記憶に残る本の紹介の仕方

 ミ課題に行き詰ったので、久々にブログでも更新してみる。
 うちのゼミ課題は、自分の記憶に残っている本を五冊紹介するというものなのだが、これが意外と厄介なことに今、気がついた。ただ単に本を紹介してもつまらない。自分の人生観にどれだけ影響与えたかを織り交ぜて書かないと、「これが僕の記憶に残っている本です」と胸を張って公言しづらいのではないか。そう思ったら、何だか急に書きづらくなってきたのである。 
 「記憶に残っている」=「人生に影響を与えた」という意味を付与するのであれば、その本を読む前と読んだあとで、自分自身がどのように変化したのか変わったのかを上手く書かなければならない。ただ、こういう有用な知見が得られました、東アジアにおけるパワーバランスの新しい視座を得ることができました、と言っても何だかしっくりこない(気がする)。
 それにしても自分がどのように変わったのかを説明するのは、本当に難しい。たとえば、同窓会で、お前は変わっていないとよく言われる。でも自分では変わったつもりだ。そして今でも少しずつ変わっているつもりだ。変わっていないのはお前だよ、お前が中学・高校のときと変わらない世界の見方をしているから、世界が変わっていないように見えるだけだ。そう言い返したとしても、ザンネンながら相手は理解してくれない。そして、僕は変わっていないことになる。
 結局は、経験・行動の次元でしか証明できないんだ。
 本を読んで自分という人間が変わったことを証明するとすれば、知識の増加や世界の見え方の変化云々ではなく、あくまで、あなたの行動はどう変わりましたかという具体的な問いに答えるしかない。じっさい僕は、このような現実に辟易している。経験・行動なんて単なる身体的な表象に過ぎない。上っ面だけのくだらない経験主義だからだ。でもみんな知っている。それ以外に世界を理解する方法はないことを。経験・行動の範疇でしか、人は人を理解できないということを。
 いつも自分の内なる変化を具体的に克明に描きたいと思っている。簡単な抽象語で済ませるのではなく、具体性の集積のうちににじみ出るような感覚に辿りつきたいと切望している。でも、それは高い技能と高い精神性の必要とされる作業だ。こんなんじゃないと感じながら、こんなものだと簡単な一言で片付けてしまう人には無理なことだ。才能と修行が必要であり、才能がない僕にはもっともっと修行が必要なんだ。
 
 …・気がつけば、2時間以上、パソコンの前に座っている。適当に書いているうちに徐々に本気になって考えて込んでしまう。これは果たして自分にとって良いことなのか悪いことなのか。この頭の中の葛藤は、自分にとって意味があることだろうかないことだろうか。よく分からない。あまり良いことではない気がする。でも書き出すといつもこうだ。特に、「伝えるべきこと」がないときはいつもそうだ。うむ、以後、気をつけよう。

ぐし について

スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務後(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事。2014年11月から慶應大学のEUSI研究員。千葉市まちづくり未来研究員(自転車政策)。NPO Rights副代表理事として若者政策(主に若者参画)の提言や分析を行う。連絡先:gushiken17@hotmail.com
カテゴリー: つぶやき・殴り書き パーマリンク

記憶に残る本の紹介の仕方 への6件のフィードバック

  1. きのまゆ より:

    あとさあとさ、
    「変わってないね~」ていう人って、「他人が変化すること」が怖いんだろうね。
    だから「変わってない何か」を見つけようと必死で、
    見つけられるとホッとするんだと思う。無意識的に。
    そういう人の性も、いとしいものだと思うけど。
    『でも書き出すといつもこうだ。
    特に、「伝えるべきこと」がないときはいつもそうだ。』
    という一文、すてきだよ◎

  2. おぐし より:

    >きのまゆー
    「変わってないね」は、確かに、怖さの裏返しかもしれないね。
    ただ若い時分で生きている間は、
    やっぱり変わったねって言われたいんだよね。
    たとえば、「君は、変わり続けるという点では、変わらないな」って(笑)。
    『でも書き出すといつもこうだ。
    特に、「伝えるべきこと」がないときはいつもそうだ。』
    うん、この一文、よく考えると結構素敵だったかも(笑)。
    きのまゆに指摘されなかったら気がつかなかったよ、サンクス☆。
    うん、日記でも何でもそうだと思うんだけどさ、
    とりあえず何も考えないで取りとめも無く書き始めると、
    結局、自己嫌悪と自己反省を書いたあと、
    「さあ俺、明日からもっと頑張れ」みたいな文になるんだよね笑。
     

  3. おーき より:

    >結局は、経験・行動の次元でしか証明できないんだ。
    小串君と知り合って早二年が経とうとしていますが、
    こうやって変わっていくところは変わらない、気がする。
    「あぁ小串も変わったなー」っておれが内心でつぶやくようなときが来るなら、
    きっとそれは小串が経験や行動により変わらなくなったときだと思います。
    小串の場合、『変わり続ける点では変わらない』っていう自己認識は、
    的を得ているんじゃない?

  4. えふたか より:

     まだ出会って二年だけどさ、小串はこの二年間でもめまぐるしく変化してると思うぜよ。良い変化か悪い変化かはそれは僕のあずかり知らない領域だけれどね。
     とにかく僕は変わっていく小串を見ているのは楽しいけど。
    「お、小串のやつまたこの前とは違う小串になってるな。ふむふむ」って思い、「あ、でもここは変わってないな。ぎゃははは笑」
    ってなったときが最高に面白かったりする。

  5. おぐーし より:

    →おーき
    自分で書いたものをよく読み直してみたけど、
    何だか実存的不安に脅かされている人みたいだね(笑)。
    なんか恥ずかしいなぁ。
    >結局は、経験・行動の次元でしか証明できないんだ。
    これが世の中の原理原則だと思うんだけど、
    何かどうも気に食わないんだよね。
    常に「何か」をやらなければならないみたいな強迫観念に見える。
    「変わったと認識されるためには、自分の目に見える行動(冒険)が必要であり、それが無ければ変わったことにはならない」。
    たぶんこのテーゼ自体がオカシイと思う。
    だって「何かをやらなくても人間は変わるはず」だもの。
    そういう小さな生き方(=目に見える大きい行動(冒険)をしない生き方)
    をするためには、自分の中から小さい変化を見分けてくれるような、『長期的な付き合いの存在』が必要になってくるのだ。
    なるほどなるほど。自分で書いていて納得!!!
    つまり、こういうことだ。
    『特に何も行動(冒険)を冒さなくても、
    小さい変化に気がついてくれる存在がいれば、万事OKというわけだ』。
    さあだからこそ、有能な恋人(あるいは密な友人)が必要なのである。
    …というわけで、そろそろ恋人でも探すことにしよう。さあ春よ来い。

  6. おぐし より:

    >えふたか
    ううひどい。
    もう眠くてだめぽ。
    たった今、ゼミの課題終わった。
    やったーやったーばんざーい。
    お休み。

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