『編集者という病い』

 分の価値観や生き方の軸が固まってくると、他の人がどのように生きるかは大して気にならなくなる。自分の設定した価値観に向かって自ら取り組んでいれば、他の人が何をしていてもどんな面白そうなことをしていても、価値観の軸自体が異なるから自分の『生き方』は、さほど脅かされない。
 将来をどのように生きていこうかについて漠然とながら固まってきた僕は、だから最近は他人から大きな影響――それは『生き方の修正』という意味で――を受けていない気がする。強いて上げるとすれば、たぶん正月に過ごした隠岐の島での『島生活』くらいだろうか。
 しかし今日、『編集者という病』――幻冬舎を率いる見城徹の総括本を読んで、久々に頭をガツンと打たれた。のらりくらりと生きている自分に、生き方の修正を迫る強烈な一発だった。
 角川書店時代から出版界に数々の伝説を打ちだててきた見城は、「僕は僕を変えてくれるもの以外に興味がない」と言い切る。(「僕は僕を変えてくれるもの以外に興味がない」 いい言葉だ)。
 自分が本当に良いと思ったもの感動したものでなければ基本的に仕事をしない。彼が惚れた、書かなければ救われないある種の闇を抱える作家たちは、世界への違和感や内なる不安を七転八倒しながら原稿に焼き付ける。表現は彼らにとって自己救済と同じなのである。そんな彼らと誰よりも近くで関わり、誰よりも深く彼らの精神へと踏み込んでいく見城は、時に自分自身に返り血を浴び、時に狂気に見舞われながら、その一瞬一瞬の『生の実感』をかみ締める。
 ギリギリの刹那を生きるのが見城の生き方だ。そして「自分にはとても表現できない」と述べた上で、彼は石原慎太郎(や中上健次)の過剰な文学性について次のように語っている。
 「表現っていうのは、犯罪に近い行為だと思うんですよ。例えば奥平剛士のテルアビプの空港乱射事件。僕は学生運動の中で、現実の踏み絵を踏み抜けなかったっていう劣等感がいまだにある。行為として実践できるかどうかでその思想や観念の価値は決まると、僕は思っているのね。
 奥平はパレスチナ闘争の一環としてテルアビプの空港で20何人撃ち殺して、自分の足元に爆弾を投げて死んでいくわけだよ。その直前に、重信房子に残した言葉というのがあるんですよ。それは、『もうこの場に及んで思い残すことは何もない。ただ。たった一つあるとすれば、この難民キャンプを走り回る美しい目をした、必ず武器を持って続くだろう子供たちに、さよならも告げずにいくことだ』」。
 「そこには善悪という共同体の二分法なんてなくて、ただ奥平の実存だけがある。たとえば野村秋介が、ああいう形で自殺するわけだけども、彼が残した句に『俺に是非を問うな、激しい雪が好き』っていうのがある。是非の問題じゃないんだよ。是非の問題になっちゃったらもう社会通念の問題。そうじゃない、個体として生きようと意思した人間の句ですよ。石原慎太郎の小説というのは全部、それがあるわけですよ。最初の最後までその個体にかかっているんだよね。現実の踏み絵を踏み抜くこと、そのことの切なさと恍惚を描いている。集団、共同体っていうものを無化する小説を。」

 「是非の問題ではなく、個体がどのような意思の下に生きるか」が、大事なんだと。
 みんな、もう少し過剰に生きてみようよ。彼はそう言っているように聞こえる。もちろん過剰に生きようが小さく纏まって生きようが、それはすべて個体の意志の問題であるし、そもそも、大きく生きるのが正解で、ささやかに生きるのが間違いというわけではない。(見城自身は、ささやかに生きる生に対して尊敬の念を持っている)。
 その上でだ。僕はもう少し過剰に生きようかなと思った。もっと頑張ろうかなと思った。
 果たしてそのエネルギーの過剰性が具体的にどのように発揮されるのかはわからない。もっと他人の人生に関わっていくことかもしれない。寝不足で飲みまくることかもしれない。あるいは単に馬鹿野郎に馬鹿野郎って言ってやることかもしれない…。
 今の僕にわかることは、とりあえず、この人に会いたいということ。
 
 そして、激しい雪が好きということだ。

ぐし Gushi について

Currently working for a Japanese consulting firm providing professional business service. After finishing my graduate course at Uppsala University in Sweden (2013), I worked for the European Parliament in Brussels as a trainee and then continued working at a lobbying firm in Brussels(2015). After that I joined the Japan's Ministry of Foreign Affairs, working in a unit dedicating for the negotiations on EU-Japan's Economic Partnership Agreement (EPA/FTA) (-2018). 現在は民間コンサルティング会社で勤務。スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事した後(-2015年3月)、外務省で日EUのEPA交渉チームで勤務(-2018年3月)。連絡先:gushiken17@hotmail.com
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『編集者という病い』 への3件のフィードバック

  1. 3月も後半ですね

    私のところにも、ようやく『編集者という病い』が届いた。
    http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9981700983
    お、おもしろい。おもしろすぎる。
    私はフランク・ベトガー氏の大ファンで、昨夜は新刊
    (別に本を紹介したいわけではありません)http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=9981612375 をフォトリーディングしたが、ちょっと休憩になりそうだ。

    経営後継者養成アカデミーの皆さん、修了式おめでとうございます。あの場所で、みんな揃って会うのは、今日が最後だったかもしれませんね。またどこかで会いましょう。

    3月も後半ですね。また明日から冷静にいくぞ。ほらね、早くしないから、これも品切れだよ。
    http://www.honya-town.co.jp/hst/HTdispatch?nips_cd=998066990X

    Steve Vai の Tender Surrenderで、今夜はおやすみ。(これはVaiのギターが鳴るよ)それじゃあ、またね。

  2. 木村藤子さんの鑑定と気づき

    木村藤子さんの鑑定は、「気づきのすばらしさ」に重点をおかれていますね。
    そして、いかに「自己本位」であったか反省させられ、いまある問題を、他のものに原因をむけるのではなく、自分の心の中に向けるようにお話ししてくれます。
    木村藤子さんは、何かを話す前に、ちゃんとその人のことがお判りになられるようです。
    でも、すべてをお話ししてくださるわけではないのですね。
    だから・・・
    断片的…

  3. 月灯りの舞 より:

    「編集者という病い」

    「編集者という病い」
      見城 徹:著
      太田出版/2007.2.17/1600円
    顰蹙は金を出してでも買え!!
    僕はこうやって生きてきた。
    いや、こうやってしか生きられなかった。
          <帯より>
    とにかく大迫力の人である。
    誰にもまねできないほどの努

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