シェイクスピア評論 ~イアーゴーと嫉妬とオセロー~

 「級の探偵小説における殺人事件の裏には、必ず深く憎悪に満ちた動機が隠されている」と言われる。事件が起こり、奇怪な形で次々と人間が殺される中、それを読み進める読者が犯人に期待することは、その殺人に釣り合い、見合うだけの動機の存在である。地球よりも重い生命を奪う『殺人行為』の背後には、必ずそれ相応の怨念や恨みがあって然るべきだと考えられているからだ。

 昨今、犯罪の凶悪化が叫ばれる背景には、まさにこの『動機の不在』が挙げられる。特に少年犯罪における残虐な行為の動機は、「何となくむかついた」「カッとした」「悪口を言われた」というワンフレーズな物言いに集約され単純化されている。その裏にあるべきだった大きな物語としての動機が紡ぎ出されることはなくなり、また紡ぎ出されたとしても、我々には到底共感できるものではない陳腐なストーリーとなってしまった。我々をもっとも恐れ慄かせるものは、このような『動機(物語)なき悪意』であろう。何かのために悪事を働くのではなく、悪意のために悪事を働くというような『観念の悪』としての存在こそ、もっとも理解できない、忌み嫌われ排除されるべきキャラクターだからだ。

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 『オセロ』という作品も、実はそのように動機なき悪意に満ちた、『悪意のために悪事を働く』人物、イアーゴーによって駆動されている物語である。主人公のオセロは、側近で旗手のイアーゴーの奸計により、自分の愛する妻デズデモーナが副官のキャシオと姦通していると知らされる。「そんな馬鹿なことが」と思いつつも、オセロはイアーゴーの巧みな話術と策略に嵌められ、最後には怒りに任せて妻の首を絞めて殺してしまう……。

 オセロは、イアーゴーの操り人形よろしく、彼を全く疑うことなく彼の筋書き通りに動いた。イアーゴーの妻であり、デズデモーナの側近であるエミリアが彼女の身の潔白を訴えるも虚しく、オセロはイアーゴーの思い通りに突き進んでしまった。なぜこのような事態になってしまったのか。まずイアーゴーがなぜそこまで執拗にオセロを貶めようと思ったのかについて、彼の動機を巡る問題を絡めつつ述べたい。その後、なぜオセロはかくも簡単に騙され、貶められたのかについて考えたい。

 イアーゴーがまさしく『観念の悪』としての存在だったとしても、テキストの中では数箇所にわたり、彼のオセロに対する悪事の動機が指し示されている。例えばP9、物語の出だしの、ロダリーゴーとの会話の中でのオセロに対する恨み。

 イアーゴー 「この町のお歴々が三人、親しく奴(オセロ)に会って、このおれを副官にと頭を下げて頼んでいる…。しかし(オセロは)せっかくの口添えもにべなく一蹴、『既に副官は任命済みのことなれば』。……おお、憎まずにいられるか」

 あるいはP57、ロダリーゴーとの会話におけるオセロに対する怒りの発露。

 イアーゴー 「ともかく自分の恨みがはらしたいからだ…。どうやらあの色好みのムーア(オセロ)め、おれ様の鞍にまんまと納まりこんだことがあるらしい…。女房の借りは女房で返してやるだけの話さ」
 
 上記の二つ引用(副官の恨みと女房の恨み)は、すべてロダリーゴーとの会話において発せられたものであることから、必ずしもイアーゴーの本心を吐露したものと判断できない。なぜならロダリーゴーを説得し、自分の都合の良いように操るための方便として、語ったものと考えることができるからだ。「こういう理由でオセロが憎い。だから手伝え」と。

 だがしかし、注目すべきは、一箇所、イアーゴーが誰との会話の中ではなく、自分の独白として観客に語りかけるシーンがあることだ。P41、ロダリーゴーが舞台から退場したあと、彼は次のように語る。

 イアーゴー 「おれはムーアが憎い。世間の噂では、奴はおれの寝床にはいずり込み、おれの変わりを勤めやがったという。本当かどうか、おれには分からない。だが、おれという男は、そうと聞いたら、ただの疑いだけでも、あたかも確証あるもののごとくやってのけねば気がすまないのだ。奴はおれを信じている。それだけおれの目的には好都合というものさ。キャシオは男振りがいいと、待てよ。あいつの地位を奪って、おれの悪だくみに一石二鳥の仕上げをすると…。」

 独白とは、話している本人と観客にしか分からない(舞台上の他の役者には聞こえていない)心の言葉であり、基本的に自分自身の本音の吐露を意味するものだ。そうだとすれば、イアーゴーは、「女房の恨み」と「副官の恨み」を晴らすという目的・動機の下に、オセロを貶めようと本心を漏らしたとも考えることができる。

 ただ、独白から推察される動機は、物語の進行に伴ってやがて言及されなくなり、イアーゴーは「人を貶めること」それ自体を楽しむ存在として描かれるようになる。それはつまり、イアーゴーという存在を、ストーリーを駆動させ、前に突き進ませる「道具」の役割として位置付けられている、ということである。「道具」なのだから、動機や目的はそもそも明確に示される必要がないので「女房の恨み」と「副官の恨み」などは、あくまで取って付けたような、後付の動機に過ぎないと私は結論付ける(あとで少し留意をつけるが)。

