それでもボクはやってない

 「裁判所は真実を明らかにする場じゃない。有罪か無罪か『とりあえず』確定するだけだ。」
             
 「なた痴漢したでしょっ」 朝の通勤ラッシュ、電車を下りた途端、腕を掴まれた金子(加瀬亮)は、何が起こったのかわからなかった。無責任な駅員に促され、現場検証をしないまま警察署へ強制連行。取調べ室に入った瞬間から「お前がやったんだろ!!」と恫喝され自白強迫の連続。まったく機能していない建前の『推定無罪』。「ボクはやっていない」と言っても誰も全くまともに取り合ってくれない。
 面会した当番弁護士までも次のように冷たく言い放つ。「否認して起訴されれば、99,9%は有罪になるんだから今のうちに罪を認めて示談したほうがいい。裁判は大変だし時間が掛かるし」。
 このようなカフカ的不条理の中、金子は自らの潔白を争い戦っていく。母親、友人、心ある弁護士や同じ境遇にある被告とともにゼロの状態から『司法の現実』を学びながら無実を訴えていく……。
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 この作品のテーマは、司法システムに対する懐疑・問題提議である。
 その中でも特に印象深かったのは、無罪判決を出すことに対する裁判官の『恐れ』だ。
 上記でも述べたように、刑事裁判における有罪率は99,9%。無罪を争う公判においては、97%程度が有罪判決を受ける。つまり裁判の場に持ち込まれた場合は100人に3人しか無罪にならないという現実がある。これは一方で警察や検察の優秀さの証明として見ることもできるが、他方、この数字が無罪の判決を出しにくい雰囲気を生み出しているとも考えられる。
 映画の中では、「裁判官は事件をどれくらい処理したかの数とスピードが重要だし、警察・検察を敵に回すと出世に影響してしまうから」として、無罪を提出するのに無言のプレッシャーが加えられることが指摘されている。
 これらの指摘が、『裁判員制度』を見据えていることは言うまでもない。一般市民が裁判に加わることによって、プラス面にせよマイナス面にせよ、司法システムや国民に対して様々な影響が考えられる。たとえば、難解な法律用語が分かりやすく身近になったり判決に対するチェック意識が増大したり、結果的に国民の民度が全体として高まるといわれている。
 しかし個別の問題は予測不能な形で残っている。外的要因の関係から言えば、世論を圧倒的に形成しているメディアが推定無罪を実質的に無視し、『犯人視』報道を繰り返すことで、裁判員たちに事前に先入観を植え付けかねないかということ。そして厳罰化の流れを背景にして、『悪い奴は吊るせ・殺せ』という怒号が吹き荒れないかが心配される。
 あるいは、市民が参加することで、裁判官の判決に対する責任や責務が、軽くなってしまうことも問題として指摘される。判決が気楽に出せるようになるといったら裁判官に対して失礼かもしれないが、先の99,9%の有罪率が背景にあるという事実が判決の言い分として使いやすいのと同様、そのようなある種の『気楽判決』の出現可能性もないとは言えないのである。
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 去年、友人と二人、ライブドア堀江さんの裁判を見るために東京地裁へ行った。だが朝の抽選で早くも脱落。仕方ないのでその日に行われる公判の中から面白そうなものを傍聴することにしたが、そこで傍聴したケースが今回の映画と同じ、『強制わいせつ罪』であった。
 大変不謹慎であるが、その話が非常に馬鹿馬鹿しいけど人間ドラマに溢れていて笑ってしまった。40歳前後の中年の男性は、不倫相手の家(おいおい!)から仕事場に向かっている朝の通勤電車で、中学生に対して痴漢を働いた。しかも一度、下りる人の波に押されて駅ホームに出たにも関わらず、再度彼女の後方へと近づいてさらに痴漢を再開した……。
 結局、男性は、女の子の勇気ある声で御用となった。彼は、妻子持ちで、子どもは女子中学生だった。驚いたのは、彼自身、数ヶ月前に、埼京線で痴漢を働いている男性を見つけて取り押さえたことがあるという。「痴漢を心から憎んでいました。わたしは自分のことを(痴漢を)取り締まる側の人間だと思っていました」という。彼自身、その痴漢事件では、警察署まで同行、公判においても参考人として証言までしていた。「痴漢は絶対にしてはいけない」と。
 「そんなあなたが、なぜ痴漢を犯す側になったのですか?」 いきおい検察だけでなく、弁護人、裁判官からも質問が飛び出した。基本的にはこういう痴漢の公判では動機の探求は行われない。この映画の中でもそういうシーンは皆無だった。なぜか。それは言うまでもなく、『男』であるという「事実」自体が痴漢をするに足りる相当の動機として考えられているからだ。男であれば、誰でも痴漢の動機を持っており、誰もが潜在的な犯罪者と思われているのだ。
 なんとも失礼な話である。まっとうな男性とっては恐ろしい世界である。しかしながら、裁判所で見たおじさんのように、実際、一寸先は誰がそうなってもおかしくはない。ミラーマン植草(もしかしたら『それでも』やっていないかもしれない笑)にせよ先の中年の男性にせよ、僕たちはそれを見て笑ってばかりはいられない点がまた怖い。「魔が差した」「本能のせいで」みたいことで、痴漢を犯す可能性は男性なら誰でもあり得る。そう思ったほうがいい。
 そういう風に自分が犯しうる犯罪可能性を常に頭の片隅に入れておくことが、自分の犯罪可能性を減らす大事な方法である。裁判所のおじさんは、たぶん自分だけはそんなことはしない、自分だけはそんな『馬鹿な種類』の人間ではないと思い込んでいたのだろう。社会学の用語で言えばそういう振る舞いを『切断操作』というが、自分を想定の外(自分だけはしない)に措定してしたときが一番危ない。自分の「バカさ」をどこまで考慮しているか、それが大事だ。
 と言うわけで、痴漢に間違われたら迷わず一心不乱に走って逃げきりましょう(笑)。

