
 私のホステルのある西側地区では、ゴミ置き場がないからか、行政サービスのせいかのか、そもそもルールがあっても守っていないだけなのか、ゴミ袋が山積みにされ放置されている。ほとんどの住民は移民のようだ。魚屋をよく見かける。洋服屋や雑貨屋など日用品を扱う個人商店がたくさんある(スウェーデンにはないので何となく懐かしく感じる)。昼間は活気があってよいが、何となく夜は怖い。この地区だけ切り取ると、インドの町かとみまがうほどだ。
 ブリュッセル、ギラギラを感じさせ、ワクワク/イライラさせられる町である。

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ブリュッセル1

 日からベルギーのブリュッセルに来ている。「欧州緑の党青年部(Federation of European Green Youth)」の主催する「気候変動/エネルギーに関するワークショップ」への参加と、自分の研究論文の下調べが目的だ。前者については、今、国連の気候変動の枠組み会議(COP17)が南アフリカで開かれているので、それに合わせて問題解決のための議論を行い、アクションを起こすらしい。
 
 今回は、欧州緑の党青年部がスポンサーを募り、旅費と滞在費を持ってくれた。原則、ヨーロッパの緑の党のメンバーでないと参加は難しい。私は、スウェーデンの環境党青年部のメンバーの1人として参加することになった。本当はヨーロッパ人が優先なのだが、スウェーデン人の参加者がいなかったみたいで、急遽、私も選ばれた。ちなみに、スウェーデンからは5人が参加する予定だが、私を含めた4人がスウェーデン人ではない(笑)。
 プログラムの中では、専門家や政治家によるレクチャー、欧州議会の見学、サブテーマごとのグループセミナー、そして、お馴染みの街頭でのデモなどがある。特に、私が楽しみにしているのは、原発/エネルギーに関するグループセミナー。欧州の各国の緑の党が、どういうスパンで、どういう手順で脱原発/自然エネルギーに向かうべきと考えているのか、色々と学べそうだ。他にも、今の欧州危機に対する欧州緑の党の反応などにも興味がある。

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納豆ーうまいが一番

 れまでは、納豆を買わないようにしていた。何より値段が高いし、ストックホルムでしか手に入らないため、一度食べると、また食べたくなってストックホルムまでいかないといけなくなるからだ。
 ところが、先日、知り合いに納豆をもらった。前に「納豆が好き」と言ったのを覚えていて、持ってきてくれたのだ。しかも、「エコマークのついた新鮮な卵なら、生で食べても大丈夫」という。これは知らなかった。サルモレラ菌、こわいと怯えていたのに。早速、家に帰り、生卵と納豆とごはんで食べることにした。一年以上振りのあの味との感動的な再会である。生卵と納豆の、液体と粘り気の絶妙な組み合わせ、鰹節のタレとからしの、あのほんわかピリリとする香り。オイしい。おいしい。美味し過ぎる。
 私は悔やんだ。なぜ納豆を食べなかったのだろうかと。納豆の味は、私の身体に記憶されている。これを食べるだけでドーパミンがたくさん出るのに、ああ、1年分のドーパミンを無駄にしてしまった。しかし、今からでも遅くはない。これから納豆を食べよう。ストックホルムの日本食材店では、「うまいが一番」という納豆が売っている。4パック=32クローナ(約340円)。日本のスタンダードからすれば高いが、1パック110円だとすれば、コーヒーを一杯分我慢すればおつりがくる。32クローナで仕合せが買えるなら、安い出費だ。
 それから、私は週に4回納豆を食べているおかげで、幸せに暮らしている。

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自由貿易と農業は両立しないーTPPに反対

 本のTPPへの加盟が問題になっている。若干乗り遅れた感はあるが、私の意見を述べる。率直に言って、TPPには参加しない方がいいと考えている。一つには今の自由貿易の体制に問題がある。もう一つは、TPPに加盟することで得られる利益よりも、そうすることで受ける損失の方が大きいと考えるからだ。(若干改訂2012年2月15日)
 自由貿易の枠組みでは、両者の経済的なパイが増えるため、WIN-WINの関係であるといわれる。例えば、 日本の農産物よりアメリカの農産物の方が生産性が高いので、日本の農業にお金を入れて産業を保護するより、アメリカから輸入した方が効率が良い。また、逆に、日本の競争力のある製造業が輸出を伸ばすことができる。消費者としては、安くて良いものが手に入るので、ハッピーになる。また、生産者も、競争原理が働くので、規模の拡大や効率化、技術革新を通じて、国際競争力を付けるように工夫するようになり、長期的には自国にとっても良いものとなる。理論としては、こういう風になるはずである。
 ただ、いくつか問題がある。
 ひとつには、市場原理の下では、良い商品やサービスが残り、悪いものは駆逐されるが、農業には「多面的な役割」があるため、市場原理だけで運営するわけにはいかない。農業には、食糧供給だけでなく、地域の自然環境の保全という役割もある。外国に対する関税障壁と価格支持を取っ払い、(条件付き)所得補助へと切り替えることで、一部のプロの大規模農家は生き残るかもしれないが、それ以外の大多数は駆逐される。ただでさえ弱い小麦や大豆などの穀物、畜産分野などは壊滅的な打撃を受け、日本の食糧自給率はさらに低下する。
 