 問題はむしろ、イアーゴーにかくも簡単に操られてしまったオセロの描き方である。果たして、このような悲劇的な結末は『必然』として描かれたのだろうか。それとも、オセロの単純で無垢な浅はかさという『人為的な欠陥』が招いた結末として描きたかったのだろうか。私自身は、オセロの人為的な欠陥の中には、不可逆的で、抗せられない『普遍的な何か』が潜んでいたのではないかと考えている。

 それはすなわち、『嫉妬』である。たしかにイアーゴーに騙され、疑心暗鬼となったオセロであるが、それはむしろ、イアーゴーの操作によってというよりは、自ら進んでその嫉妬という悪魔に乗っかっていったという印象がある。例えば、この作品の中にも嫉妬の記述が多く見られる。

 P99「邪推には、もともと毒が潜んでいる。そいつが始めは嫌な味がしない。しかし、ちょっとでも血の中に浸み込むと、たちまち硫黄の山のごとくに燃え上がるのだ」(イアーゴー)。嫉妬という、思い込んだら如何ともしがたい情念が、この物語の大きな肝であるる。ただ一方、この『嫉妬』が物語に果たす役割について、福田恒存はそれほど大きいものではないと解説に述べている。

 福田恒存 「嫉妬という情念には、確かに私たち近代人の市民感情に訴える一般性がある。が、これほど受動的で非生産的な情念はない。それだけでは劇の主題として弱い。それに、ブラッドレーの言っているとおり、オセロの性格は本来嫉妬とは無縁である。彼は疑い深くはない。オセロは妻に嫉妬したのではない。事実を誤ったのである…。」

 続けて福田は、『オセロ』を『嫉妬の悲劇』というよりは、『愛の悲劇』と結論付けている。しかしながら、福田の議論を、『嫉妬』か『愛』かではなく、『愛』ゆえの『嫉妬』として捉えれば、やはり嫉妬としての悲劇という側面も依然として大きいといわざるをえない。なぜなら、そもそも嫉妬とは、必ずしも事実に基づいた感情ではないからだ。P116でエミリアは、デズデモーナに次のように語る。

 エミリア 「…何かあるから妬くのではない。妬かずにいられないから妬くだけのこと。嫉妬というものはみずから孕んで、みずから生れ落ちる化物なのでございますもの。」

 人間が激しい恋に落ちるときは、相手を愛しているというよりは、自分が主観的に想像した相手の理想像や幻想を愛しているといったほうが正確だといういう。言い換えれば、『私が愛しているあなたは、あなたではなく、私の中のイメージとしてのあなた』である。このことを指して小菅隼人は「恋愛には、『見かけの相互性』という側面がある」と言った。この『見かけの相互性』は、もちろん、相手の実像を下に作られるイメージ像であるため、全くの独りよがりな妄想像ではない。しかし、愛するという行為には、『かくあるべき』という自分のバイアスを通して相手と接するために、その側面は少なからずあるだろう。

 その点を勘案してオセロの嫉妬を見てみるならば、事実として妻のデズデモーナがキャシオと姦通していなくとも、彼が主観的に『そうしている』と思い込んでしまえば、それは彼にとっての真実だったと考えるべきだろう。その意味で、オセロを単純で騙されやすい滑稽なキャラクターとして捉えるのは、いささか早計過ぎる。彼は、イアーゴーの奸計によって完全に騙されたというより、愛ゆえの嫉妬という超自然に操られ、運命に従うままにデズデモーナを殺してしまったのだから……。

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 最初この『オセロ』作品を知ったのは、授業中にDVDで見た、舞台のオセロであった。蜷川幸雄の脚本で、オセロ役に松本幸四郎、デズデモーナに黒木瞳の劇だった。

 恥ずかしながら原作を読んだことがなかった私は、これを見て、「なんだ、このオセロという馬鹿は」とイライラしながら文句をごちた。なぜそんなに簡単に騙されるのかと不思議で仕方がなかったのだ。しかし原作を読んでみると、なるほど少し合点が行った。やはりイアーゴーの言葉使いが抜群に巧妙だった。彼は決して自分からは口を開かない。オセロが問いかけ引き出す形で、彼は口を開く。また、自分は邪推深い男なので信用しないほうがよいと公言したあとで、オセロに言わされる形で「デズデモーナは通じている」と語る…。もちろん、嫉妬の本質がオセロの暴走に作用したことは上に書いたとおりだが、このようなイアーゴーの言葉の巧みさが、いかにも現実にありそうなリアリティーを持っていたことは見落とせない。

 また、イアーゴーがそのような邪悪性を働かせたのは、自身が独白しているように「女房の恨み」つまり『嫉妬』という悪魔に取り付かれていたからではないだろうか。オセロが事実性のない言葉に駆動されたように、イアーゴーも誰かに吹き込まれた言葉を信じ、暴走してしまったとは考えすぎだろうか。いずれにしても、言葉とは言霊であり、それ自体に神秘的な超自然の力を持っているものだと思った。

ぐし Gushi について

Currently working for a Japanese consulting firm providing professional business service. After finishing my graduate course at Uppsala University in Sweden (2013), I worked for the European Parliament in Brussels as a trainee and then continued working at a lobbying firm in Brussels(2015). After that I joined the Japan's Ministry of Foreign Affairs, working in a unit dedicating for the negotiations on EU-Japan's Economic Partnership Agreement (EPA/FTA) (-2018). 現在は民間コンサルティング会社で勤務。スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事した後(-2015年3月)、外務省で日EUのEPA交渉チームで勤務(-2018年3月)。連絡先:gushiken17@hotmail.com
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