Y新聞社長に対する質疑応答のなかで、刺激的な質問があった。
「ジャーナリズムの仕事は、民意を反映したり、政府を監視して評価したりすることだと思いますが、じゃあ、ジャーナリズムがきちんとその仕事を果たしているかいないかの評価はいったい誰がするのですか?」。
社長は、迷わずにこう答えた。
「それは、読者です」、と。
おいおいおい、と叫びたくなるのは僕だけじゃないと思う。だって、圧倒的な大多数の人々は、映画券とか野球のチケットがもらえるか否かによって新聞を選んでいるんだから!!。新聞の記事内容やスクープ数を考慮して、この新聞が良いと思って取っている人はほとんどいない(元毎日新聞の幹部の河内氏は、発行部数が多い新聞ほど、販売職員・拡張職員が多いと指摘している)。
そもそも新聞は再販制度(価格の固定)に守られているから、市場の原理に晒されていないし、記者クラブのもとで、新たなプレイヤーが新規参入できない状態にある(新たなプレイヤーがいるかいないかは別として)。加えて、新聞社がテレビ局を兼営していることで、新聞とテレビの相互批判がほとんどできていない。
新聞がきちんと仕事できているか否かは、読者ではなく、互いのメディアの相互批判によって、あるいは市民団体やNPO団体の多様な監視によって評価されるべきだ。
いまの日本ではマスメディア(新聞・テレビ)が報じなければ、そのニュースはないも同じことである(ネットによってその状況は着実にそして確実に変わってきているが…)。だから自分に都合の悪い情報を流さなければ、市民はその事実を認知できないし、変革を起こそうという運動に発展しない。
新聞・テレビは最後の談合組織であるといわれるのはそれゆえだ。
Y新聞社長は、「読者」が懸命な目を持って新聞を判断していると思っているかもしれないが、そんなわけがない。「読者」が本当に賢明であれば、まず真っ先にマスメディアの癒着構造に対して大きな声を上げているはずだからだ。「ふざけんな、談合組織が!!」と。
マスメディアのレベルは、結局、国民レベルにしかないと鳥越俊太郎氏はいう。だがそれは日本があまりにも少数のメディアが多大な影響力を持っていることの裏返しに過ぎない。だったら一つ媒体の影響力を弱めながらより多元的なメディアを作っていくしかないではないか、と僕は考えている(…テレビは特に)。
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日本のいわゆる「マスコミ」がどれほどに激しい癒着構造(新聞―テレビ―ラジオは同資本で、それらのビジネスモデルを支えるのは広告だしw)であるかを示されてしまったと同時に、よりによってY社会長から、拍子抜け(いや、想定の範囲内か…)の発言がみられたことが、あの講演会の後味を物語っていたと思う。
>一つ媒体の影響力を弱めながらより多元的なメディアを作っていくしかないではないか
まさにこれだよね。では、これからどうすればこれが現実的になるのか、だよね。…え、我々の世代に丸投げかw
イベント気になっていたので、
ブログでの記述ありがとうございます。
研究所の修了生のくせに
ジャーナリズムに関する知識など
あまりないのであれですが、
監視役に読者はないような気がします。
読者を意識するのは必要だけど、
読者=監視役はやはり違うような。
だって読者(=一般人notメディア人)は新聞の監視より
日々生きていく方が大事でしょ。
新聞が自分たちの生活を良くするように
主張をして欲しいとは思ってるだろうけど、
それは監視じゃなくて、
自分にとって利があるかないかだろうし。
しかしメディアをメディアたらしめるものは
読者のメディアへの信頼に他ならない気もするので
その点ではある意味、読者は監視役かもしれないっすね。
長文すいません。
うまく言語化できませんが…
>さたくん
まあ、少しは想定していたけどそれ以上だったね。もう彼らの世代は老いて死んでいくだけだから、新聞がどうなろうと関係ないんだよきっと。危機意識のない高給取りの管理職組はさっさと引退してくれって感じです。
(といっても新聞の報道自体は僕はそれほど不満をもっていないっす。個々の報道で不十分だと思ったり、自己批判があまりにも少ないと思ったりするけれど)。
>一つの媒体の影響力を弱めながらより多元的なメディアを作っていくしかない
現実的に考えるとそういう方向に行くしかないよね…。新聞にはまだそういう方向に行ってほしくはないんだけど(過度な自由競争ね)、テレビはもう新聞以上に既得権益の塊で腐っているからさっさと構造自体をガチャガチャポンしたほうがいいと思う。…すでに自分たちで番組作っていないんだし。
>タカムラさん
>しかしメディアをメディアたらしめるものは読者のメディアへの信頼に他ならない気もするのでその点ではある意味、読者は監視役かもしれないっすね。
これは、非常にむずかしい問題ですね。
たとえば…、もし読者が「賢明」であれば、質の良い新聞は売れるし質の悪い新聞は売れなくなる。だから売れてるか売れてないかで、新聞の質が評価できることになる。だが、これには問題がある。
果たして読者が賢明かどうかわからない。賢明な人もいれば賢明でない人もいる。母体として賢明でない人が多ければ、質の悪い新聞のほうが売れてしまうかもしれないからだ(そもそも賢明の基準がわからないけれど…)。
こういうことを言うと、実際の質が悪いにも関わらず、「新聞が売れないのは読者が賢明でないからだ」と主張する新聞が出てくる可能性がある。でも普通に考えると、素晴らしい記事を継続的に書いていれば必ず何割かは支持してくれる人がいるはずである。そういう意味で読者の消費動向は無視できないし、彼らは監視・評価役を果たしていると言える。
…常識的に考えるとこうなると思われます。ただしこれは記事内容の質についてのみ焦点を当てているからこういう結論になるわけで、日本のように市場原理の「市場」が歪められていると、この前提は崩れると思います。
だって販売店と拡張員が、記事内容・質とは全く別に、映画券や観戦券で新聞を売っているわけですから笑。(社長も「読者」が監視評価役というのなら、もう少し市場を整備してから発言するべきですよね)。
新聞の中心的な監視評価役は、もちろん読者であるべきだと思っていますが、それが現実的に考えて妥当かどうかはわかりません。…これから賢明な読者を育てていくしかないですね。