チェルフィッチュの「フリータイム」という演劇を見てきた。今回で三回目なのである。
チェルフィッチュの独創性は、そのアンチテーゼ的な演劇作法にあるといわれる。
つまり、過剰に無駄な身体の動きと、過剰に無駄な言葉の使い方である。普通ならば絶対に「噛まない」、「口ごもらない」、理路整然としたセリフ回しを、あえて、「噛みまくり」、「口ごもり」、「主語と述語をずらし」ながら、役者に言わしめる。しかも、手足や体をだらだらさせながら。
その目指すところは、日常のコミュニケーションを徹底的に描き出すこと。「だって、人間の会話って、そもそも理路整然していないじゃない?」という思いが、チェルフィッチュ・岡田さんにはある。だから、人間の本来のコミュニケーションの「混沌性」を復元しようとするのである。
だが、ここに困難がある。普通に人間の日常をだらだらと描いたところで、面白くない。そこには何らかのドラマ性(非日常性・事件性)を付与しない限り、人々の視聴には耐えられないのである。かといって、そこにドラマ性を付けてしまうと、それは「日常性」を毀損することになる。
日常の日常性を、わざとらしいドラマを押しつけることなく純度を保ったまま表象するには、どうしたらいいのか。この解きがたいアポリアに対する回答を、「何とない身体の動き」と「何とない言葉づかい」の、「過剰な」表象に求めたのである。
× × × × × × × ×
今回の演題は、「フリータイム」。つまり、「自由」である。
登場人物は、女性二人。ファミレスで働く、西藤と、派遣会社で働く、古賀。
古賀の日課は、出勤前の30分間、ファミレスで過ごすこと。テーブルの上に広げた白い紙に、ボールペンで丸い円をグルグルと描き続けること。それが彼女の、誰にも毀損されることのない、自分だけのフリータイムである。
古賀の様子を見ながら、ウェイトレスの西藤は妄想する。
「このよく分からない行為は、この人にとっては特別なことなんだ」。そして、もしも、と夢想する。「彼女がこの30分間をもっともっと過ごしたいと思ったら、どうなるのだろうか。彼女がそのまま会社に行かなかったら、彼女はどうなるのだろうか」と。
一方、古賀は、ボールペンで円を書き続ける。そして、次のような思いに駆られる。―じぶんの存在の重さを試してみたい、と。
「たぶん、わたしがいなくたって、会社は困らない。そもそも、私が来ていないことすら気がつかないんじゃないか……だったら一度くらいは…」。
さあ、どうなるのか、と思ってみていると、結局、何にも起こらない。ボイコット計画は、二人の妄想のなかで実行されることなく終わってしまう。ボールペンが、ただただ丸い円を描き続ける、だけ。
僕は思った。
このような妄想たくましい時間、それこそが自由を示している、とは言えまいか。「自由」と「労働」は、トレードオフの関係ではない。この両者を対立的に考えてしまうことから自由になること、それこそが、自由になることなのである。たぶん。
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