 もう一つは、自由貿易というが、危機になれば、自由貿易ではなくなる(と思う)。どの国も自国民への供給を優先する。電化製品や車であれば、輸入が止まっても大した問題ではない。が、食糧の輸入が止まることは、重大な問題である。これからインドや中国が爆食を始めれば、穀物の価格は高騰する。また石油の価格が上がれば、それに合わせて農産物の価格も高騰する。世界的な食糧危機が起きれば、自国の食糧供給を維持することすら難しくなるかもしれない。
 農業は、他のセクターのように売れなかったら退場させればよいというものではない。
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 先日、米国の農業政策についての面白い研究書を読んだ。
 「食糧供給の政治力学(The Politics of Food Supply)」(Bill Winders)。この本では、1930年代から大きな政府によって保護されていた米国の農業政策が、1990年代までに自由貿易へ向かっていった背景が描いている。著者によれば、米国の農業政策は三つの農業分野の政治力学によって規定されてきた(いる)。その三つとは、北西部のコーン、北中部の小麦/コーン、南部のコットン(後に大豆)である。ここのリンク(英語のラジオ)から著者へのインタビューを聞くことができる。
 1930年代に農産物の価格が暴落を起こした後、米国ではルーズベルト大統領の下、政府による市場への介入ー生産調整、価格支持、(のちに輸出補助)ーが大々的に進められた。この供給管理の政策は、第二次大戦後も継続されるが、1950年代にヨーロッパの農産物生産が回復してくると、コットンや小麦などを中心に生産過剰/補助金漬けが続くようになる。
 コーン地帯の生産者たちは競争力があるため自由主義を掲げてロビー活動を行い、コットン地帯の生産者は政府による補助がなければ維持できないため価格維持あるいは輸出補助金を求める。ここに米国の農政における大きな対立軸ーコーン農家vsコットン農家ーがあった。
 しかし、1960年代に市民権運動(Civil Right Movement)が活発化するにつれ、南部の黒人たちはプランテーションから抜け出して北部へ向かった。これにより、南部の民主党の地盤が崩れ始め、政治力が弱体化する。それと同時に、南部のコットン地帯では、肉の消費の拡大を背景に、コットンから穀物(大豆)へと生産物の転換が行なわれ、農業競争力は上がり、それまでのように政府による市場への介入が必要なくなった。
 つまり、南部のコットン地帯における黒人大移動と、コットンから大豆/畜産への生産転換が、米国の農業政策が保護主義から自由主義に転換する背景にあったという。普通ならば、1980年代から進められたGATTウルグアイラウンド(=自由主義促進のための国際的な枠組み)などの外部の圧力を米国農業の政策転換の要因に上げるが、彼の研究の功績はあくまでも米国内の構造変化を指摘したことだろう。
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 当たり前のことだが、米国は崇高な理念から自由貿易を推進しているわけではない。むしろ、自国の利益になる分野では自由貿易を推進し、そうでない分野では保護主義的な態度を取ってきたし、これからもそうするだろう。リアリストの視点からみれば、米国は自分に不利な枠組みには加わらない。京都議定書からの脱退や国際司法裁判所の批准拒否にもそれが現れている。米国がTPPを進めるのは自国に有利な枠組みになるからである。もし日本がTPPの交渉に参加するのであれば、その点をきちんと理解しておく必要があるだろう。

