オーガニックコットンのボランティアツアー

 5月26-27日にリボーンのボランティアツアー(オーガニックコットンの栽培のお手伝い)で、福島のいわき市に行って来た。被災地の状況を実際に見てみたいと思っていたところ、ちょうどリボーンがツアーを組むということで参加させてもらった。本当は「天ぷらバス」(天ぷら油で走るエコバス)を使って行く予定だったが、突然のアクシデントで普通のバスに変更になった(残念!)。
 いわき市では、地元のNPOの人々が現在の被災地の状況の説明をしてくれた。メディアを通じて得る情報だけでなく、現地に行ってこそ気づかされることがたくさんあった。
 ーいわき市には、原発の20キロ圏内から避難してきている人達が何万人という規模で入り、仮設住宅で生活を送っている。それぞれの町の役場の機能がいわき市の中にある状態だ。
 ー住宅が圧倒的に不足している。急ピッチで仮設住宅や新規住宅が建設されているが、間に合っていない。病院の職員や学校職員を雇う際に住む場所を確保することも難しいくらい。
 ー原発避難民の方々には一人当たり10万円の支援金が出る。家族四人なら、40万円。強制移住ですべてを失った方々への支援はきめ細かく厚くするべきだが、何もしなくても生活はできるので何もする気にならず、労働意欲も湧かない。アルコールやメンタルケアが必要。
 ーそもそも働きたくても雇用がない、あるいは限られている。働ける人、働きたい人に向けた職業訓練や再教育の場が必要とされている。
 ーいわき市は4,11の地震の被害も大きかった。津波で家が壊れただけでなく、地震によって半壊や全壊、そして水や電気などの基本的なインフラも壊された。復旧が進んでいるが、地域によっては農地に使う水源も破壊されてしまったまま。農業もできない。
 ー農業を再開できても売れない。市場に出荷する分は厳密な安全基準を満たしているが、売れない。また、魚も売れない。太平洋の沖合のカツオは他の漁船も同じように取っているにもかかわらず、水揚げされた港が福島県というだけで、値段がつかないという。
 ー市役所も、市議会も機能不全。住民の意思もバラバラになりがちで、どのように意見集約したらいいのかわからない。
 ーまだ福島第一の第四原発の状況も不安定だ。
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 こういう状況を前にすると、希望がないように見える。でも、僕らが会った地元の人々は前向きで自分たちで出来ることをやっていこうと立ち上がっている。彼らこそ希望である。
 例えば、このオーガニックコットンのプロジェクトを始めた、NPOザ•ピープルの吉田さん。とても声に張りのあるパワフルなお方。もともと吉田さんは、古着のリサイクル活動を地元密着で行なってきた。震災後は、雇用創出という目的の下、種からコットンを作り、製品としてブランド化させ、福島で流通させるようと決意。オーガニックコットンの服を扱う会社とタッグを組み、地元の人々だけでなく、都会のボランティアの人々を呼び込んでスタートした。
 
 また、老舗の旅館「古滝屋」の若旦那の里見喜生さんにも出会った。古滝屋は、江戸時代から300年以上続いている老舗旅館で、源泉掛け流しの天然温泉が有名。地震の影響でまだ休業中だが、夏にオープンできるように準備している。ボランティアグループは、ここに泊めてもらった。夜に参加者と里見さん始め、地元の方々と一緒に円卓を囲んで議論をした。
 里見さんは「原発は人の心を壊すものだった」という言葉が頭に残っている。お金をつぎ込むことで原発依存の体質を作り出し、まさに麻薬の依存者のように、それなしでは生きていけないような町になっていたと気づいた。地元で里見さんと一緒に活動している大澤さんも、「このままではダメだ」と思い、地域のNPO「ふうど」の活動に参加した。「福島の町は多かれ早かれ衰退の一途を辿っていた。今回の事故はあってはならないものだったが、これをきっかけに自分たちが生きるために何とかしないといけないと思うようになった」という。
 里見さんには、ふくしま•いわきを世界のエコの町として蘇らせたいという思いがある。現在も、老舗の古滝屋とは別に、利用者参加型の低料金のエコホテルを作ろうとしている。自然エネルギーなどを活用はもちろん、ライフスタイルの見直しを織り込んだようなホテルー。その他にも色んな新しいアイディアがどんどんと生まれてきている。
 こういう人達を見ると、島根県の海士町を思い出す。今や地域活性化のモデルのようなあの町にも、「これまでのやり方ではダメだ」「自分たちのことは自分たちで何とかしよう」と立ち上がった人達がいた。そんな人達に引かれて多くの人が協力を申し出てきた。外からも多くの人達が集まってきた。そして人材交流が広がり、新しいアイディアが生まれてきたー。
 福島のいわき市もそんな過渡期なのかもしれない。もしかしたら他の衰退していく市や町よりも面白いものが生まれてくるかもしれない。原爆の町のHIROSHIMAが平和都市として知られるようになったように、公害の町のMINAMATAが環境に優しい町として知られるようになったように、原発事故のFUKUSHIMAのイメージを払拭できるように変わってほしい。
 これからが本当の正念場であろう。私もできることで協力していきたい。

ぐし について

スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務後(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事。2014年11月から慶應大学のEUSI研究員。千葉市まちづくり未来研究員(自転車政策)。NPO Rights副代表理事として若者政策(主に若者参画)の提言や分析を行う。連絡先:gushiken17@hotmail.com
カテゴリー: 自分事, 体験ツアー報告 パーマリンク

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