「靖国」と政治的中立性

 画・「靖国 YASUKUNI」が、東京では放映されないというではないか。びっくりである。
 以下、MSN産経より抜粋。
 靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」について、東京都内の映画館3館と大阪市内の1館が、4月12日に予定していた上映を取りやめたことが分かった。これで東京での上映予定はすべて中止となった。
 上映を中止した銀座シネパトス(東京都中央区)を運営するヒューマックスシネマは「近隣の商業施設に迷惑を掛ける恐れがあるため」と説明している。ほかに取りやめた映画館は、シネマート六本木(東京都港区)、Q-AXシネマ(同渋谷区)、シネマート心斎橋(大阪市中央区)。

 × × × × × × × × × ×
 今回の問題の大きな争点として挙げられているのが、「政治的中立性」である。
 文化庁からの助成金を受けていることから、自民党の一部の議員たちは、「政治的に中立でなければいけない」として、この映画に対して疑義を表明したとのこと。そして、映画館は「右翼からの圧力があると困る」「お客さんに迷惑がかかる」みたいな理由で、上映を取り消してしまったのだと。
 そもそも、この「政治的に中立でなければならない」というのが、僕にはよくわからない。
 だって、「表現の自由」とは、たとえ、政治的に偏っている意見であっても自由に発表できる、という権利じゃないか、と。極端にいえば、悪論ですら発表できることが、表現の自由を表現の自由たらしめているのである。昔のどこぞの哲学者も言っているではないか。「私はあなたの意見には反対するが、あなたがその意見を表明できる権利については、徹底的に擁護する」と。
 かつて、ノームチョムスキーは、ナチス・ドイツを擁護・正当化する言論においても、「表現の自由は担保されるべきである」と言って、反論、賛成の議論を呼んだ。
 個人的には、ナチスドイツの正当化のような、明らかに事実が歪曲されている部分についての「表現の自由」は認めることはできない。が、その「事実性」について、解釈の多様性が存在する場合には、僕は徹底的に「表現の自由」を擁護するべきであると思っている。
 その点からすれば、今回の映画上映について出された疑義=「政治的に中立でなければならない」という命題自体が間違っている。助成金を受けたから受けなかったの問題でもない。
 しかも、である。
 その発表する媒体は、「映画」である。なんたって、「映画」である。
 僕だって、これをテレビ放映するといえば、それは確かに難しいかなと思う。だって、テレビは「圧倒的に影響力がある」から。そういう番組を見ることは、前提知識がない人たちにとっては、ある主の先入観を与えかねない。だからこそ、テレビには「放送法」という縛りがあり、「政治的に中立でなければならない」という規定があるのである。
 でも、テレビと映画はまた別の問題なのである。
 映画を見に行く人は、わざわざ時間とお金を使って、ある程度の覚悟を持って見に行くのである。だから、テレビのような影響力の大きさを勘案する必要もない。つまり、「政治的中立性」についてはある程度、許容された幅の広い表現ができる媒体のはずである。ドキュメンタリー系の映画はとくに。
 僕が残念というか不甲斐ないと思ったのは、自主規制に踏み切った映画館である。
 
 映画という「表現中の表現」を扱う組織としては、あまりにも情けない、と思う。

ぐし Gushi について

Currently working for a Japanese consulting firm providing professional business service. After finishing my graduate course at Uppsala University in Sweden (2013), I worked for the European Parliament in Brussels as a trainee and then continued working at a lobbying firm in Brussels(2015). After that I joined the Japan's Ministry of Foreign Affairs, working in a unit dedicating for the negotiations on EU-Japan's Economic Partnership Agreement (EPA/FTA) (-2018). 現在は民間コンサルティング会社で勤務。スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事した後(-2015年3月)、外務省で日EUのEPA交渉チームで勤務(-2018年3月)。連絡先:gushiken17@hotmail.com
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「靖国」と政治的中立性 への8件のフィードバック

  1. coldtopic より:

    一番上、放映じゃなくて上映な。たぶん。
    助成金に関してはどうだろう。
    「助成金は出しますが、映画の内容については知りません」
    という理屈が成立するかというと難しいと思う。
    仮にさ、マイケル・ムーアの映画みたいな作品に助成金を出したとしたら
    やはりそこでその映画が世界に影響を与える、ということについては
    金を出す文科省、ひいては国の責任はあると判断されるのが普通じゃないか?
    「この映画に国が金を出した=国はこの映画の主張を是認する」
    という事実を作らない為に、今問題視してるんでないかいな。
    仮にこれが民間団体からの助成金なら何の問題もなかろう。
    そういえば、稲田議員は俺の実家の選挙区だわ。

  2. 記者志望 より:

    助成金については私も上の方の意見に賛成です。
    危険性を感じての上映中止も仕方ないと思います。
    右翼団体の愛国心や靖国への思いの強さ、危険性をあなたは知らな過ぎるんじゃないんでしょうか?
    政治結社による政治的思想の相違によって起きた抗争、事件による行方不明者、死者、負傷者、の数が現在でも年間1000人に及ぶこの日本でこの映画を上映する危険性は、『情けない』では片づけれないはずです! 
    あなたの『表現の自由』についての意見は正論だとは思いますが、
    世の中の情勢に応じて、危険を回避することの方がより重要だと思います。
    今後あなたが本当の政治を語る為には「法律で抑えられない力」という存在の現状を自分の目で見てくる必要があると思います。
    そうすればもっと柔軟な意見が述べられるんじゃないんですかね。
    うわべの非難だけなら、新聞と同じですからね・・・・ 

