「もしも心がすべてなら、いとしいお金はなにになる」。
この詩は、フランク・シナトラの歌詞であり、歌人の寺山修司が好んで使っていたことでよく知られている。この詩が流行したのは高度成長期、貧しさを内包しながらも希望という物語に抱かれていた時代。人々が一丸となって働き、一体となって生活の向上を体験した。そこでは、誰もが「金持ち」を目指し希求していたものの、幸せの尺度は、お金だけではなく、もっと広くさまざまな物差しで計られるものだと、そのように共感されていた。
シナトラの「もしも心がすべてならば」という言葉は、精神的充実を大事にし過ぎていたことに対する裏返し、反発であり、「お金よりも大事なことはあるさ」という気軽さがその当時を支配していたことを含意している。と同時に、この詩が面白いのは、「お金」という一見すると寒々しい言葉に、「いとしさ」というイメージを貼り付け、道具としての貨幣に、その使い手である人間のドラマを付与したところにあるだろう。だが果たして、現代に、「お金をいとしく」思う感受性が残っているのだろうか。
昨今、「金さえあれば何でもできる」という発言がマスコミに取り上げられ、もてはやされるようになった。バブル期の「○金○ビ」、最近の「勝ち組負け組」に象徴されるように、社会を収入の差によって二分し、それらを上位と下位として分断する価値観が日本を覆い始めている。さらには、収入の差によってアクセスできるステージが決定される、身も蓋もない『格差社会』が到来しているというのだ。
経済成長の鈍化、グローバル競争の真っ只中では、政策として、大きい政府から小さい政府への舵取りをせざるをえない。5%負担で、20%保証の時代は終わった。これからはいかに「下流層」の痛みを和らげ、機会を保持できるかが焦点である。格差が広がり、子供においてさらに教育格差が広がるといわれている。中でも、私がもっとも危惧することは、山田昌弘の言うように生きる上での希望が失われてしまうことだ。「頑張るんだ」という気持ちすら無かったならば、もう対策の打ちようがない。だが、気持ちさえあれば、今はインターネットによって無料で講義を閲覧できる。機会は限りなく広がっている―。
「大いなる言葉には現実を変革する力がある」と言ったのは寺山修司だった。青森の貧しい家の生まれながら、鋭く刺さる言葉と感受性を武器に、人生を縦横無尽に駆け抜けた。彼の生き方は、格差社会を生きる我々の参考になるだろう。なぜなら、彼は「お金があれば何でもできる」なんてこれっぽっちも思っていなかった。寺山は、大いなる言葉を駆使し、「お金がなくても何でもできる」生き方をしていたのだから。
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寺山修二好きなんだねぇー
あたしも最近彼の《誰か故郷を想はざる》って自叙伝を読んでるよ
ボス>
寺山さん良いよねー。言葉ステキだし、生き方がまんま青春の扇動者だし。
ただ、映画や劇は、ぜんぜん理解できないのだけれど笑。
<故郷を思わざる>では、青森での両親の話とかヒーロー譚を書いているけど、実は彼、かなりのうそ八百だったりして、事実と異なるとこが多いらしい。
誕生日がすでに三つもあるし 笑。
子供時代をあれほど具体的に記憶できるわけがないと言えば、それまでだけど、その雄弁な虚言が、イマジネーションや空想力が成せる技であると思えば、事実など大したことじゃないし、彼に言わせれば、そのほうが実存に近づくわけだ――。