ぐし について

スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務後(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事。2014年11月から慶應大学のEUSI研究員。千葉市まちづくり未来研究員(自転車政策)。NPO Rights副代表理事として若者政策(主に若者参画)の提言や分析を行う。連絡先:gushiken17@hotmail.com
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それでもボクはやってない への3件のフィードバック

  1. yui より:

    これ↓見て欲しいんだけど
    http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000005171
    ただあたっただけなのに・・・。
    あとベッキーは痴漢を捕まえるのが趣味だそうだ。
    つかまった人のほとんどがやってないらしいんだけどね。
    ベッキーの一ヶ月に3人捕まえたとか言う発言はアホ過ぎてもうw

  2. さとし より:

    なんという偶然、実はこれから友達とこれ見に行くんだ。
    俺もなんか感想かこうかな~
    最近問題提起型の映画が多くていいね☆

  3. ぐしけん より:

    >YUI
     >ただあたっただけなのに・・・。
     貴重なソースをありがとう。この情報(オーマイニュース)が本当ならば映画の例よりもひどいしおかしい。なんでちゃんと現場で検証しないんだって思う。すぐ警察署に行ったら余計わけわけらなくなるだけじゃないかと。検証して調書をちゃんと取る。こういう当たり前のことができていない。…ほんとに悲しくなる。 
      ベッキー…意味わからんな(笑)。
    >さとし氏
     ちょうどドンピシャですね(^^)。 
     この映画はいやはやすごい。是非とも多くの人に見てほしいと感じました(だからブログにも書いたんだけど)。個々で問題提議や活動をしている人・団体はたくさんいますけど、こうやってドカンと多くの人に影響を与えられるという意味では映画は、いまあるメディアの中で最適だと思います。もっともっとこういう映画が増えてほしいですが、ただ、もちろん『興味深い』だけじゃだめで『売れない』といけない。難しいけどそこは監督の能力次第。こういう素晴らしい作品を作れる鋭い視点を持った監督が出てくれればいいですね。(マイケルムーアみたいな笑)。
     実際にミクシーやブログとかネットコミュニケーションが発達したおかげで、良い作品は口コミレベルですぐ伝わりやすくなっているから、良い映画人も育ちやすくなっている面もあるのではと思います。良い作品があれば是非教えてくださいね。
     

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