教育について文献を漁っていると、興味深い本に出会った。教育学の権威である苅谷剛彦先生の、「教育改革という幻想」という本である。
教育改革と言うと、「暗記・詰め込み型の教育」から、「個性と創造性を育む教育」へのシフトチェンジというイメージが頭に浮かぶだろう。少なくとも、僕自身もそういう方向で考えていたし、ゆとり教育が出てきた背景にも、「個性」や「創造性」を持った人材育成の必要性があったと思われる。
しかし、苅谷先生はその教育改革の盲目的な進展に疑問を投げている。その「子ども中心主義教育」の理想や理念は素晴らしいとしても、ではその理想主義的な教育が実際にどれだけ現実とマッチングして効果的に機能するのかは不明瞭である。そして、そもそも、過去の詰め込み型・暗記中心主義の教育がそれほど悪い教育であったのか実証的に証明されていないと。
今までの教育は劣悪なものである。→ だからこそ、「改革」を断行しなければならない。しかしながら、その「悪い」「ダメだ」とする「現状認識」=「出発点」がそもそも間違っているとすれば、その改革はまったく宙に浮いたものとなってしまうだろう。
× × × × × ×
僕はよく思うのである。
「詰め込み教育が悪い」「個性豊かな人材育成を!」と唱えている自分は、何だかんだ”詰め込み”教育を受けてきている。だから詰め込み・受験教育をしてこなければ今の自分もなかったのではないかと。さらに、もっと創造性溢れる授業を受けていれば…と過去を振り返り嘆くものの、じゃあ、過去に受けてきた授業はすべて詰め込みでルーティンな授業だったのかと問われれば、必ずしもそうではなかったと思う。
一人ひとりの先生は自分なりに、生徒の興味・関心を引き出そうと創意工夫をして頑張っていたはずだし、彼ら自身、自分たちの授業を、「詰め込み」とか「個性を伸ばす」というように分けて考えていなかっただろう。基礎を教え込んだ上で、できる子にはさらに応用を、それくらいに考えていたはずだ。
そもそも「一人ひとりの個性を伸ばす教育」というのは、論理的に考えれば、既に明示されている生徒の興味・関心などを、教師が重点的に伸ばしていく教育のことだ。だが、国語に興味がある生徒が実は、科学に長けていたり、サッカーが上手い子が実は野球選手の才能があったりと、本当にマッチングした教育は、その生徒によって千差万別であるし、その時点ではとても把握できないものである(教育の効果は事後的にしか把握されない!)。
むしろ、現在の特定の興味・関心を伸ばすのではなく、その興味や関心の領域をできるだけ多く持たせてやることが教育の本義なのではないだろうか。「まったく興味のなかった分野でも、見方を変えればこんなに面白いものだった」という風に新しい視座を提供する、そうした可能性をできるだけ増やしておくことが教師の役目であろう。
たとえば、ツマラナイ(と思われている)算数の分野をいかに分かりやすく教えるかという、いわゆる「詰め込み」の段階での創意工夫が、子供の興味関心の選択の幅を広げることになるし、結果的に「個性を伸ばす」教育に繋がるともいえるのである。
いまの教育改革はどのような現実に依拠しているのか。苅谷先生が述べているように、「理想の光に目がくらむ前に、しっかりといまの足元を直視する」必要があるのではないか。
(というか、苅谷先生が教育再生会議に入っていないことが既に疑問……)。
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フィンランドの国家教育委員会の委員になるには
最低でも三年間の教員経験が必要とされてんだとさ。
>COLDTOPIC氏
再生会議は、教育の専門家がいないし何を根拠に何を話しているのかまったくナゾ。文字通り、居酒屋談義になっているんじゃないかな(笑)。
フィンランドね、何で上手く行っているんだろうね。