メディアが無知を振舞うことについて

 ディアの社会的信用の低下について内田先生が苦言を述べている。
 『言い訳が上手くなりました
 
 『あるある』などの事件に対する(特に新聞の)テレビ批判の多くは、『市民を裏切って何と悪いことをしてくれたのだ』『テレビ底なしの不信』という激しい論調であるが、その批判の仕方がすでに『テレビ的なるもの』であるとして、先生は他メディアも批判している。
 今さら「不信」というようなことを言い出すところを見ると、新聞人はそれまでテレビで報道している情報がすべて真正だと信じていたであろうか。まさかね。「この程度のこと」が日常茶飯に行われていたことを同じメディアにいる人間が知らないはずはない。
 しかし、彼らは決まりきった無垢でナイーブな表情の下で、「こんな不正を起こしやがって」という定型にはまった批判しかしない。先生はまずその「ナイーブな振る舞い」「驚いたふり」を止めべきだと言う。
 マスメディアは「驚いたふり」をするのを止めた方がいいと私は思う。その修辞的な「驚いたふり」は、要するに「私はこの不祥事にぜんぜんコミットしていませんからね。だって、何も知らなかったんだから」という言い訳のために戦略的に採用されているのである。だが、メディアの先端にいる人間にとって「こんなことが起きているとは知りませんでした」というのは口にすること自体が恥ずべき言葉ではないのか。けれども「こんなことが起きていることを私は前から知っていました」と言ってしまうと、「じゃあ、どうしてそれを報道しなかったのか」という告発を引き寄せることになってしまう。
 去年、巻き起こった高校の未履修問題で、僕はこれと同じようなことを個人的に感じた。メディアは自らに「未履修があったなんてことは知らなかった」というナイーブな役回りをロールプレイさせることで、学校や文部省に対して「あなたたちは何をやっていたのだ」と批判を痛烈に浴びせることを可能にした。しかし、それは無知を振舞うことで自分たちに降りかかる責任を回避する姿勢でしかない。教育の最前線を追っているプロフェッショナルの人たちがその問題が起こったときに、知らなかったということ自体、あまりに恥ずべき振る舞いであろう。
 これら無知を装えば許されるという状況が社会全体を覆っている。メーカの不祥事や談合についても、その上層部はすべて、「知りませんでした」と言って低頭してあやまる。知らなかったら責任を逃れることができるから、ひたすら無知を装って謝罪する。そしてそれをマスコミはひたすら追求するが、いったんマスコミ自身が事件を起こせば、メディア界全体が「知りませんでした」と言って、こちらもまた他の不祥事の対応と同様に振舞う。
 これは、すべて同じ穴のむじなだ。
 
 せめて監視して追求する側のメディアだけは、その穴から抜け出してほしいと強く思う。
× × × × × × × × × × × × ×
 もうひとつ、面白い記事を先輩の日記から発見。
『毎日新聞連載「ネット君臨」で考える取材の可視化問題』
 毎日新聞元旦の「2チャン死ね死ね詐欺」の批判特集記事について佐々木さんの疑義申し立て告発。このブログを信じれば、毎日新聞の記者は自分たちの正義を絶対視し、取材対象を悪と規定することで、ネットの匿名性、暴力性を記事に仕立て上げた。これはある意味、悪意に満ちた記事だといえる。もちろん、僕は新聞が独自の思想性を出すことに賛成なので偏向するのは仕方ないと思っているが、取材対象がいる記事で、その人の発言を編集の過程で圧縮・改変させてしまうのは、やりすぎだと思う。
 氏の言うようなネット影響力拡大の意見に全面的に賛成できないが、たしかに、ネットから取材の状況が漏洩してしまうという事態の到来は、記者たちにとってすごく怖いなと思う。ものすごく取材がしづらくなるのだろうなと思う。大変だけど、記者の方々には、がんばってもらいたいと思う。
 おぐし(署名記事)

ぐし Gushi について

Currently working for a Japanese consulting firm providing professional business service. After finishing my graduate course at Uppsala University in Sweden (2013), I worked for the European Parliament in Brussels as a trainee and then continued working at a lobbying firm in Brussels(2015). After that I joined the Japan's Ministry of Foreign Affairs, working in a unit dedicating for the negotiations on EU-Japan's Economic Partnership Agreement (EPA/FTA) (-2018). 現在は民間コンサルティング会社で勤務。スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事した後(-2015年3月)、外務省で日EUのEPA交渉チームで勤務(-2018年3月)。連絡先:gushiken17@hotmail.com
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メディアが無知を振舞うことについて への4件のフィードバック

  1. タカムラ より:

    >マスメディアは「驚いたふり」をするのを止めた方がいいと私は思う。
    これを読んで僕はダチョウ倶楽部が浮かびました。
    ダチョウのフレーズの「聞いてないよ~」は
    視聴者は、「何を言っているんだダチョウは。聞いてたくせに」と
    思って笑っているわけです。
    それはエンターテインメントの世界だから笑いでオッケーなんでしょうけど
    マスメディアが「知らなかったぞ、あるあるが捏造なんて」といって
    盛り上がっているのは笑えないよね(笑)
    うまく言語化できまぜんが…
    あうち。

  2. 植田啓生 より:

    >その人の発言を編集の過程で圧縮・改変させてしまうのは、やりすぎだと思う。
    やりすぎかどうかは、取材者と取材源との関係性・社会的力関係で決まることも留意すべきです。
    手嶋さんの一件で学びました。

  3. おぐーっし より:

    >タカムラ氏
     コメントあざーす☆☆
     無知を装うことで実は相手をの先手をいくというのは、コミュニケーションの作法としてアリだと思いますが、それを自覚していてやっているのと無自覚で無知を装ってしまっていたというのでは雲泥の差がありますからね。笑えませんよね。
     
     ちなみに、内田ブログにも批判のトラバが入っていて次のようなコメントがありました。「新聞が無知を装うことについて書いているが、それは裏返せば、新聞は何でも知っているということであり、内田は実は新聞活字の信頼性を無批判に内面化していることに気がついていないナイーブなやつだ」と。
     記者たちは実際、全く知らなかったんだよ、この業界知らず!って感じ(笑)。
     でも、思うにそれは問題の水準が違うわけで、彼はそんなことは百も承知。本当に言いたいのはおそらく、メディアは無知を装っていること自体に無自覚であるという点だと思います。驚いた振りをしている自分に気がついていない。これはさすがにまずいですよねと。
     
    >植田氏
    それはたしかに留意すべきですよねぇ、NHKも大変そうだし…。
    まあでも、この毎日の例はちょっと常識外だったなぁ。これが業界内の常識だったら怖い…。ミクシーで申請しているし(笑)
     

  4. ナイーブの原語naiveは、けなし言葉です

    「ナイーブ」という言葉を、「純粋で傷つきやすいさま」という意味で使っている方。英語でもこの意味でnaiveと言わないように、くれぐれも気をつけてください。なぜなら、本来、naiveとは、「うぶ」「世間知らず」「お人よし」「無警戒」「ばか正直」、「思考が単純な」と…

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