グローバルな地球福祉へ

 5月27日、三田キャンパスを訪れたU2のボノは学生に問いかけた。「あなたたちは、アフリカ人を対等の人間(兄弟)だと思っているか――そこから考えることが大事なんだ」。
 そんなの人間として当たり前じゃないか。心情としてそう思った。だがそんな思いは、現実の前ではあまりにも無力であることもわかっている。彼らを対等だと思うことに僕は恥ずかしさ覚える。だって現実はそうじゃないのに。
 1日1ドル以下の生活で、食べ物が足りず、水すらも飲めず、マラリアやエイズで無為に死んでいくアフリカの人々。そして、飽食の限りをむさぼり尽くす日本人――。これはどう考えても対等なんかじゃない。ボノがいくら「人類はみな兄弟」だといったところで、国家の仕組みとしてはそうなっていない。というよりも、もともと「命に差をつける」ことが国の役割なんじゃないかって。
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 なぜアフリカ人を助けることができないのか―それは彼らがアフリカ人だからである。
 アフリカ人と日本人の間には、「国民国家」という超えられない壁がある。国民国家は、「ある国民」を独立排除的に発見し、選別し、規定してしまう。17世紀頃から、中央権力(徴税権と警察権)が整備されるにつれて形を持ち始めた国民国家は、言語(国語)の統一や徴兵制の誕生により発展を遂げていくが、ここでは特に、戦後、「福祉国家」の整備により強化されてきたことを指摘したい。
 「福祉」という言葉を聞くと、私たちは「弱者に優しい」や「みんなが豊か」という「善き」イメージを抱きがちであるが、「ナショナリズム」や「国民」という概念を基盤とする福祉国家は、「自国至上主義」という性質を持たざるを得ない。ここでいう「みんな」とはすなわち「日本人みんな」であり、「外国人」は含まれない。富裕な「日本人」からお金を集め、貧しい「日本人」にお金を回す。国家の内側で税を徴収し、調整し、再配分することで「日本人」を保護する。それが原則的な福祉国家である。
 だからこそ、自国民の社会保障費や教育費が優先的に配分され、対外援助は後回しにされるか、あるいは国益と結びついた形でしかなされない。つまり、対外援助の財源は、基本的に、余ったお金である。それゆえ対外援助とは、日本の景気が悪くなれば減り、景気が良くなれば増えるというような、常に国家の台所事情に左右される、不安定な砂上の楼閣に過ぎない。
 ここまで書いてきたところを振り返ると、日本政府が日本人からお金を徴収し、日本人にお金を再配分する仕組みの中では、「日本人」でない人間に対して富を再配分する義務はないと考えられる。対外援助を考える際にはこの現実が大前提としてあるが、だからといって本当に「日本人ではない人間」に再配分しなくていいのかというと、もちろん、そういうわけではない。
 それはなぜか――。みなさんご存知のとおり、現在はグローバルにモノや人が行きかい、グローバルに経済活動を行う時代だ。国家横断的な経済活動により経済利益を享受しておきながら、その利益を自国だけで独占するのは許されない。
 ゲハルトとボノがいう「グローバル化の果実だけを得て、その責任を果たさないことは正義ではない」、「慈善ではなく正義を」という主張は、その意味で革新的であった。地球資源や途上国を使って「利益」を上げている以上、利害関係者としての彼らにも「利益」を与え返すことが必要であると。
 グローバル国際社会の一員として、グローバルに他国を行きかい、グローバルに地球資源を使い、グローバルに利益を上げている以上、日本が「日本人」や「日本」という国家内部だけでの再配分に安住することは許されない。これまでは「一国福祉国家」として自国内だけで再配分を行ってきた日本は今後、「地球人」の一員として、最終的にはグローバルな福祉環境を整えること、つまりグローバルに再配分を行っていくことが必要になると考えられる。
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 「一国福祉」から「グローバル福祉」へ――言うだけなら簡単だが、課題は多い。
 たとえば、グローバルな利益を得ているからグローバルに再配分を行うべきだという指摘はもっとものように思えるが、それを行う主体が「国」(あるいは権限を付与された「国際機関」)である必然性はないかもしれない。グローバルに進出していく企業が、自らの利益をCSR(社会的責任)などを通じて現地や世界に還元していけば良いではないか、というわけである。
 ただ、グローバルで得た利益を、グローバルな責任から与え返すといっても、どれくらいが正当な返還の額なのかはわからない(「exどこまでが正義でどこまでが慈善なのか」)。そもそも株主の圧力があるため、その「正当な額」を返還できるかというとかなり疑わしいといえる。
 おそらく、企業が積極的にCSRにコミットしていくことは必要だと思うが、彼らの自助努力に期待するのはやや無理があろう。そこには何かしらの仕組み(権力による介入)が必要となってくるはずだ。
 グローバル環境税(使途は無償援助のみ)のような形で企業から徴税した財源をODAに組み込み、国が再配分をしていくのか。あるいは「国」の意思を反映させないために「国際機関」が徴税と再配分を担っていくのか。もし国際機関が主体となるのならば、その資金の使途と透明性と効率性はどう担保していくのか――国連はピンハネ機関とも揶揄されている――それが課題であろう。

ぐし について

スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務後(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事。2014年11月から慶應大学のEUSI研究員。千葉市まちづくり未来研究員(自転車政策)。NPO Rights副代表理事として若者政策(主に若者参画)の提言や分析を行う。連絡先:gushiken17@hotmail.com
カテゴリー: 評論・書評・感想 パーマリンク

グローバルな地球福祉へ への2件のフィードバック

  1. haruhiko より:

    すごくわかりやすく伝わるしグローバル福祉というのはいい考え方だね。
    けれどきっと驚くほど多くの人が国益どまりの考え方をしてるよね。
    なんでだろうか。
    それともう1つ難しいのはやっぱり正義の定義だね。
    何はともあれ、知ることからということで、今度アフリカいってきまする

  2. おぐし より:

    haruhiko
    「国益」ってなんか幅が狭いよね。たとえ目に見える利益はないかもしれないけど、援助を受けた人が日本に対してありがたい気持ちを持ってくれれば、それはそれで大きな国益だよねって思うのだけどね。
    おれもアフリカ近いうちに行きたいな。日本人は可哀そうなアフリカとして見ているけど、貧しい中にも幸せはあるはずだし、そもそも幸福感ということでいうと、日本よりも高いというデータもあるし、絶対にここからではわからないことが見えてくるはずだよね。
    報告待ってます、無理しないように☆

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