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漫画は児童ポルノ?最高裁に

 週、スウェーデンの大手新聞SvDの文化面(10月26日)に、漫画の児童ポルノに関する特集があった。児童ポルノを含む(とされる)漫画の所持で、地方裁判所/高等裁判所ともに有罪判決を受けていた翻訳家のシーモン=ルンドストルム氏は最高裁に控訴しており、その審査が10月28日から始まるという。
 同記事(漫画ポルノという表現のグレーゾ−ン)では、これまでの事件の経緯と判決の状況をまとめて伝えている。これは前に書いたことと重複する内容なのであまり書かないが、新聞の表紙に意欲と問題意識を感じたので、紙面の写真を載せる。SvDの記者が過去の判決に批判的なのが伝わってくる(ような気がする)。
  
      犯罪(Brottsligt)?という見出しがついている。ちょっときもい。
 
 
 見開きページの画像の下には次のように書かれている。「日本の漫画(の人気)は世界的にも広がっており、たくさんのサブカテゴリーがあります。その中には、児童ポルノ的な要素を持ったものもあります。スウェーデンでは、このようなタイプの漫画を配布することも所持することも法律で禁止されています。ちなみに、上記の写真は禁止されているものではありません」。

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性善説と性悪説

 国で車で轢かれ放置された2歳の女児のニュース映像を見た。倒れている女児を通り過ぎていく通行人たちは気にかけようとも躊躇する気配も見せていない。いつもと同じ風景が続いているかのように歩き去っていく。人間がどこまで堕ちることができるのか、ある意味、地獄を見たような気持ちになった。
 これを見て思い出したのは深代淳郎さんの「忍びざるの心」という天声人語の文章(1973年10月19日)である。
 「性善説」を唱えた中国の孟子の言葉を次のように引いている。「孟子は、性善説を説くのに、人にはみな、人に忍びざるの心ありしといった。他人の不幸や苦痛を見すごしにできない本性が、だれにもあるということだ。そのことをこんな風に証明する。『赤ん坊が井戸に落ちようとしたら、だれでもかけ寄ってだき抱えるだろう』『それは人にほめられたいためではなく、本能的な行為なのだ。この心のない人は、人間ではない』」。
 その上で、深代さんは二つの水死(!)に触れる。ひとつは、川で遊んでいた小学一年生が深みにハマり、それを助けようとした子供たちが川に入っていき、次々と溺れ、結局、助けようとした二人が死んだというもの。もう一つは、皇居のお堀にとび込んだ十三歳の少女の話。「おぼれていくのを、十数人のヤジ馬が見ていたという。通りかかった警官が『だれか一一O番してくれ」といったが、動こうとする人はいなかった」という。
 「十数人の見物人に「人に忍ぜひざるの心がなかった、とは思いたくない。それでは孟子さまのいう通り、人でなしだ」と、深代さんは悲しみと怒りを表現している。
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 性善説を批判したのは、荀子である。そのかわりに、彼は、「性悪説」を説いた。人間は悪(悪魔)でもあり得るし善(天使)でもありうる。それは後天的な努力によって決まるものだと。私は、日本社会は性善説が土台にあると信じる人達によって成り立っていると思うし、それは一人ひとりの絶え間ない努力によって生み出されているものだと思う。これからもそういう日本社会であり続けてほしいし、中国もそういう社会になってほしいと思う。