  3. ぐし より:

    coldtopic氏
    僕は、基本的に助成金の有無は瑣末な問題だと思う。じっくり腰を据えて映画を作るには、ある程度のお金は必要でしょ。民間からお金をもらうっていうけど、民間組織がこういう「靖国」みたいな社会派の、利潤追求型ではない映画に投資してくれると思えない。だったら、そういう映画には国が援助していいんじゃないかと。
    そもそも稲田議員だって、この映画が靖国神社万歳の方向一辺倒で作られていたならば、助成金が出ていようと出ていまいと、文句は言わなかったとお思う。もちろん、その場合には、左翼の人たちを中心にして、「そんな映画に税金を使うなんてケシカラン」と猛烈に反対したことでしょうが。
    これらは、つまり、内容をどのように解釈するかの「価値の問題」になっちゃうってこと。なにが「良い作品なのか」についての解釈は見る人それぞれ。そんなの見た人が勝手に判断すればいい。要するに、事後判定。
    だからこれからも、文化庁ができるだけ中立であろうとする姿勢を保持しながら、その委員たちが「これはいい」と思った作品に対してドンドン助成していけばいいと思う。もしそれでも不満があるのならば、上映後、助成を受けた作品を並べて、その税金の使われ方についての是非を「国民投票」にでもかければいいさ。(まあ、ありえないけれどね)
    >記者志望さん
    たしかに、僕は右翼の怖さ、危険性について、実感として意識したことはありません。あなたのいうように認識が甘いのかもしれません。その点については認めましょう。
    でも、僕はあなたの「世の中の情勢に応じて、危険を回避することの方がより重要だと思います」という意見には絶対に与しません。あなたの言う「右翼の危険性」がどれほどなのかわかりませんが、内田樹氏が言っていたとおり、こんな平時における「圧力」で「言論の自由」を投げ出すような映画館であれば、さらに強い圧力が予想される政治状況(戦時)に直面したとき、間違いなく真っ先に「言論の自由」を放り出すでしょう。
    「世の中の情勢が危機的な方向へ動いていくのに対応」して、「われ先に危険を回避しよう」と思うような人たちがメディアを担っているということ。僕は、やはり、情けない、と思います。

  4. さぶいち より:

    ようはメディア側も仕事って事だろ?なんか問題が起きて損益でるくらいなら上映しない。
    映画館への非難はおかしくないか?
    だって映画を作ったのは監督であって、映画館は興行収入・圧力問題いろいろ±を考えて上映しなかったって話でしょ? ただの経営判断でしょ?
    映画館だってボランティアでやってんじゃないんだから
    たとえばレストランオーナーに『美味いけど扱うと害虫が来ます』って商材を売り込んだら買わねーだろ?
    問題は監督や映画館じゃなくて、制作者・メディア側が『表現の自由』を活かせないような国を創ってる日本の政治家に問題があると思うね
    右翼左翼やくざを鎮圧しきれない日本国家の無力が生んだ事件だと俺は思うわ!

  5. ぐし より:

    さぶいちさん
    経営判断と言えばその通りでしょうが、僕個人としては、映画館はある程度の公共性を担っていると考えていますので、今回のような事例においては「経営判断」以外の「信念」や「気概」のようなものがあっていいと思います。
    もちろん、最も問題なのは、さぶいちさんがいうように、「政治家」でしょう。意図がどうであれ、事前規制に繋がるような事態になったのは、彼らのせいです。そんな圧力が「存在する」ことをマザマザと公として明らかになってしまったら、誰だって表現することをためらい、委縮してしまいます。
    本当ならば、政治家が先頭を切って、「暴力による圧力は絶対に許さない。警察権力を動員して右翼の活動を監視するから、安心して上映してください」と言うべきです。そういう保証があってしかるべきでした。
    あるいはどうでしょうか。市民の側(僕ら)も何かしらの抗議を行うべきではないでしょうか。議員を動かすのは僕らです。それが市民社会です。もしもこのまま見られないならば、自主上映会などを行ってもいいと思います。特にシヴィルソサエティー論」という授業を持つうちの大学で行いたいですね。

  6. さぶいち より:

    ぐしさん
    たしかに何事においても信念をは必要ですね。
    そういう意味では、学生運動が盛んだった時期に比べると、私たち市民の信念も薄れていってるのでしょうね。
    こんな問題が起きた時に、「暴力による圧力は絶対に許さない。警察権力を動員して右翼の活動を監視するから、安心して上映してください」
    って言う人間が政治家にいたら、私はこの国に誇りが持てます。
    今回の一連の報道においては、やはり国民の代表である政治家が折れてしまってる様子は『情けない』と思います。
    ぐしさんのような信念持つ若者に是非市民の代表となって政治家になってもらいたいものです。

  7. ぐし より:

    さぶいちさん
    僕はただのもやしっ子ですよ。自分が映画館の側の人間ならばどうしただろうって思うと、やはり難しい立場だっただろうと思います。政治家にはどう考えてもなれませんが、いわゆる「市民社会」を支える一人にはなりたいと思っていますので、一緒に地道に自分のできるところから変えていきましょう☆
    コメントありがとうございます。

  8. 敏也 より:

    そもそも靖国についてマスメディアを代表するような一方的な見解だけじゃなく幅広く識るべきですよ
    そして右翼とされてる側の意見を聞いてみるべきです
    そうすれば右翼悪、右翼危険と一点張りな連中がどういった人種なのかも必然的に見えて来ます。
    つまりそういった連中が自分達の思想、考えにそぐわないものは全て悪にしてる理由がみえてくるわけです。
    そしてそれを知ったとき全てがつながり日本社会の闇そのものも見えて来ますよ。
    一方的な考え、価値観で抑えられてる日本ですが先ずは反対側の意見がどういったものなのかを偏見なしに知ることです
    知った上でその人なりに判断すれば良い事なのですが、
    別の認識、意見がある事さえも危険、右翼だとされてしまうのが今の日本なのですよ

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