硫黄島シリーズの評論

 
 日本軍がミッドウェー海戦、マリアナ海戦で大敗を喫し、米軍の触手が、日本の領土にまで迫り始めていた一九四四年六月八日。栗林忠道(渡辺謙)は、陸軍総司令官として、東京より約一二〇〇㎞南にある硫黄島へ赴任してきた。
 「硫黄島は絶対に死守しなければならない」。
 本土の家族からの手紙を読み返しながら、栗林は強く決意したのだろう。飛行機を降りると、その足で硫黄島を歩いて回った。地理的条件を目で確認しながら、「このままでは島はすぐに陥落してしまう」と直感した。
 米国留学の経験から、アメリカとの戦力の差を痛感していた栗林は、従来の海岸線に主力を置く作戦を改めた。陣地を後方へ移し、地下壕を掘り、島中に無数のトンネルを張り巡らせた。―いわゆる、ゲリラ作戦。それは、この戦いの目的が、「勝つ」ことではなく、「負けない」こと、兵士の命の最後の一滴まで使い、米軍の本土空爆を先延ばしすることだったからだ―。
 ここに第二次世界大戦最大の激戦地の一つといわれている硫黄島の最大の悲劇がある。「家族のために島を守る自分」と「それがために死をためらう自分」の分裂。彼らは、果たして、何を思って戦ったのだろうか。
 主演の渡辺謙は、作品について、「悲惨な戦争の中にでも、ヒーロー(英雄)がいる、という印象を与えたくなかった」と語っていたが、このことは、『硫黄島二作品』に通底するテーマであり、監督・クリントン・イーストウッドの狙いでもあったのかもしれない。
 『硫黄島からの手紙』では、司令官の栗林忠道は、それほど突出した人物として描かれていなかった。なぜなら、この映画には「人間」であり続けた兵士が他にも丁寧に描かれていたからだ。一介のパン屋であり、国家の思想と同一化できず、ただただ妻とそのお腹の子供を心配する西郷(二宮和也)。上官に「犬を殺せ」と命じられたが、できなかった元憲兵の清水(加瀬亮)。米軍捕虜を殺そうとした日本兵に、「お前はアメリカ人に会ったことがあるのか」と迫った、五輪・金メダリストのバロン西(伊原剛)―。戦争という、人間が人間でなくなる極限状態において、彼らは栗林と同様、自己を保ち続けたのだ。
 
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 『父親たちの星条旗』では、一枚の写真が米国を励まし活気付けたことで、一躍、英雄に祭り上げられた三人の葛藤と悲劇を描いている。写真に映っている六人のうち、三人が硫黄島で死に、三人が生き残った。「我々は旗を立てただけで英雄ではない。あの地で散っていった仲間こそが英雄なのだ」と言う彼らの言葉は、本音なのだろう。
 生き残ってしまったがゆえに、英雄にはなれない(死者にしか英雄はいない)という逆説が、彼らを苦しめる。国家のため、国債の調達のため、イベントに借り出され、各地を凱旋し、『英雄』として喝采を浴びる日々。作られた笑顔の中に苦痛がにじんでくる。彼らの葛藤はおそらく知っていた。彼らは見せかけであり、すぐ忘れ去られる存在であると。国とはそういうものであり、戦争とはそういうものだ、と。
 「戦争とは英雄を作り出す装置」。
 このことを映画で表現する際、イーストウッドは、自分の表現自体が抱える「戦争の美化」について自覚的だった。だからこそ、味方と敵、善と悪という二分法を避けるため、彼は二つの映画作品を作ったのであろう。その試みがどの程度、成功したのかわからないが、二つの映画が戦争の一面を鋭く突いていることは確かだ。

ぐし について

スウェーデンのウプサラ大学大学院政治行政学修士取得、欧州議会漁業委員会で研修生として勤務後(-2013年3月)、ブリュッセルでEU政策や市場動向などを調査の仕事に従事。2014年11月から慶應大学のEUSI研究員。千葉市まちづくり未来研究員(自転車政策)。NPO Rights副代表理事として若者政策(主に若者参画)の提言や分析を行う。連絡先:gushiken17@hotmail.com
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