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プラットフォームとしてのメディア

 月になると、環境党の青年部でも、多くの新しいメンバーが入ってくる。スウェーデンでは他の西洋諸国と同様、9月が新学期に当たる。フレッシュな高校生や大学生たちが新たな所属先を求めて組織を渡り歩いている。ここ一ヶ月程、環境党の青年部では、基本的な政策や思想などを学ぶ機会が用意され、20人を超える人達が参加。いつもの内輪的な雰囲気が消え、勉強会の議論に緊張感が生まれる。
 先週は「大手メディアへ意見文を掲載するために!」というテーマで、勉強会を行なった。青年部の活動の中でもメディアへの政策提言は重要な活動の一つである。去年まで青年部の代表をしていたアンデシュという学生がこれまでの経験などを交えながら講義を行い、その後、グループに分かれ、実際に自分らでテーマを決めて意見文の作成に挑戦した。意見文の書き方についてはマニュアル的なことで目新しいことはなかった。今回の勉強会では、大手メディアが「参加型民主主義」の大きな土台として機能していることを改めて認識させられた。
 アンデシュはこれまで数多くの意見文を書いてきたというが、そのほとんどが実際に主要メディアに掲載されているという。これはアンデシュだけでなく、他の党員たちも口を揃えていうことである。つまり、頑張って書いたものが、掲載されないということが少ないのだ(主要メディアのWEBにおけるディベートページを含める)。
 これを聞いてふと思ったのは、その「公共空間」に参加する敷居の低さである。大手メディアは公共の議論のプラットフォームの役割を果たしており、記事が掲載されることの「意味」は大きい。普通、スウェーデンで意見を載せたいと思ったときは、大手の新聞の4社(SvD, DN, AftonBladet, Expressen)やスウェーデンの公共放送に論考を投稿するか、地方の新聞社に送るかする。もし掲載の競争から漏れれば、雑誌への投稿に切り替えたり、NewsMillなどのWEB上の言論フォーラムに出したり、自分のブログなどにアップしたりする。そこには見えない階層(ハイラルキー)があり、大手の新聞社が議論の中心を占めている。
 大手のメディアの側は、ディベートのページをたくさん設けている。政治家や専門家を中心として「政策論議/提言」が常に行なわれている。新聞の紙面上だけでなく新聞社のWEB上にもこのような「空間」はたくさん用意されている。もし紙面上の掲載が無理だったとしても、論考のテーマと内容が時勢に合っていれば、WEB上の討論のページに掲載される。例えば、紙面に掲載されたある論考に対し、その日の間に反論を書いて送ると、翌日の新聞紙面やWEBの中で掲載されやすい。スウェーデンの公共放送(SVT)でも、WEB上にディベートのページが設けられており、誰でも意見文を投稿出来るようになっている。
 また、スウェーデンの新聞で印象的なのは、両論併記が少ないということ。誰かが主張を述べる場合には、ほぼ丸々1ページ分を使い切る。上で述べたように、気に入らなければ反論を送れば良いという考え方だ。運が良ければ紙面に反論が載るし、運が悪くてもWEBに掲載される可能性がある。WEBに載った反論のタイトルだけは紙面上でも掲載される。形としての両論併記が少ないということは、逆にエディターのバランス力が求められる。
 スウェーデンでもブログ、TwitterやFacebookなどのソーシャルネットワークなども影響力を持ち始めているが、私の印象では、大手メディアを修正/補完する役割に留まっている。重要な政策論議が行なわれるときは、政治家や専門家が大手の新聞メディアに意見文を発表/反論したり、テレビの討論会で公に議論をやり合う。一般の人達はこうした議論をソーシャルメディアを通じて学び、自分の意見を形成し議論を行なう。言い換えれば、大手メディアのプラットフォームがあってこそ、ソーシャルメディアが威力を発揮しているのである。
 大手メディアの側がそれなりの「正当性」を持った「公共的な言論空間」(=それなりの質が担保された言論空間)をたくさん提供すると同時に、そこに政治家や専門家、活動家たちがそこにコミットしている。つまり、スウェーデンのメディアは、情報を「伝える」という役割だけでなく、公共的な議論の空間を「整備する」という役割も担っていると言える。
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 日本の大手メディアは「公共的な議論の空間整備」に何の役割も果たしていない。新聞紙面上では政治家や専門家による政策議論/提言/はほとんど行なわれていない。これまでそういう役割を担ってきた論壇(雑誌)は壊滅状態。WEBにその機能を移そうという試みがいくつも行なわれているようだが、上手くいっていないし、これからも上手く行かないだろう。
 私は、無意味な社説を書いたり発表記事を垂れ流すくらいならば、丸々見開きの2ページを政治家や専門家が「ガチンコの政策論議」を戦わせる空間にしたら良い、と思う。こっちの方がよっぽど公共の利益になるだろう(ついでに新聞社のスリム化にもなるだろう)。
 新聞メディアはそもそもWEB上に、ディベートのページすら用意していない。もしもそういう「ガチンコ政策論争の場」があれば、素晴らしい提言/反論はソーシャルメディアを通じてすぐに大きく広がっていく。どの政党がどんな思想を持ち、どんな政策を進めているのか分かりやすくなる。さらに市民社会で活発な議論が期待できる。新聞社がやるべきことは、プラットフォームとしての「権威(=正当性)」を保つために、出来るだけ中立的に(両論併記という意味ではない全体のバランスで)掲載の可否を判断し、このコーナーのWEBページだけは何があろうと消さないようにする。
 スウェーデンの民主主義(参加型民主主義)が比較的に上手くいっているのは、大手メディアの果たす役割が大きい。大手メディアが、一般の人々の議論の土台になるようなプラットフォームとしての情報を提供しているのである。スウェーデンは新聞の宅配文化を持つ国として、生活に新聞が根付いている(た)国として日本と似ているところがある。日本の新聞メディアが学ぶべきはプラットフォームとしてのメディア像である。

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